#714/1159 ●連載
★タイトル (sab ) 09/04/16 06:09 ( 69)
She's ゴリの書き込み(改)
★内容 09/04/16 06:12 修正 第2版
(712の改訂版です。712は消しません。すみません)。
[泥酔ゴリ]
いやいやなかなか興味深い書き込みを読ませてもらってます。
今夜も酔っていますが。でもちゃんとタイプできますんで大丈夫。
それでちょっと思うところがありましたので述べさせていただきます。
ピンチョテアーナさん(はじめまして)って何か医師でも教師でも当事者性が高い
のは医学なり学課の知識があって、且つ「患者の扱い方」とか「生徒の扱い方」
に詳しいから、と思っていません?
私はそうは思わないんですよ。
わたしゃ、教師の当事者性を高めているのは「学校はちゃんとしていてほしい」、
「だから教室を運営する教師には厳密であってほしい」という生徒の希望だと
思いますよ。学校がちゃんとしていなくては困るから教師が給食を口に突っ込んで
きても、「不味いと感じる自分がおかしいんだ」と思って我慢して
飲み込むんですよ。
母子関係も同じですよ。虐待される子供は母親になぐられると自分が悪いと
思うんですよ。そう思わないと母親がほんの気まぐれから殴った事になるでしょう。
母親がそんないい加減な存在じゃあ困るから取りあえず自分が悪いと思うんです。
司法でも同じですよ。死刑囚(「異邦人」のムルソーみたいな)は死刑が恩赦で
中止になるなんて事は望まないんですよ。そんな事が起こるんだったらそもそも
最初の裁判だって適当だったんじゃないかと思えてくるでしょう。だから裁判が
正当だったためには喜んで死刑になるしかなかったんです。
医療も同じですよ。医師の当事者性を高めているのは医学的知識を持っているか
らとか患者の扱いに慣れているからとかじゃあなくて、患者が医療はちゃんとし
ていてほしいと思うからですよ。だから例えば末期ガン患者は治療する意味がな
い治療にも耐えるんですよ。医療も医師もちゃんとしていると思いたいが為に。
でもそんなシステムおかしいでしょう。回復の見込みのない患者に苦痛を与える
だけの治療をするなんて。
ところで或る緩和ケア専門の女医の話なんですが。
その人は現場の医師も苦痛を与えるだけの延命治療はおかしいと知っていると
言うんですよ。でも延命治療という行為にしがみついているのは自己がないから
だそうです。自己がない医師は職業にしがみついていないと不安なんだそうです。
職業が人格に食い込んでいるんですね。その女医は、こんなシステムはおかしいと
思って緩和ケアの専門医に鞍替えしたそうですが、彼女が何故そうできたかとい
うと、クリスチャンだったからだそうです。自己の問題はキリスト教で考えている
から職業を失ったところで大丈夫。こういうのは宗教に限りませんけどね。
例えば宮沢賢治の手帳(雨にも負けず、ってやつ)とか高野悦子の日記なんか
もそうかも知れない。宮沢賢治が自分の農業指導が良くないと分かっていてもし
がみつくとは思えないでしょう。手帳をもっているから。
ビールを飲み飲み下図を作成しました。
法律→(解釈)→裁判官→(伝達)→被告
最初は私はこう思っていたんですよ。法律という原理に近づけば近づく程当事者
性は高くなり、ムルソーなどは最下層の被告人であると。
しがみつき
法律<==裁判官
↓ ↑大
↓ ↑当事者性
↓疎 ↑
↓外 ↑怯え
↓ ↑
↓ ↑当事者性
↓ ↑小
被告・被告
被告・被告
ところが実際はこういう構造なんじゃなかろうか。自己のない裁判官が法律に
しがみつく。そして法律をふりかざして被告人ムルソーを疎外する。ムルソー
は裁判官の気まぐれを恐れている。
だけれども、もし裁判官が「宮沢賢治の手帳」を持っていれば法律にしがみつ
かないで法律を変えることが出来る。もしムルソーが「宮沢賢治の手帳」をも
っていれば裁判官に怯えないですむ。
私の言っている事分かるかなあ。分からないだろうなあ。
酔いがさめたら消したくなるかも知れないな。
つづく
#715/1159 ●連載 *** コメント #714 ***
★タイトル (sab ) 09/04/16 06:11 (110)
She's プラトン的愛(改)
★内容 09/04/16 06:13 修正 第2版
(713の改訂版です。713は消しません。すみません)。
そんでしばらくしたら[泥酔ゴリ]からメッセージが届いた。
「ハロー、オラ、ボケルトフ。
いやー、ピンチョテアーナさんの書き込みを読んで
こりゃもう語り合うべき同士を見つけたり!
という心境です
オフミしませんか
ピンチョテアーナさん渋谷ですよね
明日午後8時
HMVのビートルズコーナーにいますんで
気が向いたら来て下さいな
わたしゃどっちにしてもつまりあなたが来ても来なくても
行く予定がありますんで
僕はゴリですから見ればすぐに分かります
それでは明日会えることを祈念して
see you
アスタ・マニャナ
レヒトラオート」
それからゴリの部屋を覗いてみた。「アニマルウエルフェア」以外にも、
医学部再受験、仮面浪人、原始共同体なんとか、ひっぴー村、日本のキブツ等
のコミュに参加している。
なんでこういう人が私なんかに会いたいんだろうと思った。出会い目当てなら
分かるけれども。
翌日HMVのビートルズコーナーに行ったらガレッジセールのゴリにそっくりな
人がいたんで一発で分かった。
「ゴリさんですか」
「あ、きてくれたんだ。えーっと名前は?」
「アキコです」
みたいな会話から始まって、居酒屋に行って、ウーロンハイとグレープフルー
ツサワーで乾杯して、
「なんで私なんかに会いたかったんですか?」
「おかしい? 僕、人と会うの好きだし」
みたいな会話をした。
それからゴリさんは「自分みたいなつまらない女に会いたいなんておかしい」
なんて思うのはこういうわけだと教えてくれたが、お酒も飲んでいたし要領を
得ない物言いだった。
ゴリさんはこう語った。
「…イギリスのレインという精神科医が書いているんだけれども。ある日入院
患者に看護婦が一杯の紅茶をいれてあげたら「自分の人生で紅茶をいれてくれ
たのはあなたがはじめてです」と言って泣いたんだって。その人は何か優しく
されるたびに、相手には下心があると感じて生きてきたんだよね。だけど下心
なんて無いんだよ。それになかなか気が付かないんだよねえ。だってこのレイン
を翻訳している岸田秀なる人物でさえ、自分は母親に支配されそうになったと
か言っているし。自分の母親はギターとか遊ぶものは何でも買ってくれたのに
勉強の道具は何も買ってくれなかった、それは自分を学業から引き離して家業
のサーカスを継がせる為だったとか。そんな下心は親にはなかったと思うんだ
よねえ。まあ下心はあるにはあるんだけれども。
まあそういう訳で僕はレインだの岸田秀だの精神分析に興味があったからSNS
のその手のコミュに出入りしていたんだけれども。そこで或る医師、仮にS医師
としようか、と知り合って。メールのやりとりもするようになって。或る
日飲みに行こうと誘われたんだよねえ。なんで僕なんて誘うんだろう。診察室で
医師と患者として接するならともかく友達として会うのはおかしくないか。
病院にいたら医者ばっかだからたまには下界の人間と飲みたいのかなあ。
あいつは僕を慰み者にしているのかなあ。それって一杯の紅茶だよなあ。
ところで僕には3歳になる甥っ子がいるんだけれどもとにかくママが好きで。
でもママがいない時には僕の手でもぎゅっと握るんだよ。子供って取りあえず
自分を守ってくれる人の手を握って離さないんだよねえ。これって打算でしょ。
でもそれがいじらしいし、いとおしいんだよねえ。
じゃあどうして僕はS医師には裏のない友情みたいなものを求めるんだろうと
考えた。
またその甥っ子の話だけれども、その子を生まれた時からずーっと観察してい
たんだけれども、もう6ケ月の時には、おんぶ紐を見せれば「散歩に連れていっ
てくれるんだ」と判っていたね。たった半年である種の法則を見出したんだよねえ。
1歳半にもなれば舟和のあんこ玉をじーっと見て「ブドウ?」と首をひねるし、
芋ようかんを見せれば「カボチャ?」と首をひねるんだよ。床屋と歯医者の話じゃ
ないけれども、子供ってああやって関係妄想的に物事を覚えていくんだなあ。
まあ子供に限らず人間ってそういうものだから、どんどんパターンを極めていって、
最後にはほとんどプラトン的にシステムを作り上げるんだろうなあと思ったんだよ。
それが学校とか裁判とか医療だと思うんだけれども。そこで逆転が生じるんだけれ
どもねえ。人間が経験から導き出したシステムの筈なのに人間を疎外する。でも
システムは間違っているわけないでしょう。科学的法則なんだから。万有引力み
たいなものなんだから。だからなにがなんでも給食は残さない、ムルソーは死刑、
末期癌患者は痛いだけの治療を受け続ける。
愛も同じなんだと思うよ。まあ僕はモーホーじゃないからS医師にはそういう事
は期待していないんだけれども。人間はプラトニック・ラブみたいな完璧な愛の形
を信じていて…プラトニック・ラブってなんだか分かる? 厨房の恋じゃないん
だよ。プラトン的というのはこうなんつーか、限りなく純度を上げて行くと。
人間を限りなく純度を上げていくとDNAになるでしょう? そういう感じで限り
なく純度を上げていった愛がプラトニックラブでそれは例えば聖母マリアのイエス
への愛みたいな愛だよ。
例えば或る女でそんな愛に参加したいと思っても、どうも自分は価値の無い女
だからこの愛には参加できないと思うんじゃないの。案の定男は体を求めてきた。
愛は勿論成就しない。それで女は「体目当ての嫌な男だった」と嘆くんだけれども、
こういう場合にキルケゴールだったらこう言うんだよ。「ちょうどよかったじゃ
ないか。いい人と別れるのは辛いかも知れないけれども嫌な奴と別れるんだから
ちょうどよかったじゃないか。だのに何故嘆くのか」と。それは愛が台無しになっ
てしまうからなんだよ。
愛が台無しにならない為には、愛も本物、男も本物、ただ自分が下らない女だった
から愛に参加出来なかったというパターンしか無いんだよ。
医療も同じで、医療も本物、S医師も本物、ただ僕が下らない人間だからS医師
との友情はあり得ないと思うしか。
だけれども実際にはそんなプラトン的に完璧な人間なんているわけないし、S医師
もうちの甥っ子と同じぐらい適当だったと」
「何がなんだか全然分からないよ」と私は言った。
「え、そう? 結構飲んでいるから」ゴリさんはチューハイ5、6杯飲んでいた。「
あ、もう10時50分だ」とゴリさんが言った。
井の頭通りに出ると「君んち、どっち?」とゴリさんが言った。
「あっち。漫キツに寝るの」
「ああいう所は結核菌がうじゃうじゃいるんだよ。うちに帰んなよ」
「ゴリさんちってどこなの?」
「なんで」
「泊めてよ」
「えー」
その晩彼女は家に帰った。
【完】