#2459/5495 長編
★タイトル (AZA ) 93/12/31 9:45 (171)
ダイイチシボウのこと <15> 永山
★内容
捜査陣は、松澤敏之に尾行をつけていなかったことを、ほんの少しだが悔い
ていた。本来なら、つけておくのが当然の処置であるのだが、相手が就職活動
中の学生ということで、尾行が原因で彼の面接に臨む態度に影響が出たり、入
社の合否判断に響いてはまずいということで、つけていなかったのである。
「つけていれば、あの大学生が犯人かどうか、はっきりしたものを」
小出刑事は、かりかりした様子である。
年下の刑事のそんな態度を見て、平成は自分の若かった頃を思い出しながら
も、たしなめた。
「そんなこと、分からんだろう。例の日曜日の不審な若者っていうのは、連続
幼女殺害犯と同一人物であるかどうか、まだ見通しが立ってないんだからな」
「いいえ、あれは絶対に、五人目の犠牲者を物色していたんですよ」
「ほう、えらく自信たっぷりだな。理由を言ってみろ」
「簡単です。あれがただの変質者の仕業によるものだとしたら、おかしいじゃ
ないですか、警部。警部が変質者だとして」
あまりにも突拍子のない仮定に、平成は苦笑する。
「おいおい」
「例えばの話です。変質者の立場なら、近辺で連続幼女殺害事件が勃発してい
るような場所で、ただのいたずらを起こす気になれますか?」
「……恐らく、ならんだろうな。下手に見つかって警察に突き出された挙げ句、
やってもいない殺人の罪を被されちゃ、かなわん」
「そうでしょう。それにも関わらず、小学生の女の子に声をかけた男となると、
そいつは連続幼女殺害犯そのものでしかありません」
見栄を切るように、小出の目は平成警部に向いていた。
警部は内心、やれやれと思いながら、口を開いた。
「……あのなあ、小出。面通しの結果、知ってるんだろう?」
「ええ」
不審な若い男に声をかけられた女の子に、先日、何枚かの似たような年齢の
男の顔写真を見てもらった。写真の中には、もちろん、松澤敏之の物もあった。
ところが、女の子はどの写真だとも決めつけることはしなかった。いや、でき
なかったと言うべきだろう。
「分かんない。サングラスしてたんだもの」
というのが、女の子の弁。
それならばということで、今度はサングラスを合成した写真を同じように用
意して、その子供に見せたのだが、やはり結果は同じだった。
「みんなおんなじに見える」
と言って、女の子は作業を投げ出してしまったのだった。
「あれなら、どうせ無理なんだ。いいか、小出。我々は、起こってしまったこ
とに、最良の対応をしなくちゃならん。だから、残念だが、これからも松澤敏
之に尾行をつけることはできんし、彼を勾留することもならん」
「あいつが怪しいことは、間違いないんですよ」
四件目の殺人の他の松澤のアリバイを調べたところ、そのどれもが成立しそ
うになかった。就職活動の一環として、どこそこの説明会に行く途中だったと
か、もしくは帰って来る途中だったとかというもので、あやふやなためだ。
「それはそうだが……」
平成は、捜査陣の大半が、松澤敏之が今度の幼女殺害の全てをやった犯人だ
とする意見になりつつあることを苦々しく思った。それまでは、四つ目の犯行
だけに関する容疑が強かっただけなのに……。
「警部は、四件目の殺しを、松澤の犯行ではないと思っているとか?」
「そうだな。半信半疑ってところだ。それから、松澤敏之を今度の連続幼女殺
害事件全ての犯行をやったとは、全然考えておらん」
「では、仮にですね」
また例えばの話か、と思いながらも、平成は小出刑事の話を聞くことにした。
「犯人が松澤の他にいるとして、そいつは松澤に罪を擦り付けようとは思わな
かったんでしょうか? これまでに分かったことや状況を考えて、北沢雅子ち
ゃんを殺した犯人は、雅子ちゃんが郵便物を抜き取るところを見ていたはずで
す」
「そういうことになるかな」
相づちを打つ平成警部。
「それならば、犯人は松澤敏之という人間が、『その』家に住んでいることを
知ったはずです。お誂え向きに、宛名が書いてある封筒なり葉書なりも、手に
入った。雅子ちゃんが手に持っていたと思われますからね」
「……」
「それならば、ちょっと頭のいい犯罪者なら、松澤敏之という男に殺人の罪を
被せることを思い付くとは考えられませんか? うまくすれば、これまでの三
つの殺人も擦り付けることができるかもしれない。やり方は簡単です。女の子
の手に松澤敏之宛の郵便物を持たせるだけでいいんです。この簡単で、大きな
効果が期待できそうな手段を、犯人はどうして選択しなかったんでしょう?
答は明らかです。犯人が実際に松澤本人だったからです。自分宛の手紙を被害
者に持たせる訳にいかない。こう考えれば、説明が着くんですよ」
「大演説、拝聴したが……」
平成は、ゆっくりと口を開いた。
「その程度のことで、我々警察は、ごまかされてしまうのかね?」
「う?」
答に詰まる小出。刑事の仕事にプライドを持って携わっている者ならば、こ
のような言い方をされれば答に窮するものであろう。
「もし、君が今述べたようなことを、犯人が行ったとしてみよう。その場合、
北村雅子は松澤敏之宛の郵便物を持ったままの状態で、殺されたことになる。
そのような状態の遺体を発見したとき、我々はもちろん、郵便物に興味を持つ
だろう。しかし、その郵便物に犯人だって気付いているはずだと、我々は考え
るわな。犯人が松澤ならば、この手紙を持ち去っているはずだ。そうすると、
必然的に導き出される答は、一つ。松澤敏之は犯人ではなく、彼に罪を着せた
い誰か別の者が犯人なのだ、と。
こう考えてみると、今回の事件は、どちらとも取れないか? 犯人は、俺が
今言ったことまで考えて、郵便物を持たせなかったのかもしれないし、あるい
は全く逆、そこまで気が回らなかったのかもしれん。実際は、被害者は郵便物
を握りしめてはいなかったんだ。そのことは、何の決め手ともなりえん」
「……そうかもしれません」
小出は認めた。
「では、どうするつもりなんですか?」
「自分としちゃあ、四つ目の北沢雅子の事件についてだけ、徹底的に調べるの
がいいと思ってる。三つの連続幼女殺しの事件と合同捜査の形態を取ってはい
るが、それに振り回されることなく」
「そこから、今度の四つの殺しが全部、あいつの犯行だということを固めてい
くんですね」
小出のそんな言葉に対し、平成は否定の答を口にすることをはばかってしま
った。これ以上、部下と衝突していては、捜査の進展具合いに支障をきたすと
いうようなことが、ふっと頭をよぎったせいかもしれない。
本当のところは、平成は、こう言いたかったのだ。
(いや。松澤が北沢雅子の事件をきっかけに、この連続幼女殺しに巻き込まれ
てしまったのかどうかをはっきりさせるためだよ。あの『澤敏』というかすれ
たような逆さ文字だけで、ここまで突き進めてしまっていいものなのか、疑問
が残るんだ……)
それから警部は、急いで口に出した。
「とりあえず、松澤を引っ張るのだけはやめにしよう。それをするのは、就職
活動が収まってからだ。それまでは聞き込み等、他の捜査に重点を置きたい。
いいだろう?」
その言葉に、小出を筆頭とする若い刑事連中は、不満そうではあったが、無
言でうなずいた。
「そうだ、指紋の結果はどうなっているんだ? やっと正式な鑑定が出たと聞
いていたんだが」
「あ、警部。それならこちらに」
さすがに丁寧な言葉で、小出が応じた。そして、すぐに書類を持って、平成
警部の机の前に来た。
「ふん」
一つ、鼻を鳴らしてから、平成はその書類に見入った。
まず、松澤宅から押収した郵便物について。松澤本人を含め、家人の指紋は、
全ての郵便物に付着していた。被害者となった北沢雅子の指紋もしくは掌紋は、
二通の封筒から検出された。一つには右手親指の、もう一つには右手人差指と
中指の指紋が確認されたのだが、その付着した角度から見て、束になった郵便
物を北沢雅子がまとめて手にした結果、指紋が付着したものと考えられる。こ
の状況は、いたずらというか仕返しのつもりで、子供は松澤の家の郵便受けか
ら郵便物を抜き取ったとする警察の見解と一致する。
さらに、松澤家の郵便受けの指紋についても調べられた。その結果、死んだ
北沢雅子の指紋が、数カ所において見つかっている。このこともまた、警察の
見解を指示している。女の子が郵便物を取ろうとしたときに、郵便受けに指紋
が残ったのだろう。
「これで、北沢雅子ちゃんと松澤とが関連を持っていたことは、確実に証明さ
れたことになりますね」
「それは認めるさ」
自信に溢れた態度の小出に、平成はなるべくそっけなく答えてやった。
「だが、殺しの動機となるような話に直結するかどうかは、別問題だ。郵便受
けに指紋が付着していたのだって、自治会報とかいうのをあの女の子が配った
ことがあるとしたら、さして不思議なことじゃない」
「そういう考え方もありますが、ようやく手がかりらしき物を掴んだんです。
こいつに食らいつかない手はないでしょう」
小出が熱い口調で言い切った。
それを、どうもかみ合わないなと思いながら、平成は聞き流していた。
松澤敏之は、再び、栗本愛に相談を持ちかけた。前と違い、今度は、あのこ
とをも打ち明けるつもりである。
「殺人事件?」
二人だけで話がしたいということで、一人暮しをしている栗本の部屋をその
場所に選んだ。今、部屋には松澤と栗本の二人だけである。広いとは言えない
が、防音だけは割にしっかりとなされている。
「そうなんです。この前、六月の終わり頃でしたか、連続幼女殺害事件の四つ
目が発生したの、知っていますか?」
「ああ。もちろん」
意外な切り出し方をされたためか、栗本はアイスコーヒーの入ったグラスを
手にしたまま、じっと話を聞いている。
「あの四つ目の殺人事件、僕の家の近所で発見されたんです」
「へえ?」
意外そうに栗本は声を上げた。部屋の温度はそれほどでもないはずなのに、
汗がにじんでくるようだ。
「そうだったのか。いや、あの事件のことをニュースで聞いたときは、えらく
近くだなとは思っていたんだが。おまえの家の近所だったのか」
「そうなんです。その上、被害者の女の子は、僕の家の向かいの子供なんです。
北沢雅子って子供なんですが」
そんな松澤の言葉を聞いて、ただならぬ話ではないかと察したらしく、栗本
は用心深い口調で聞き返す。
「……それを、どうしておまえが相談しに来るんだ?」
「それが……。僕が疑われているみたいなんです、警察から」
「何だって? おまえが疑われている? 何故だ?」
「僕には信じられないんですが、被害者の女の子の手に、文字があったそうな
んです。『澤敏』って」
松澤はそう言いながら、手近にあった広告の隅に、ボールペンでその文字を
書き記した。そして、相手にとって読み易いよう、半回転させてから手渡す。
受け取った栗本は即座に、
「これ、おまえの名前の一部か」
と尋ねた。
−続く−