#2484/5495 長編
★タイトル (AZA ) 94/ 2/ 6 9:59 (200)
祭 3 永山
★内容
(承前)
「ふうん。お料理、上手だと思ったら、ちゃんと花嫁修行、してたんだ」
それからあたしは意地悪な質問を思い付いた。話の流れから言っても、そん
なに不自然じゃない。
「ねえ、子供ってどうやすればできるの? お兄ちゃん、教えて」
「難しいな。お父さんお母さんに聞きなさいじゃ、納得しないよね?」
あたしの顔色を窺うお兄ちゃん。困らせてやる。
「前に聞いたけど、教えてくれなかった」
「難しいな、本当に。そうだなあ、小学館の雑誌、講読してるんだっけ、まど
かちゃんは?」
「うん。毎月、『小学五年生』が送られて来るわ」
「だったらね、それが『六年生』になるまで待ちなさい。きっと載っているよ。
近頃の内容は進んでいるらしいから……」
お兄ちゃんの声は、もごもごと小さくなってしまった。あたしだって、そん
なことはまだ無理して知りたいとは思わない。ただ単に、この質問をすると、
大人が困った顔をすると分かっているからしたのよっ。
それからあたしは、お兄ちゃん相手に学校での話や流行っている遊びのこと、
低学年でやってる生活科の授業が面白そうでたまらないなんてことまで話した。
いつもお兄ちゃんは嫌がる様子もなく、あたしの話を聞いてくれる。これって
でも、小説に登場する小学生の女子を描く参考にしているだけかもしんない。
そんな疑惑を抱きつつも、あたしは喋り疲れたこともあって、自分の部屋に
戻った。部屋にある掛け時計を見上げたら、十一時が近かった。普段、家では
考えられない時間。そろそろ寝た方がいいなと思い、さっさと布団にもぐり込
んだ。明日のことを考えながら……。
次の日は朝、まるでイギリスの上流家庭にいるような朝食を食べて、ご機嫌
に始まった。
「一服したら、湖に出てみようか?」
食べ終わる頃、お兄ちゃんが言ってくれた。もちろん、そのつもり。水温は
充分らしいから、水着に着替えて行こう。
「皆さんはどうします?」
大介兄ちゃんは、他の人にも聞いている。
「私は、絵を見せてもらう約束ですから。ねえ、宮沢さん?」
と言ったのは荒川さんだった。このお屋敷にも絵がいくつか飾ってあるけど、
宮沢さん自身の絵は小島のアトリエにしか飾っていないんだって。
「わしはむろん、仕事場に戻るから行くが」
宮沢さんが答える。朝食だけのためにこちらに戻って来たことになるのよね。
うーん、分かんない。何のためにみんなを呼んだのかしら。
「インスピレーションが湧いてるんですねえ。何か荷物があれば、運びますよ」
お兄ちゃんは呆れたように申し出た。すると宮沢さん、相好を崩して言った。
「それなら頼もうか」
「自分は遠慮させてもらいます。宮沢さんの絵なら、たくさん購入させてもら
いましたからね。気分が乗っているときに、改めてお邪魔させてもらいますよ」
これは千堂さん。この言葉に、別に機嫌を悪くするでもなく、宮沢さんはう
なずいているだけ。
「保奈美さんは、片付けで忙しいですか?」
「あ、はい、栗本さん。父も私が行くと嫌がるでしょうから」
それから、保奈美さんはくすっと笑った。宮沢さんの方はと見ると、少し膨
れっ面だわ。
「保奈美さんに見られるのが、くすぐったいんでしたよね、宮沢さんは?」
お兄ちゃんは今思い出したというようなそぶりで、すまなさそうにしてる。
でも、本当は宮沢さんをからかってみたかっただけじゃないかしら。
「どうでもよかろう。さあ、荷物を運んでくれるのなら、早くしてもらおうじゃないか
」
「はいはい。じゃ、まどかちゃん、準備ができたら外に出ておいでよ。僕はボ
ートに乗せてもらうけど、泳ぐんだったら荒川さんも一緒だから安心だよ」
お兄ちゃんはそう言って、宮沢さんの後について消えてしまった。
「あれ、荒川さん、泳ぐんですか?」
「うふふ、そうなのよ」
あたしの顔がおかしかったのかしら、荒川さんは口を押さえて笑った。
「泳ぐの、大好きなの。でも、たいていの海水浴場は好きになれないのよね。
他の人も大勢いるし。だからここに呼ばれたときは、思い切り楽しませてもら
