AWC ダイイチシボウのこと <21>    永山


        
#2465/5495 長編
★タイトル (AZA     )  93/12/31  10: 5  (182)
ダイイチシボウのこと <21>    永山
★内容
第六章

 問題の千堂麻知子の日記(らしき物)をプリントアウトした紙の束を、平成
警部らは何度も読み返していた。予備知識として千堂の大学での友人二、三人
に会った後、改めて千堂の日記を読み直しているのだが、さほどのずれは感じ
ない。千堂麻知子は大学でも、男っぽいところがあったという訳だ。
「これはもう、何と言うか、精神病理学か何かの領域じゃないかね」
 疲れた両目を瞼の上から軽くもみながら、平成は小出に声をかけた。小出は
眼鏡をかけた顔を紙から上げ、平成の方を向いた。
「そうらしいですね。千堂麻知子は精神が二つに分裂していたようなのは、分
かりますが」
「精神の分裂じゃないだろう。二重人格ってやつじゃないか」
「ああ、そちらの方が近いでしょうね。自分も昔、心理学をかじったことがあ
るんですが、とにかく、興味深いです。どうやらこの女性は、小学生の頃から
男に対するコンプレックスみたいな物を持ってしまい、それを乗り越えるため
にか、なるべく男のように振舞おうとしていたみたいですね。それが極端にな
れば、女性でありながら女性を好きになり、ある商売の人間に結び付くんでし
ょうが、彼女の場合はそこまでは行っていない。男性のようになりたいと思い
つつ、男性を好きになりたいという気持ちがあることが、この栗本なる男を思
っているという一文から分かります」
 小出は、文章の一部を指し示した。それからまた続ける。
「普段は男と同等の気持ちで暮らしていたみたいですよ」
「ほう。どうして、そう言える?」
 平成は小出に尋ねた。
「何故ならば、この日記自体が、『僕』という一人称を用いて綴られているか
らです。『僕』というのは男の使う言葉でしょう。それを、自分以外は誰も読
まないはずの日記にまで用いているということは、千堂麻知子がフリだけでな
く、心の中でも男のような気持ちになっていたことの証拠でしょう」
「なるほどな。大学の友人の話では、千堂麻知子は男の中に混じって麻雀をす
るようなこともあったそうだからなあ。で、それがどうした弾みか、『私』と
名乗る人物まで登場して来る。これはどう解釈する?」
「僕は最初、この日記は実は交換日記じゃないのかと考えていたんです。『僕』
と『私』がやっている交換日記だと。ところが、一番初めから読み通すと、そ
うではなくて、これは一人の人間が書いたとしか思えなくなります。そうする
と結論は、『僕』も『私』も千堂麻知子が自分のことを言い表したんだとなり
ますかね」
「『私』ってのは、千堂の女としての部分なのか?」
「恐らく、そうでしょう。男の部分である『僕』が推測していますし、女の部
分である『私』も、そのことを認めていますから」
 小出刑事はそこまで言ってから、急いだように言い添えた。
「あの、僕がこんなことを言ったって、何の権威もないんですから、鵜呑みに
しないでくださいよ」
「それぐらい、分かっているさ。現時点での、とりあえずの判断を下したかっ
たんだ。さあ、そこで問題なのは、盗難と殺人に関する記述だな」
 平成は問題だとする箇所を、ボールペンの尻でぽんぽんと叩いた。日記に再
三に渡って登場する、殺人についての記述と弁明は、実に興味深い。
「まず、ここに書いてあることは、真実だと思う。細かい点に渡って、北沢雅
子ちゃん殺しの状況と合致しているし、この間、松澤から聞いた通知の盗難に
ついても同じだ。我々の想像とも重なる部分が多い」
「何かの冗談のつもりで書いたとは考えられませんかね?」
 小出が口を差し挟む。
「冗談?」
「例えば、実際の事件を参考に、告白型の小説を書くつもりだったんだとか」
「ふむ……。しかし、実名を使っているんだぞ?」
「それは書いているときに気分を乗せるためで、後で直そうと思っていたと。
ワープロだったら、置き換え機能で名前の手直しなんて簡単にできますからね」
「そうなのか」
 平成は考え込んでしまった。それならば、日記の内容が本気で書かれた物で
あったとしても、あれは小説のつもりで書いたんだと言い逃れできることにな
る。それはまずい。
 平成は記憶を辿った。
「そうだ。犯人でしか知り得ないようなことが、ここには書いてあったぞ。え
っと、被害者の額に傷が云々ってところだ」
 警部はまどろっこしく思いながら、ページを繰った。確かに、そんな記述が
されていた。
「このことは公表していなかったな、小出?」
「そうでした。これなら、日記の内容が本心から書かれたことの証明になりま
すよ」
 小出は満足そうな笑みを浮かべた。
「これで、千堂麻知子への殺人容疑を固めることができるな」
 千堂の母親の顔を思い浮かべながら、平成は言った。
「ともかく、専門家の話を聞いてみることにしましょう。僕の判断だけで動か
れちゃ、気が引けますから」
 小出が意見を述べた。一度、先走って失敗したことも、彼の頭の中にあった
のかもしれない。
 翌日、平成と小出の二人は、市村という教授をN大学に訪ねた。
「どうぞ、入ってください」
 中からの声に反応して、長椅子で患者のように待たされていた刑事二人は、
跳ね起きるように立ち上がり、部屋に入った。
「昨日、お願いの連絡をさせてもらった平成治明といいます。こちらは小出」
「あ、どうも」
 回転椅子に腰掛けているのは、白衣の中年男性。眼鏡の奥の目が厳しく光っ
ているようだ。
「市村です」
 名刺をこちらに出しながら、快活な笑みを向ける教授。
「だいたいの話は伺っています。先ほど、問題の日記を読ませてもらいました」
 平成は事前に、事務所の受付のような場所で、教授に千堂麻知子の書いた日
記を読んでもらうよう、それを言付けておいたのだ。
「大変、興味深い文章です」
 市村教授の第一声に、平成は思わず吹き出しそうになった。この分野では素
人の小出が言ったのと同じ台詞だったからだ。何とか笑いをこらえ、
「ははあ。どの辺りが興味深いんでしょうか?」
 と、聞き手に徹することに努めた。こういった教授のような立場の人物に意
見を求める場合、こんな風に門外漢の態度でいるのが得策だと、経験から平成
は知っている。
「まず、全体の構成です。これを書いたのは女性だと伺っていますが、男とし
て書き始めています。それから筆者の周囲で奇妙なことがいくつか起こり、そ
れを筆者はもう一つの自分のやったことだと決めつけています。そしてもう一
つの自分が顔を出し、自分に対してメッセージを送って来る。筆者は反撃に出
る。それに対して、もう一つの自分も反撃。最後には混乱して、今度のような
結果−−入院されているんでしたね、これを書いた人は? まあ、入院してし
まうような結果になったと。
 書き始めた理由は、自分が犯した罪の意識を解消するためとなっていますが、
これは疑問に思いますね」
「どうしてですか? 本人が自分しか読まない日記の中で、嘘を書くことがあ
るとでも?」
 小出が質問した。教授は自信ありげな笑みを口元に浮かべ、ゆっくりと口を
開いた。意外とはったりを利かせたがる性格のようだと、平成は市村のことを
分析した。
「いい質問です。最初に、個人的な日記の中に嘘を書くこと、これはあり得ま
す。と申しましても、自分で嘘を書くつもりがなくて書いてしまう場合、ある
いは嘘と知っていながら日記として書くことで真実だと思い込もうとする場合
なんですが」
「今度の場合は、どちらなんでしょうか?」
「恐らく、後者だと私は思います。何故なら、後から出て来る女性としての立
場から書かれた内容とも考え合わせての結論なんですが、日記を書き出す前か
ら、筆者はもう一つの自分を創り出していたような節が窺えるのです。どこか
というのは、後ほど指摘いたしますが。それと、別の理由としては、犯罪につ
いて正直に記しているという点があります」
「なるほど」
「話を戻します。興味深い構成だとしたのは、やや作り物めいている印象が、
この一連の文章にはあるからです。作り物とはつまり、読んでもらうことを意
識してわざと書いたという意味ですが」
「どこがです?」
 平成は不審に思いながら尋ねた。どこにわざと書かれたような箇所があった
だろうか?
「そうですね。例えば、『僕は』のすぐ後に『私は』とあり、『どうなってし
まうんだ?』という台詞が続けて書かれてあるところなんか、特徴的ですね。
あまりにありがちではないかと思いませんか? 劇的と言い換えてもいいので
すが」
「そう言われれば……」
 指摘された部分を読み返しながら、刑事達は思った。
「すっと読めば、混乱をしたからとなりましょうが、どうもおかしい。この文
章は『僕』という筆者の男の部分と『私』という女の部分が同時に存在した状
態で、書かれたのでなければなりません。しかしこの後、ずっと『僕』と『私』
は別々のままです。ここに私は作為を感じました」
「じゃあ、千堂麻知子は狂ってはいないんですか? 狂っていると言うか、二
重人格と言うか……」
「いや、そうじゃありません。確かに、千堂麻知子という女性には二重人格の
兆候があります。二重人格の内の『僕』の方の人格が、何かの意図を持って作
為的な記述をしているようなのです。そこが私が、筆者は最初から女性の『私』
を意識していたと考える点であり、また面白いのです」
「はあ」
 不安そうな声を上げる小出。それは平成警部とて、同じことであった。段々、
話がややこしくなってきたようだ。
「次に面白いと思ったのは、自分が二重人格であることを利用して、相手に罪
を擦り付けようとしている筆者の姿、ということですね。相手を充分意識した
上で、この人はもう一つの自分をおびき出すために、色んなことを記述してい
るのでしょう」
「ちょっと待ってください。では、殺人を犯したのは、男である『僕』の方だ
と考えていいんですか?」
「まず、間違いないでしょう。『私』の言葉にもあるように、動機があるのは
『僕』の方ですよ」
「分かりました。どうぞ、続けてください」
「さっきのように私が考えるのは、『僕』という人格が主張する不思議な現象
は、さほど不思議でもないと思えるからです。多分、『僕』という人格は、そ
れらの現象が何故起こったのかを知った上で、わざと不思議そうに詳述したの
だと思いますね」
「そうなんですか? 我々は、この現象の部分はちょっと厄介だなと考えてい
たんですが……。簡単に解けるので?」
 面食らって、平成は問い返す。この不思議な現象について、何らかの解釈を
与えないと、千堂麻知子の精神鑑定にあたって、警察側に不利な状況証拠とな
ると、彼は思っていたのだが。
「ええ。どれからいきましょうか。まず、ワープロで打とうとしている文字が
テレビやラジオの音声と重なるというやつですが、これは何でもない。ワープ
ロをしょっちゅう打っていれば、よくあることですよ」
「そうですか?」
「私もワープロを使っていますが、よくありますよ。これについて、私はこう
考えています。普段、私達は言葉を何気なく使っていますが、それほど意識し
ていない。そんなときでも、言葉のシンクロは起こっているはずなんです。自
分達が気付いていないだけで。
 ところで、ワープロを使っている場合、頭で考えたことと画面にその単語が
映し出されるまでに時間がかかる。そのために、どこかで違和感を持ってしま
うんですね。自分が思い付いた単語なのに、どこか変だと。それで文章に対す
る注意力がアップします。必然的に、言葉のシンクロに対する敏感さもアップ
するという訳でしょう。言葉の一致がとてつもない偶然のように思え、印象に
残るせいもあるんでしょうけれどね」
「うーむ」
 納得しかねたが、ここは相手の意見に従うことにして、他の現象に対する答
を引き出そう。警部はそう考えた。

−続く−




前のメッセージ 次のメッセージ 
「長編」一覧 永山の作品
修正・削除する         


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE