AWC 惑う弾丸 2   永山


前の版     
#419/598 ●長編    *** コメント #418 ***
★タイトル (AZA     )  12/10/24  00:54  (495)
惑う弾丸 2   永山
★内容                                         13/08/29 23:56 修正 第2版
「中からも施錠できる型式かもしれん。覗いてみようじゃないか」
 言いながら、斜め上を指差すハイスミス。つられてオルソンが目を向けた先
は、小屋の壁の右上付近。通気のためか、それとも単に破損したのか、レンガ
一個分の穴がぽっかり空いていた。
「高いな。脚立がいる。この農場のどこかに転がってるのを見た覚えがある。
探して持って来い」
 ハイスミスの命令に何名かの部下が動いたが、その一人が足を止めて、「梯
子なら、そこにありますが」と、物置小屋の側面を示した。オルソン達のいる
位置からは見えなかったが、回ってみると部下の言葉の通り、金属製の梯子が
横倒しにしてあった。雨ざらしだったようだが、その割に錆び付いていないし、
汚れもたいしたことない。
「よし、その梯子でかまわん。立て掛けるんだ。俺が覗く」
 ハイスミスの指示で、梯子が最前の通気孔?に届くよう、立て掛けられた。
オルソンとトマスも手伝う。梯子が壊れる心配はなさそうだ。
「しっかり、押さえといてくれ。ぐらぐら揺れたら、万一の場合、困る」
 ハイスミスは拳銃の仕舞った位置を確かめるように、己の身体の左脇に触れ
た。それから梯子を登り始める。三メートル足らずはあっという間だった。
「……これは」
 覗いたハイスミスは首を左に振り、手前の壁際を注視しているようだ。
「何かあったんだな?」
 オルソンの問いに、ハイスミスは「ああ。誰だか分からんが、人がいる。死
んでいるようだ」と興奮気味の口調で答えた。

 G農場の小屋で死んでいたのは、ブレンダン・リクシーだった。壁を背もた
れにし、床に足を投げ出して座る格好で、撃たれていた。小屋は一つしかない
出入り口であるドアが内側から施錠され、リクシーの他に人の姿は生死を問わ
ず皆無。レンガ一個分の通気孔から出入り可能なのは、大きくても猫程度。ラ
イフルが一丁、遺体のすぐ近くに転がっていたこと、さらには線条痕が一致を
見たことと合わせると、自殺が妥当な見方だった。
 しかし。「リクシーの身体から発射残渣は検出されず」との鑑定が出た。見
込みは大外れ。リクシーもまた殺されたと考えざるを得なくなった。
 他殺となると、二つの謎が浮上する。
 まず、線条痕が一致した件。これは犯人がリクシーを撃ったあと、凶器を現
場に置いたと考えればよい。あるいは、より複雑な手法としては、小屋にあっ
たライフルで発射した弾丸を回収し、別の銃に装填し、改めて殺人に用いると
いうやり口もある。この場合、銃のライフルマークを削ってなるべく消してお
くか、口径が一回り大きな銃に詰め物をして発射する必要が生じよう。いずれ
も通常、命中精度は下がる。
 次に、密室。これに対しては、捜査陣の面々は当初、楽観的であった。「通
気孔の穴から撃ったんだろ?」と。
 しかし。これまた、しかし、である。犯行現場で実証実験を行ったところ、
小屋の通気孔は小さく、凶器と推測されるライフルで壁際のリクシーを撃つの
は、どうしても無理だと判断するしかなかった。
「跳弾じゃないのか」
 そんな意見も出された。通気孔から突っ込まれたライフルからは、弾が被害
者の位置とはまるで違う方角に飛び出し、壁や屋根に当たって向きを換え、最
終的に被害者に命中した、という仮説である。が、これもすぐに否定された。
小屋の内側のどこにも、弾丸が跳ねた痕跡はなかった。
「第一の殺人に続き、第二の殺人も密室状態か。気に入らんな。そんなマニア
めいた殺しを重ねる輩なんて、限られてくる」
 オルソンは運転席のトマスに聞こえるよう、大きな声で言った。二人は今、
リクシーの家を車で訪ねる中途だった。小屋で死亡したブレンダン・リクシー
はアンドレアという女性を娶っていた。子供はいないが、裕福な(少なくとも
傍目には)家庭を築いているようだった。というのも、アンドレア・リクシー
は作家で、なかなかの人気を博しているのだ。
「アンドレアが書いてるのは、どんな話だっけか?」
「大衆娯楽小説全般ですね。ダマーカス・アドレー名義でラブロマンスからサ
スペンス、時代物まで。長編は年に一作ですが、短編を数多くこなしてる」
「推理小説は書いてないのか?」
「書いてますよ。でも、あなたが期待するような作風じゃありません。愛憎劇
が中心で、遊戯めいたトリックはまず使わない」
「そうか」
 オルソンは淡々と受け止めた。元々、アンドレアにはアリバイが成立してい
る。ローラー刑事の死亡時刻にはないが、旦那の死亡時刻には、講演を兼ねた
取材旅行に出ていた。編集者の同行なしの取材だったおかげで、ブレンダンの
死を伝えるのに手間取ったのだが。
「疑うとしたら、動機ぐらいでしょうか。いや、弱いかな。証券マンをやめた
ブレンダンとは、あまりしっくり行ってなかったようですね。別れるほどでは
ないが、冷めた関係だったとか」
「ブレンダンにたかられていたならともかく、彼もバウンティハンターとして
そこそこ稼いでいたんだ、問題あるまい。少なくとも金銭絡みでは、動機にな
らないな」
 リクシー邸に着いた。マスコミに囲まれることもなく、むしろ閑散とした静
けさに包まれている。プライベートをほとんど非公開としていることが、奏功
したとみえる。
 ノックをすると、担当編集者の男が現れ、中に通された。彼ともう一人、女
の編集者が心配して家に泊まり込んでいるという。葬式の手配も、彼らが引き
受けていた。
 アンドレアがいるという書斎に入ると、作家先生はパソコンに向かっていた。
キーボードを軽快に叩いている。
「ああ、刑事さん。手が離せないの。適当なところに座って」
 声はするが、顔はディスプレに隠れて見えない。ひっつめにした赤毛が時折、
前後左右に揺れるのが分かるくらいだ。
「大した人気だ。旦那が死んでも、仕事ですか」
 多少嫌味を込めて、オルソンが言う。アンドレアは僅かに顔を起こし、視線
を刑事二人に向けた。
「この方が気が紛れてよいので。涙を流し、悲しみに沈むこともできますが、
生産的じゃないのは嫌い。実際問題、仕事が溜まってるのよね」
 会話中もタイピングは止まらない。
「編集者が来たのも、私を心配してというより、原稿を心配してのことだわ」
「まあ、当然でしょうな」
 オルソンが率直に述べると、キータッチの音が不意にやんだ。アンドレアは
分かりにくい笑みを目元に浮かべ、「ええ」と頷く。
「気に入ったわ、刑事さん。敬意を表して、ちゃんと話を聞きましょう。どう
いったご用件で?」
 アンドレアは自身のデスクを離れ、オルソン達が座るソファの前に腰を落ち
着けた。
「無論、ご主人が殺された件で。遺体確認のあと聞かれたことと重複する質問
もあるかもしれませんが、ご勘弁を」
「待ってよ、刑事さん。今、何て? 殺された?」
「はい、その線が濃厚になりました」
 トマスが言い、他殺と判断するに至った経緯を説明した。聞き終えたアンド
レア・リクシーは、唇を結び、意味を咀嚼するかのように何度か首肯した。
「――自殺したと思われると聞いていたから、驚いたけれども、そういう状況
なら殺されたのかもしれないわね」
「そこで伺いたいのは、ご主人を殺害する動機の持ち主に、心当たりがないか
ということでして」
「殺意なんて人それぞれだから、分からないとしか言えない。ただ、一般論と
して、ブレンダンは賞金稼ぎをするようになって以降、恨まれることは増えた
でしょうね。証券会社に勤務していたときは、大きなミスなくやっていたわ。
辞めたのは、会社全体の失敗故だから」
「ローラーという男、あるいは刑事を名乗る男を知りませんか」
「……ローラーの方は、ブレンダンが電話で口にしていた覚えが……曖昧だけ
ど。その人物が何か?」
「すみません、今質問するのは我々なので。パターソン夫妻殺害事件、ご存知
ですな。あの事件について、ご主人が言及したり、調べたりしていなかったか
どうか。特に最近」
「言われて思い出したけれども、調べていたんでしょうね。共用しているイン
ターネット用のパソコンで、パターソン事件を検索した形跡が残っていたわ。
図書館にも何度か足を運んでいたみたいだから、古い新聞を当たっていたのか
もしれない」
「どれぐらい前のことです?」
「検索に気付いたのは、ついこの間。図書館の方は……約一ヶ月になるかしら」
「エバンス・バークに関しては、何か言ってませんでしたか」
 トマスが気負った様子で、身を乗り出す。
「エバンス・バークというと、パターソン夫妻殺害事件の犯人と目される男で
したわね? ……いいえ、言ってなかった」
 トマスは肩を落としたが、オルソンはそうでもない。予想の範疇だ。検索や
過去の新聞記事に当たっただけで、バークの居場所が突き止められるはずがな
い。もしそんなことが可能なら、警察の面目丸潰れである。
 しかし、ブレンダン・リクシーがバークの居場所を知っているかのような発
言をしたのも事実。何か裏があるはず。
「刑事さん、もう質問してよろしいわね? ブレンダンの死は、パターソン夫
妻殺害事件と関係があるとお思い?」
「警察ではそう踏んでいます。どうやら、あの事件をほじくり返そうとした面
面が、狙われた節がある」
「では、事件の犯人は、バークではなかったのかしらね。もし別に真犯人がい
るんなら、バークを犯人と思わせておきたいに決まってる」
「その辺りは、我々からは何も申せません。様々な可能性を検討中でしてね」
 オルソンは口ではそう答えたものの、この作家の見方は鋭いと思った。

 捜査本部に寄ると、ローラー刑事とブレンダン・リクシーが通じていたこと
が明白になっていた。二人の間で通話がなされた記録があり、また、ローラー
刑事の自宅にブレンダンらしき男が出入りするのを目撃したという証人の出現
が決め手になった。
「リクシーは、ローラーの情報屋として動いていたのかもしれん」
「その過程で、バークの隠れ場所について大きなネタを掴んだ、と」
 ワイズマンとハイスミスの推測が、捜査の方向性を決める。
「G農場が有力候補だが、現段階で、バークがいた痕跡は発見できていない。
が、一時的な寝床にしただけとすれば、痕跡が見つかりにくいのはあり得る。
パターソン事件発生当時の捜索では、あの農場も散々調べたのだからな」
 そんな風に流れが決まりかけるところで、オルソンは発言を求めた。指名さ
れてから、アンドレア・リクシーの見解を話す。
「なるほど。筋だけはそれでも成り立つな」
 ハイスミスは声で理解を示した。ワイズマンも二度ほど頷くことで、検討の
価値ありと認めたらしい。
「しかし、もっと単純に考えても筋は通る。居場所を掴まれそうになったバー
クが、二人を相次いで殺害したとな」
「その点は認めますよ。ただ、今の時点で、単純な結論だけを追っていいのか、
疑問を提起してみたまで」
「ならば聞こう。パターソン夫妻を殺したのがバークでないのなら、奴は何故、
姿を消した? 今も現れないのはどうしてだ?」
 ハイスミスが挑戦的に言った。
「仮説でかまわんのなら、いくらでもでっち上げられるが、それではだめなん
だろ?」
「無論。情況証拠でも心理的根拠でもいい、バークが犯人ではないと考えてお
かしくないだけの理由を示してくれ」
 オルソンはしばし考え、「ないな」と言った。
「ただ一点、ローラー刑事と賞金稼ぎ風情がどうがんばったところで、バーク
の居所を突き止められるはずがない。そこだけは強く信じておるんですがね」
「ふむ……」
 考え込むハイスミス。黙した彼に代わり、ワイズマンが口を開いた。
「真犯人が別にいるのなら、そいつはバークを真っ先に始末したいはず。自殺
に見せ掛ければ問題ない。ところが実際はそうなっていないのだから、やはり
パターソン夫妻を殺したのはバークだ。あいつの潜伏場所を、仮にローラー刑
事が突き止めたとしよう。彼が報告しなかったのは何故か。こう考えると、何
やらよからぬ想像を膨らませてしまいそうになる……」
 ワイズマンは俯くと額に両手の甲を当て、意味深にため息をついた。ワイズ
マンと付き合いの長いオルソンは、すぐに飲み込んだ。察してくれという合図
だ。ここは憎まれ役を買って出るべきか。
「ひょっとすると……ローラー刑事はバークの居所を知りつつ、何らかの事情
から、隠そうとしていたという可能性も」
 身内を疑う発言に、捜査会議は一瞬にして、蜂の巣をつついたような騒ぎに
なった。

 ローラーがバークの逃亡に荷担していたという説に、当初は否定的・批判的
見解が大勢を占めた捜査本部だったが、程なくして流れは一変する。ローラー
とブレンダン・リクシーの間で、金の動きが確認されたのだ。
 ローラーからブレンダンへ流れたのであれば、刑事が情報屋に幾ばくかの礼
をしただけと取れる。だが、実際には金は、ブレンダンからローラーに動いて
いる。これは少なくとも、警察の内部情報をローラーがブレンダンに漏らして
いた可能性を示唆させるものであろう。ブレンダンがバークの居場所を知って
いるかのような言葉を残したことと考え合わせると、パターソン夫妻殺害事件
の発生当時、ブレンダンがバークを匿い、ローラーは捜査情報をブレンダンを
通じてバークに伝えていたのではないかという疑惑が浮かび上がる訳だ。
 この仮説が正しいとするなら、ブレンダンはバークを裏切ろうとしたために
殺されたと推測できる。弱いのは、ローラー刑事殺しの方だ。裏切り者でない
ローラーを、バークは殺しはしまい。
 ブレンダンがローラーを殺し、バークがブレンダンを始末したとは考えられ
ないか? いや、ローラー刑事もバークに手を貸すのをやめようとしていたの
ではないか? 様々な見方が可能な捜査状況に、方針が定まらないでいた。
 そんな折、アンドレア・リクシーから警察に電話が入った。オルソンを指名
して、思い付いたことがあるので家まで来てもらいたいという。
「人気作家でもある遺族からの要望だ。聞いておいてくれ。取るに足りない話
だとしても、ちゃんと承ったように振る舞えよ」
 ワイズマンの意向を受け、オルソンは一人で作家の屋敷を訪れた。
 女主人は仕事から解放されたのか、自らお茶を入れ、軽食を用意し、オルソ
ンを歓待した。
「アンドレアさん、お話というのは一体?」
 甘くない食べ物を選んでつまんだオルソンは、紅茶を一口飲んだところで水
を向けた。
「ブレンダンの死の状況について、私なりに考えてみたの。これでも一応、推
理作家でもあるのだから」
「ははぁ、それはそれは」
 適当な相槌を打ちつつ、内心では額を押さえたくなった。警察の捜査に素人
探偵がしゃしゃり出てくるだけでも鬱陶しいが、一般人が素人探偵を気取るの
は輪を掛けて鬱陶しい。加えて、眼前の女性は遺族にして有名人。厄介な成り
行きになりそうだぞ。
「お説、ご拝聴と行きましょう」
 思っていることが表情に出ても悟られぬよう、オルソンは顔の下半分を手で
隠した。そうして聞く準備を整える。
「ブレンダンの死の状況で、一番注目すべきは、言うまでもなく密室です」
 アンドレアはどことなく楽しげに語り始めた。夫婦仲が冷めつつあったのを
差っ引いても、随分な態度である。
「厳密には通気孔があったのだから、密室と呼ぶのは憚られるところだけれど、
凶器のライフルでブレンダンを射殺するには、その穴からでは角度的に無理だ
と結論づけられた。でしたら密室と呼んで差し支えない」
「アンドレアさん、あの、ですな。警察の者にそのように事細かに状況を言う
必要はない。要点を頼みます」
「そうだったわ。つい、小説の中の探偵のような振る舞いを……。失礼。では
気を取り直して」
 調子が狂うな。オルソンは聞き手に徹する努力をした。
「私は最初、ブレンダンが自殺した可能性を検討した。硝煙反応をごまかし、
本来の凶器を小屋の外に放擲する方法なら、何とか捻り出せそう。でも、他殺
に見せ掛けた自殺を選んだなら、現場を密室状態にしたのはおかしい。矛盾し
ているわ」
「なるほど」
「といって、犯人が現場を密室にしたのに、状況が明らかに他殺というのも変。
密室を作る理由を欠く。死体発見を遅らせるため? いいえ。捜査本部に届い
たという手紙は、恐らく犯人による物。早く発見して欲しかったんだとしか考
えられません。密室の謎が解けない限り、犯人は捕まっても安泰と思ったか? 
