#2464/5495 長編
★タイトル (AZA ) 93/12/31 10: 1 (163)
ダイイチシボウのこと <20> 永山
★内容
「こちらです」
通されたのは、整理整頓の行き届いた部屋であった。千堂の母は平成らを案
内すると、どこか他の部屋に引っ込んでしまった。入院することになるであろ
う娘のための準備や、夫への連絡のためであろう。
「ほほう。きれいにしてありますね。しかし、女の子の部屋にしては、あまり
華やかではないようですが」
小出は、ひとしきり部屋の中を見渡してから、そう漏らした。
その感想は、平成警部も同じだった。いくら就職を控えた大学生だからとい
って、この部屋には女性らしさという物が少ないのではないか。何と言うか、
男と女の中間、中性的なイメージを受ける。
壁にはポスターの類は一枚しかなかった。その一枚も、ロッククライミング
している人物の様子を空撮した物で、どちらかと言えば男性的だ。
壁には他に、カレンダーと時計がかけられており、空いているスペースには、
本棚が置いてあった。本棚の中は、専門書や雑誌、漫画、それにビデオテープ
等があった。女性雑誌や少女漫画の呼べるものは、少ないようだ。本棚の右下
隅には、小さな化粧セットらしき物が見られた。申し訳程度と釈れなくもない。
カーテンは落ち着いた色調の青で、模様はない。小物がいくらか見受けられ
たが、いかにも女学生らしいというほどではない。それに、人形が一つも見あ
たらないのは、ちょっとした違和感を刑事達に抱かせるのに充分だ。
「元々、男っぽい性格だったんですかね、部屋の主は」
「鏡がないな」
平成は、小出の言葉を無視して、そうつぶやいた。
「え? 何ですって?」
「鏡だよ。いくら男っぽい女性だとしても、鏡くらい、壁かどこかにあっても
いいと思うんだが。違うかね?」
「そう言われますと、そうですね。おっと、これは」
小出は、机の一角を占領している箱状の物体に目をとめたようだ。布がかか
っているので、何かは分からない。
「見てみます」
警部に断わってから、小出刑事は布に手をかけた。当然のことだが、両手に
は白い手袋をしている。
「ほう……」
平成と小出は揃えて声を上げた。布に隠されていたのは、パソコンだったか
らである。よく見ると、机の端にはフロッピーディスクを入れた箱も置いてあ
った。何やら分からぬ、小さなスイッチのたくさん付いた機械的な小箱もあっ
た。
「パソコンを使うとは、やはり、普通の女性とは違ったところがあったのかな」
「いや、分からんぞ。最近じゃ、コンピュータぐらい触れて当然という風潮だ
からなあ」
平成警部はそう言いながら、パソコンの角に触ってみた。それでは何も分か
るはずがない。
「小出、動かせるか?」
「ええ、ちょっと待ってください」
小出は気軽にうなずくと、先のフロッピーディスクを調べ始めた。やがて、
そこから二枚のディスクを選び取った。
「これなんか、期待できそうですね。ワープロソフトと文書データです。立ち
上げてみましょうか」
「やってくれ」
警部は短く答えた。ごちゃごちゃ言わず、さっさとパソコンを動かしてくれ
というのが本音である。
「割と早いなあ。メモリを増設してあるのかな」
小出がそんなことを言っている内に、パソコンの画面は明るくなり、ワープ
ロ画面のような物が表れた。
「さて、こちらのデータは、と」
Bというシールが張ってある差込み口のようなところへ、小出は文書データ
のディスクを差し込んだ。
それからさらに、小出はいくつかの動作を重ねた。画面には、何やら細かな
アルファベットがずらりと掲示された。
「結構、たくさんの文書があるんだなあ。なるべく、最近のから見てみますか」
「思った通りにしてくれ」
「じゃあ……これだな。今日の昼頃に書き終わった分になるかな」
小出は矢印の書いてあるキーを叩いて、目的のデータファイルを選び出した
らしい。画面が変化し、日本語が出現した。
「……」
平成は、小出刑事が何か言ってくるのを待っていたが、部下はどういう訳か
絶句しているようなので、仕方なしに画面に顔を寄せた。パソコンのディスプ
レイからは、何かしら身体に悪い物が出ていると聞いたことがあるから、近付
くのは遠慮したかったのが本音だ。
「……何だ、これは?」
「何なんでしょうね?」
二人の刑事は、声を揃えて、画面に見入った。
最初、画面に現れたのは、次のような文章であった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
今のあなたの生き方は、不幸な生き方よ。あなたは無理をしている。このこ
とに、あなた自身で気付いていると、私は信じたい。
さあ、ほんの一歩、進み出れば、あなたは自分の殻を打ち破ることができる
わ。今になって負けを認め、私と同化するのは、プライドが許さないと考える
のならば、生まれ変わるつもりになればいい。生まれ変わったら、新しい生活
を始めればいい。
生れ変りの第一歩として、松澤敏之さんから奪い取ってしまった−−もう、
言うまでもないけれど、これらの罪を犯したのは、あなた自身なのよ−−通知
を返したらいい。これで、少しでも罪滅ぼしになれば、あなたの気持ちも軽く
なるというものでしょ?
ここまで言っても、もしかすると、勇気が出せないかもしれないわね、あな
たは。及ばずながら、私がお手伝いしてあげようと思う。私がやってあげるわ。
これから通知を返しに行って来るから、大人しく待っていてね。
殺人のことは、またいずれ考えるのがいいわ。こればかりは、私の手に負え
ない。忘れてしまうのが一番なんだけど、それにはまず、身代りの犯人が捕ま
ってくれなきゃね。捕まったら、その人が北沢雅子ちゃんも殺したんだって思
い込むのよ。そうしたら、嫌なことは何もかも忘れられる。私を長い間、心の
奥底に閉じ込めて、忘れ去っていたあなたなんだから、簡単にできるでしょう?
それじゃあ、通知は持って行くから。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「麻知子は誰宛に書いたんだ、これを」
「分かりませんね。ちょっと、スクロールさせて前の方を見てみましょう」
小出は画面を下ろすようにした。別に難しいことはやっていないのだろうが、
平成には何もかも面倒くさく思えてしまう。
「お、ストップだ」
警部の声に、小出の指が動きを止めた。合わせて、画面の下降も止まる。以
下のような文章が読めた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
僕の中で変化が起こっている。あいつが何もしてこないと思って、油断して
しまったようだ。ここで言う「あいつ」とは、松澤敏之のことではなく、もち
ろん、もう一つの「僕」のことである。
僕は今まで、男に負けないようにと努めてきた。と言うよりも、むしろ、こ
の世の中に厳然として存在している、男女差別に押しつぶされないように努力
してきたと言うべきか。
小学生の頃、僕は青色が好きだったから、男子がしているランドセルの方に
よく目が行ったものである。自分が持っていた、いや、持たされていた赤のラ
ンドセルは、何か毒々しく、生き物の血の色のように思えたものだ。それなの
に、学校教育という訳の分からない化物は、男子は黒(僕の通わされていた小
学校では青だったが)、女子は赤と決めつけているのである。今ではさほど、
赤を嫌悪することはなくなったが、青系統の色が好きなのは変わっていない。
女はみんな、赤とかピンク色が好きだと思うのは、大きな間違いである。
中学生の頃、学校に初めてブラジャーを着けて行ったとき、一部の男子から
酷くからかわれた。単に成長が早い(さほど早いとも思えないが)という、全
くもって非論理的な理由だけで、中身の乏しい悪口や卑猥な言葉を浴びせられ
たのである。これは、私……僕だけでなく、他の女生徒も同じ目に遭ったと記
憶している。その他にも、生理による体育や水泳の欠課も、男子生徒からの揶
揄の標的とされていた。不条理極まりないこの仕打ちに、僕はいわゆる女言葉
を使うことを拒絶し始めていた。それも、無意識の内に。だからこそ、今でも
こんな言葉遣いをするし、自分のことを「僕」とも称しているのだ。
……
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「これは一体、どういうことだ?」
平成は、言葉を失いそうになるところをぐっとこらえて、疑問を口にした。
「『僕』っていうのは、誰のことなんだ? もう一つの『僕』ってのは、何な
んだろう?」
「僕に聞かれたって、分かりませんよ。これはもう、最初から読んでいくしか
ないですよ。結構、分量がありますけど」
「よし。そうしよう……。いや、ちょっと待て。あまり部屋に長居するのも気
が引けるんだ。正式な令状はないんだからな。今、やっていることだって、プ
ライバシーの侵害には違いないんだ」
「それでしたら、プリントアウトするか、データだけ持って帰るか、です」
「そうだな。しかし、それにしたって、母親に断わっておいた方が」
平成は、ちらりと千堂の母親がいる奥の部屋を見た。
「しょうがないな。はっきりと話そう。後で証拠の偽造だ何だともめるより、
よっぽどいい」
平成警部はそう決断し、千堂の母を呼んだ。
「何でしょうか?」
「勝手に見させてもらったんですが、こちらのワープロと言うかパソコンを」
起動したままにしてあるパソコンを、平成は片手で示した。
「はあ」
「麻知子さんは、どうやら日記のような物を付けていたようなんです。六月の
終わり頃から。ご存知でしたか?」
「いいえ! 私はワープロのことなんかはさっぱり分からなくて……。その機
械だって、娘が高校のときでしたか、父親が買い与えた物なんです。それで日
記を書かれても、気付きようがありません」
「そうですか。えー、その内容にですね、非常に重要な手がかりと判断される
点が見つかったのです。そこで、データをより詳しく調べたいので、提供して
いただけないでしょうかね?」
「それは……」
やや困惑の表情になる母親。自分では手に負えない分野だからだろう。
「娘さんのためなんですよ」
平成は強い口調で付け加えた。本当に千堂麻知子のためになるかどうかはい
ささか怪しいのだが、こうでも言わなければ踏ん切りを着けてくれそうもない。
刑事らの期待通り、この言葉が一押しとなったか、相手は折れた。
「分かりました。どうぞ、持って行ってください。その代わり、娘のことをよ
ろしくお願いします」
「それはもちろんです」
そう言いながら、刑事二人は必要なディスクを手に取り始めた。
−続く−