#2466/5495 長編
★タイトル (AZA ) 93/12/31 10: 8 (180)
ダイイチシボウのこと <22> 永山
★内容
「では、文章が消されていたというのは?」
「簡単ですよ。文章だけを読むと、ノートに書いた文字を勝手に細工したよう
に思えますが、実際はワープロで作成した文章です。そう思って読み直すと、
この日記の中にもヒントがあるのですよ」
「どこです?」
「ビデオテープです。友人に代録を頼むところがあったでしょう。そこにビデ
オテープが絡んでくる。そのビデオテープがフロッピーディスクと隣合わせに
置かれることで、影響を与え合う場合があるのです。いや、これは私の経験か
ら言ってるんですがね。ビデオテープの上にディスクをしばらく置いていた後、
そのフロッピーディスクをパソコンで見てみたら、中身がすっかり破壊されて
いたのです」
「破壊とは、データが無意味な物になっていたってことですか?」
小出が聞いた。うなずく市村教授。
「それと同じことを、筆者はやってしまったんじゃないでしょうか? 短時間
だったせいか、文章のデータ全部が消えることはなく、一部だけが変化しただ
けにとどまったようですが」
そう言われれば……。平成は思い出していた。千堂麻知子の部屋で、ビデオ
テープとフロッピーディスクは、かなり近い位置にあったと言えよう。
「電話が妨害されるってのは、どうなんでしょう?」
「全くの想像なんですが、筆者が電話をかけた友人とは、パソコン通信仲間な
んじゃないでしょうか?」
「パソコン通信?」
平成は、また知らない言葉が出て来たのでうんざりしそうになった。そこを
すかさず、小出がフォローを入れた。
「ああ、電話回線等を媒介として、パソコンによってお互いのコミュニケーシ
ョンを図ることですね。そう言えば、千堂麻知子の部屋には、パソコン通信に
必要なモデムがありましたよ」
「モデムって何だ?」
折角のフォローであったが、今度はモデムが分からない。平成は小出をつつ
いた。
「パソコンの横にあった、スイッチが色々と付いた四角い機械のことです。警
部もご覧になったでしょう?」
「ああ、あの箱か」
「要するに、これを書いた人もパソコン通信をしていたってことになりますね」
教授は満足そうにうなずいた。
「それで、パソコン通信をしている相手へ普通の電話をかけると、呼び出し音
が一度鳴っただけで、切れてしまうのです」
「それも先生が体験したことですか」
市村は苦笑しながら説明をしてみせた。
「恥ずかしながら、そういうことです。私、パソコンをやっている内に、パソ
コン通信にも興味を持ちまして。精神病理学のことを話題にしているネットワ
ークがあると耳にしたもので、あるネットに加入したんですよ。それをやり始
めてから、友人連中からどやされまして。『電話したのに、出たと思ったらす
ぐ切りやがって!』ってね。私にそんな覚えはない。おかしいなと思って、電
話をしたという時間を尋ねてみますと、私がパソコン通信をしていた時刻と重
なる。で、謎が解けた訳ですよ」
「なるほど。趣味は多岐に渡って持つべきなんですなあ。私も刑事として、な
るべく知識は広く浅く知っておこうとは思っているんですが、仲々……」
平成は内心で不勉強を恥じつつ、そう弁解した。
「それから……金縛りとか幽体離脱がありましたね。これは私の専門ではなく、
他の教授の意見というか説なんですが」
そう切り出して市村教授が説明してくれたのは、金縛りの原因についてであ
った。何でも、不断睡眠とか称される非常に短時間の眠りを繰り返す内に、何
度目かの覚醒のとき、意識は起きていても身体は眠ったままであるということ
が起こるそうだ。本人は目を覚ましているのに身体が自由にならないことにな
り、これが金縛りと呼ばれる物の仕組みだと言う。
「他には何があったかな? そうそう、鏡に映った顔に違和感を感じるという
のと、化粧がいつもより濃くなってしまったというのがありましたね。これは
もう想像がつくかと思いますが、女性としての部分が強く出てきたため、女性
らしい顔というかしなを作ったから、違和感を覚えたんでしょう。化粧が濃く
なったのだって同様です」
市村教授は自信たっぷりに言い切った。平成は、さすがに全面的に教授の解
釈に飛びつくことはしなかったが、感心はしていた。
「だいたい、分かりました。つまり、千堂麻知子の男としての部分は女の部分
を意識した上で、自分のやった殺人やなんかを相手に擦り付けようと考えた。
その証明とするために、自分の周りで奇妙な現象が起きていることを記してお
いた、と」
「私はそうだと結論づけます。逃避の極めて特殊な例だと言えましょうか。い
やあ、仲々に面白い症例です」
「我々にとっては、ここが一番肝心なんですが」
平成は探るようなつもりで切り出した。
「こういった場合、千堂麻知子を逮捕しても、殺人罪で有罪にできるのですか
ね。ご存知の通り、精神薄弱や自己喪失等の状態では、無罪になることがあり
ますが……」
「法律家じゃないのでね、私は。とりあえず、仮に自己喪失状態であればその
人物は必ず無罪になるという前提でお話すれば……」
少し考える顔つきになる教授。
「……多分、大丈夫でしょう。普段から、千堂麻知子という女性は、男の部分
『僕』として生活を営んでいたのでしょう。その部分が殺人を犯したのだと私
は考えていますから、有罪にできると思います。
ただ、彼女自身が日記で書いているように、女性の部分が犯した罪であるの
が事実であったり、『僕』が『私』と精神レベルで混乱を起こした結果に殺人
等をしでかしたりしたのだとすれば、無罪に傾くかもしれないでしょうね」
「要するに、普段の生活をやっていた方の千堂麻知子が殺人をやったんだと立
証できれば、我々の勝ちなんですな?」
「勝ち……。まあ、そういうことになりますね」
薄く笑った市村教授は、手にしていた用紙の束を二つ折にし、机の上に投げ
出した。
「専門家の立場から私が言えるのは、これまでだと思いますが、他に何かある
でしょうか?」
「いえ、今日のところはこれで結構です。大変、参考になりました。また後日、
お話を伺いに来ることになるかもしれませんが、そのときもよろしく」
「いいですとも。このような話は、私共にとっても大いに勉強になります。い
つでも言って来てください」
「頼もしい限りだ。では、失礼します。どうもありがとうございました」
平成はそう言って、小出と共に辞去することにした。部屋を出るとき、市村
教授が満足そうに笑っているのが見て取れた。
(扱い易い人だな、教授という人種にしては)
こう思いながら、平成は廊下を歩いていた。そしてその意識を頭から振り払
い、すぐに気を引き締める。
(どうやって、千堂麻知子の犯罪を立証してやるかな。今のところ、動機ぐら
いからしか攻めようがないが……。問題の通知の方から何とか陥落させたいも
のだ。指紋が決め手になるかな)
松澤敏之は安心しきっていた。
今度の事件は、彼にとって最高の結末で終わったと言える。千堂麻知子とい
う犯人が逮捕され、松澤にかけられた殺人の容疑も晴れ、志望通りとはいかな
くとも、内定ももらっている。
(しかし、自分の身近で殺人が起こったことには、本当にびっくりさせられた。
どうしてそんなことになったのか、最初は頭の中が混乱して、正確に事態を把
握できないでいた。
だが、どうやら事件が、連続幼女殺害事件の四つ目を装ったのだということ
が分かるにつれ、少しは安心できるようになった。北沢雅子を殺した犯人は分
からないにしても……)
松澤は何に対して安心しているのか? それは自分への殺人容疑が晴れたこ
とだけではない。
(当分、自分がやってきた殺しを続ける訳にはいかなくなったようだが、それ
はしばらく我慢していれば、何とかなるだろう)
そう、松澤敏之こそが殺人犯人−−連続幼女殺害犯だったのだ。
彼は精神の平静が保てなくなると、年端のいかぬ小さな女の子を殺していた。
そうすることによって、彼は一個の生命を征服した気分に浸り、松澤の精神は
安らぎを得るのであった。
そんな彼の個人的悦楽行為もしかし、今年の三月頃からはやりにくくなって
いた。事件が連続幼女殺害事件として捉えられ、動きにくくなったためもあっ
たが、彼自身、就職活動に追われ、思うように動けなくなっていたのが最大の
原因である。彼はそれまで、殺人を実行する際には地元を離れ、なるべく遠い
土地でやっていた。そうすることで、少しでも安全圏にいられると考えていた
のだ。
遠くまで足を運べなくなった松澤は、どうにか自分の悦楽を楽しみたい欲求
を抑えていたが、それにも限界があった。とうとう我慢できなくなって、自分
の家からかなり近い距離の場所で三人目を殺してしまったのだが、後で新聞に
載った事件の記事を読んで、やはりやめようと考え直した。元々、ここいら辺
りが潮時だと感じていたところだった。就職活動がうまくいかず、精神状態は
いらいらしっぱなしだった。それで小さな女の子を手にかける欲求も頻繁に起
こりつつあったのだが、就職活動が忙しくて安全圏まで足を伸ばして殺しを実
行する時間がなくなってくるという、悪循環の繰り返しに陥っていた。第一志
望としていたトーカルへの二次面接がうまくった直後だったことも、彼に冷静
な判断をさせたのかもしれなかった。
そんな矢先に、あの事件−−松澤の向かいの家に住む女の子が殺される事件
がが起こった。これに、彼は大いに動揺させられた。
真っ先に彼は、自分が無意識の内に北沢雅子を殺してしまったのだろうか?
それほど自分の欲求は溜っていたのだろうか? そう考え込んだ。だが、冷静
に考え直し、そんなことはないと断定する。
では、誰がやったのだという疑問が次に来る。それに、そいつの目的は何な
んだということも。
まさか、自分のこれまでの殺人を知った誰かが、脅しのつもりでこんな近く
で殺しを起こしたのだろうか? とも考えた松澤だったが、それも冷静に考え
て、否定の結論に達した。これまでの殺しをどうやって、松澤自身の仕業だと
知ることができるというのだろう。例え偶然によってそれを知り得たとしても、
こっちを脅すために殺人をしでかしては、意味がなくなる。脅迫者の方も殺人
をやったことが松澤に知られてしまう訳だから。こういう過程をたどり、松澤
は、彼に見えていない向こう側にある真実へと近付いていく。
それからしばらくして、松澤は自分へトーカルからの通知が届かなかったこ
とを発端として調べを進め、誰かが通知を盗み取ったのだと結論づける。そし
て、そいつが何かをきっかけとして、北沢雅子殺害をもやったのだと推測し、
自己保全のためにも犯人捜しを開始する。
彼は、自分と同じ大学でトーカル最終面接に残った一人である栗本を最初に
疑ったのだが、それはどうも違うように感じた。栗本愛が、松澤に対してあま
りに協力的すぎたからだ。そこで、もう一人の最終面接まで残った人間に会う
ことに決める。
それが千堂麻知子だった。松澤は、この女も違うような気がしたが、その気
持ちを一転させるような出来事が起こった。彼女と初めて出会った日の夜遅く、
千堂麻知子から電話連絡をもらったのだ。
(あのときは、心底驚いた……)
松澤は彼女から電話をもらったことも不思議に思ったが、電話を通して聞こ
えて来る彼女の声にも驚愕させられてしまったものだった。千堂麻知子の声が
昼間会ったときとはまるで違い、女らしかったからだ。
そんな彼女が言ったのは、松澤にも理解し難い奇妙な話であった。
「私の中のもう一人の自分が、あなたに迷惑をかけてしまった上に、殺人まで
やってしまったの。どうしたらいいか相談したいから、そちらの都合のよい日
を教えてほしいわ」
彼女はそう言った。松澤は半信半疑のままでいたが、相手が、
「早くして! 早くしないと、もう一人の自分が目を覚ましてしまって、私の
意識はなくなるの。そしたらどうしようもなくなるから、今すぐに言ってちょ
うだい!」
と巻くし立ててきたため、仕方なしに日時を指定したのだ。千堂麻知子は、
その日は私が自分自身であるよう何としてでもやる、そう断言した。このとき
の松澤には、その言葉が何の意味だかさっぱり分からなかったが。
−続く−