それもまずあり得ない。トリックを自白させられるかもしれないし、手紙を送
り付ける行為ともそぐわない。そこで私は思ったの。あの状況が犯人にとって
殺しやすかったからではないかと」
「うん?」
 話が急に見えなくなり、オルソンは目で問い返した。アンドレアはそれを待
っていた風に、微笑を浮かべて応じた。
「密室は結果的にそうなっただけで、犯人の意図したものじゃなかった。犯人
はただ、小屋に閉じこもったブレンダンを殺すため、通気孔から撃ったら、た
またま密室になった」
「……仰る意味が分からない。確か、現場はご覧になりましたな? どうあが
いても、あの穴から銃で射殺は無理だ、と思いますがね」
「銃身の先の方なら入るでしょう。その先が九十度ほど左に曲がっていれば、
充分に射殺可能じゃありません?」
「曲がった銃? そんな物、役に立たない。発射できんでしょう」
「私、調べたのよ。銃身が曲がった銃でも、弾は飛び出す。そんな事例があっ
たし、角を曲がった先の敵を撃つために端から曲げて作られた銃も存在する。
古くは――クルムラウフやボーザッツラウフが諸外国で使われ、最近では対テ
ロ用に開発されたコーナーショットがあるけれども、入手難度やサイズ的にこ
ちらは事件には関係なさそうね」
 メモを見ながら、アンドレアは言った。彼女なりに、夫の事件を解決しよう
としているのが伝わってくるかのようだ。
「分かりました。こちらで調べて、追ってお知らせします」
「もしや、すでに警察では、この銃に関して捜査を進めていたということはあ
りません?」
「いえ、まったく。銃の入手経路は当然、調べているが、固定観念に囚われて
いたとしか……恥ずかしい限りで」
 素直に認めたオルソン。アンドレアが怒り出しても仕方がないと思っていた
が、彼女の現実の反応は違った。
「よかった。役立てばいいんだけれど」
 ほっとした様子で、椅子に身を沈め、思い出したように紅茶を飲み干していた。
「ブレンダンは悪事に手を染めていたかもしれない。でも、それと殺人は別。
必ず、犯人を見つけてください。――銃の入手経路と言えば、ローラー刑事の
拳銃が紛失状態だとか」
「ええ。犯人の手に渡ったのかもしれず、警戒しておるのですが、まだ動きが
ない。携帯電話も同様で、まったく探知できないという話だから、恐らく破壊
されたものと」
「ブレンダンも銃の携帯許可を得ていたから、所持していたのに、奪われずじ
まい。死んだときそばにあったライフルは、どこで手に入れたのか、全然心当
たりがないのよ。見るのも初めて」
「使用された弾丸等から狩猟用だとは判明しているので、あるいはそこから絞
り込めるかと……。自殺に見せ掛けるためだとしたら、犯行後、犯人が銃を置
いたのかもしれませんな。しかし、例の穴から入れることは無理なんだから、
最初から持たせていたことになる……」
 考えがまとまらない内に口にしたせいで、オルソンの話は尻切れトンボにな
った。作家がそのあとを継ぐ。
「ブレンダンを撃った弾は、現場に遺されたライフルでも発射できる物なんで
しょう? 被害者の用意したライフルと、犯人の使ったライフルとが一致する
なんて確率、高くないんじゃないの?」
「いや、弾が同じ口径というだけで、ライフルが同一という訳じゃない。だが、
一考の価値はありそうだ。ブレンダンのそばにあったライフルは、犯人が凶器
とは別に用意した……。そんな犯人が、硝煙反応に関して無知なんてことがあ
るとは思えない。ブレンダンにどうにかして銃を撃たせ、硝煙反応が出るよう
に細工するつもりだったのが、失敗した。こう考えれば、辻褄は合う」
「密室で殺すつもりじゃなかったのに、ブレンダンが内側から鍵を掛けてしま
ったから、とか?」
「あり得ますな。通気孔から撃つというやり方自体、犯人にとってハプニング
だったのかもしれない」
 予想外によいヒントをもらった。オルソンは女流作家の家をあとにした。

 ブレンダンの身体から見つかった弾丸を詳細に調べた結果、人体に命中した
だけではまずできない傷が見つかった。そこでアンドレア・リクシーの仮説に
沿って実験を行い、銃身が九十度近く曲がった銃から発射した弾なら、そのよ
うな傷が着いても不思議ではないとの鑑定が出た。第二の殺人の密室は、これ
でほぼ解けた。銃身を曲げられた銃が発見できれば、完璧だ。
 だからといって、事件解決が近付いたようにはさほど感じられなかった。捜
査陣にとって、エバンス・バークの行方こそが追うべき本筋。ローラー刑事を
殺す動機は薄いにしても、バークが重要参考人であることは間違いない。ブレ
ンダン・リクシー殺害から一週間が経過した今も、彼の足取りは一向に掴めて
いない始末だった。
 そんな中、オルソンはトマスとともに、第一の殺人の密室を解明するよう言
われていた。小屋の密室解明に間接的にではあるが関与したことで、“そっち
はおまえ達に任せる”との空気ができあがっていた。
「ローラー刑事を撃った弾は、彼自身の拳銃で発砲された物とのことです。過
去、刑事が捜査時に発砲した際の記録と照合し、やっと判明したそうで」
 仮眠を取っていたオルソンは、トマスが持って来た新たな報告に意識を覚醒
した。時計を見る。午後十時。
「ローラー刑事の拳銃が現場内で見つかれば、自殺ってことにしちまえるな。
だが、実際には見つかってない。恐らくは、犯人が持ち去ったか処分した。こ
の前提には変わりない。密室の解明には役立ちそうにないな」
「そうでもないでしょう。犯人はローラー刑事の隙を見て、拳銃を奪った。つ
まり、それだけ親しい仲ということになるのでは」
「大した意味はないなあ。たとえば俺達が本命視しているバークだが、奴がロ
ーラー刑事に匿ってもらうような間なら、当然、二人は親しいと言える」
 オルソンの言い分に、トマスは一度は沈黙した。だが、また別のことを思い
付いたらしい。
「二番目の事件で拳銃を使わなかったのは、何故なんでしょう? 拳銃ならあ
の通気孔から差し込めそうです。犯行後、銃を中に放れば、自殺に見せ掛ける
こともできるはず」
「弾を使い果たしたんじゃねえの? もしくは、何を使おうが狙いを付けづら
いのは同じだから、威力のあるライフルを選んだのかもしれん」
「でしたら、最初の殺人もライフルを使えばいい気がします」
「……その時点ではライフルを入手できていなかったとか、ローラー刑事殺し
は突発的犯行だったんだろう」
「突発的犯行だとしますと、犯人は密室を意図して作ったとは、ちょっと考え
にくいですよね。一つ目の密室も二つ目と同様、偶然そうなったんじゃないで
しょうか」
「ふむ」
 考え込むオルソン。頭の片隅に引っ掛かっていたことが、ないでもない。
「なあ、トマス。おまえさんが撃たれたとする」
「嫌ですよ」
「たとえばの話だ。自宅で撃たれ、相当な重傷。とりあえずどうする?」
「犯人に反撃できる状況ではないんですね? だったら逃げます」
「うーん、犯人はおまえを撃って、立ち去ったあとだとしよう」
「じゃ、救急に助けを求めますよ」
「そんな余裕もないほど、出血していたら? 救急車を待ってられんくらいに」
「それなら……出血を少しでも遅らせたいから、傷口を押さえます。ああ、分
かりました。ローラー刑事みたいにバスタオルで押さえるか、ですね。それは
もちろん、手近にタオルがあれば使うでしょう」
「普通、ないわな。風呂上がりでもない限り」
 オルソンは言った。タオルの存在が引っ掛かっていた。
「脱衣所まで取りに行ったとしたら、少なくとも行きしなに、床に血が滴り落
ちたはずだが、そんな痕跡があったという報告は聞いていない。第一、脱衣所
まで行って、わざわざ元の部屋まで戻る意味が分からん。ローラー刑事が倒れ
ていた部屋に、電話はなかった。救急車を呼びたいなら、電話のある部屋に向
かうもんだろう」
「パソコンならありましたから、ネットを通じて助けを求めようとしたのかも。
まあ、被害者はそんなタイプではありませんが」
「些細な問題だ。滴下血痕がないんだから、バスタオルは被害者が脱衣所から
取ってきた物ではないんだよ。考えられるのは……被害者以外の人間、恐らく
は犯人がバスタオルをよこした。それか、撃たれる前からローラー刑事は何故
かバスタオルを手にしていた。このどちらかだと思う」
「犯人がよこしたというのは、考えづらいですね。たとえ誤って撃ってしまっ
たとしても、バスタオルだけ渡して、さっさと逃げるというのは心理的に理解
できません。助けたい気持ちがあるなら、救急車を呼んでから立ち去るのでは
ないかと思います。それに犯人がバスタオルをよこしたと仮定すると、そのあ
と、犯人は現場を密室にしたことになります。これも矛盾した行動です」
「だよな。そうなると、被害者が最初からバスタオルを持っていたことになる。
首から掛けて、行動していたのか。しかし、普段のローラー刑事にそんな習慣
があったなんて話は、耳に入ってこない」
「無論、確かめる必要はあるでしょうが……。それより、一つ閃きました」
「言ってみてくれ」
「犯行当夜は小雨でした。ローラー刑事は家の外に出ていたのでは? 傘を差
すのを面倒がり、バスタオルを頭から被って、自宅近くで誰かと――犯人と会
っていたんじゃないでしょうか」
 トマスの意見に、オルソンは感心した。ローラーとその相手が人目を憚る間
柄なら、傘を差しての立ち話は目立つとの意識が働いたのかもしれない。
「しかし、待てよ。もしこの想像が当たっているのなら、ローラー刑事は相手
を家に入れる気はなかったんだろう。だったら、犯行現場がローラー宅になる
とは思えない」
「ですね――そうですよ! 犯行現場は外だったんですよ、きっと」
 普段は声の小さなトマスがいきなり叫ぶ。オルソンは思わず耳を塞いだ。
「何だ何だ?」
「外で会っていたローラー刑事と犯人は、諍いになった。ローラーが銃を取り
出し、撃とうとしたが、犯人に幸運が働いたんでしょう、銃を奪われた。ロー
ラーは逃げ帰ろうと、自宅を目指す。その途中で撃たれる。が、命からがら家
に逃げ込み、施錠する。が、助けを呼ぶ前に、そのまま絶命してしまった」
 たまたま持っていたバスタオルで傷口を咄嗟に押さえたため、血痕は家の外
にも中にもほとんど落ちなかった。身体全体が雨でうっすらと濡れただろうが、
それも発見されるまでには乾いた。こう考えれば、密室の謎は解ける。
「裏付けを取るぞ」
 オルソンは強い調子で言い切った。早く密室を片付けて、捜査の本筋に加わ
りたい。その一心から。

 ローラー刑事殺害事件の密室の謎解明。この類の見出し新聞を飾った翌々日
の午前中、エバンス・バークが見つかった――死体として。
 発見されたのは、橋の上。州境を流れる川には大きな橋が架かっているが、
その歩行者用通路の中程に、バークは倒れていた。尤も、当初は体重減による
容貌の変化もあってバークとは気付かれず、腕に注射した痕がいくつかあった
ことから、薬物中毒の男がのたれ死んだか、自殺したぐらいに考えられていた。
古株の刑事が遺体の顔を覗き込んで、ようやくバークだと気付いた。
 死亡推定時刻はその前日の午後十時からの二時間。右側頭部に弾痕があり、
解剖で摘出された弾は、ローラー刑事の拳銃から放たれた物と分かった。遺体
周辺に銃はなく、また、バークの右腕(利き腕)からも硝煙反応は出なかった。
このため、他殺として捜査が開始された。
 が、程なくして発見された想定外の物が、捜査の行方を左右することになる。
「橋の下を捜索していたところ、凶器と思しき拳銃が見つかったのですが、妙
な物が付属していまして」
 遺体のあった場所のほぼ真下の川底にあった拳銃は、ローラー刑事の物に違
いなかった。その握りには細いが丈夫なロープが二本、結わえられていた。一
本目のロープをたぐると、ずしりとした重みが感じられた。ロープを一メート
ル強ほど辿ると、反対側の末端には重石が括り付けてあった。二本目も引っ張
ると、水の抵抗感が甚だしい。同様に辿ると、今度は大人の上半身が隠れるぐ
らいの大きさで、透明なビニールシートがロープに接着されていた。シートは、
安物のビニール傘から剥ぎ取ったビニールを、防水テープでつなぎ合わせた物
と分かった。一部だけ、傘のビニールではなく、家庭用のナイロン袋を宛がっ
た箇所があり、捜査員の注意を惹いた。
「もしや、バークは自殺?」
 深夜、橋の真ん中に立ったバークは、手製のビニールシートを頭から被り、
柔らかいナイロン越しに拳銃を持つ。人や車が途切れたタイミングを狙い、自
らの頭を打ち抜く。硝煙はシートばかりに付着し、身体には付かない。重石の
せいで、拳銃はビニールシートごと、川に落下。これにて、他殺を装った自殺
の完成――それがバークの狙いだったのだろう。
「ところが、夏の川の水量を読み違えた。水深が浅いせいもあり、簡単に発見
された。バークにとって、計算外だったんだろうな」
 ローラー刑事及びブレンダンリクシーを殺めた犯行が露見しそうになったバ
ークの自殺。そんな結論に向けて方針が改められた。そのためには二件の殺人
が、バークの犯行であることを立証せねばならない。また、他殺に見せ掛けた
自殺を選んだ意味、動機も探り出したいところだ。
「そういう訳で、先日はお騒がせしました」
 パターソン兄妹を研究所に訪ねたオルソンとトマスは、微妙なニュアンスな
がら謝罪の意を伝えた。新たに掴んだちょっとした情報をぶつけるという目的
を、内に秘めたまま。
「気にしないで結構。捜査に協力したまでのことです」
 メイン・パターソンが堅い口調で応じる。応接室にて、パターソン兄妹と刑
事二人は、ガラスのテーブルを挟んでそれぞれ着席していた。
 エバンス・バークの死を他殺として捜査を開始した当初、オルソン達はメイ
ンとホーリー・パターソンを、事情聴取した。バークを殺す動機を持つ者の筆
頭に、この兄妹が挙がるのは致し方ない。反面、彼らの両親を殺害した犯人を
バークと特定しながら捕まえられず、長い年月が流れていたことは、捜査陣を
心理的に及び腰にさせるには充分だったかもしれない。
「夜遅い時間帯のアリバイを証明しろと言われても、困ってしまいましたが」
 バークが死んだと思われる時間帯、パターソン兄妹は二人揃って自宅にいた
と証言した。無論、身内(ともに動機を有する者でもある)の証言を、鵜呑み
にする訳にいかない。通り一遍の調査が済んだ時点で、動機以外に嫌疑を掛け
るだけの根拠は出て来ず、ひとまず棚上げとなっていた。
「報告がてら、寄ったんだが、もう少しだけ、ご協力を願いたいんですよ」
「何か? もう済んだのでは」
 陶器のカップを口元に運ぶメイン。初訪問の際に見掛けた若い助手が最前、
人数分のハーブティを運んで来ていたのだ。香りが部屋中に満ちている。
「一応、今度の二件の殺人はバークの犯行と見なされたが、事件の全体像をは
っきりさせないといけない。まず、ライフル銃の出所が取り沙汰されたが、こ
れは割と簡単に判明しました。バークの足取りを探るため、奴の今の容貌を周
辺の警察にも報せたところ、州外でいくつか盗みを働いた疑いが浮上した。内
一件で、ライフルが奪われていた」
「父と母の命を奪った罪から逃げるために、別の罪を重ねるなんて」
 ホーリーが醒めた調子で呟いた。
「ええ、とんでもない輩です。偽名をかたって、仕事を転々とした形跡も判明
してますがね。さて……ライフルを二丁も奪ったとなると、持ち歩くには目立
つ。仕舞う場所が必要だ。バークが自ら家を構えた気配はない。恐らく、車を
寝床とし、ライフルを隠していたんじゃないかと踏んだ。が、いくら探しても
バークの物らしき車は見つからなかった」
「今度の事件を起こす前に、車を処分して金に換えたんじゃないですか」
「その可能性もあるでしょうな。個人間で売買されたら、なかなかあぶり出せ
ない。だが一方で、やはりどこかに住まいがあったんではないかとも考えられ
る。最初は車で移動していたが、何らかのハプニングもしくは幸運にぶち当た
り、車を手放し、恰好の隠れ家を手に入れた――という風にね」
「誰かの家を乗っ取ったとでも言うのですか」
「いや、それなら数日か、長くてもひと月発たずに発覚するはず。ところで、
逃げ隠れしてきたバークが、この町に舞い戻るとすれば、その動機は何でしょ
うな」
 オルソンがはメインからホーリーに目を向けた。彼女はしばし考え、「もし
かすると、未だに私に……」と小さな声で答えた。
「はい、あり得ないことではない。奴の執着ぶりは、よくご存知のはず。ホー
リーさんに会いたいがために、捕まるリスクを顧みず、やって来たと推理する
のは、無茶ではないでしょう」
「まさか、私達がバークを匿ったと? とんでもない!」
「分かっています。そんな馬鹿は申しませんよ。バークがこの町に来た目的に
関しては、まあ二の次だ。ちょっと空想してみますか。エバンス・バークはラ
イフルを乗せた車を転がし、町に入った。程なくして、交通事故を起こす」
「え?」
「その事故が、ローラー刑事と知り合うきっかけになった。約二年前のある夜、
クリス・オルウェイなる男が、単独死亡事故を起こしたんだが、この現場にロ
ーラー刑事が行き会わせた可能性、なにしもあらずといったところでしてね」
「そのオルウェイ氏の事故に、実はバークが噛んでいるとでも?」
「空想ですがね。オルウェイの車には二回、ぶつかったような痕があった。一
度の事故でできた痕跡ではなく、時間をおいてできたものではないか。もしそ
うであるなら、一度目の事故は車同士の衝突だったかもしれない……と、ここ
まで考えた段階で、さすがに証拠がいるだろうと思い、管轄に問い合わせて事
故車両を調べてもらった。資料から、衝突痕からは車の塗料片らしき微細な物
質が検出されていたことが判明した。弱い根拠だが、足がかりにはなる。で、
空想に戻りますが――喋り疲れた。トマス、代わってくれ」
 同僚と交代し、オルソンはハーブティで喉を潤した。味は好みでなかったが。

――続く




元文書 #418 惑う弾丸 1   永山
 続き #420 惑う弾丸 3   永山
一覧を表示する 一括で表示する

前のメッセージ 次のメッセージ 
「●長編」一覧 永山の作品
修正・削除する コメントを書く 


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE