#713/1159 ●連載
★タイトル (sab ) 09/04/12 05:34 (127)
She's プラトン的愛 ぴんちょ
★内容
しばらくしたら[泥酔ゴリ]からメッセージが届いた。
「ハロー、オラ、ボケルトフ。
いやー、ピンチョテアーナさんの書き込みを読んで
こりゃもう語り合うべき同士を見つけたり!
という心境です
オフミしませんか
ピンチョテアーナさん渋谷ですよね
明日午後8時
HMVのビートルズコーナーにいますんで
気が向いたら来て下さいな
わたしゃどっちにしてもつまりあなたが来ても来なくても
行く予定がありますんで
僕はゴリですから見ればすぐに分かります
それでは明日会えることを祈念して
see you
アスタ・マニャナ
レヒトラオート」
それからゴリの部屋を覗いてみた。「アニマルウエルフェア」以外にも、
病院の薬剤師、製薬会社研究職、ジェネリックなんとか、医者からもらった
薬がなんとか、国立○×大OB、人体解剖なんとか、等のコミュに参加している。
なんでこういう人が私なんかに会いたいんだろうと思った。出会い目当てなら
分かるけれども。
翌日HMVのビートルズコーナーに行ったらガレッジセールのゴリにそっくりな人
がいたんで一発で分かった。
「ゴリさんですか」
「あ、きてくれたんだ。えーっと名前は?」
「アキコです」
みたいな会話から始まって、居酒屋に行って、ウーロンハイとグレープフルーツ
サワーで乾杯して、
「なんで私なんかに会いたかったんですか?」
「おかしい? 僕、人と会うの好きだし」
みたいな会話をした。
それからゴリさんは「自分みたいなつまらない女に会いたいなんておかしい」
なんて思うのはこういうわけだと教えてくれたが、お酒も飲んでいたし要領を得ない
物言いだった。ゴリさんはこう語った。
「例えばそうそう、ロールシャッハテストってあるでしょ。左右対称のインクの
染み。ああいうのじーっと見ていると蝶に見えるとか顔に見えるとか。ああいう
意味の無いものから意味を読み取ると「騙し絵」みたいに感じるでしょう。
騙された! と。
それはおいといて。レインというイギリスの精神科医がいるんだけれども。ある時、
入院患者に看護婦が一杯の紅茶をいれてあげたら「自分の人生で紅茶をいれてくれた
のはあなたがはじめてです」と言って泣いたんだって。その人は何か優しくされる
たびに、相手には下心があると感じて生きてきたんだよね。だけど下心なんて無い
んだよ。それになかなか気が付かないんだよねえ。このレインを翻訳している岸田秀
なる人物でさえ、自分は母親に支配されそうになったとか言っているし。
自分の母親はギターとか遊ぶものは何でも買ってくれたのに勉強の道具は何も買って
くれなかった、それは自分を学業から引き離して家業のサーカスを継がせる為だった
とか。そんな下心は親にはなかったと思うんだよねえ。まあ下心はあるにはあるん
だけれども。
まあとにかく君だって自分は価値がない人間だから何か優しくされると「どうせ体
目当てだろう」とか思うんでしょ。
僕もそう思っていたんだよ。前の前の会社で。研究員として就職したのに実験動物の
世話なんてやらされてさあ。自分なんて必要とされていないんじゃないか。会社は
ただ僕を利用しているだけなんじゃないか。という訳でその会社は辞めて病院の
薬局に転職したんだけれども、病院っていうのは医師>看護師>薬剤師>レントゲン
技師、みたいにヒエラルキーがくっきりしているんだよ。だけれども或る日、
或る医師と知り合いになって、だんだん話すようになって、飲みに行こうと誘われ
たんだよ。なんで僕なんて誘うんだろう。医局にいたら医者ばっかだからたまには
下界の人間と飲みたいのかなあ。あいつは僕を慰み者にしているのかなあ。
それって一杯の紅茶だよなあ。その頃の僕っていったら人の持ち物検査ばかりして
いたよ。SNSでも麻布高校OB、とか、国立理系とかいうコミュに入っている人
がいると、この人もしかして医者なんじゃないかって疑って色々調べるんだよ。
それでそうじゃないとよかったーと胸をなでおろして。毎年受験の季節になると
親戚の誰かが医学部受験をするんじゃないかと不安になったり。公園通りを歩いて
いても、この通りに一人でも医者が歩いていたらもう僕はまったりとした気分に
なれなくなる。なんなんだそれ。関係ないでしょう。僕に関係があるのは僕の
かかりつけの医者だけでしょう。でも何故かつながっているんだよね。その頃
テレビでひきこもりのドキュメンタリーをやっていて。或る青年がずーっと
ひきこもっていて唯一の楽しみが詰め将棋だったんだって。だけれどもテレビで
羽生をチラッと見て将棋を捨ててしまった、と。なんか似ているなあと。君が
スマトラの地震のせいで魚が食べられなくなったのも似ているんじゃないの。
んまぁそんなこんなで病院には居たくなくなって今はマツキヨで市販薬の説明
とかしているけれども。マツキヨだったら薬剤師以外はフリーターみたいなの
ばっかりだから気楽だし。「彼女を見ればわかること」っていう映画があった
けれども。劣った人間にしか心を開けないんで女の話で、小人、黒人、ホームレス
としか付き合えない女達の話なんだけれども。君の客でストリップ劇場の穴兄弟
としか付き合えないとか、派遣社員のKY君なんかも同じなんじゃないの?
(ここで私は訊きました。「なんで私みたいなつまらない女に心情吐露してくれる
の?」と)。
だからそうやって何か下心があるんじゃないのかと勘ぐるのが一杯の紅茶なんだよ。
なんでそういう発想をするかというと…。その前に僕には3歳になる甥っ子がいるん
だけれども、生まれた時からずーっと観察していたんだよ。もう6ケ月の時には、
おんぶ紐を見せれば「散歩に連れていってくれるんだ」と判っていたね。たった半年
である種の法則を見出したんだよねえ。1歳半にもなれば舟和のあんこ玉をじーっと
見て「ブドウ?」と首をひねるし、芋ようかんを見せれば「カボチャ?」と首を
ひねるんだよ。床屋と歯医者の話じゃないけれども、子供ってああやって関係妄想的
に物事を覚えていくんだなあ。まあ子供に限らず人間ってそういうものだから、
どんどんパターンを極めていって、最後にはほとんどプラトン的にシステムを作り
上げるんだろうなあと。それが例えば給食だよ。そこで逆転が生じるんだけれども
ねえ。人間が経験から導き出したシステムの筈なのに人間を疎外する。でもシステム
は間違っているわけないでしょう。科学的法則なんだから。万有引力みたいなもの
なんだから。だからなにがなんでも食べなければならないしムルソーは死刑に
ならなければならないと。
愛も同じなんだよ。プラトニック・ラブみたいな完璧な愛の形を信じていて。
だけれども自分は価値の無い女だからこの愛には参加できない。案の定男は体を
求めてきた。愛は勿論成就しない。
プラトニック・ラブってなんだか分かる? 厨房の恋じゃないんだよ。プラトン的
というのはこうなんつーか、限りなく純度を上げて行くと。人間を限りなく純度を
上げていくとDNAになるでしょう? そういう感じで限りなく純度を上げていった
愛がプラトニックラブでそれは例えば聖母マリアのイエスへの愛みたいな。岸田秀は
母親にそれを期待したんだよねえ。でもそこいらのお母さんにプラトニック・ラブを
期待したって。つーかプラトニック・ラブなんてそもそも無いんだよ。そういえば
うちの甥っ子もとにかくママが好きで。ママって僕の姉貴だけれども。でもママが
いない時には僕の手でもぎゅっと握るんだよ。子供って取りあえず自分を守って
くれる人の手を握って離さないんだよねえ。これって打算でしょ。プラトニック
じゃないでしょう。でもそれがいじらしいし、いとおしいんだよねえ。
ところで、僕の言っている事、解った? つまりレインの患者も岸田秀も君も、
あまりにも純度の高いプラトニックラブを期待しているって事。当然自分はこの愛
への参加資格はありそうにないと感じているし、うっかり参加すれば相手の打算や
下心に打ちのめされる」
「だったら」と私は言った。「私がおかしいって事?」
「僕、何の話をしていたっけ」チューハイ5、6杯飲んでいた。
「だから動物愛護でも恋愛でも私は当事者じゃないから参加する資格がないと」
「そういう感覚から抜け出したかったらもっと具体的な関係を経験することだよ。
例えばうちの甥っ子と遊んでみるとか。あ、もう10時50分だ」
井の頭通りに出ると「君んち、どっち?」とゴリさんが言った。
「あっち。漫キツに寝るの」
「ああいう所は結核菌がうじゃうじゃいるんだよ。うちに帰んなよ」
「ゴリさんちってどこなの?」
「なんで」
「泊めてよ」
「えー」
つづく。