#714/1159 ●連載
★タイトル (sab ) 09/04/16 06:09 ( 68)
She's ゴリの書き込み(改)
★内容
[泥酔ゴリ]
いやいやなかなか興味深い書き込みを読ませてもらってます。
今夜も酔っていますが。でもちゃんとタイプできますんで大丈夫。
それでちょっと思うところがありましたので述べさせていただきます。
ピンチョテアーナさん(はじめまして)って何か医師でも教師でも当事者性が高い
のは医学なり学課の知識があって、且つ「患者の扱い方」とか「生徒の扱い方」
に詳しいから、と思っていません?
私はそうは思わないんですよ。
わたしゃ、教師の当事者性を高めているのは「学校はちゃんとしていてほしい」、
「だから教室を運営する教師には厳密であってほしい」という生徒の希望だと
思いますよ。学校がちゃんとしていなくては困るから教師が給食を口に突っ込んで
きても、「不味いと感じる自分がおかしいんだ」と思って我慢して
飲み込むんですよ。
母子関係も同じですよ。虐待される子供は母親になぐられると自分が悪いと
思うんですよ。そう思わないと母親がほんの気まぐれから殴った事になるでしょう。
母親がそんないい加減な存在じゃあ困るから取りあえず自分が悪いと思うんです。
司法でも同じですよ。死刑囚(「異邦人」のムルソーみたいな)は死刑が恩赦で
中止になるなんて事は望まないんですよ。そんな事が起こるんだったらそもそも
最初の裁判だって適当だったんじゃないかと思えてくるでしょう。だから裁判が
正当だったためには喜んで死刑になるしかなかったんです。
医療も同じですよ。医師の当事者性を高めているのは医学的知識を持っているか
らとか患者の扱いに慣れているからとかじゃあなくて、患者が医療はちゃんとし
ていてほしいと思うからですよ。だから例えば末期ガン患者は治療する意味がな
い治療にも耐えるんですよ。医療も医師もちゃんとしていると思いたいが為に。
でもそんなシステムおかしいでしょう。回復の見込みのない患者に苦痛を与える
だけの治療をするなんて。
ところで或る緩和ケア専門の女医の話なんですが。
その人は現場の医師も苦痛を与えるだけの延命治療はおかしいと知っていると
言うんですよ。でも延命治療という行為にしがみついているのは自己がないから
だそうです。自己がない医師は職業にしがみついていないと不安なんだそうです。
職業が人格に食い込んでいるんですね。その女医は、こんなシステムはおかしいと
思って緩和ケアの専門医に鞍替えしたそうですが、彼女が何故そうできたかとい
うと、クリスチャンだったからだそうです。自己の問題はキリスト教で考えている
から職業を失ったところで大丈夫。こういうのは宗教に限りませんけどね。
例えば宮沢賢治の手帳(雨にも負けず、ってやつ)とか高野悦子の日記なんか
もそうかも知れない。宮沢賢治が自分の農業指導が良くないと分かっていてもし
がみつくとは思えないでしょう。手帳をもっているから。
ビールを飲み飲み下図を作成しました。
法律→(解釈)→裁判官→(伝達)→被告
最初は私はこう思っていたんですよ。法律という原理に近づけば近づく程当事者
性は高くなり、ムルソーなどは最下層の被告人であると。
しがみつき
法律<==裁判官
↓ ↑大
↓ ↑当事者性
↓疎 ↑
↓外 ↑怯え
↓ ↑
↓ ↑当事者性
↓ ↑小
被告・被告
被告・被告
ところが実際はこういう構造なんじゃなかろうか。自己のない裁判官が法律に
しがみつく。そして法律をふりかざして被告人ムルソーを疎外する。ムルソー
は裁判官の気まぐれを恐れている。
だけれども、もし裁判官が「宮沢賢治の手帳」を持っていれば法律にしがみつ
かないで法律を変えることが出来る。もしムルソーが「宮沢賢治の手帳」をも
っていれば裁判官に怯えないですむ。
私の言っている事分かるかなあ。分からないだろうなあ。
酔いがさめたら消したくなるかも知れないな。
つづく