AWC 惑う弾丸 1   永山


        
#418/598 ●長編
★タイトル (AZA     )  12/10/23  23:44  (500)
惑う弾丸 1   永山
★内容
 細かい雨粒が、窓ガラスを弱く叩いていた。
 刑事のノーベル・ローラーはインターネットで検索を重ねていた。まだ操作
に慣れていないが、緊急事態だ。己がたった今陥った窮地から脱する知恵や方
法がないか。命が危うい。
「くそ、どうすりゃいい」
 彼は荒い息とともに吐き捨てた。ふと面を起こし、目に留めたのは窓。家の
窓から様子を窺う。――人影は見当たらない。
 危険は去ったのだろうか。否、そんなはずはない。あいつの恨みの深さを見
せつけられている。ぐずぐずしている暇はない。一刻も早く、どこかに逃げ、
身を隠さなければ。                    、、、
 そう思った刹那、男は強い衝撃を受け、次の瞬間には身体のどこかに激痛が
走るのを感じた。何が何だか分からなかった。が、銃声が聞こえたと気付く。
 頽れそうになるが、必死に耐えた。弾丸を喰らうとはこんな感触か。重くて
熱くて鈍い痛み。致命傷ではないと信じたい。果たして、助かるだろうか……。

           *           *

「刑事殺しとは大胆な野郎だ」
 スウェード・オルソンは膝を伸ばし、立ち上がった。
 同僚のエイブ・トマスも跪き、被害者の顔を確認して黙祷した。そのままの
姿勢で周囲を見渡す。現場は被害者のノーベル・ローラー刑事の自宅で、彼が
一番くつろげる部屋という趣だ。問題は、家の玄関と勝手口、そして全ての窓
には内側から施錠されていた点にある。ローラーは撃たれて死んだようなのだ
が、どこにも凶器が見当たらない。さらに、ローラー自身は警察支給の銃を携
帯していたはずだが、その銃も発見されたとの報告がまだない。
「もう触って大丈夫なんですかね」
「そう聞いてる。何かあったのか」
 言いながら、オルソンは近くの机上のパソコンを見やった。指で触れてみる
が、再起動の気配はない。電源は完全に落とされている。
「何かを見つけた訳じゃなく、これから探す訳で……」
 遺体は左側を上に、やや背を丸めるようにして、横たわっている。弾が命中
したらしい胸部辺りには、被害者自身が用意したと思しき厚手のバスタオルが
宛がわれており、血を吸って真っ赤になっていた。それを握り締める手に、断
末魔の苦しみが滲んでいるかのようだ。
 トマスはタオルを避け、被害者の背広やワイシャツの胸ポケットを探った。
続いて、ズボンの尻ポケットにも手を伸ばす。
「何を探してる?」
「鍵があるのかなと思いまして。家の鍵」
「そんなもん、あったらおかしいだろうが。この家はどこもかしこも閉まって
たと聞いてるぞ」
「ええ、ですから確認を。あ――ありました」
 トマスの声に反応し、オルソンは同僚の手元を凝視した。トマスの手袋をし
た細長い指が、被害者の左の尻ポケットからキーホルダーをつまみ出そうとす
るところだった。
「まだ家の鍵かどうか分からん。試してやるから貸せ」
「先に、指紋の有無を調べてもらってからにしましょう」
 鑑識の顔見知りに声を掛け、優先して採取させた。キーホルダー及び鍵から
は幾分かすれた指紋がいくつか採れたようだが、恐らく被害者本人のものであ
ろう。
 鑑識員から鍵を受け取り、オルソンは部屋を出た。トマスも着いていく。玄
関はローラーの死んでいた部屋を出て左に折れるとすぐだ。外に回るや即座に
方向転換し、ノブ上の鍵穴に意識を向ける。
「家の鍵……これか」
 キーホルダーにはいくつか鍵が通してあった。車のキーらしき物を除けば、
あとは同系統の鍵が二つに、ロッカーに使いそうな簡易な鍵が一つ。オルソン
が家の鍵と睨んだのは当然、同系統の鍵二つだ。
 一本目は勝手口の物だったらしく、うまく差し込めなかったが、二本目はス
ムーズに入った。くいと捻ると、金属のバーがドアの側面から頭を出す。
「ちっ、玄関の鍵で間違いないようだ」
「念のため、勝手口も調べましょう」
 裏に回り、試してみると、もう一本の鍵は勝手口の鍵で間違いなかった。
「何だか、嫌な予感がするぞ」
 オルソンが言った。苦々しそうに、上下の歯をこすり合わせている。
「この鍵、横にちっこい窪みがぽつぽつあるよな。こういうのって、おいそれ
と合鍵を作れないんじゃなかったっけな」
「はあ、その通りだと。我々が知識を得てから、技術がまた飛躍的に進歩して
いたなら、話は別ですが」
「ありそうにない希望を持つのは止めようや。窓を調べるぞ」
「先行班がとうに調べて、全て二重タイプの三日月錠が降りていたと……」
「自分の眼で確かめないと、気が済まん」
 最前の発言とは矛盾することを言ったオルソンは、気負い込んで取り掛かっ
た。が、十分後に判明した事実は、彼を憮然とさせた。この被害者宅兼犯行現
場は、いわゆる密室状態であったのだ。
「ローラー刑事とはさほど親しくないが、確か四、五年前に離婚していたよな。
前の夫人が鍵を持ってるってことはないか」
「分かりません。あとで確認しましょう。元旦那が亡くなったと伝えねばなり
ませんし。引っ越したんだったかな。連絡先だけでも先に調べておくか」
 独り言を口にしたあと、トマスは心当たりに電話を始めた。
 その間、オルソンは家全体を見て回る。どこかに隙間あるいは抜け穴がない
か、犯人はまだ屋内に潜んでいる恐れも、などとありそうにない仮説まで浮か
ぶ。先行班の面々が家の中を徹底的に調べているのだから、隙間や抜け穴はと
もかく、人が隠れていて分からないなんてことは絶対にない。
 結局、成果のないまま元いた部屋に戻ってきたオルソン。電話を終えていた
トマスがすぐに話し掛けてきた。
「電話番号や住所、分かりましたよ。部長に断りを入れて、確認しときますか」
「そうだな。元とはいえ、大きな意味で警察の身内みたいなもんだ。早く報せ
てやりたいし、疑いは解いておきたい」
「離婚した仲ということと鍵だけを理由に疑うのなら、その容疑はすぐに晴れ
そうですよ。元夫人――アビーさんの現住所は遙か南西のF州で、アリバイが
簡単に成立するんじゃないかと」
 ノーベル・ローラーはこの家に独り暮らしで、子供は男の子を一人もうけた
が、元夫人が育てているという。
「うまく行くといいが。新しい男がいるなら、ややこしくなる可能性ありだ」
「そういうことはそうなったときに考えましょう。でも弱ったな。おいそれと
行ける距離じゃないし、電話で伝えると、万が一にも相手が犯罪に関与してい
た場合、鍵をどうにかされるかもしれない」
「元夫人が犯人で、鍵が重要なら、とうに手を打たれているだろうよ。聞いて
も、なくしたとか何とか言われるのが落ちって訳だ」
「それもそうですね」
 結局、二人はアビー元夫人にローラー刑事の死を伝えるのを、上の判断に任
せることにした。面倒がったのではなく、近所への聞き込みに精を出さねばな
らなくなったからだ。

 死亡推定時刻は、十八日――発見された日の前日――の夜七時から九時まで
と判断された。その時間帯に何か気付いたことはなかったかを重点的に、近隣
への聞き込みが行われたが、結果は芳しくはなかった。
 ノーベル・ローラーは分類するなら一匹狼タイプで、刑事としても単独行動
を好んだ。彼に限らず、そこそこベテランの捜査官ともなると、独自の情報屋
を少なくとも一名は握っているものだが、ローラーの場合、元犯罪者の割合が
圧倒的に高かった。元ではなく、現役の犯罪者も含まれていたらしく、そのせ
いか、ローラー刑事宅を訪れる客の中には、柄の悪い面々も多かったようだ。
 元来、犯行現場一帯は治安が悪い方ではなかったのに、ローラー刑事が独り
者になって以降、その手の情報屋の出入りが増え、若干ではあるが不穏な空気
が漂うようになっていた。無論、刑事の家の近くで好んで騒ぎを起こす輩がそ
うそういるはずはなく、治安自体は維持できていたらしいが、それでもローラ
ー刑事宅の両隣を含む何家族かは引っ越して行ったという。
「――出入りしていた臑に傷持つ連中の誰かがやった線が強いかと思います。
ローラー刑事の携帯電話が見当たらないのも、通話記録を知られたくない故、
犯人が持ち去ったと推測されますし」
 捜査会議では当然の如く、そんな声が上がった。多くの捜査員が頷くことで
同意を示したが、オルソンとトマスは別の立場を取った。
「その手合いがやらかした殺しにしては、妙に小細工をしているのが気になる
んですがね」
「小細工というと……鍵が全部掛かってたことか」
 オルソンの意見に、捜査を取り仕切るサンダー・ワイズマンは察しよく応じ
た。
「ええ。何でそんな手間を掛けたのか、意味が分からない。凶器の銃が家の中
から見つかってないんだから、自殺や事故を偽装したんじゃないのは明らか。
発覚を遅らせるためというのもしっくり来ない。いくらローラー刑事が一匹狼
だからって、一日無断欠勤すれば、刑事仲間が様子を見に行く。それぐらい、
犯罪者にも想像できるでしょう」
「密室については、誰が犯人であろうと同じ疑問がついて回るがな。情報屋を
やるような人間が、刑事を殺してわざわざ密室をこしらえるってのがしっくり
来ないのは、感覚的によく分かるよ。他の意見や情報がある者は?」
「密室に拘るなら、元の奥さんであるアビーを無視できないのではないしょう
か。理由はさておき、鍵を持っていれば密室を作れるんですから……」
 リサ・メッツが挙手したまま述べた。事件の一報を聞いて飛んで来たアビー
親子に応対し、詳しく話を聞いたのは彼女だ。ワイズマンに無言で先を促され
ると、立ち上がって続ける。
「彼女の言では、離婚後、ローラー刑事とのつながりは薄くなっていたそうで
す。ローラー刑事は子供をどう思っていたのか、会わせてくれと言い出すこと
はなく、逆にアビーの方から子供のために数度、会う機会を作ってもらったこ
とがあったほど。そういったもっと夫の態度が不満ではあったものの、恨んで
いるとか未練があるとかはないと言っています。でも、ローラー刑事の家の鍵
はちゃんと保管していました。別れて以来、使ったことは一度もないと言って
いますけど。気になったのは、現在、彼女が付き合っている男性の存在です」
「いたのか? 聞いてないぞ」
 ワイズマンが些か非難がましく言う。端で聞いているオルソンは、隣のトマ
スに「ほら、男がいたぞ」と囁いた。
「すみません。今朝早く、ホテルにアビーを訪ねた折、携帯電話で話している
ところにぶつかりまして。彼女自身、痛くもない腹を探られたくなかったから
言わなかったと弁明していましたが」
「で、どこの誰なんだ」
「ジョニー・ホリデイ、F州で自動車整備工場をやっているらしいんですが、
確認はまだです」
「犯歴のチェックもまだってことだな。アビーのアリバイはどうなった?」
「話が前後しましたが、アビーのアリバイは証明されました。パート先の同僚
多数が目撃しています。それで、付き合いのある男が怪しいのではないかと思
いまして……」
「現段階で怪しむのは行き過ぎだな。まあいい。疑いの余地がないかどうか、
見極めは必要だ」
「分かりました。追って報告します」
 これ以外に有力な見方は出ず、捜査方針は次のように決まった。
 ローラー刑事とつながりのあった情報屋や前科者を洗う。平行して、ローラ
ー刑事が携わった事件の記録を当たり、彼に恨みを抱くであろう人物がいない
か調べる。密室に関しては、アビーの鍵が持ち出された可能性を検討しつつ、
他の方法も探る。そして最大の懸案事項、凶器及び被害者自身の銃――恐らく
同一物であろう――の発見に、引き続き力を注ぐことになった。

「何で外されなきゃならんのだと思ったが」
 署内で過去の捜査記録の山に囲まれたオルソンは、最初不機嫌で不平を漏ら
していたのが、徐々に機嫌を直し、饒舌になっていった。
「これはこれで面白いじゃないか」
 オルソンとトマスは、ローラー刑事が過去、何らかの形で関わった事件につ
いての調査を任じられた。外で活躍できると疑いもせずにいただけに、不服に
感じていたのだが、始めてみると何故任されたのかが分かってきた。ローラー
刑事と親しかったり、昔からの知り合いだったりすれば、意識的にせよ無意識
にせよこの調査に手心を加える恐れが生じる。本事件に当たる顔ぶれの中で、
ローラーとの関わりがなるべく薄く、かつ一定以上の経験と能力を有する者と
いえば、オルソンとトマスが筆頭。そんな判断が働いたに違いない。
「ごくまれに、妙な決着をしているのがありますね」
「そっちもか。ローラーの情報屋のリストか何かが出て来れば、照らし合わせ
てみたいところだな」
「というと?」
「恐らく、ローラーが情報屋として使えそうな奴に手心を加えて、危ういとこ
ろを逃がしてやった、あるいは真犯人が用意した身代わりを犯人に仕立ててた
んだと思うぜ。喧嘩や泥棒、単発の詐欺といった程度の事件だから、あまり目
立たずに済んでるが、ちょっとやりすぎだ」
「証拠はありません」
「証拠があるなら、周りが放っておかないだろうよ。恐らく、確証がないから、
見て見ぬふりをしてたのさ」
「……問題発言になりそうなので、追随は止めておきます。こっちにはもう一
つ、別の形で気になる記録を見つけたのですが」
 言いながら、トマスは該当する捜査記録をオルソンの方に向けた。身を乗り
出し、目を凝らしたオルソン。窓から差し込む光に、埃の舞う様が浮かび上が
る中、しばし黙読する。クリス・オルウェイなる人物が、自家用車を運転中に
起こした単独事故。道路脇の大木に激突して、即死に近かったようだ。車には
二度以上、激しく衝突した形跡が残っていたという。事故原因は不明とあるが、
犯罪要素のない、何らかの運転ミスと推測されていた。
「交通死亡事故のようだが、これがどうかしたのか。ノーベル・ローラーの名
前なんか、どこにもないぞ」
 書類を指先で叩いてから返そうとするオルソン。トマスは受け取らずに説明
を重ねた。
「僕はローラー刑事の普段の行動を頭に入れて、記録調べに当たったんです。
彼の行動範囲に時間帯を重ね、彼が遭遇していてしかるべき事件や事故、騒ぎ
があるかもしれないと。すると一つだけ、可能性のある案件が見つかりました」
「それがこの交通事故だというんだな」
「はい。この事故の発生地点及び日時から考えると、ローラー刑事が目撃した
可能性大なんですよ。彼が非番時にいつも通るドライブコースです」
「ドライブ?」
「離婚後は晩飯を食べに、お気に入りのレストランを利用していたらしいんで
す。晩飯はそこのステーキかフライの盛り合わせに決めていて、天気が悪かろ
うが、祭で渋滞していようが、必ず食べに行っていたとか」
「よくそんなことまで、調べて、しかも頭に入れているな。で? 目撃したと
すれば、行きか帰りか?」
 半ば呆れつつ、オルソンはトマスに尋ねた。返事は「帰りですね」だった。
「それなら、時間がずれることは充分にあり得るだろう。行きしなはほぼ決ま
った時間通りの行動を取れるが、食ったり飲んだりしたあとの帰りの時間は流
動的になるもんだ。現場には事故発生よりも早く通り掛かった、だから目撃し
なかったんだろうよ」
「そうですかね。でも念のため、あとで調べときます。二年も前の出来事を、
店の人が覚えてるかどうか心許ないですが」
 結局、被害者が手心を加えた可能性のある事件は、十を数えた。だが、断定
できるものはなかった。

 オルソンとトマスは翌日、ローラーが馴染みにしていたレストランを訪ね、
二年前の特定の日のことを店の主人に問い質した。が、予想通り、記憶にない
という返事があっただけ。
「ローラーの旦那といえば、パターソンさんの事件、どうなってます?」
 落胆したトマスとそうでもないオルソンに対し、店の主人が不意に聞いた。
 凶悪犯罪の発生はそう多くない町だが、それでも未解決事件がいくつかある。
その代表格が、パターソン夫妻殺害事件だ。
 刑事達の意識としては、未解決と呼びたくない。というのも、確実に犯人と
見込める容疑者を特定できているのだ。ただし、現在行方知れず。逃亡を許し
た形になっており、未解決事件と見なされている。事件の概要は次の通りだ。
 夫妻には息子と娘が一人ずつおり、兄はメイン・パターソン、妹はホーリー
と言った。事件発生は、ちょうど十年前。当時高校生だったホーリーには、エ
バンス・バークという一つ年上の彼氏がいたが、じきに別れた。バークは素行
の悪いところがあり、ホーリーに振られたのもそのせいなのだが、彼は彼女の
両親が強固に反対したからだと信じ込んだ。そして彼は、直接的な解決方法を
選んだのである。車で帰宅したパターソン夫妻を、金属製のパイプを凶器に襲
ったバークは、速やかに目的を達成するも、立ち去るところを近所の人達に目
撃された。直ちに逃亡したバークに対し、警察は手配を掛けるも遅かった。今
日に至るまで、エバンス・バークの行方は定かでない。州外に出たとの噂があ
るが、それすら不確かな情報に過ぎない始末だ。
「あの事件は、警察にとって耳の痛い話題だが、どうしてローラー刑事と言え
ばパターソン事件なんだね?」
 未解決事件に深く突っ込んで聞かれるのを避けたい。そんな意識も働いたん
だろう、オルソンは早口で店長に尋ねた。トマスが続く。
「そういえば、ローラー刑事は、あの事件の担当ではなかったはず……」
「あ、そうなんですか?」
 テーブルを拭いていた店長が、拍子抜けしたような反応を示す。透明なアク
リル樹脂の上に布巾を放り出し、「でも」と続けた。
「あの人、聞いて回ってたよ。『パターソン夫妻殺害事件について噂を聞いて
ないか? 何でもいい。知っていることがあったら教えろ。バークの居所に関
するものには礼を弾む』と。割と最近の話だ」
「勝手にそんなことを……」
 小声で漏らしたトマス。オルソンは彼を“余計なことを言うな”と肘で小突
き、店長には新たな質問をぶつける。
「ローラー刑事は何か掴んだ様子だったかね?」
「そんなの分からんよ。バークがどこにいるかが分かったんなら、警察総出で
乗り込むんじゃないのかい?」
「そりゃそうだ。で、店長さん、あんたは何か情報提供したのか?」
「残念ながら、知ってることなんて一つもない。あったら、事件が起きた当時、
警察に話してまさあ」
「うむ、道理だな。それじゃ、ローラー刑事に何らかのネタを提供した輩がい
たかどうか、分からんかな?」
「いなかったと思うよ。一応、他の連中にも聞いておくけどね」
 レストランをあとにした刑事二人は、パターソンに会いに行くことを決めた。
無論、亡くなったパターソン夫妻を訪ねるのではなく、その子供に話を聞くの
だ。行き先は、町の外れにある昆虫研究所。メインとホーリーは今、そこに職
員として勤めている。昼前なのだから当然、出勤しているだろう。
「捜査本部に話は通しましたけど、下準備なしで聴取して大丈夫でしょうか」
「準備したところで、大差あるまい。何が必要なのか分からんのだから。それ
よりも、ローラー刑事があの事件を調べていたのなら、メインとホーリー・パ
ターソンにも接触していたに違いない。このあと時間があるなら、バークの知
り合いも訪ねたいくらいだ」
「本部に内緒で、それをやっちゃあまずいでしょう」
 ハンドルを握るトマスは、微苦笑を浮かべた。冗談はよしてくださいと顔が
言っている。冗談のつもりはないオルソンは、助手席から応じた。
「内緒といえば、ローラー刑事は何でこそこそ調べてたんだ? しかも、自宅
からパターソン事件に関するメモの一つも見つかったという話すらない。独自
に調べてたにしても、何らかの記録は残すのが普通じゃないか」
「パソコンはまだ解析中だそうですから、きっとデータにしてあるんですよ」
「ローラー刑事とはさほど親しかった訳ではないが、パソコンを使いこなすタ
イプじゃなかった記憶がある。携帯電話すら、ほとんど通話にしか使っていな
かったんじゃないか」
 オルソンが呟いたとき、目的地の研究所が森林を背景にして、視界に入った。

 昆虫研究所の建物は、空から眺めると食パンを寝かしたような形状をしてい
た。その半円形部の頂にある自動ドアをくぐり、中に入る。看板は昆虫に関す
る研究を謳っているが、その実、新薬の開発に役立つ成分の発見・抽出を目的
としており、その手の企業の下部組織として設立された。
 玄関を入ってすぐ、簡素な受付カウンターがあったが、その席には誰も座っ
ていない。代わりにホテルの如く、ベルがある。
 オルソンはそれを一度鳴らした。それでも即座の反応はないため、もう二度、
鳴らしてから、壁に掛かる建物全体の案内板に目をやった。地上二階地下一階
の、立派な研究書と分かる。
 と、さっきのベルから三十秒ほどして、奥から女性が現れた。ホーリー・パ
ターソンその人だった。
「何のご用でしょう?」
 白衣ではなく、グレーの作業服のような上下を身に着けている。それでいて、
ウェーブの掛かった金髪と控えめな化粧が、女性らしさを忘れていないことを
示していた。
「警察の者です。自分はトマスで、こちらはオルソン。お忙しいと思いますが、
昔の事件のことでちょっと……」
 言いにくそうに切り出した同僚の横で、オルソンはカウンターに腕をついた。
そしてトマスから会話のバトンを強引に奪う。
「ご両親が亡くなった件で動きがあったので、あなたとお兄さんに話を聞こう
と伺った次第です。メインさんは?」
「――兄は、外です。森へ、採集に」
 過去の嫌な事件を唐突に持ち出されたことにショックを受けたか、ホーリー
の話しぶりが少しぎこちなくなった。一度、後ろを振り返って、森のある方を
差し示す仕種をし、向き直ったときには平常心を取り戻していた。少なくとも、
オルソンの目にはそう映った。
「あとで呼んでもらうとして、今はあなたの話を聞くとしましょう。昼はもう
食べましたか」
「いえ、これからです。それよりも、捜査に進展があったんですか。あの男の
居場所を突き止めたとか……?」
 期待する目つきのホーリーに、オルソンは首を横に振った。極めて事務的に、
無言で。
「お恥ずかしい限りだが、進展と呼べるかどうか、まだ分からない段階ですな。
ここ数ヶ月の間に、刑事の訪問を受けたことは?」
「ありません」
 予想外の即答だったが、オルソンは気にせずに質問を継ぐ。
「では、誰でもいい、誰かが事件について聞きに来たことは?」
「それはありましたけど」
 オルソンはトマスに合図し、ローラー刑事の顔写真を出させた。
「この男では?」
 受け取ったホーリーは、眉根を寄せて目を凝らした。しばらくして、吐息混
じりに首を傾げた。
「違います。顎髭が豊かな、ほっそりした人で、ブレンダン・リクシーと名乗
りました。賞金稼ぎだと言っていましたわ」
「確かにバークの奴は広域手配されているから、賞金稼ぎの対象だろう。が、
まともなハンターなら、とりあえず地元警察に話を聞きに来るもんだ。トマス、
リクシーなんて男のこと、聞いてるか?」
「初耳ですね。でも念のため、照会してみます。本当にバウンティハンターな
ら、登録されているでしょうし」
 場を離れるトマス。オルソンが次の質問を考えていると、ホーリーの方から
口を開いた。
「まともなバウンティハンターではないのかもしれません。彼は私達にこう言
ったんです。『もしバークを連れて来たら、個人的にいくら払える?』と」
「ふむ。意味深ですな。まさか、リクシーはバークの居所を掴んでいた?」
「分かりません。私達が聞いても、知らないと答えましたが、実際はどうなの
か……」
「そいつはあなた方に免許を示しましたか? 賞金稼ぎの免許を」
 刑事殺しの捜査に来たはずなのに、別の事件を追ってしまっているな。内心
で苦笑しつつ、オルソンは尋ねた。
「……いえ。言葉だけで鵜呑みにしていました」
 答えたホーリーの視線が、オルソンの肩の上を通り過ぎる。オルソンが振り
返ると、二人の男が立っていた。一人はつなぎ姿の若い男、もう一人はサファ
リルックで、彼こそがメイン・パターソンだった。半袖から覗く腕が、よく日
焼けしている。眼鏡を取れば、恐らく肌の白い部分が縁取りのようになってい
るに違いない。
「お帰りなさい、メイン兄さん、オル――」
「お客さんかい? ああ、もしかすると刑事さん?」
 勘がいいようだ。研究ばかではなく、人を見る目もあるらしい。
 助手らしき若い男を下がらせたメインは、オルソンとトマスに近付いてきて、
自己紹介をした。オルソン達も身分を明かし、その上で尋ねる。
「どこで刑事だと分かりました?」
「滲み出る雰囲気としか。両親を殺害された折、散々、刑事という職業の人達
に接したせいで、感じるのかもしれません」
「今日こちらに来たのは、そのことと多少関係がありましてね」
 オルソンはホーリーにしたのと同じ質問を、その兄にも投げ掛けた。返答は
同じくノー。最近、刑事の訪問は受けていないという。
「ブレンダン・リクシーと名乗る男に、妹さんと共に会っていますね? どん
な印象を持ったかを伺いたい」
「非常に……無礼であるなと」
 渋い表情をしながら、しっかりした、あるいは激しさを含んだ語気で答えた
メイン。
「引き渡してやるから、復讐しろと言わんばかりの物腰だった。生白い奴だっ
たけれど、話の内容のせいか、狡猾そうに見えたな」
「賞金稼ぎをつかまえて生白いとは、よほどのことだな」
「ええ。髭で虚仮威しをしている感じが見え見えでしたよ」
「さて、仮の話になるが、もしバークを連れて来られたとしたら、あなた方は
いくらかの金を出す気はあるんだろうか? それとバークを警察に引き渡す気
はあるのか?」
「それについては二人で話し合いました。場合によってはいくらか払ってもい
いと考えている。だが、リクシーのようなやり方は気に入らないし、何よりも
怪しげな話だ。警察を通した者だけを相手にする」
「結構な心掛けだが、我々がこうして尋ねるまで、何故リクシーのことを教え
てくださらんかったのですかね」
 丁寧だが上から見下ろしたような話しぶりを、オルソンはわざと用いた。相
手の反応を待つ。兄と妹は顔を見合わせてから、妹の方が答えた。
「リクシーは、もしバークを見つけたら、という風に、仮定の話をしましたか
ら、いちいち届ける必要はないと判断しました。いけませんでしたか」
「非難している訳ではありません。ただ、次にまた似たようなことがあれば、
どんな場合でもお知らせいただきたい」
 オルソンの言い方が気に入らなかったか、メイン・パターソンが一歩前に踏
み出してから口を開いた。
「ねえ、刑事さん。こちらにばかり話させるのはフェアじゃない。はっきり言
って、バークの逃亡を許しているのは、警察の落ち度だと考えています。せめ
て、どうして今になって急にまた調べ始めたのか、いきさつを教えてくれても
いいんじゃないかと思いますが」
「……」
 オルソンは己の表情が苦々しいそれになるのを自覚した。トマスに顎を振り、
説明を任せる。
「先日、我々の同僚が殺人事件の被害者になりまして」
「ああ、ニュースでやっていた。確か、ローラーという刑事さんだった」
「はい、そのローラーが、パターソン夫妻の事件の担当でなかったにも拘わら
ず、独断で調べていたらしいと分かりました。殺害されたことと関係があるの
か否か、判断の必要がある次第です」
「つまり、ローラー刑事を殺したのはバーク?」
 色めき立つメイン。ホーリーも口元を両手のひらで覆い、微かな動揺が見ら
れる。
「そこまでは言っておりません。あくまで可能性の一つだ」
 オルソンは断固とした口調で注意を促した。それから、左腕を振りかぶるよ
うにして袖をたくし上げると、腕時計で時間を確かめた。
「こりゃいかん。昼飯の時間がなくなっては申し訳ない。ご一緒するつもりだ
ったが、新たに確認すべき事項もできたんで、おいとまするとします」

 捜査本部のある署まで戻ったオルソン達は、ワイズマンに報告すると同時に、
ローラー刑事とブレンダン・リクシーとがつながっていなかったかをチェック
するよう、進言した。
 次に、そのブレンダン・リクシーが正規のバウンティハンターであると確か
められたことを知らされた。元証券マンだったが失職し、何故か賞金稼ぎに転
身した経歴の持ち主で、実績は保釈金立替業者の依頼で、保釈金を踏み倒して
逃げている連中を何度か捉えたことがある程度。広域手配の凶悪犯を追い掛け
る手合いではないようだ。
「それからな、元妻の線は消えたと思っていい。アビー・エストラダに続いて、
その彼氏のホリデイも、アリバイ成立だ」
 ワイズマンが言った。
「あとは、アビー元夫人の家から、ローラーの家の鍵が第三者によって持ち出
された可能性だが、これも否定の方向だ。前の旦那の鍵を所有していること自
体、誰にも教えてなかったというんだからな。犯人が押し入った先でたまたま
見つけた鍵を持ち出す理由がない。加えて、鍵の複製は困難なのだから、一旦
持ち出してまた返すという芸当をする必要があるが、距離的・時間的に厳しい。
そこまで手間を掛けて密室をこしらえる意味もなかろう」
「要は、エバンス・バークを第一容疑者として、パターソン夫妻殺害事件との
関連を探るということですか」
 オルソンが確かめると、ワイズマンは大きく頷いた。
「バークと、リクシーだな。おまえさん達がリクシーの情報をよこしてすぐ、
奴の住所に何人か向かわせている」
「合流しろと?」
「いや。合流はしてもらうが、怪文書の方だ」
「怪文書?」
 オルソンの隣で、トマスが頓狂な声を上げた。
「いつ来たんですか」
「昨日の内に届いていたんだが、一般の郵便に紛れて発見が遅れた。封筒の表
書きには、何ら特徴的なことがなかったもんだからな。で、開封したら、『エ
バンス・バークの居所を知っている。以下の場所に行ってみな』とかいう短い
手紙が出て来た。実物は今、検査に回してる。ハイスミス刑事がコピーを持っ
て行ってるから、見たければ見せてもらえ」
 パターソン夫妻殺害事件の担当責任者が、マイケル・ハイスミスだ。オルソ
ンとは同期で、若い頃はよく話しもしたが、現在はさほどでもない。
「持って行ってるということは、すでにハイスミスは、手紙に記された場所に
向かってるんですな」
「それどころか到着したと、さっき連絡があった。北のアリアレイ山の麓にあ
る、G農場に向かってくれ。とうに打ち捨てられた農場なんだが、広大故、応
援が必要らしい」
「ローラー刑事殺しの捜査を外れろと?」
「違う。捜査班が統合されるのを見越しての措置だ。頼むぞ」
「――了解」
 オルソンとトマスは相次いで出て行った。

 柵で囲われたG農場は噂通り、広大だった。ハイスミスの他にも何名か来て
いるに違いないのだが、出入り口付近に立つ制服警官一名以外に、見当たらな
い。オルソン達は話が通っていることを確認し、ハイスミスがいるというサイ
ロに足を向けた。
 駆け付けると、ちょうどハイスミスが姿を現した。彼はオルソンに気付くと、
「応援てのはあんただったか」と苦笑いめいたものを表情に浮かべた。
「ここはもういい。ご覧の通り、サイロは崩れかけで、中は空っぽ。身を潜め
るスペースがない上、危なくて仕方がない」
「人が最近いたような形跡は、見つかってるのか」
「足跡がちらほら。型を取らせている」
「そもそも、ここの持ち主は誰なんだろう? どうして放置されてるんだ?」
「名前はちょっと忘れたが、土壌汚染と家畜伝染病のダブルショックで、やめ
ざるを得なかったそうだ。元の農場主一家は州外へ引っ越し、土地は売りに出
されたが、印象がよくないせいもあって、長い間、買い手が付かなかった。結
局今は、その企業が買い取って、使い途がないまま放っているんだとさ」
 土壌汚染と聞き、オルソンも思い出した。横を走る道路を走行中のタンクロ
ーリーが派手に横転、流出したオイルだか薬物だかが地面に染み込んだという
事故が昔あった。農場主は企業からの賠償金で、損はしなかったと聞く。
「建物として残るは、あれだけのようだ」
 右前方に顎を振るハイスミス。十五メートルほど先にレンガ造りの小屋があ
った。オルソンとトマス、それに数名の制服警官と一緒に、ぞろぞろと向かう。
「物置か」
「案内板がある訳じゃないが、多分そうだ。農機具を置いていってるとは思え
んし、扉を開ければすぐに中の様子は分かるだろう」
 期待していな口ぶりのハイスミス。すでに、手紙が偽情報だったと疑ってい
るようだ。
「建物を調べ終わったら、敷地内の捜索か」
「ああ。足跡があるからには、調べない訳にはいかない。大方、宿無しの輩が
一時的なねぐらに使ったんだと思うが」
 金属製の扉の前に立つと、ハイスミスはノブを捻った。そして怪訝な顔付き
になる。
「ん? 開かない」
 小屋の広さは、ワンルームマンションの部屋を二つ並べた程度。通常タイプ
の扉しか付いていないことも考え合わせると、トラクターなどの農機ではなく、
鍬や三つ叉といった農具を仕舞うスペースのようだ。
「中に誰かがいるってことかな」
 オルソンが呟く。普通、物置の鍵は外からしか掛からない。放置された農場
の小屋に、わざわざ鍵を掛ける理由はなかろう。すると、何者かが内側にいて、
支え棒でもしているのかもしれない。
「……いや、どうやら違うぞ。施錠されている」
 ノブの感触を改めて確かめ、ハイスミスが断定した。
「外から施錠されているのなら、中に逃亡犯がいる可能性はほぼゼロだろう。
閉じ込められでもしない限り」

――続く




 続き #419 惑う弾丸 2   永山
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