うの。着替えやタオルなんかはボートでもって行ってくれるから、向こうで絵
を見る分にも支障はない訳」
「ふうん」
それから、あたしは急いで部屋に戻って準備をした。水着と言ってもスクー
ル水着しか買ってもらえないのよね。何とかなんないかな、このデザイン。
まあ、ここでぶつぶつ言ってても始まんない。今は少しでも早く仕度しなく
ちゃ。時間、もったいないもの。
「お待たせ」
と、食堂に舞い戻ったはいいけど、もう誰もいない。少し慌てていると、お
兄ちゃんが現れた。
「ボートで運ぶ物、ないかい。一応、大きなタオルを取ってきたんだけどな」
その通り、大介兄ちゃんは小脇に紫色のタオルを丸めて抱えている。
「えーっと。その、あたし、絵を見るつもり、あんまりないから」
「そんな堅苦しく考えることないんだ。ちょっとあのアトリエで休ませてもら
うために、身体を拭くぐらいのことはね」
「それなら、羽織る物、持って来る」
あたしは部屋に飛んで行き、すぐに戻って来た。
「じゃあ、これは運んでおくから。ゆっくり泳いで来なさい。ただ、五百メー
トルはきついぞ」
「ふーん、五百メートルあるんだ、あの小島まで。でも、平気平気」
そう笑って宣言して、部屋を出ようとしたとき、何かしら変な感じがした。
何となく、部屋の様子が変わったような気がしたんだけど……。気のせいかな。
そんな感覚を吹っ切って外に出てみると、もうボートのエンジン音が響いて
いた。小走りになって船着場に向かう。
「さあ、行こうか。泳ぎの人達は危ないから、ボートが出てしまってから水に
浸かること」
真面目な口調の宮沢さん。その運転席の横に、お兄ちゃんが収まった。それ
から数秒後、ボートは大きな音を立てて発進。白い泡を残しながら、見る間に
遠ざかってしまった。
「さあ、私達はゆっくり行きましょう」
荒川さんは、足を水につけながら言った。
「あ、まどかちゃんは泳ぎは得意なの?」
「はい、大好き」
「じゃあ、あの小島まででも大丈夫ね?」
「と、思ってるけど。クロールで全力で泳ぐとちょっと、しんどいかな」
「それだったら、私も疲れちゃうわ。平泳ぎでのんびりとね」
ということで、あたし達は仲良く並んで平泳ぎを始めた。水温は、泳げるこ
とは泳げるけど、やっぱり少し、冷たいかな。これじゃあ、タオルは必需品よ。
二人いるのに黙って泳ぐのも変なので、喋りながら泳いだら、意外と早く、
しんどくなってきちゃった。結局、初めに考えてたよりも、だいぶ遅れて小島
にたどり着いた。
「はい、ご苦労さんです」
すぐに出迎えてくれた大介兄ちゃん。あたし達に飲物を渡してくれた。
「あーあ、これだけで疲れちゃった感じ。こっちにたどり着いたら水遊びなん
かしようと思ってたのに、ちょっと休まないと」
「それがいいね。あんまり無茶して事故にでもなると大変だし」
それからお兄ちゃんは、荒川さんに、
「すみませんね。あの子の面倒、頼みます」
とか何とか声をかけてから、建物の中に引っ込んじゃった。
それから十二時前まで、泳ぐのと休憩を繰り返しながら、ずっと遊んでいた。
荒川さんには悪いことしちゃったわ。だって、最後まであたしと一緒にいてく
れたんだもの。絵を見る時間なくて、ごめんなさい。
で、お昼。昼食ができたってことで、向こうに戻ることになった。でも、ま
た五百メートルを泳ぐのを考えると、げっそりしてしまったので、帰りはボー
トに乗せてもらうことにした。
昼食どき、ちょっとした騒ぎが持ち上がったの。最初に言い出したのは、医
者の千堂さん。あたし達四人が帰って来るのを待ちかまえていたように、
「宮沢さん、変ですよ」
と切り出したのよね。
でも、あたしには関係ないと、横を通り抜けようとしたら、
「食堂に飾ってあった刀が、なくなってるじゃないですか」
という言葉が耳に。
そっか、あたしが朝、食堂で感じた変な気持ちってこれのことだったんだ。
昨日の夕食、ううん、今朝の食事をしているときまではちゃんとあったはずの
刀が、湖に出る前には消えてしまってたんだ。
すぐにみんなで確認に行く。やっぱり、石のはまった刀は消えていた。
「本当だな。どうしたんだろう?」
慌てた様子もなく、大介兄ちゃんがつぶやいた。
持ち主であるはずの宮沢さんにしたって、全然慌ててないみたい。
「ここにいる誰かが持ち去ったとは、まさか、考えられんし」
と、宮沢さんは首をひねっている。
「あの、高い物なんですか?」
あたしは興味もあって、聞いてみた。
「あの刀かい? いやいや、そんな大したもんじゃないんだよ」
「でも、きれいな石が着いていたわ。あれ、ガラス玉かプラスチックですか?」
「あれは本物の宝石だよ」
宮沢さんはにっこり笑って答えてくれる。
「知っているかな? トルコ石という宝石でね。きれいな水色をしておる。ま
あ、安い物とも言えないが、ダイヤモンドなんかと比べれば少し落ちるかな」
こう説明してくれた宮沢さんに続いて、荒川さんが言った。
「そうですわね。もし、誰かがお金に困って盗んだんだったら、他にもっと高
いのがあるから、不自然と言えば不自然だわ。絵画とか置物とか。持ち運びだ
って、刀だとそんなに楽じゃないでしょうし。隠すにしてもまず、湖に隠す手
が使えないから−−」
「これは、誰かがいたずら心を起こしたとしか思えないねえ」
苦笑しながら宮沢さんは、荒川さんの推測を遮った。
「千堂君、まさか君がやったんじゃないでしょうなあ。わしらがいない間に、
ちょっと驚かせてやろうと」
「とんでもない! そんなだいそれたこと、しませんよ」
真面目な性格なのかしら、千堂さんは顔色を変えて否定した。
「何もそんなに興奮しなくてもいいじゃないですか。でも、保奈美さんがやっ
たとも思えないし、不思議だなあ」
「まあ、いいとしよう。わしは別に気にしとらんよ。今度の滞在が終わるまで
に『犯人』が名乗り出てくれればそれでいい」
そう言うと、宮沢さんは豪快に笑った。
朝早くからの水泳がきいたのか、昼からは身体がだるーい。そういう理由で、
お昼からはほとんどごろごろして過ごした。荒川さんは今日は絵を見るのは諦
めたらしく、昼食後、ボートに乗ってアトリエに渡った人はいなかった。宮沢
さんも、さすがに招待客を歓迎する気になってるみたい。
でも、そのおかげであたしは一人ぼっちになってしまった。他の二人と一緒
に、大介兄ちゃんも宮沢さんと何か話をしているらしい。
仕方ないので、仕事を手伝いながら、保奈美さんと話をしていた。でも、そ
れも保奈美さんが夕食に取り掛かる段階でタイムアップ。ここからは、あたし
がいても邪魔になるだけってことね。
退屈を紛らわそうと本を読んでみたけど、すぐに読み終えてしまった。もう、
暇でしょうがないので、こっそりとお兄ちゃんの部屋に入る。目的? あのラ
ジオ、黙って借りようと思って。
でも、ここってやっぱり都会じゃないんだ。番組数が少ない。この時間帯は
音楽番組がないみたいなので、イヤホーンで落語を聞く。
そうしていると、部屋のドアが開いた。お兄ちゃんだ。ようやく話が終わっ
たらしい。
「何だ、まどかちゃんか。ドアが半開きだったんで、びっくりしちゃったよ」
「そんなに?」
「ああ、ひょっとしたら、刀を盗んだ奴が隠れてるんじゃなかって」
そう言いかけていたお兄ちゃんの口元が、急に引き締められた。
「まどかちゃん、ラジオ、聞いてるの」
あ、今になって気付いたんだ。
「そうなの、勝手に借りてごめん−−」
「だめじゃないか!」
あたしの言葉にかぶせるように、お兄ちゃんの大きな声が響いた。え? ど
うしてそんなに怒るの?
訳の分からないあたしから、お兄ちゃんはラジオを取ると、音量を上げた。
落語家のとぼけた声が大きくなった。
「ごめんなさい」
とにかく謝ろうと、あたしは小さな声で言った。
「い、いや、そんなしゅんとならなくていんだ、まどかちゃん。ただね、電池
で聞いてたろう? それだとすぐにへたっちゃうから、コンセントで聞いてほ
しかったんだ」
どこか安心したような笑顔になって、大介お兄ちゃんは優しく言ってくれた。
「……うん、次から気を付ける」
「分かってくれたらいいんだ。僕も急にきつい言い方をして、悪かったよ。ご
めんな」
あたしはお兄ちゃんの声が元の調子に戻ったのにほっとして、ゆっくりとう
なずいた。
−続く−