AWC 惑う弾丸 1   永山



#418/598 ●長編
★タイトル (AZA     )  12/10/23  23:44  (500)
惑う弾丸 1   永山
★内容
 細かい雨粒が、窓ガラスを弱く叩いていた。
 刑事のノーベル・ローラーはインターネットで検索を重ねていた。まだ操作
に慣れていないが、緊急事態だ。己がたった今陥った窮地から脱する知恵や方
法がないか。命が危うい。
「くそ、どうすりゃいい」
 彼は荒い息とともに吐き捨てた。ふと面を起こし、目に留めたのは窓。家の
窓から様子を窺う。――人影は見当たらない。
 危険は去ったのだろうか。否、そんなはずはない。あいつの恨みの深さを見
せつけられている。ぐずぐずしている暇はない。一刻も早く、どこかに逃げ、
身を隠さなければ。                    、、、
 そう思った刹那、男は強い衝撃を受け、次の瞬間には身体のどこかに激痛が
走るのを感じた。何が何だか分からなかった。が、銃声が聞こえたと気付く。
 頽れそうになるが、必死に耐えた。弾丸を喰らうとはこんな感触か。重くて
熱くて鈍い痛み。致命傷ではないと信じたい。果たして、助かるだろうか……。

           *           *

「刑事殺しとは大胆な野郎だ」
 スウェード・オルソンは膝を伸ばし、立ち上がった。
 同僚のエイブ・トマスも跪き、被害者の顔を確認して黙祷した。そのままの
姿勢で周囲を見渡す。現場は被害者のノーベル・ローラー刑事の自宅で、彼が
一番くつろげる部屋という趣だ。問題は、家の玄関と勝手口、そして全ての窓
には内側から施錠されていた点にある。ローラーは撃たれて死んだようなのだ
が、どこにも凶器が見当たらない。さらに、ローラー自身は警察支給の銃を携
帯していたはずだが、その銃も発見されたとの報告がまだない。
「もう触って大丈夫なんですかね」
「そう聞いてる。何かあったのか」
 言いながら、オルソンは近くの机上のパソコンを見やった。指で触れてみる
が、再起動の気配はない。電源は完全に落とされている。
「何かを見つけた訳じゃなく、これから探す訳で……」
 遺体は左側を上に、やや背を丸めるようにして、横たわっている。弾が命中
したらしい胸部辺りには、被害者自身が用意したと思しき厚手のバスタオルが
宛がわれており、血を吸って真っ赤になっていた。それを握り締める手に、断
末魔の苦しみが滲んでいるかのようだ。
 トマスはタオルを避け、被害者の背広やワイシャツの胸ポケットを探った。
続いて、ズボンの尻ポケットにも手を伸ばす。
「何を探してる?」
「鍵があるのかなと思いまして。家の鍵」
「そんなもん、あったらおかしいだろうが。この家はどこもかしこも閉まって
たと聞いてるぞ」
「ええ、ですから確認を。あ――ありました」
 トマスの声に反応し、オルソンは同僚の手元を凝視した。トマスの手袋をし
た細長い指が、被害者の左の尻ポケットからキーホルダーをつまみ出そうとす
るところだった。
「まだ家の鍵かどうか分からん。試してやるから貸せ」
「先に、指紋の有無を調べてもらってからにしましょう」
 鑑識の顔見知りに声を掛け、優先して採取させた。キーホルダー及び鍵から
は幾分かすれた指紋がいくつか採れたようだが、恐らく被害者本人のものであ
ろう。
 鑑識員から鍵を受け取り、オルソンは部屋を出た。トマスも着いていく。玄
関はローラーの死んでいた部屋を出て左に折れるとすぐだ。外に回るや即座に
方向転換し、ノブ上の鍵穴に意識を向ける。
「家の鍵……これか」
 キーホルダーにはいくつか鍵が通してあった。車のキーらしき物を除けば、
あとは同系統の鍵が二つに、ロッカーに使いそうな簡易な鍵が一つ。オルソン
が家の鍵と睨んだのは当然、同系統の鍵二つだ。
 一本目は勝手口の物だったらしく、うまく差し込めなかったが、二本目はス
ムーズに入った。くいと捻ると、金属のバーがドアの側面から頭を出す。
「ちっ、玄関の鍵で間違いないようだ」
「念のため、勝手口も調べましょう」
 裏に回り、試してみると、もう一本の鍵は勝手口の鍵で間違いなかった。
「何だか、嫌な予感がするぞ」
 オルソンが言った。苦々しそうに、上下の歯をこすり合わせている。
「この鍵、横にちっこい窪みがぽつぽつあるよな。こういうのって、おいそれ
と合鍵を作れないんじゃなかったっけな」
「はあ、その通りだと。我々が知識を得てから、技術がまた飛躍的に進歩して
いたなら、話は別ですが」
「ありそうにない希望を持つのは止めようや。窓を調べるぞ」
「先行班がとうに調べて、全て二重タイプの三日月錠が降りていたと……」
「自分の眼で確かめないと、気が済まん」
 最前の発言とは矛盾することを言ったオルソンは、気負い込んで取り掛かっ
た。が、十分後に判明した事実は、彼を憮然とさせた。この被害者宅兼犯行現
場は、いわゆる密室状態であったのだ。
「ローラー刑事とはさほど親しくないが、確か四、五年前に離婚していたよな。
前の夫人が鍵を持ってるってことはないか」
「分かりません。あとで確認しましょう。元旦那が亡くなったと伝えねばなり
ませんし。引っ越したんだったかな。連絡先だけでも先に調べておくか」
 独り言を口にしたあと、トマスは心当たりに電話を始めた。
 その間、オルソンは家全体を見て回る。どこかに隙間あるいは抜け穴がない
か、犯人はまだ屋内に潜んでいる恐れも、などとありそうにない仮説まで浮か
ぶ。先行班の面々が家の中を徹底的に調べているのだから、隙間や抜け穴はと
もかく、人が隠れていて分からないなんてことは絶対にない。
 結局、成果のないまま元いた部屋に戻ってきたオルソン。電話を終えていた
トマスがすぐに話し掛けてきた。
「電話番号や住所、分かりましたよ。部長に断りを入れて、確認しときますか」
「そうだな。元とはいえ、大きな意味で警察の身内みたいなもんだ。早く報せ
てやりたいし、疑いは解いておきたい」
「離婚した仲ということと鍵だけを理由に疑うのなら、その容疑はすぐに晴れ
そうですよ。元夫人――アビーさんの現住所は遙か南西のF州で、アリバイが
簡単に成立するんじゃないかと」
 ノーベル・ローラーはこの家に独り暮らしで、子供は男の子を一人もうけた
が、元夫人が育てているという。
「うまく行くといいが。新しい男がいるなら、ややこしくなる可能性ありだ」
「そういうことはそうなったときに考えましょう。でも弱ったな。おいそれと
行ける距離じゃないし、電話で伝えると、万が一にも相手が犯罪に関与してい
た場合、鍵をどうにかされるかもしれない」
「元夫人が犯人で、鍵が重要なら、とうに手を打たれているだろうよ。聞いて
も、なくしたとか何とか言われるのが落ちって訳だ」
「それもそうですね」
 結局、二人はアビー元夫人にローラー刑事の死を伝えるのを、上の判断に任
せることにした。面倒がったのではなく、近所への聞き込みに精を出さねばな
らなくなったからだ。

 死亡推定時刻は、十八日――発見された日の前日――の夜七時から九時まで
と判断された。その時間帯に何か気付いたことはなかったかを重点的に、近隣
への聞き込みが行われたが、結果は芳しくはなかった。
 ノーベル・ローラーは分類するなら一匹狼タイプで、刑事としても単独行動
を好んだ。彼に限らず、そこそこベテランの捜査官ともなると、独自の情報屋
を少なくとも一名は握っているものだが、ローラーの場合、元犯罪者の割合が
圧倒的に高かった。元ではなく、現役の犯罪者も含まれていたらしく、そのせ
いか、ローラー刑事宅を訪れる客の中には、柄の悪い面々も多かったようだ。
 元来、犯行現場一帯は治安が悪い方ではなかったのに、ローラー刑事が独り
者になって以降、その手の情報屋の出入りが増え、若干ではあるが不穏な空気
が漂うようになっていた。無論、刑事の家の近くで好んで騒ぎを起こす輩がそ
うそういるはずはなく、治安自体は維持できていたらしいが、それでもローラ
ー刑事宅の両隣を含む何家族かは引っ越して行ったという。
「――出入りしていた臑に傷持つ連中の誰かがやった線が強いかと思います。
ローラー刑事の携帯電話が見当たらないのも、通話記録を知られたくない故、
犯人が持ち去ったと推測されますし」
 捜査会議では当然の如く、そんな声が上がった。多くの捜査員が頷くことで
同意を示したが、オルソンとトマスは別の立場を取った。
「その手合いがやらかした殺しにしては、妙に小細工をしているのが気になる
んですがね」
「小細工というと……鍵が全部掛かってたことか」
 オルソンの意見に、捜査を取り仕切るサンダー・ワイズマンは察しよく応じ
た。
「ええ。何でそんな手間を掛けたのか、意味が分からない。凶器の銃が家の中
から見つかってないんだから、自殺や事故を偽装したんじゃないのは明らか。
発覚を遅らせるためというのもしっくり来ない。いくらローラー刑事が一匹狼
だからって、一日無断欠勤すれば、刑事仲間が様子を見に行く。それぐらい、
犯罪者にも想像できるでしょう」
「密室については、誰が犯人であろうと同じ疑問がついて回るがな。情報屋を
やるような人間が、刑事を殺してわざわざ密室をこしらえるってのがしっくり
来ないのは、感覚的によく分かるよ。他の意見や情報がある者は?」
「密室に拘るなら、元の奥さんであるアビーを無視できないのではないしょう
か。理由はさておき、鍵を持っていれば密室を作れるんですから……」
 リサ・メッツが挙手したまま述べた。事件の一報を聞いて飛んで来たアビー
親子に応対し、詳しく話を聞いたのは彼女だ。ワイズマンに無言で先を促され
ると、立ち上がって続ける。
「彼女の言では、離婚後、ローラー刑事とのつながりは薄くなっていたそうで
す。ローラー刑事は子供をどう思っていたのか、会わせてくれと言い出すこと
はなく、逆にアビーの方から子供のために数度、会う機会を作ってもらったこ
とがあったほど。そういったもっと夫の態度が不満ではあったものの、恨んで
いるとか未練があるとかはないと言っています。でも、ローラー刑事の家の鍵
はちゃんと保管していました。別れて以来、使ったことは一度もないと言って
いますけど。気になったのは、現在、彼女が付き合っている男性の存在です」
「いたのか? 聞いてないぞ」
 ワイズマンが些か非難がましく言う。端で聞いているオルソンは、隣のトマ
スに「ほら、男がいたぞ」と囁いた。
「すみません。今朝早く、ホテルにアビーを訪ねた折、携帯電話で話している
ところにぶつかりまして。彼女自身、痛くもない腹を探られたくなかったから
言わなかったと弁明していましたが」
「で、どこの誰なんだ」
「ジョニー・ホリデイ、F州で自動車整備工場をやっているらしいんですが、
確認はまだです」
「犯歴のチェックもまだってことだな。アビーのアリバイはどうなった?」
「話が前後しましたが、アビーのアリバイは証明されました。パート先の同僚
多数が目撃しています。それで、付き合いのある男が怪しいのではないかと思
いまして……」
「現段階で怪しむのは行き過ぎだな。まあいい。疑いの余地がないかどうか、
見極めは必要だ」
「分かりました。追って報告します」
 これ以外に有力な見方は出ず、捜査方針は次のように決まった。
 ローラー刑事とつながりのあった情報屋や前科者を洗う。平行して、ローラ
ー刑事が携わった事件の記録を当たり、彼に恨みを抱くであろう人物がいない
か調べる。密室に関しては、アビーの鍵が持ち出された可能性を検討しつつ、
他の方法も探る。そして最大の懸案事項、凶器及び被害者自身の銃――恐らく
同一物であろう――の発見に、引き続き力を注ぐことになった。

「何で外されなきゃならんのだと思ったが」
 署内で過去の捜査記録の山に囲まれたオルソンは、最初不機嫌で不平を漏ら
していたのが、徐々に機嫌を直し、饒舌になっていった。
「これはこれで面白いじゃないか」
 オルソンとトマスは、ローラー刑事が過去、何らかの形で関わった事件につ
いての調査を任じられた。外で活躍できると疑いもせずにいただけに、不服に
感じていたのだが、始めてみると何故任されたのかが分かってきた。ローラー
刑事と親しかったり、昔からの知り合いだったりすれば、意識的にせよ無意識
にせよこの調査に手心を加える恐れが生じる。本事件に当たる顔ぶれの中で、
ローラーとの関わりがなるべく薄く、かつ一定以上の経験と能力を有する者と
いえば、オルソンとトマスが筆頭。そんな判断が働いたに違いない。
「ごくまれに、妙な決着をしているのがありますね」
「そっちもか。ローラーの情報屋のリストか何かが出て来れば、照らし合わせ
てみたいところだな」
「というと?」
「恐らく、ローラーが情報屋として使えそうな奴に手心を加えて、危ういとこ
ろを逃がしてやった、あるいは真犯人が用意した身代わりを犯人に仕立ててた
んだと思うぜ。喧嘩や泥棒、単発の詐欺といった程度の事件だから、あまり目
立たずに済んでるが、ちょっとやりすぎだ」
「証拠はありません」
「証拠があるなら、周りが放っておかないだろうよ。恐らく、確証がないから、
見て見ぬふりをしてたのさ」
「……問題発言になりそうなので、追随は止めておきます。こっちにはもう一
つ、別の形で気になる記録を見つけたのですが」
 言いながら、トマスは該当する捜査記録をオルソンの方に向けた。身を乗り
出し、目を凝らしたオルソン。窓から差し込む光に、埃の舞う様が浮かび上が
る中、しばし黙読する。クリス・オルウェイなる人物が、自家用車を運転中に
起こした単独事故。道路脇の大木に激突して、即死に近かったようだ。車には
二度以上、激しく衝突した形跡が残っていたという。事故原因は不明とあるが、
犯罪要素のない、何らかの運転ミスと推測されていた。
「交通死亡事故のようだが、これがどうかしたのか。ノーベル・ローラーの名
前なんか、どこにもないぞ」
 書類を指先で叩いてから返そうとするオルソン。トマスは受け取らずに説明
を重ねた。
「僕はローラー刑事の普段の行動を頭に入れて、記録調べに当たったんです。
彼の行動範囲に時間帯を重ね、彼が遭遇していてしかるべき事件や事故、騒ぎ
があるかもしれないと。すると一つだけ、可能性のある案件が見つかりました」
「それがこの交通事故だというんだな」
「はい。この事故の発生地点及び日時から考えると、ローラー刑事が目撃した
可能性大なんですよ。彼が非番時にいつも通るドライブコースです」
「ドライブ?」
「離婚後は晩飯を食べに、お気に入りのレストランを利用していたらしいんで
す。晩飯はそこのステーキかフライの盛り合わせに決めていて、天気が悪かろ
うが、祭で渋滞していようが、必ず食べに行っていたとか」
「よくそんなことまで、調べて、しかも頭に入れているな。で? 目撃したと
すれば、行きか帰りか?」
 半ば呆れつつ、オルソンはトマスに尋ねた。返事は「帰りですね」だった。
「それなら、時間がずれることは充分にあり得るだろう。行きしなはほぼ決ま
った時間通りの行動を取れるが、食ったり飲んだりしたあとの帰りの時間は流
動的になるもんだ。現場には事故発生よりも早く通り掛かった、だから目撃し
なかったんだろうよ」
「そうですかね。でも念のため、あとで調べときます。二年も前の出来事を、
店の人が覚えてるかどうか心許ないですが」
 結局、被害者が手心を加えた可能性のある事件は、十を数えた。だが、断定
できるものはなかった。

 オルソンとトマスは翌日、ローラーが馴染みにしていたレストランを訪ね、
二年前の特定の日のことを店の主人に問い質した。が、予想通り、記憶にない
という返事があっただけ。
「ローラーの旦那といえば、パターソンさんの事件、どうなってます?」
 落胆したトマスとそうでもないオルソンに対し、店の主人が不意に聞いた。
 凶悪犯罪の発生はそう多くない町だが、それでも未解決事件がいくつかある。
その代表格が、パターソン夫妻殺害事件だ。
 刑事達の意識としては、未解決と呼びたくない。というのも、確実に犯人と
見込める容疑者を特定できているのだ。ただし、現在行方知れず。逃亡を許し
た形になっており、未解決事件と見なされている。事件の概要は次の通りだ。
 夫妻には息子と娘が一人ずつおり、兄はメイン・パターソン、妹はホーリー
と言った。事件発生は、ちょうど十年前。当時高校生だったホーリーには、エ
バンス・バークという一つ年上の彼氏がいたが、じきに別れた。バークは素行
の悪いところがあり、ホーリーに振られたのもそのせいなのだが、彼は彼女の
両親が強固に反対したからだと信じ込んだ。そして彼は、直接的な解決方法を
選んだのである。車で帰宅したパターソン夫妻を、金属製のパイプを凶器に襲
ったバークは、速やかに目的を達成するも、立ち去るところを近所の人達に目
撃された。直ちに逃亡したバークに対し、警察は手配を掛けるも遅かった。今
日に至るまで、エバンス・バークの行方は定かでない。州外に出たとの噂があ
るが、それすら不確かな情報に過ぎない始末だ。
「あの事件は、警察にとって耳の痛い話題だが、どうしてローラー刑事と言え
ばパターソン事件なんだね?」
 未解決事件に深く突っ込んで聞かれるのを避けたい。そんな意識も働いたん
だろう、オルソンは早口で店長に尋ねた。トマスが続く。
「そういえば、ローラー刑事は、あの事件の担当ではなかったはず……」
「あ、そうなんですか?」
 テーブルを拭いていた店長が、拍子抜けしたような反応を示す。透明なアク
リル樹脂の上に布巾を放り出し、「でも」と続けた。
「あの人、聞いて回ってたよ。『パターソン夫妻殺害事件について噂を聞いて
ないか? 何でもいい。知っていることがあったら教えろ。バークの居所に関
するものには礼を弾む』と。割と最近の話だ」
「勝手にそんなことを……」
 小声で漏らしたトマス。オルソンは彼を“余計なことを言うな”と肘で小突
き、店長には新たな質問をぶつける。
「ローラー刑事は何か掴んだ様子だったかね?」
「そんなの分からんよ。バークがどこにいるかが分かったんなら、警察総出で
乗り込むんじゃないのかい?」
「そりゃそうだ。で、店長さん、あんたは何か情報提供したのか?」
「残念ながら、知ってることなんて一つもない。あったら、事件が起きた当時、
警察に話してまさあ」
「うむ、道理だな。それじゃ、ローラー刑事に何らかのネタを提供した輩がい
たかどうか、分からんかな?」
「いなかったと思うよ。一応、他の連中にも聞いておくけどね」
 レストランをあとにした刑事二人は、パターソンに会いに行くことを決めた。
無論、亡くなったパターソン夫妻を訪ねるのではなく、その子供に話を聞くの
だ。行き先は、町の外れにある昆虫研究所。メインとホーリーは今、そこに職
員として勤めている。昼前なのだから当然、出勤しているだろう。
「捜査本部に話は通しましたけど、下準備なしで聴取して大丈夫でしょうか」
「準備したところで、大差あるまい。何が必要なのか分からんのだから。それ
よりも、ローラー刑事があの事件を調べていたのなら、メインとホーリー・パ
ターソンにも接触していたに違いない。このあと時間があるなら、バークの知
り合いも訪ねたいくらいだ」
「本部に内緒で、それをやっちゃあまずいでしょう」
 ハンドルを握るトマスは、微苦笑を浮かべた。冗談はよしてくださいと顔が
言っている。冗談のつもりはないオルソンは、助手席から応じた。
「内緒といえば、ローラー刑事は何でこそこそ調べてたんだ? しかも、自宅
からパターソン事件に関するメモの一つも見つかったという話すらない。独自
に調べてたにしても、何らかの記録は残すのが普通じゃないか」
「パソコンはまだ解析中だそうですから、きっとデータにしてあるんですよ」
「ローラー刑事とはさほど親しかった訳ではないが、パソコンを使いこなすタ
イプじゃなかった記憶がある。携帯電話すら、ほとんど通話にしか使っていな
かったんじゃないか」
 オルソンが呟いたとき、目的地の研究所が森林を背景にして、視界に入った。

 昆虫研究所の建物は、空から眺めると食パンを寝かしたような形状をしてい
た。その半円形部の頂にある自動ドアをくぐり、中に入る。看板は昆虫に関す
る研究を謳っているが、その実、新薬の開発に役立つ成分の発見・抽出を目的
としており、その手の企業の下部組織として設立された。
 玄関を入ってすぐ、簡素な受付カウンターがあったが、その席には誰も座っ
ていない。代わりにホテルの如く、ベルがある。
 オルソンはそれを一度鳴らした。それでも即座の反応はないため、もう二度、
鳴らしてから、壁に掛かる建物全体の案内板に目をやった。地上二階地下一階
の、立派な研究書と分かる。
 と、さっきのベルから三十秒ほどして、奥から女性が現れた。ホーリー・パ
ターソンその人だった。
「何のご用でしょう?」
 白衣ではなく、グレーの作業服のような上下を身に着けている。それでいて、
ウェーブの掛かった金髪と控えめな化粧が、女性らしさを忘れていないことを
示していた。
「警察の者です。自分はトマスで、こちらはオルソン。お忙しいと思いますが、
昔の事件のことでちょっと……」
 言いにくそうに切り出した同僚の横で、オルソンはカウンターに腕をついた。
そしてトマスから会話のバトンを強引に奪う。
「ご両親が亡くなった件で動きがあったので、あなたとお兄さんに話を聞こう
と伺った次第です。メインさんは?」
「――兄は、外です。森へ、採集に」
 過去の嫌な事件を唐突に持ち出されたことにショックを受けたか、ホーリー
の話しぶりが少しぎこちなくなった。一度、後ろを振り返って、森のある方を
差し示す仕種をし、向き直ったときには平常心を取り戻していた。少なくとも、
オルソンの目にはそう映った。
「あとで呼んでもらうとして、今はあなたの話を聞くとしましょう。昼はもう
食べましたか」
「いえ、これからです。それよりも、捜査に進展があったんですか。あの男の
居場所を突き止めたとか……?」
 期待する目つきのホーリーに、オルソンは首を横に振った。極めて事務的に、
無言で。
「お恥ずかしい限りだが、進展と呼べるかどうか、まだ分からない段階ですな。
ここ数ヶ月の間に、刑事の訪問を受けたことは?」
「ありません」
 予想外の即答だったが、オルソンは気にせずに質問を継ぐ。
「では、誰でもいい、誰かが事件について聞きに来たことは?」
「それはありましたけど」
 オルソンはトマスに合図し、ローラー刑事の顔写真を出させた。
「この男では?」
 受け取ったホーリーは、眉根を寄せて目を凝らした。しばらくして、吐息混
じりに首を傾げた。
「違います。顎髭が豊かな、ほっそりした人で、ブレンダン・リクシーと名乗
りました。賞金稼ぎだと言っていましたわ」
「確かにバークの奴は広域手配されているから、賞金稼ぎの対象だろう。が、
まともなハンターなら、とりあえず地元警察に話を聞きに来るもんだ。トマス、
リクシーなんて男のこと、聞いてるか?」
「初耳ですね。でも念のため、照会してみます。本当にバウンティハンターな
ら、登録されているでしょうし」
 場を離れるトマス。オルソンが次の質問を考えていると、ホーリーの方から
口を開いた。
「まともなバウンティハンターではないのかもしれません。彼は私達にこう言
ったんです。『もしバークを連れて来たら、個人的にいくら払える?』と」
「ふむ。意味深ですな。まさか、リクシーはバークの居所を掴んでいた?」
「分かりません。私達が聞いても、知らないと答えましたが、実際はどうなの
か……」
「そいつはあなた方に免許を示しましたか? 賞金稼ぎの免許を」
 刑事殺しの捜査に来たはずなのに、別の事件を追ってしまっているな。内心
で苦笑しつつ、オルソンは尋ねた。
「……いえ。言葉だけで鵜呑みにしていました」
 答えたホーリーの視線が、オルソンの肩の上を通り過ぎる。オルソンが振り
返ると、二人の男が立っていた。一人はつなぎ姿の若い男、もう一人はサファ
リルックで、彼こそがメイン・パターソンだった。半袖から覗く腕が、よく日
焼けしている。眼鏡を取れば、恐らく肌の白い部分が縁取りのようになってい
るに違いない。
「お帰りなさい、メイン兄さん、オル――」
「お客さんかい? ああ、もしかすると刑事さん?」
 勘がいいようだ。研究ばかではなく、人を見る目もあるらしい。
 助手らしき若い男を下がらせたメインは、オルソンとトマスに近付いてきて、
自己紹介をした。オルソン達も身分を明かし、その上で尋ねる。
「どこで刑事だと分かりました?」
「滲み出る雰囲気としか。両親を殺害された折、散々、刑事という職業の人達
に接したせいで、感じるのかもしれません」
「今日こちらに来たのは、そのことと多少関係がありましてね」
 オルソンはホーリーにしたのと同じ質問を、その兄にも投げ掛けた。返答は
同じくノー。最近、刑事の訪問は受けていないという。
「ブレンダン・リクシーと名乗る男に、妹さんと共に会っていますね? どん
な印象を持ったかを伺いたい」
「非常に……無礼であるなと」
 渋い表情をしながら、しっかりした、あるいは激しさを含んだ語気で答えた
メイン。
「引き渡してやるから、復讐しろと言わんばかりの物腰だった。生白い奴だっ
たけれど、話の内容のせいか、狡猾そうに見えたな」
「賞金稼ぎをつかまえて生白いとは、よほどのことだな」
「ええ。髭で虚仮威しをしている感じが見え見えでしたよ」
「さて、仮の話になるが、もしバークを連れて来られたとしたら、あなた方は
いくらかの金を出す気はあるんだろうか? それとバークを警察に引き渡す気
はあるのか?」
「それについては二人で話し合いました。場合によってはいくらか払ってもい
いと考えている。だが、リクシーのようなやり方は気に入らないし、何よりも
怪しげな話だ。警察を通した者だけを相手にする」
「結構な心掛けだが、我々がこうして尋ねるまで、何故リクシーのことを教え
てくださらんかったのですかね」
 丁寧だが上から見下ろしたような話しぶりを、オルソンはわざと用いた。相
手の反応を待つ。兄と妹は顔を見合わせてから、妹の方が答えた。
「リクシーは、もしバークを見つけたら、という風に、仮定の話をしましたか
ら、いちいち届ける必要はないと判断しました。いけませんでしたか」
「非難している訳ではありません。ただ、次にまた似たようなことがあれば、
どんな場合でもお知らせいただきたい」
 オルソンの言い方が気に入らなかったか、メイン・パターソンが一歩前に踏
み出してから口を開いた。
「ねえ、刑事さん。こちらにばかり話させるのはフェアじゃない。はっきり言
って、バークの逃亡を許しているのは、警察の落ち度だと考えています。せめ
て、どうして今になって急にまた調べ始めたのか、いきさつを教えてくれても
いいんじゃないかと思いますが」
「……」
 オルソンは己の表情が苦々しいそれになるのを自覚した。トマスに顎を振り、
説明を任せる。
「先日、我々の同僚が殺人事件の被害者になりまして」
「ああ、ニュースでやっていた。確か、ローラーという刑事さんだった」
「はい、そのローラーが、パターソン夫妻の事件の担当でなかったにも拘わら
ず、独断で調べていたらしいと分かりました。殺害されたことと関係があるの
か否か、判断の必要がある次第です」
「つまり、ローラー刑事を殺したのはバーク?」
 色めき立つメイン。ホーリーも口元を両手のひらで覆い、微かな動揺が見ら
れる。
「そこまでは言っておりません。あくまで可能性の一つだ」
 オルソンは断固とした口調で注意を促した。それから、左腕を振りかぶるよ
うにして袖をたくし上げると、腕時計で時間を確かめた。
「こりゃいかん。昼飯の時間がなくなっては申し訳ない。ご一緒するつもりだ
ったが、新たに確認すべき事項もできたんで、おいとまするとします」

 捜査本部のある署まで戻ったオルソン達は、ワイズマンに報告すると同時に、
ローラー刑事とブレンダン・リクシーとがつながっていなかったかをチェック
するよう、進言した。
 次に、そのブレンダン・リクシーが正規のバウンティハンターであると確か
められたことを知らされた。元証券マンだったが失職し、何故か賞金稼ぎに転
身した経歴の持ち主で、実績は保釈金立替業者の依頼で、保釈金を踏み倒して
逃げている連中を何度か捉えたことがある程度。広域手配の凶悪犯を追い掛け
る手合いではないようだ。
「それからな、元妻の線は消えたと思っていい。アビー・エストラダに続いて、
その彼氏のホリデイも、アリバイ成立だ」
 ワイズマンが言った。
「あとは、アビー元夫人の家から、ローラーの家の鍵が第三者によって持ち出
された可能性だが、これも否定の方向だ。前の旦那の鍵を所有していること自
体、誰にも教えてなかったというんだからな。犯人が押し入った先でたまたま
見つけた鍵を持ち出す理由がない。加えて、鍵の複製は困難なのだから、一旦
持ち出してまた返すという芸当をする必要があるが、距離的・時間的に厳しい。
そこまで手間を掛けて密室をこしらえる意味もなかろう」
「要は、エバンス・バークを第一容疑者として、パターソン夫妻殺害事件との
関連を探るということですか」
 オルソンが確かめると、ワイズマンは大きく頷いた。
「バークと、リクシーだな。おまえさん達がリクシーの情報をよこしてすぐ、
奴の住所に何人か向かわせている」
「合流しろと?」
「いや。合流はしてもらうが、怪文書の方だ」
「怪文書?」
 オルソンの隣で、トマスが頓狂な声を上げた。
「いつ来たんですか」
「昨日の内に届いていたんだが、一般の郵便に紛れて発見が遅れた。封筒の表
書きには、何ら特徴的なことがなかったもんだからな。で、開封したら、『エ
バンス・バークの居所を知っている。以下の場所に行ってみな』とかいう短い
手紙が出て来た。実物は今、検査に回してる。ハイスミス刑事がコピーを持っ
て行ってるから、見たければ見せてもらえ」
 パターソン夫妻殺害事件の担当責任者が、マイケル・ハイスミスだ。オルソ
ンとは同期で、若い頃はよく話しもしたが、現在はさほどでもない。
「持って行ってるということは、すでにハイスミスは、手紙に記された場所に
向かってるんですな」
「それどころか到着したと、さっき連絡があった。北のアリアレイ山の麓にあ
る、G農場に向かってくれ。とうに打ち捨てられた農場なんだが、広大故、応
援が必要らしい」
「ローラー刑事殺しの捜査を外れろと?」
「違う。捜査班が統合されるのを見越しての措置だ。頼むぞ」
「――了解」
 オルソンとトマスは相次いで出て行った。

 柵で囲われたG農場は噂通り、広大だった。ハイスミスの他にも何名か来て
いるに違いないのだが、出入り口付近に立つ制服警官一名以外に、見当たらな
い。オルソン達は話が通っていることを確認し、ハイスミスがいるというサイ
ロに足を向けた。
 駆け付けると、ちょうどハイスミスが姿を現した。彼はオルソンに気付くと、
「応援てのはあんただったか」と苦笑いめいたものを表情に浮かべた。
「ここはもういい。ご覧の通り、サイロは崩れかけで、中は空っぽ。身を潜め
るスペースがない上、危なくて仕方がない」
「人が最近いたような形跡は、見つかってるのか」
「足跡がちらほら。型を取らせている」
「そもそも、ここの持ち主は誰なんだろう? どうして放置されてるんだ?」
「名前はちょっと忘れたが、土壌汚染と家畜伝染病のダブルショックで、やめ
ざるを得なかったそうだ。元の農場主一家は州外へ引っ越し、土地は売りに出
されたが、印象がよくないせいもあって、長い間、買い手が付かなかった。結
局今は、その企業が買い取って、使い途がないまま放っているんだとさ」
 土壌汚染と聞き、オルソンも思い出した。横を走る道路を走行中のタンクロ
ーリーが派手に横転、流出したオイルだか薬物だかが地面に染み込んだという
事故が昔あった。農場主は企業からの賠償金で、損はしなかったと聞く。
「建物として残るは、あれだけのようだ」
 右前方に顎を振るハイスミス。十五メートルほど先にレンガ造りの小屋があ
った。オルソンとトマス、それに数名の制服警官と一緒に、ぞろぞろと向かう。
「物置か」
「案内板がある訳じゃないが、多分そうだ。農機具を置いていってるとは思え
んし、扉を開ければすぐに中の様子は分かるだろう」
 期待していな口ぶりのハイスミス。すでに、手紙が偽情報だったと疑ってい
るようだ。
「建物を調べ終わったら、敷地内の捜索か」
「ああ。足跡があるからには、調べない訳にはいかない。大方、宿無しの輩が
一時的なねぐらに使ったんだと思うが」
 金属製の扉の前に立つと、ハイスミスはノブを捻った。そして怪訝な顔付き
になる。
「ん? 開かない」
 小屋の広さは、ワンルームマンションの部屋を二つ並べた程度。通常タイプ
の扉しか付いていないことも考え合わせると、トラクターなどの農機ではなく、
鍬や三つ叉といった農具を仕舞うスペースのようだ。
「中に誰かがいるってことかな」
 オルソンが呟く。普通、物置の鍵は外からしか掛からない。放置された農場
の小屋に、わざわざ鍵を掛ける理由はなかろう。すると、何者かが内側にいて、
支え棒でもしているのかもしれない。
「……いや、どうやら違うぞ。施錠されている」
 ノブの感触を改めて確かめ、ハイスミスが断定した。
「外から施錠されているのなら、中に逃亡犯がいる可能性はほぼゼロだろう。
閉じ込められでもしない限り」

――続く




#419/598 ●長編    *** コメント #418 ***
★タイトル (AZA     )  12/10/24  00:54  (495)
惑う弾丸 2   永山
★内容                                         13/08/29 23:56 修正 第2版
「中からも施錠できる型式かもしれん。覗いてみようじゃないか」
 言いながら、斜め上を指差すハイスミス。つられてオルソンが目を向けた先
は、小屋の壁の右上付近。通気のためか、それとも単に破損したのか、レンガ
一個分の穴がぽっかり空いていた。
「高いな。脚立がいる。この農場のどこかに転がってるのを見た覚えがある。
探して持って来い」
 ハイスミスの命令に何名かの部下が動いたが、その一人が足を止めて、「梯
子なら、そこにありますが」と、物置小屋の側面を示した。オルソン達のいる
位置からは見えなかったが、回ってみると部下の言葉の通り、金属製の梯子が
横倒しにしてあった。雨ざらしだったようだが、その割に錆び付いていないし、
汚れもたいしたことない。
「よし、その梯子でかまわん。立て掛けるんだ。俺が覗く」
 ハイスミスの指示で、梯子が最前の通気孔?に届くよう、立て掛けられた。
オルソンとトマスも手伝う。梯子が壊れる心配はなさそうだ。
「しっかり、押さえといてくれ。ぐらぐら揺れたら、万一の場合、困る」
 ハイスミスは拳銃の仕舞った位置を確かめるように、己の身体の左脇に触れ
た。それから梯子を登り始める。三メートル足らずはあっという間だった。
「……これは」
 覗いたハイスミスは首を左に振り、手前の壁際を注視しているようだ。
「何かあったんだな?」
 オルソンの問いに、ハイスミスは「ああ。誰だか分からんが、人がいる。死
んでいるようだ」と興奮気味の口調で答えた。

 G農場の小屋で死んでいたのは、ブレンダン・リクシーだった。壁を背もた
れにし、床に足を投げ出して座る格好で、撃たれていた。小屋は一つしかない
出入り口であるドアが内側から施錠され、リクシーの他に人の姿は生死を問わ
ず皆無。レンガ一個分の通気孔から出入り可能なのは、大きくても猫程度。ラ
イフルが一丁、遺体のすぐ近くに転がっていたこと、さらには線条痕が一致を
見たことと合わせると、自殺が妥当な見方だった。
 しかし。「リクシーの身体から発射残渣は検出されず」との鑑定が出た。見
込みは大外れ。リクシーもまた殺されたと考えざるを得なくなった。
 他殺となると、二つの謎が浮上する。
 まず、線条痕が一致した件。これは犯人がリクシーを撃ったあと、凶器を現
場に置いたと考えればよい。あるいは、より複雑な手法としては、小屋にあっ
たライフルで発射した弾丸を回収し、別の銃に装填し、改めて殺人に用いると
いうやり口もある。この場合、銃のライフルマークを削ってなるべく消してお
くか、口径が一回り大きな銃に詰め物をして発射する必要が生じよう。いずれ
も通常、命中精度は下がる。
 次に、密室。これに対しては、捜査陣の面々は当初、楽観的であった。「通
気孔の穴から撃ったんだろ?」と。
 しかし。これまた、しかし、である。犯行現場で実証実験を行ったところ、
小屋の通気孔は小さく、凶器と推測されるライフルで壁際のリクシーを撃つの
は、どうしても無理だと判断するしかなかった。
「跳弾じゃないのか」
 そんな意見も出された。通気孔から突っ込まれたライフルからは、弾が被害
者の位置とはまるで違う方角に飛び出し、壁や屋根に当たって向きを換え、最
終的に被害者に命中した、という仮説である。が、これもすぐに否定された。
小屋の内側のどこにも、弾丸が跳ねた痕跡はなかった。
「第一の殺人に続き、第二の殺人も密室状態か。気に入らんな。そんなマニア
めいた殺しを重ねる輩なんて、限られてくる」
 オルソンは運転席のトマスに聞こえるよう、大きな声で言った。二人は今、
リクシーの家を車で訪ねる中途だった。小屋で死亡したブレンダン・リクシー
はアンドレアという女性を娶っていた。子供はいないが、裕福な(少なくとも
傍目には)家庭を築いているようだった。というのも、アンドレア・リクシー
は作家で、なかなかの人気を博しているのだ。
「アンドレアが書いてるのは、どんな話だっけか?」
「大衆娯楽小説全般ですね。ダマーカス・アドレー名義でラブロマンスからサ
スペンス、時代物まで。長編は年に一作ですが、短編を数多くこなしてる」
「推理小説は書いてないのか?」
「書いてますよ。でも、あなたが期待するような作風じゃありません。愛憎劇
が中心で、遊戯めいたトリックはまず使わない」
「そうか」
 オルソンは淡々と受け止めた。元々、アンドレアにはアリバイが成立してい
る。ローラー刑事の死亡時刻にはないが、旦那の死亡時刻には、講演を兼ねた
取材旅行に出ていた。編集者の同行なしの取材だったおかげで、ブレンダンの
死を伝えるのに手間取ったのだが。
「疑うとしたら、動機ぐらいでしょうか。いや、弱いかな。証券マンをやめた
ブレンダンとは、あまりしっくり行ってなかったようですね。別れるほどでは
ないが、冷めた関係だったとか」
「ブレンダンにたかられていたならともかく、彼もバウンティハンターとして
そこそこ稼いでいたんだ、問題あるまい。少なくとも金銭絡みでは、動機にな
らないな」
 リクシー邸に着いた。マスコミに囲まれることもなく、むしろ閑散とした静
けさに包まれている。プライベートをほとんど非公開としていることが、奏功
したとみえる。
 ノックをすると、担当編集者の男が現れ、中に通された。彼ともう一人、女
の編集者が心配して家に泊まり込んでいるという。葬式の手配も、彼らが引き
受けていた。
 アンドレアがいるという書斎に入ると、作家先生はパソコンに向かっていた。
キーボードを軽快に叩いている。
「ああ、刑事さん。手が離せないの。適当なところに座って」
 声はするが、顔はディスプレに隠れて見えない。ひっつめにした赤毛が時折、
前後左右に揺れるのが分かるくらいだ。
「大した人気だ。旦那が死んでも、仕事ですか」
 多少嫌味を込めて、オルソンが言う。アンドレアは僅かに顔を起こし、視線
を刑事二人に向けた。
「この方が気が紛れてよいので。涙を流し、悲しみに沈むこともできますが、
生産的じゃないのは嫌い。実際問題、仕事が溜まってるのよね」
 会話中もタイピングは止まらない。
「編集者が来たのも、私を心配してというより、原稿を心配してのことだわ」
「まあ、当然でしょうな」
 オルソンが率直に述べると、キータッチの音が不意にやんだ。アンドレアは
分かりにくい笑みを目元に浮かべ、「ええ」と頷く。
「気に入ったわ、刑事さん。敬意を表して、ちゃんと話を聞きましょう。どう
いったご用件で?」
 アンドレアは自身のデスクを離れ、オルソン達が座るソファの前に腰を落ち
着けた。
「無論、ご主人が殺された件で。遺体確認のあと聞かれたことと重複する質問
もあるかもしれませんが、ご勘弁を」
「待ってよ、刑事さん。今、何て? 殺された?」
「はい、その線が濃厚になりました」
 トマスが言い、他殺と判断するに至った経緯を説明した。聞き終えたアンド
レア・リクシーは、唇を結び、意味を咀嚼するかのように何度か首肯した。
「――自殺したと思われると聞いていたから、驚いたけれども、そういう状況
なら殺されたのかもしれないわね」
「そこで伺いたいのは、ご主人を殺害する動機の持ち主に、心当たりがないか
ということでして」
「殺意なんて人それぞれだから、分からないとしか言えない。ただ、一般論と
して、ブレンダンは賞金稼ぎをするようになって以降、恨まれることは増えた
でしょうね。証券会社に勤務していたときは、大きなミスなくやっていたわ。
辞めたのは、会社全体の失敗故だから」
「ローラーという男、あるいは刑事を名乗る男を知りませんか」
「……ローラーの方は、ブレンダンが電話で口にしていた覚えが……曖昧だけ
ど。その人物が何か?」
「すみません、今質問するのは我々なので。パターソン夫妻殺害事件、ご存知
ですな。あの事件について、ご主人が言及したり、調べたりしていなかったか
どうか。特に最近」
「言われて思い出したけれども、調べていたんでしょうね。共用しているイン
ターネット用のパソコンで、パターソン事件を検索した形跡が残っていたわ。
図書館にも何度か足を運んでいたみたいだから、古い新聞を当たっていたのか
もしれない」
「どれぐらい前のことです?」
「検索に気付いたのは、ついこの間。図書館の方は……約一ヶ月になるかしら」
「エバンス・バークに関しては、何か言ってませんでしたか」
 トマスが気負った様子で、身を乗り出す。
「エバンス・バークというと、パターソン夫妻殺害事件の犯人と目される男で
したわね? ……いいえ、言ってなかった」
 トマスは肩を落としたが、オルソンはそうでもない。予想の範疇だ。検索や
過去の新聞記事に当たっただけで、バークの居場所が突き止められるはずがな
い。もしそんなことが可能なら、警察の面目丸潰れである。
 しかし、ブレンダン・リクシーがバークの居場所を知っているかのような発
言をしたのも事実。何か裏があるはず。
「刑事さん、もう質問してよろしいわね? ブレンダンの死は、パターソン夫
妻殺害事件と関係があるとお思い?」
「警察ではそう踏んでいます。どうやら、あの事件をほじくり返そうとした面
面が、狙われた節がある」
「では、事件の犯人は、バークではなかったのかしらね。もし別に真犯人がい
るんなら、バークを犯人と思わせておきたいに決まってる」
「その辺りは、我々からは何も申せません。様々な可能性を検討中でしてね」
 オルソンは口ではそう答えたものの、この作家の見方は鋭いと思った。

 捜査本部に寄ると、ローラー刑事とブレンダン・リクシーが通じていたこと
が明白になっていた。二人の間で通話がなされた記録があり、また、ローラー
刑事の自宅にブレンダンらしき男が出入りするのを目撃したという証人の出現
が決め手になった。
「リクシーは、ローラーの情報屋として動いていたのかもしれん」
「その過程で、バークの隠れ場所について大きなネタを掴んだ、と」
 ワイズマンとハイスミスの推測が、捜査の方向性を決める。
「G農場が有力候補だが、現段階で、バークがいた痕跡は発見できていない。
が、一時的な寝床にしただけとすれば、痕跡が見つかりにくいのはあり得る。
パターソン事件発生当時の捜索では、あの農場も散々調べたのだからな」
 そんな風に流れが決まりかけるところで、オルソンは発言を求めた。指名さ
れてから、アンドレア・リクシーの見解を話す。
「なるほど。筋だけはそれでも成り立つな」
 ハイスミスは声で理解を示した。ワイズマンも二度ほど頷くことで、検討の
価値ありと認めたらしい。
「しかし、もっと単純に考えても筋は通る。居場所を掴まれそうになったバー
クが、二人を相次いで殺害したとな」
「その点は認めますよ。ただ、今の時点で、単純な結論だけを追っていいのか、
疑問を提起してみたまで」
「ならば聞こう。パターソン夫妻を殺したのがバークでないのなら、奴は何故、
姿を消した? 今も現れないのはどうしてだ?」
 ハイスミスが挑戦的に言った。
「仮説でかまわんのなら、いくらでもでっち上げられるが、それではだめなん
だろ?」
「無論。情況証拠でも心理的根拠でもいい、バークが犯人ではないと考えてお
かしくないだけの理由を示してくれ」
 オルソンはしばし考え、「ないな」と言った。
「ただ一点、ローラー刑事と賞金稼ぎ風情がどうがんばったところで、バーク
の居所を突き止められるはずがない。そこだけは強く信じておるんですがね」
「ふむ……」
 考え込むハイスミス。黙した彼に代わり、ワイズマンが口を開いた。
「真犯人が別にいるのなら、そいつはバークを真っ先に始末したいはず。自殺
に見せ掛ければ問題ない。ところが実際はそうなっていないのだから、やはり
パターソン夫妻を殺したのはバークだ。あいつの潜伏場所を、仮にローラー刑
事が突き止めたとしよう。彼が報告しなかったのは何故か。こう考えると、何
やらよからぬ想像を膨らませてしまいそうになる……」
 ワイズマンは俯くと額に両手の甲を当て、意味深にため息をついた。ワイズ
マンと付き合いの長いオルソンは、すぐに飲み込んだ。察してくれという合図
だ。ここは憎まれ役を買って出るべきか。
「ひょっとすると……ローラー刑事はバークの居所を知りつつ、何らかの事情
から、隠そうとしていたという可能性も」
 身内を疑う発言に、捜査会議は一瞬にして、蜂の巣をつついたような騒ぎに
なった。

 ローラーがバークの逃亡に荷担していたという説に、当初は否定的・批判的
見解が大勢を占めた捜査本部だったが、程なくして流れは一変する。ローラー
とブレンダン・リクシーの間で、金の動きが確認されたのだ。
 ローラーからブレンダンへ流れたのであれば、刑事が情報屋に幾ばくかの礼
をしただけと取れる。だが、実際には金は、ブレンダンからローラーに動いて
いる。これは少なくとも、警察の内部情報をローラーがブレンダンに漏らして
いた可能性を示唆させるものであろう。ブレンダンがバークの居場所を知って
いるかのような言葉を残したことと考え合わせると、パターソン夫妻殺害事件
の発生当時、ブレンダンがバークを匿い、ローラーは捜査情報をブレンダンを
通じてバークに伝えていたのではないかという疑惑が浮かび上がる訳だ。
 この仮説が正しいとするなら、ブレンダンはバークを裏切ろうとしたために
殺されたと推測できる。弱いのは、ローラー刑事殺しの方だ。裏切り者でない
ローラーを、バークは殺しはしまい。
 ブレンダンがローラーを殺し、バークがブレンダンを始末したとは考えられ
ないか? いや、ローラー刑事もバークに手を貸すのをやめようとしていたの
ではないか? 様々な見方が可能な捜査状況に、方針が定まらないでいた。
 そんな折、アンドレア・リクシーから警察に電話が入った。オルソンを指名
して、思い付いたことがあるので家まで来てもらいたいという。
「人気作家でもある遺族からの要望だ。聞いておいてくれ。取るに足りない話
だとしても、ちゃんと承ったように振る舞えよ」
 ワイズマンの意向を受け、オルソンは一人で作家の屋敷を訪れた。
 女主人は仕事から解放されたのか、自らお茶を入れ、軽食を用意し、オルソ
ンを歓待した。
「アンドレアさん、お話というのは一体?」
 甘くない食べ物を選んでつまんだオルソンは、紅茶を一口飲んだところで水
を向けた。
「ブレンダンの死の状況について、私なりに考えてみたの。これでも一応、推
理作家でもあるのだから」
「ははぁ、それはそれは」
 適当な相槌を打ちつつ、内心では額を押さえたくなった。警察の捜査に素人
探偵がしゃしゃり出てくるだけでも鬱陶しいが、一般人が素人探偵を気取るの
は輪を掛けて鬱陶しい。加えて、眼前の女性は遺族にして有名人。厄介な成り
行きになりそうだぞ。
「お説、ご拝聴と行きましょう」
 思っていることが表情に出ても悟られぬよう、オルソンは顔の下半分を手で
隠した。そうして聞く準備を整える。
「ブレンダンの死の状況で、一番注目すべきは、言うまでもなく密室です」
 アンドレアはどことなく楽しげに語り始めた。夫婦仲が冷めつつあったのを
差っ引いても、随分な態度である。
「厳密には通気孔があったのだから、密室と呼ぶのは憚られるところだけれど、
凶器のライフルでブレンダンを射殺するには、その穴からでは角度的に無理だ
と結論づけられた。でしたら密室と呼んで差し支えない」
「アンドレアさん、あの、ですな。警察の者にそのように事細かに状況を言う
必要はない。要点を頼みます」
「そうだったわ。つい、小説の中の探偵のような振る舞いを……。失礼。では
気を取り直して」
 調子が狂うな。オルソンは聞き手に徹する努力をした。
「私は最初、ブレンダンが自殺した可能性を検討した。硝煙反応をごまかし、
本来の凶器を小屋の外に放擲する方法なら、何とか捻り出せそう。でも、他殺
に見せ掛けた自殺を選んだなら、現場を密室状態にしたのはおかしい。矛盾し
ているわ」
「なるほど」
「といって、犯人が現場を密室にしたのに、状況が明らかに他殺というのも変。
密室を作る理由を欠く。死体発見を遅らせるため? いいえ。捜査本部に届い
たという手紙は、恐らく犯人による物。早く発見して欲しかったんだとしか考
えられません。密室の謎が解けない限り、犯人は捕まっても安泰と思ったか? 
それもまずあり得ない。トリックを自白させられるかもしれないし、手紙を送
り付ける行為ともそぐわない。そこで私は思ったの。あの状況が犯人にとって
殺しやすかったからではないかと」
「うん?」
 話が急に見えなくなり、オルソンは目で問い返した。アンドレアはそれを待
っていた風に、微笑を浮かべて応じた。
「密室は結果的にそうなっただけで、犯人の意図したものじゃなかった。犯人
はただ、小屋に閉じこもったブレンダンを殺すため、通気孔から撃ったら、た
またま密室になった」
「……仰る意味が分からない。確か、現場はご覧になりましたな? どうあが
いても、あの穴から銃で射殺は無理だ、と思いますがね」
「銃身の先の方なら入るでしょう。その先が九十度ほど左に曲がっていれば、
充分に射殺可能じゃありません?」
「曲がった銃? そんな物、役に立たない。発射できんでしょう」
「私、調べたのよ。銃身が曲がった銃でも、弾は飛び出す。そんな事例があっ
たし、角を曲がった先の敵を撃つために端から曲げて作られた銃も存在する。
古くは――クルムラウフやボーザッツラウフが諸外国で使われ、最近では対テ
ロ用に開発されたコーナーショットがあるけれども、入手難度やサイズ的にこ
ちらは事件には関係なさそうね」
 メモを見ながら、アンドレアは言った。彼女なりに、夫の事件を解決しよう
としているのが伝わってくるかのようだ。
「分かりました。こちらで調べて、追ってお知らせします」
「もしや、すでに警察では、この銃に関して捜査を進めていたということはあ
りません?」
「いえ、まったく。銃の入手経路は当然、調べているが、固定観念に囚われて
いたとしか……恥ずかしい限りで」
 素直に認めたオルソン。アンドレアが怒り出しても仕方がないと思っていた
が、彼女の現実の反応は違った。
「よかった。役立てばいいんだけれど」
 ほっとした様子で、椅子に身を沈め、思い出したように紅茶を飲み干していた。
「ブレンダンは悪事に手を染めていたかもしれない。でも、それと殺人は別。
必ず、犯人を見つけてください。――銃の入手経路と言えば、ローラー刑事の
拳銃が紛失状態だとか」
「ええ。犯人の手に渡ったのかもしれず、警戒しておるのですが、まだ動きが
ない。携帯電話も同様で、まったく探知できないという話だから、恐らく破壊
されたものと」
「ブレンダンも銃の携帯許可を得ていたから、所持していたのに、奪われずじ
まい。死んだときそばにあったライフルは、どこで手に入れたのか、全然心当
たりがないのよ。見るのも初めて」
「使用された弾丸等から狩猟用だとは判明しているので、あるいはそこから絞
り込めるかと……。自殺に見せ掛けるためだとしたら、犯行後、犯人が銃を置
いたのかもしれませんな。しかし、例の穴から入れることは無理なんだから、
最初から持たせていたことになる……」
 考えがまとまらない内に口にしたせいで、オルソンの話は尻切れトンボにな
った。作家がそのあとを継ぐ。
「ブレンダンを撃った弾は、現場に遺されたライフルでも発射できる物なんで
しょう? 被害者の用意したライフルと、犯人の使ったライフルとが一致する
なんて確率、高くないんじゃないの?」
「いや、弾が同じ口径というだけで、ライフルが同一という訳じゃない。だが、
一考の価値はありそうだ。ブレンダンのそばにあったライフルは、犯人が凶器
とは別に用意した……。そんな犯人が、硝煙反応に関して無知なんてことがあ
るとは思えない。ブレンダンにどうにかして銃を撃たせ、硝煙反応が出るよう
に細工するつもりだったのが、失敗した。こう考えれば、辻褄は合う」
「密室で殺すつもりじゃなかったのに、ブレンダンが内側から鍵を掛けてしま
ったから、とか?」
「あり得ますな。通気孔から撃つというやり方自体、犯人にとってハプニング
だったのかもしれない」
 予想外によいヒントをもらった。オルソンは女流作家の家をあとにした。

 ブレンダンの身体から見つかった弾丸を詳細に調べた結果、人体に命中した
だけではまずできない傷が見つかった。そこでアンドレア・リクシーの仮説に
沿って実験を行い、銃身が九十度近く曲がった銃から発射した弾なら、そのよ
うな傷が着いても不思議ではないとの鑑定が出た。第二の殺人の密室は、これ
でほぼ解けた。銃身を曲げられた銃が発見できれば、完璧だ。
 だからといって、事件解決が近付いたようにはさほど感じられなかった。捜
査陣にとって、エバンス・バークの行方こそが追うべき本筋。ローラー刑事を
殺す動機は薄いにしても、バークが重要参考人であることは間違いない。ブレ
ンダン・リクシー殺害から一週間が経過した今も、彼の足取りは一向に掴めて
いない始末だった。
 そんな中、オルソンはトマスとともに、第一の殺人の密室を解明するよう言
われていた。小屋の密室解明に間接的にではあるが関与したことで、“そっち
はおまえ達に任せる”との空気ができあがっていた。
「ローラー刑事を撃った弾は、彼自身の拳銃で発砲された物とのことです。過
去、刑事が捜査時に発砲した際の記録と照合し、やっと判明したそうで」
 仮眠を取っていたオルソンは、トマスが持って来た新たな報告に意識を覚醒
した。時計を見る。午後十時。
「ローラー刑事の拳銃が現場内で見つかれば、自殺ってことにしちまえるな。
だが、実際には見つかってない。恐らくは、犯人が持ち去ったか処分した。こ
の前提には変わりない。密室の解明には役立ちそうにないな」
「そうでもないでしょう。犯人はローラー刑事の隙を見て、拳銃を奪った。つ
まり、それだけ親しい仲ということになるのでは」
「大した意味はないなあ。たとえば俺達が本命視しているバークだが、奴がロ
ーラー刑事に匿ってもらうような間なら、当然、二人は親しいと言える」
 オルソンの言い分に、トマスは一度は沈黙した。だが、また別のことを思い
付いたらしい。
「二番目の事件で拳銃を使わなかったのは、何故なんでしょう? 拳銃ならあ
の通気孔から差し込めそうです。犯行後、銃を中に放れば、自殺に見せ掛ける
こともできるはず」
「弾を使い果たしたんじゃねえの? もしくは、何を使おうが狙いを付けづら
いのは同じだから、威力のあるライフルを選んだのかもしれん」
「でしたら、最初の殺人もライフルを使えばいい気がします」
「……その時点ではライフルを入手できていなかったとか、ローラー刑事殺し
は突発的犯行だったんだろう」
「突発的犯行だとしますと、犯人は密室を意図して作ったとは、ちょっと考え
にくいですよね。一つ目の密室も二つ目と同様、偶然そうなったんじゃないで
しょうか」
「ふむ」
 考え込むオルソン。頭の片隅に引っ掛かっていたことが、ないでもない。
「なあ、トマス。おまえさんが撃たれたとする」
「嫌ですよ」
「たとえばの話だ。自宅で撃たれ、相当な重傷。とりあえずどうする?」
「犯人に反撃できる状況ではないんですね? だったら逃げます」
「うーん、犯人はおまえを撃って、立ち去ったあとだとしよう」
「じゃ、救急に助けを求めますよ」
「そんな余裕もないほど、出血していたら? 救急車を待ってられんくらいに」
「それなら……出血を少しでも遅らせたいから、傷口を押さえます。ああ、分
かりました。ローラー刑事みたいにバスタオルで押さえるか、ですね。それは
もちろん、手近にタオルがあれば使うでしょう」
「普通、ないわな。風呂上がりでもない限り」
 オルソンは言った。タオルの存在が引っ掛かっていた。
「脱衣所まで取りに行ったとしたら、少なくとも行きしなに、床に血が滴り落
ちたはずだが、そんな痕跡があったという報告は聞いていない。第一、脱衣所
まで行って、わざわざ元の部屋まで戻る意味が分からん。ローラー刑事が倒れ
ていた部屋に、電話はなかった。救急車を呼びたいなら、電話のある部屋に向
かうもんだろう」
「パソコンならありましたから、ネットを通じて助けを求めようとしたのかも。
まあ、被害者はそんなタイプではありませんが」
「些細な問題だ。滴下血痕がないんだから、バスタオルは被害者が脱衣所から
取ってきた物ではないんだよ。考えられるのは……被害者以外の人間、恐らく
は犯人がバスタオルをよこした。それか、撃たれる前からローラー刑事は何故
かバスタオルを手にしていた。このどちらかだと思う」
「犯人がよこしたというのは、考えづらいですね。たとえ誤って撃ってしまっ
たとしても、バスタオルだけ渡して、さっさと逃げるというのは心理的に理解
できません。助けたい気持ちがあるなら、救急車を呼んでから立ち去るのでは
ないかと思います。それに犯人がバスタオルをよこしたと仮定すると、そのあ
と、犯人は現場を密室にしたことになります。これも矛盾した行動です」
「だよな。そうなると、被害者が最初からバスタオルを持っていたことになる。
首から掛けて、行動していたのか。しかし、普段のローラー刑事にそんな習慣
があったなんて話は、耳に入ってこない」
「無論、確かめる必要はあるでしょうが……。それより、一つ閃きました」
「言ってみてくれ」
「犯行当夜は小雨でした。ローラー刑事は家の外に出ていたのでは? 傘を差
すのを面倒がり、バスタオルを頭から被って、自宅近くで誰かと――犯人と会
っていたんじゃないでしょうか」
 トマスの意見に、オルソンは感心した。ローラーとその相手が人目を憚る間
柄なら、傘を差しての立ち話は目立つとの意識が働いたのかもしれない。
「しかし、待てよ。もしこの想像が当たっているのなら、ローラー刑事は相手
を家に入れる気はなかったんだろう。だったら、犯行現場がローラー宅になる
とは思えない」
「ですね――そうですよ! 犯行現場は外だったんですよ、きっと」
 普段は声の小さなトマスがいきなり叫ぶ。オルソンは思わず耳を塞いだ。
「何だ何だ?」
「外で会っていたローラー刑事と犯人は、諍いになった。ローラーが銃を取り
出し、撃とうとしたが、犯人に幸運が働いたんでしょう、銃を奪われた。ロー
ラーは逃げ帰ろうと、自宅を目指す。その途中で撃たれる。が、命からがら家
に逃げ込み、施錠する。が、助けを呼ぶ前に、そのまま絶命してしまった」
 たまたま持っていたバスタオルで傷口を咄嗟に押さえたため、血痕は家の外
にも中にもほとんど落ちなかった。身体全体が雨でうっすらと濡れただろうが、
それも発見されるまでには乾いた。こう考えれば、密室の謎は解ける。
「裏付けを取るぞ」
 オルソンは強い調子で言い切った。早く密室を片付けて、捜査の本筋に加わ
りたい。その一心から。

 ローラー刑事殺害事件の密室の謎解明。この類の見出し新聞を飾った翌々日
の午前中、エバンス・バークが見つかった――死体として。
 発見されたのは、橋の上。州境を流れる川には大きな橋が架かっているが、
その歩行者用通路の中程に、バークは倒れていた。尤も、当初は体重減による
容貌の変化もあってバークとは気付かれず、腕に注射した痕がいくつかあった
ことから、薬物中毒の男がのたれ死んだか、自殺したぐらいに考えられていた。
古株の刑事が遺体の顔を覗き込んで、ようやくバークだと気付いた。
 死亡推定時刻はその前日の午後十時からの二時間。右側頭部に弾痕があり、
解剖で摘出された弾は、ローラー刑事の拳銃から放たれた物と分かった。遺体
周辺に銃はなく、また、バークの右腕(利き腕)からも硝煙反応は出なかった。
このため、他殺として捜査が開始された。
 が、程なくして発見された想定外の物が、捜査の行方を左右することになる。
「橋の下を捜索していたところ、凶器と思しき拳銃が見つかったのですが、妙
な物が付属していまして」
 遺体のあった場所のほぼ真下の川底にあった拳銃は、ローラー刑事の物に違
いなかった。その握りには細いが丈夫なロープが二本、結わえられていた。一
本目のロープをたぐると、ずしりとした重みが感じられた。ロープを一メート
ル強ほど辿ると、反対側の末端には重石が括り付けてあった。二本目も引っ張
ると、水の抵抗感が甚だしい。同様に辿ると、今度は大人の上半身が隠れるぐ
らいの大きさで、透明なビニールシートがロープに接着されていた。シートは、
安物のビニール傘から剥ぎ取ったビニールを、防水テープでつなぎ合わせた物
と分かった。一部だけ、傘のビニールではなく、家庭用のナイロン袋を宛がっ
た箇所があり、捜査員の注意を惹いた。
「もしや、バークは自殺?」
 深夜、橋の真ん中に立ったバークは、手製のビニールシートを頭から被り、
柔らかいナイロン越しに拳銃を持つ。人や車が途切れたタイミングを狙い、自
らの頭を打ち抜く。硝煙はシートばかりに付着し、身体には付かない。重石の
せいで、拳銃はビニールシートごと、川に落下。これにて、他殺を装った自殺
の完成――それがバークの狙いだったのだろう。
「ところが、夏の川の水量を読み違えた。水深が浅いせいもあり、簡単に発見
された。バークにとって、計算外だったんだろうな」
 ローラー刑事及びブレンダンリクシーを殺めた犯行が露見しそうになったバ
ークの自殺。そんな結論に向けて方針が改められた。そのためには二件の殺人
が、バークの犯行であることを立証せねばならない。また、他殺に見せ掛けた
自殺を選んだ意味、動機も探り出したいところだ。
「そういう訳で、先日はお騒がせしました」
 パターソン兄妹を研究所に訪ねたオルソンとトマスは、微妙なニュアンスな
がら謝罪の意を伝えた。新たに掴んだちょっとした情報をぶつけるという目的
を、内に秘めたまま。
「気にしないで結構。捜査に協力したまでのことです」
 メイン・パターソンが堅い口調で応じる。応接室にて、パターソン兄妹と刑
事二人は、ガラスのテーブルを挟んでそれぞれ着席していた。
 エバンス・バークの死を他殺として捜査を開始した当初、オルソン達はメイ
ンとホーリー・パターソンを、事情聴取した。バークを殺す動機を持つ者の筆
頭に、この兄妹が挙がるのは致し方ない。反面、彼らの両親を殺害した犯人を
バークと特定しながら捕まえられず、長い年月が流れていたことは、捜査陣を
心理的に及び腰にさせるには充分だったかもしれない。
「夜遅い時間帯のアリバイを証明しろと言われても、困ってしまいましたが」
 バークが死んだと思われる時間帯、パターソン兄妹は二人揃って自宅にいた
と証言した。無論、身内(ともに動機を有する者でもある)の証言を、鵜呑み
にする訳にいかない。通り一遍の調査が済んだ時点で、動機以外に嫌疑を掛け
るだけの根拠は出て来ず、ひとまず棚上げとなっていた。
「報告がてら、寄ったんだが、もう少しだけ、ご協力を願いたいんですよ」
「何か? もう済んだのでは」
 陶器のカップを口元に運ぶメイン。初訪問の際に見掛けた若い助手が最前、
人数分のハーブティを運んで来ていたのだ。香りが部屋中に満ちている。
「一応、今度の二件の殺人はバークの犯行と見なされたが、事件の全体像をは
っきりさせないといけない。まず、ライフル銃の出所が取り沙汰されたが、こ
れは割と簡単に判明しました。バークの足取りを探るため、奴の今の容貌を周
辺の警察にも報せたところ、州外でいくつか盗みを働いた疑いが浮上した。内
一件で、ライフルが奪われていた」
「父と母の命を奪った罪から逃げるために、別の罪を重ねるなんて」
 ホーリーが醒めた調子で呟いた。
「ええ、とんでもない輩です。偽名をかたって、仕事を転々とした形跡も判明
してますがね。さて……ライフルを二丁も奪ったとなると、持ち歩くには目立
つ。仕舞う場所が必要だ。バークが自ら家を構えた気配はない。恐らく、車を
寝床とし、ライフルを隠していたんじゃないかと踏んだ。が、いくら探しても
バークの物らしき車は見つからなかった」
「今度の事件を起こす前に、車を処分して金に換えたんじゃないですか」
「その可能性もあるでしょうな。個人間で売買されたら、なかなかあぶり出せ
ない。だが一方で、やはりどこかに住まいがあったんではないかとも考えられ
る。最初は車で移動していたが、何らかのハプニングもしくは幸運にぶち当た
り、車を手放し、恰好の隠れ家を手に入れた――という風にね」
「誰かの家を乗っ取ったとでも言うのですか」
「いや、それなら数日か、長くてもひと月発たずに発覚するはず。ところで、
逃げ隠れしてきたバークが、この町に舞い戻るとすれば、その動機は何でしょ
うな」
 オルソンがはメインからホーリーに目を向けた。彼女はしばし考え、「もし
かすると、未だに私に……」と小さな声で答えた。
「はい、あり得ないことではない。奴の執着ぶりは、よくご存知のはず。ホー
リーさんに会いたいがために、捕まるリスクを顧みず、やって来たと推理する
のは、無茶ではないでしょう」
「まさか、私達がバークを匿ったと? とんでもない!」
「分かっています。そんな馬鹿は申しませんよ。バークがこの町に来た目的に
関しては、まあ二の次だ。ちょっと空想してみますか。エバンス・バークはラ
イフルを乗せた車を転がし、町に入った。程なくして、交通事故を起こす」
「え?」
「その事故が、ローラー刑事と知り合うきっかけになった。約二年前のある夜、
クリス・オルウェイなる男が、単独死亡事故を起こしたんだが、この現場にロ
ーラー刑事が行き会わせた可能性、なにしもあらずといったところでしてね」
「そのオルウェイ氏の事故に、実はバークが噛んでいるとでも?」
「空想ですがね。オルウェイの車には二回、ぶつかったような痕があった。一
度の事故でできた痕跡ではなく、時間をおいてできたものではないか。もしそ
うであるなら、一度目の事故は車同士の衝突だったかもしれない……と、ここ
まで考えた段階で、さすがに証拠がいるだろうと思い、管轄に問い合わせて事
故車両を調べてもらった。資料から、衝突痕からは車の塗料片らしき微細な物
質が検出されていたことが判明した。弱い根拠だが、足がかりにはなる。で、
空想に戻りますが――喋り疲れた。トマス、代わってくれ」
 同僚と交代し、オルソンはハーブティで喉を潤した。味は好みでなかったが。

――続く




#420/598 ●長編    *** コメント #419 ***
★タイトル (AZA     )  12/10/24  00:55  (476)
惑う弾丸 3   永山
★内容
「我々は、町に向かっていたバークの車が、オルウェイの車と接触事故を起こ
したと睨んでいます。当事者同士、車を降りて話し合う程度のです。恐らく、
場所は森の中か山道で、バークの車は使えなくなった。正体を見破られること
を恐れるバークですが、立ち往生も困る。そこでバークは、オルウェイの車で
移動を続けることを選ぶ。友好的か脅迫的かは分かりませんが、結果から推せ
ば、しまいにはライフルで脅して制圧したのでしょう。オルウェイも、相手の
正体が殺人犯だと気付いたかもしれません。恐怖のあまりの運転ミスか、窮地
から脱するための故意か、オルウェイは道路脇の大木に車をぶつける。だが、
不運にもオルウェイが重傷を負っただけで、バークは大した怪我もなかったん
でしょう。事故車から抜け出ると、ライフル等の荷物を持って、逃走を試みる。
ちょうどそこへ、ローラー刑事が通り掛かった」
「なるほどね。想像を逞しくすれば、ありそうな話に聞こえてきましたよ。事
実、それに近い形で殺人犯と悪徳刑事が出会ったのかもしれないな。いや、警
察のお仲間は、ローラー刑事がバークを助けたのは、あいつの正体を知らなか
ったからだとでも言うのでしょうか」
 メインの皮肉な口調に、トマスが鼻で大きく呼吸した。オルソンはやれやれ
と思いつつ、再度交代することにした。同僚には答えさせず、口を挟む。
「かばうつもりなんてありゃしない。ローラーはバークをよく知っていたから、
間違えようがない。バークが盗んだ金と宝石をもらう代わりに、見逃してやっ
たらしいんですよ。というのも、ローラー宅をそれこそひっくり返さんばかり
に家探ししたら、ビニールに包まれた宝石が、壁にこしらえた秘密のスペース
と、庭の片隅の土から出て来た。まぎれもない不祥事なんで、別の人物が隠し
た可能性がないか慎重に調べているが、いずれ確定し、発表されるでしょう」
「よかった。証拠は見つかっていたんですね」
 ホーリーが笑みを見せた。多分、初めて見る笑顔だ。
「宝石は盗まれた物と一致するようだし、ローラーとバークが通じていたのは
決まりです。だが、バークがローラーを殺したことの証明はまだだ」
「でも……バークは宝石や金が惜しくなって、取り返そうとして、ローラー刑
事を殺したのかも。動機になります」
「二年も経ってからというのが、些か腑に落ちない。その間、ローラーはバー
クが捕まらないよう、あれこれと世話を焼いてくれている。もちろん、バーク
が捕まったらローラーも窮地に立つからだが、バークにとって金や宝石を奪い
返すよりも、ローラーの助けの方が利が大だ」
「じゃあ……リクシーが原因じゃないかしら。ブレンダン・リクシー」
「ええ、そっちの方があり得る。ブレンダンは元々、ローラーの情報屋の一人
だったのは間違いない。ただ、こいつがいつ、ローラーがバークを匿っている
ことに気付いたのは分かっていません。ごく最近であれば、色んな筋書きが想
定できる。ブレンダンがローラーを裏切って、バークを警察もしくはあなた方
に突き出し、大金をせしめようと考えた挙げ句、ローラーを殺害。しかしバー
クには反撃され、逆に殺されたとかね。または、ブレンダンの話にローラーが
乗ったかもしれない。バークを殺してしまえば、死人に口なし、ローラーの悪
事は露見しない。それに、ブレンダンがバークを捕らえたことにしないと、懸
賞金が受け取れない。警察関係者が逃亡犯を捕らえるのは、当然の職務だ」
「その計画に気付いたバークの野郎が、ローラーとブレンダンを相次いで始末
したと。辻褄、合ってるんじゃないですか。何ら問題はない」
 メインが言った。時計を気にしている。早く研究に戻りたいようだ。
「しかしね、これだとバークが自殺する理由がない。たとえ他殺に見せ掛けた
自殺だとしても、自ら死を選ぶ状況じゃないでしょう。ローラーとブレンダン
を殺した罪を悔いるはずないし、ましてや、あなた方の両親殺害を今になって
後悔したとも考えられない」
 オルソンの話に、メインは一瞬だけ考え、「追い詰められた気になったんじ
ゃないかな」と述べた。
「実際の捜査がどこまで進んでいたかとは無関係に、バークは恐れていた。偶
然の産物だった密室の謎も解かれ、いよいよ危ないと感じた奴は、追い詰めら
れた気持ちになって、自殺を選んだ」
「他殺に見せ掛けたのは、どう説明しましょうか」
「それは、バークの見栄だろう。警察に追い詰められての自殺では、プライド
が許さない。ローラー刑事達を殺した犯行を認めたくもない。そこで第三者に
殺された風を装った」
「ふむ。感心させられますな。警察でも、そこまで見事な筋書きは、考えつい
ていなかった」
「では、この想像に沿って捜査をすれば、証拠が見つかるに違いない。頑張っ
てください」
 また時計に視線をやるメイン。早く終わらせたい様子がありありと窺える。
「言われずとも、鋭意努力を重ねてますよ。ところで、この研究所についてで
すが、今年になって一人、若い男性を入れましたね? 最初にお茶を運んでく
れた彼です」
「ジミーのことですか。それが何か」
「まず、彼の名字を教えてもらいましょう」
「……そんなこと、事件に関係ないだろう」
「あると判断したから、こうして聞いている。教えてもらいませんか」
「……刑事さん。そう言うからには、もう知っているんでしょうが。お調べの
通り、彼の名はオルウェイです。ジミー・オルウェイ」
「クリス・オルウェイの息子ですな」
「だそうですね。詳しくは知らない」
「ジミー君から、何か聞いていませんか。彼の父が事故死した際に、他者が関
与していることを示唆するメッセージを残していたとか……」
「私達は、たった今、クリス・オルウェイ氏の事故に、バークが関係している
かもしれないという話を聞いたばかり。ジミーに事故のことを、根掘り葉掘り
尋ねるはずがないでしょう」
 メインの声が、怒気を含んだものになっている。オルソンは黙って頷いた。
「仰る通りだ。だがね、警察は、何の下調べもなしにここまで来て、こんな話
をあなた方にしやしない。ある程度の裏付けを取って、行動している」
「というと?」
「さっきのジミー・オルウェイ君の態度、いつもと違う感じはなかったかね? 
先日、彼に話を聞いた。最初は黙して語らずだったが、説得を聞いてくれまし
たよ。メモがあったと」
「嘘だ」
「ほう。どうして嘘だなんて言えるのか、説明してもらいたいものだ」
 メインは言葉に詰まり、妹と顔を見合わせた。ホーリーの方は、その顔を背
け、目を瞑ると首を軽く横に振る。頭痛を覚えたかのように、額に右手の指先
を当てている。
「ジミーから聞いたな? バークが町に舞い戻り、ローラーが匿っていると」
 静寂を返してくるパターソン兄妹。オルソンはもう一押しすることにした。
彼らが犯行をやったかどうかは別として、重要な証言を得られる感触がある。
「お茶を置いていったジミーには、再度、警察にご足労願っている。今頃、彼
は素直に喋っているかもしれない」
「……ええ、ジミーから聞いていたわよ」
 ホーリーが認めた。彼女を兄は見開いた目つきで振り返る。ホーリーは任せ
てとばかり、しっかりと首肯した。
「あの子の方から話してくれました。ICレコーダーに、刑事と称する男とバ
ークの会話が記録されていたらしいわ」
「事故処理の書類には、そのような記載はなかったが、どこにあったのかな?」
「事故現場近くの側溝に落ちていたのを、偶然、見つけたって。警察が見落と
したのね。父親が導いてくれたに違いないと言っていたわ」
「うむ。ジミーの話と一致、と」
 はったりをかますオルソン。ジミーから聴取したのは本当だが、あの若者は
なかなか口が堅く、事故が単独ではなかったらしいことまでは仄めかしたが、
誰が関係していたかとなると、だんまりを決め込んで、手を焼かされた。
「いつ、それを知ったんです? 事故自体は二年前だが」
「去年、ジミーがここに入りたいと言ってきたときに。それまでも一人で何と
かしようと調べていたようよ。刑事が絡んでいるから警察は信じられないし、
バークの居場所は不明なままだし、どうしようもなくって、私達の元に来た」
「話を聞いて、どうしようと思った?」
「動揺はしたわ。でも、行動を起こす気になれなかった。刑事の名前が分かっ
ていれば、非難と抗議をしに行きましたけど、実際はそうじゃなかった」
「バークが近くにいる、少なくとも一度は近くに来たと分かって、恐怖感を覚
えたんじゃないか? あるいは逆に復讐心が高まっても不思議じゃない」
「そんな。復讐だなんて、私達は望まない。司法の手により、バークに裁きを
受けさせ、罰を与え、償わせることが願いですから。恐怖感はそんなには。そ
の時点で、もう一年ぐらい経っていたせいね、きっと」
「先日、ブレンダン・リクシーが現れたとき、関連を疑ったんじゃないか? 
それが普通と思うんだが」
「どうしてです? リクシーはバークを引き渡す意志があった。バークを助け
ている側とは正反対の立場だわ」
 ホーリーの発言を、オルソンは疑わしく感じた。しかし、これ以上追及する
手立てがない。
「なるほど。分かりました。今回はこの辺で引き上げます。ジミー・オルウェ
イを調べなきゃいかんし。協力をどうも」
 トマスとともに席を立ち、そのまま去ると見せ掛けて、ぴたりと足を止める
オルソン。振り向いて、パターソン兄妹に言う。
「いかん、忘れるところだった」
「まだ何か」
「エバンス・バークのことで、聞きたい点があったんだ。ホーリーさん、あや
つは手先が器用な方でしたかな?」
「さあ……記憶では、どちらかと言えば不器用だったかもしれません」
「妹にあいつのことを思い出させないでもらいたい」
 答えるホーリーの前に、メインが立ちふさがった。オルソンはまた前に向き
直りつつ、軽い調子で頷いた。
「いえ、今ので結構。それにしても弱ったな。また一つ、厄介ごとが増えまし
たよ」
「どういう……」
「不器用な男が、手製のビニールシートをこしらえるような面倒な真似を、果
たしてするだろうかと思えたもので」
 様子見のジャブを放ったオルソンだったが、相手は意外に強かだった。
「分かりませんわよ。文字通り、死ぬ気になれば、たいていのことはできるん
じゃありません?」

 オルソン達の報告を受け、エバンス・バークの死を自殺とする発表は、見送
られた。容疑者に急浮上したのがジミー・オルウェイだが、じきに解放せざる
を得なくなった。ローラー、ブレンダン、バーク各人が亡くなったと思しき時
間帯、ジミーには他人と会っていたというアリバイがあった。唯一、バークの
死亡推定時刻のみ完全ではなく、午後十一時を前にアリバイ証人と別れていた
が、それ以降、遺体発見現場である橋に向かっても間に合わないと分かった。
これにより、ジミーは犯人でない、少なくとも実行犯ではないとの結論に至る。
「こうなると、パターソン兄妹を改めて調べるしかあるまい」
 捜査を取り仕切るハイスミスとワイズマンの意見は一致をみた。警察が犯人
逃亡を許したが故に、殺人事件の被害者遺族を復讐という犯罪に走らせたとし
たら、それは刑事達にとって歓迎できない展開だが、仕方がない。過ちを重ね
ないことの方が、より重要である。
 早速、兄妹を今度は彼らの自宅に尋ねたオルソンとトマスは、手始めにバー
クの死亡推定時刻のアリバイを問い質した。すると、メインとホーリーは二人
一緒にいたといういつもの返答をしてきた。
「以前もお伝えしましたが、身内のアリバイ証言は信憑性が低いと見なされま
す。そこのところを承知しておいてください」
 トマスの注釈に、メインは不服げに唇を尖らせた。ホーリーは対照的に、微
笑さえ浮かべてお茶を振る舞う。
「私達に犯行は無理ですわ。銃を手に入れられませんもの」
「そう簡単に判断できればいいのですが、警察は色々と考えるのも仕事でして、
ローラー刑事の銃は当人から奪えばいいし、ライフルにしてもバークが持って
いた物を、奪ったと考えれば筋は通ります」
「どうすればやっていないと証明できるんでしょう? 今となっては、硝煙反
応を調べても遅いでしょうし……」
「あ、ちょっと」
 オルソンが割って入った。
「銃で思い出したが、研究所では銃を使わないのかな? 生物を生け捕りにす
るのに、麻酔銃の一つもあっておかしくない気がする」
「私達の研究は、昆虫相手であり、獣は対象外です」
 メインが応じる。専門分野の話題になり、機嫌が直ったようだ。
「ついでと言っちゃ何だが、どんな研究をされているんで? 医薬品の素にな
る成分を探すとか聞いたが」
「それが柱なのは確かだが、他にも香水や化粧水、あるいは食品に使える成分
も探している。前者はフェロモンが代表格で、後者は抗菌かな」
「なるほどね。薬品は生物の毒からも作られるそうだが、研究所でも当然、毒
を扱っているんでしょうな」
「ええ。非常に厳しく管理しているので、勝手な持ち出しは不可能ですよ」
 先回りしたかのようなメインの受け答え。オルソンはつい苦笑した。
「そんなに警戒せんでくださいよ。殺人に毒が使われた訳じゃないんだから、
疑ってなんかない」
「おや、そうですか。私はてっきり、こう続けるのかと思っていた。『でも、
昆虫を直接捕らえて来るのはメインさん、あなただ。研究書に持ち込む前に、
いくらでも抽出できるのでは』とね」
「面白い考えだ。仮に抽出できたとしても、それを使えば真っ先に疑われる。
研究者になるくらいの人は、そんな馬鹿はしないでしょうな」
「無論です」
 メインの返事を待ってから、オルソンは喉を鳴らしてお茶を飲んだ。
「さて、話を戻しますか。バークが二年前に、この町に戻ろうとしたのは確か
だ。目的は恐らく、ホーリーさんに接触するため。二年間、何ら行動を起こさ
なかったとは考えにくい。心当たりがないか、今一度思い返してもらいたい」
「そう言われましても」
「無言電話が増えたとか、歩いていると視線を感じるとか、家や研究所の建物
に、軽い損害が出たとか……」
「記憶にありません。あれば、絶対に通報しています。たとえ一人の刑事が裏
切り行為をしていたとしても、私達は警察を信じて、頼りますわ。警察でなけ
れば、バークを捕らえるのは困難だと理解していますもの」
「そうですか」
 応じながら、少し違和感を覚えたオルソン。仮に無言電話があったり視線を
感じたりしたら即、バークの仕業だと決め付けるかの言い種。普通、無言電話
の類を、いきなり警察に報せはしまい。
 やはり、あったのかもしれないな。オルソンはそう思った。

 パターソン兄妹に疑わしい点はあっても、逮捕に踏み切れる材料は揃ってい
ない。遺族だけあって、普段以上に慎重な対応が求められており、別件で引っ
張ることもできないでいた。
 もう一つ、捜査陣を悩ませたのは、バークの隠れ家が見つからないことであ
る。ローラーやブレンダンがサポートしていたのはほぼ明白だが、具体的な場
所となると、さっぱりだった。金だけ渡し、近隣の町、もしくは近隣の州の宿
を泊まり歩かせたのだろうか。それにしても、足取りが全く掴めないのはおか
しい。唯一つ判明したのは、バークが奪ったと思われる宝石のいくつかを、ロ
ーラーが金に換えていた事実だ。情報屋の一人が依頼されたことを白状した。
「ローラーがバークを助けてやったのは、金のため、それは分かる。じゃあブ
レンダンはどこにどう噛んでいるんだろう?」
 オルソンは検死局の廊下で、トマスに聞いた。二人は、バークの遺体の解剖
が終わったと聞き、詳細な結果報告書を受け取りに来たのだ。早すぎたため、
待たされている。
「ブレンダンはローラーの協力者なんですから、ローラーから分け前をもらっ
てたんじゃないでしょうか」
「それはあっただろう。だが、前に判明した金の動き、覚えてないか?」
「あ、ブレンダンからローラーに動いていたんでした。でもあれは、バークが
警察の動きを教えてもらう対価に、ローラーに渡した金という解釈に落ち着い
たのでは」
「バークの手元に現金は少なく、宝石類をローラーに換金してもらってたんだ
ろ? だったら、ローラーからバークに金を全額渡し、そこからまた駄賃を返
してもらわなくても、端から差っ引いておけばいいんじゃないのか」
「うーん。新しく入った特別な情報だから、報酬も新たに支払った、とか?」
「商売をやってる訳じゃあるまいし、そんな細かなやり取りをするかねえ。し
かも、立場で言えば、ローラーの方が圧倒的に上だぜ。バークが改心して警察
に駆け込まない限り、ローラーは安泰だ。お宝は全て、ローラーがひとまず預
かったと考える方が自然な気がするんだが」
 オルソンが首を捻ったところで、正面のドアが開いた。姿を現した白髪の検
死官が、開口一番に言った。
「死因が明白だったから、後回しにされていたが、もっと早くすべきだったか
もしれん」
「え、では、射殺ではなかった?」
「そうではない。死体の腕に、注射痕がいくつかあったのは知っておるだろう」
「ええ。大方、逃亡の身の精神状態を安んじるため、薬物をやったんでしょう」
「わしも同じ思い込みをしていた。違ったんだ。詳しくは書類を見れば分かる
が、注射した物質は様々な有機物で、そのあと覚醒剤を二、三度打っていた」
「有機物?」
「ほとんどが分解されておって、特定不能だった。言っておくが、分析はわし
の役目じゃないぞ。科学捜査班の誰かだ」
「承知してるよ」
「ほんの一部だけ、判明しておる。蚊の毒だ」
「蚊ですかあ?」
 オルソンの後ろに立つトマスが、頓狂な声を上げた。
「蚊なら、注射とは関係なしに、直接刺したものかもしれないのでは?」
「いいや。注射器によって入れられた物に間違いない」
「何のためにそんな奇怪な真似を、バークはしたんでしょう?」
「知らん。毒と言っても、神経を麻痺させて感覚を鈍らせる程度。分量から推
しても、死ぬようなことはない。だが、気持ちよくなることもあるまい」
 それを聞いて、オルソンは脳裏に閃くものがあった。
「……ひょっとすると、注射したのはバーク自身ではないのかもしれませんな」

 エバンス・バークの遺体から昆虫に関係する成分が検出されたとの報道がな
された翌日、メイン・パターソンが行方をくらませた。会議で、いよいよパタ
ーソン兄妹を警察署に呼んで事情聴取するとの方針が固まった矢先の異変に、
捜査関係者は大いに慌てさせられた。
 この日の朝、研究所と自宅を同時に訪ねた捜査員達だったが、パターソン兄
妹は両名とも不在であった。ホーリーとは携帯電話を通じてすぐに連絡が付き、
町のホテルで製薬会社の人間と会っていたと判明。警察車両を急行させ、車内
でメイン・パターソン捜索のための事情聴取に入った。
「自宅にも研究所にもいないのだとすれば、思い当たる節があります」
 ホーリーは捜査車両に乗った途端、言い出した。
「メイン兄さんは時折、夜中に虫を探しに行くことがあります。昨晩はその予
定はなかったんですが、思い付いて探しに行ったのではないかと」
「具体的に、どこに向かったか分かりますか?」
「いつも行くのは、研究所近くの森です。たまに、湖の方まで足を伸ばすこと
もあるので、あの辺りを探してやってください。お願いします」
「無論、そうするつもりだが、もう一つだけ。現在――九時だ。こんな時間ま
で戻って来ないことは、今まであったかどうかを教えてくれ」
「ありませんでした」
 捜索隊からの連絡があったのは、それからちょうど一時間半後。ホーリーが
口にした通り、メインは湖まで行っていた。その岸辺で彼は亡くなっていた。
「まただ」
 遺体を見たオルソンは鼻先を飛んでいった蛾を手で払いながら、、思わず吐
き捨てた。メインの右こめかみには、弾の射入口が視認できた。近くに銃は見
当たらない。昆虫研究の専門家だった彼の死を悼むか、それとも歓迎するかの
ように、その周辺には蛾が数匹、ひらひらと飛んでいる。
 オルソンは湖へ目を向けた。
「この中に、銃とビニールと重石がある……のか?」
 想像を口に出す。答は無論、調べてみないと分からない。思い込みは禁物だ。
 湖中の捜索と平行して、ホーリー・パターソンへの事情聴取が行われた。
 兄の死を聞かされた時点では取り乱した様子もなく、冷静に受け止めていた
彼女だったが、いざ遺体と対面すると顔を伏し、メインの横たわる台に倒れか
かるように泣き崩れた。落ち着きを取り戻したところで、聴取再開に至る。警
察側もメインの死に関しては材料が乏しく、手探り状態で始めざるを得ない。
女性同士の方がいいだろうと、リサ・メッツ刑事を投入した。
 ところが、ものの三十分と経たない内に中断。ホーリーが、話し慣れたオル
ソンかトマスとの交代を主張したためである。オルソンらは湖の辺で、周辺捜
索に加わっており、連絡を受けて引き返すまで時間を要した。
「メインの死が自他殺のどちらと思うかとの問いに、分からないと答え、自殺
だとすると理由に心当たりはあるかと聞くと、もし自殺なら両親の敵がこの世
からいなくなり張り合いを失ったせいかもしれないと答えたのか。分かった」
 署に戻るまでの車中で、携帯電話を通じて状況を掴んだ上で、オルソンは取
り調べの部屋に入った。
「わざわざの指名とは、何か重大な告白でもしてくれるのかなと期待して、急
ぎ戻って来ました。洗いざらい、言いたいことを言ってもらいましょうかね」
 入るなり話し掛け、相手を促す。
 対するホーリーは、オルソンが椅子に落ち着くのを待って、口を開いた。
「聞いたところでは、兄はエバンス・バークと同じ死に様だったそうですね」
「同じと言っていいかは保留だな。似ているのは間違いない」
「では、近くに銃などはなかったんですね」
「鋭意捜索中。このあと、出て来るかもしれない。なあ、ホーリーさん。あな
たはメインさんが、バークが死んで張り合いをなくしたように言ったそうだが、
その張り合いとはどんな意味だね」
「それは、言わなくても分かるでしょう」
「ある人物の存在が張り合いになるには、少なくとも二通りのケースが考えら
れる。その人のために尽くそうとする場合と、その人に負けまいとする場合だ。
メインさんのバークに対する張り合いは、前者ではあるまい。後者を突き詰め
た形、要するに復讐を考えていたのではないかと思うんだが」
「考えるだけなら、私も思い描いていました」
「では認めるのだな。メインさんがバークを殺そうと考えていたことは」
「実際に殺したかどうかは別です。私は知りません」
「あなた方も報道で知っていると思うが、バークの遺体からある生物の成分が
検出された。調べると、蚊の毒だった。これを足がかりに、昆虫に関係する物
質に絞って、より詳しい分析を行う予定でいる。このことについて、何か言い
たいことはないかね?」
「私達を疑っているのですか」
「虫のことだからな、当然だ」
「兄さんはその報道を見て、自殺したと仰りたい?」
「うむ……可能性の一つと言える」
 慎重な物言いを心掛けるオルソン。眼前の若い娘が、犯行に関与していない
とは限らない。何しろ、メインが主張したアリバイは、いずれの犯行時間帯で
も妹と一緒にいたというものだったのだから。
「このままだと、ご自宅と研究所を捜索することになる。今の内に――」
「何故ですの? 被害者の家や職場を調べるなんて、無意味じゃありませんか」
「被害者の遺族だ。そして今は容疑者でもある」
「メイン兄さんは殺されたんですわ」
 ホーリーが強い調子で、決め付けた。
「バーク達を殺した犯人によって。バークの死んだ状況を敢えて似せることで、
いかにも“他殺に偽装した自殺”をしたかのように見せ掛けているのよ。本当
は、“他殺に見せ掛けた自殺を装った他殺”だわ、きっと」
「……真犯人がいるとして、そんなややこしいことをする理由はない」
「捜査を誤った方向に導くためよ。現に今、警察は翻弄されているんじゃあり
ませんか」
 確かにそのきらいはある。内心、苦笑したオルソン。
「はっきりさせるために、あなたに話を聞いている」
「無関係です。兄の死が自殺と判明したならまだしも、そうでないなら、家と
研究所の捜査は回避してください」
「礼状が出れば、否も応もないのですがね」
 答えながら、オルソンは不安にもなっていた。メインが殺されたものと判断
されたら、礼状は出るだろうか。バーク殺害での注射痕及び蚊の毒を根拠に、
押し通せるかもしれないし、裁判官が世間の反応を気にすればそうならないか
もしれない。
「こちらの考えを言おう。あなた達はバークととうの昔に接触していた」
「何ですって?」
 悲鳴のような叫び声を上げたホーリー。オルソンはかまわなかった。
「ローラー刑事の手引きか、ブレンダンの手引きかは分からないが、多分、ブ
レンダンだろう。ローラーがバークを助けていることを知ったブレンダンは、
バークの宝石だけでは満足せず、パターソン一家からも金をいただこうと考え
た。金と引き替えに、憎き犯人の身柄を確保したあなた達兄妹は、密かに幽閉
した。恐らく、研究所の地下スペースに」
「何のために、そんな。私達があいつを匿う訳ない。もし身柄確保できていた
なら、警察に引き渡している。万が一そうしなかったとしても、とっとと殺し
て終わりにしていると思いません?」
「普通はそうだが、あなた達は違ったんじゃないか。バークへの復讐を兼ねて、
あいつの身体を実験に使ったと睨んでいる」
「――実験?」
 一瞬、表情が硬くなホーリー。顔色も白くなったような。だが、すぐさま赤
みを帯び、怒り口調で続ける。
「もしかして、昆虫の毒を使った人体実験?」
「そう解釈すれば、判明していること全ての辻褄が合ってくる。ブレンダン・
リクシーからローラーに渡った金は、新たに発生した儲けの分け前。ローラー
も結局はバークを切り捨てたんだろう。この二人は、バークを金を稼ぐための
カードぐらいにしか考えていなかったろうが、あなた達兄妹は違った。あくま
で、恨みの対象だ。期間は分からんが、人体実験で散々いたぶった後、殺すつ
もりでいた。だが、その前に事情を知る者を消さなければならない。ローラー
とブレンダンは、バークの逃亡を手助けした輩でもあるしな。特に、ローラー
は腐っても刑事だ。さっさと始末したかったはず」
「全て復讐のための殺人だったのなら、密室を作ったり自殺に見せ掛けたりな
んて、凝ったことをするかしら」
「密室は二つとも偶然の産物。バークを“他殺に見せ掛けた自殺”で殺したの
は、ローラーとブレンダン殺しをバークに擦り付けるため。おかしくはない」
「銃は?」
「ローラーは、あなた達を仲間だと認識していた。口先だけで銃を持ち出させ、
奪うことは可能だったんじゃないか」
 オルソンが答えると、ホーリーは、ふーっと深く息をついた。
「何を言っても、疑いを解いてくれそうにないんですね」
「具体的な反論があれば、ぜひ聞きたい。個人的な意見になるが……私はあな
た方の両親が犠牲になった事件の捜査に、直接は関わっていないが、責任は感
じている。警察の失態が被害者遺族の犯行につながってしまったのであれば、
可能な限り速やかに収束させたい。だがその一方で、これまで話した推測が間
違いであって欲しいと願う気持ちもある」
「証拠がありませんわ」
「研究所の地下スペースから、バークがいた証拠が出る」
「私達の研究は、異物が紛れることを極度に避けねばなりません。そのための
設備は整っています。防塵・清掃・浄化のシステムは完璧ということです」
「それでも人がいた痕跡は、どこかに残る。トイレのタンクを浚ってでも見つ
ける」
「――なるほど。では、別の角度から。兄の死をどうお思いですか。オルソン
刑事の個人的意見でかまいません」
「……自殺の線が濃い」
「復讐を果たしたが、注射痕の報道を目にして、自ら命を絶ったと? そんな
に追い詰められていたとは思えません。また、注射痕の報道は急でした。自殺
を決意したなら、それは発作的なもののはず。発作的に思い付いて、他殺を装
った自殺をするでしょうか」
「それは……」
「もし復讐殺人を遂げた人物が自殺を選ぶとしたら、復讐を果たしたことを遺
書にしたため、己の正義を高らかに訴えるものではありません? 遺書を残さ
ずに死ぬだけもおかしいし、その上、殺されたように装うなんて無意味だわ」
「……では、他殺だ。いや、共犯者に殺された、あるいは殺してもらったんじ
ゃないか?」
「共犯者とは、私を差しています? でしたら、違います。私には昨晩から今
朝にかけて、明確なアリバイがあります」
「アリバイって確か、製薬会社の男と会っていたんだったか。あれは朝だけな
んだろう?」
「刑事さん、勘違いしているわ。仕事で会ったんじゃないのよ。昨日の夜から、
ホテルに泊まっていたと言えば分かるでしょう?」
「……」
 恋人の証言だけでは弱い。そう釘を刺そうとしたオルソンだったが、ホテル
の従業員等もホーリーとその男を目撃しているに違いない、と思い直した。唇
を固く結び、とにもかくにも、アリバイ確認が先決だと判断した。

 ホーリー・パターソンのアリバイは、複数の人間による証言が得られ、成立
した。また、彼女の当日着ていた服から、硝煙反応は出なかった。
 メイン・パターソンの死は、やはり自殺か?
 それを裏付けるかのように、湖に少し入った地点で拳銃が見つかった。メイ
ンから摘出された弾は、見つかった拳銃により発砲された物と特定できた。
 さらに、銃には細い紐が結わえ付けられていた。が、それだけだった。バー
クのときのような重石はなし。ビニールシートのような硝煙を防ぐ覆いも見つ
からず。それでも身体や衣服から硝煙反応が出れば、自殺で片が付く……だが。
「硝煙は検出されず。メインは他殺だ」
 ワイズマンからその事実を聞かされ、オルソン達捜査員はどよめいた。捜査
の流れがそちらに傾いていたこともあったが、新しい事実を掴んでいたという
理由も大きい。
「他殺は考えられませんよ。メインが死んだ日、森や湖の一帯は深夜から雨が
しとしと降り、やんだのが午前四時前後。死亡推定時刻は朝の五時から七時で、
六時前後の可能性が高いそうです。現場に足跡は、我々のを除くと、メインの
ものしかありませんでした。そして地面が乾いたのが、当日の昼前でした」
「つまり、こういうことか。メインが殺されたなら、犯人は足跡を付けずに現
場から去ったことになると」
「はい」
「湖畔が現場なんだから、そこからゴムボートで、反対側の岸にでも漕ぎ着け、
上陸したんじゃないのか」
「それはなさそうなんです。というのも、現場の湖をご覧になれば一目瞭然で
すが、ボートを漕ぐな泳ぐなりして渡っても、人が上陸できる岸がないんです。
可能なのは、メインが倒れていた周辺だけでして。捜索の過程で岸をずっと見
回りましたが、足跡は皆無という有様」
「……参ったな」
 自殺としても他殺としてもおかしな点がある。奇妙な状況に、捜査は停滞を
余儀なくされた。

           *           *

「気付いたきっかけは、一枚の写真。正確には、その写真に映った蛾だった。
 あの森や湖周辺にはいくらでもいる、珍しくもない蛾だそうだが、死んだば
かりの人間に寄って来るという話は聞かない。考える内に閃いて、メインの着
ていた服を調べさせた。特に、利き腕である右袖を念入りにな。
 そうしたら、じきに出たよ。蛾を惹き付けるフェロモンと、蛾の嫌う微粒子
状の薬――忌避物質がね。恐らく、メイン・パターソンは蛾の力を借りて、他
殺を装った自殺を決行したんだろう。袖にフェロモン成分を含んだ液体を散布
することで、腕に大量の蛾を呼び寄せ、まとう形になる。
 一方、拳銃には発射後、蛾の忌避物質が飛び散るように細工しておく。さら
に、紐を結んでおく。紐のもう一端には、重石ではなく、浮きを結び付ける。
大きなゼリー状物質か氷がよい。
 このように準備した上で、自分自身に発砲すれば、硝煙は蛾にガードされて
残らない。直後に飛散した忌避物質により、蛾は腕から離れるだろう。銃は手
から力が抜けると、適度に荒れた波に引っ張られ、湖底に沈む。浮きは外れる
か溶けるかして、紐だけが残る訳だ。銃に忌避物質が残ったとしても、水に洗
い流される。銃声に驚いて蛾が飛び立つ心配はないようだが、念を入れるなら、
羽にある聴覚に該当する気管を潰しておけばよい。
 昆虫の専門家らしい偽装工作だと思うんだが、どうだろうか。今、この線に
沿って銃と遺体を調べ直している。そして今度こそ、研究所内を捜索して、文
句の付けようがない物証を見つけ出せると確信している」

――終




「●長編」一覧 永山の作品
             


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE