#2449/5495 長編
★タイトル (AZA ) 93/12/31 9:11 (183)
ダイイチシボウのこと <5> 永山
★内容
第二章
あの子供を殺してしまってから、何もかも、調子が狂い出してしまっている。
平静を装って−−自分では装わずとも平静な態度でいられると思っていたのだ
が−−あれからも就職活動を続けているのだが、まるでうまく行っていない。
何故ならば、面接の場で、連続幼女殺害事件の話題が出ることが多いからであ
る。ここに来て全国的な話題になってしまったらしく、この事件についてどう
考えているかね、等と聞かれ、自分は動揺してしまうのだ。今まで、色々な質
問を想定し、それに対する答を用意してみたが、この質問ばかりは、いくら答
を用意しようとも、動揺を完全には隠しようがなかった。
それが面接官のアンテナに引っかかるのだろう。
「こいつはだめだ」
と。そうとしか思えないほど、僕は第一面接で落とされ続けている。それま
ではなかった展開だ。トーカルまでは練習のつもりで、受けたのがほとんど中
堅クラスだった。そのせいもあるかもしれないが、それまでは一次は確実に通
っていたのに……。忌まわしいあの事件以後、僕は身体から妙なオーラでも発
しているのだろうか、次から次へと敬遠されている。
僕は、自分のそんな精神状態を何とか打破しようと、日記めいた物を書き始
めることにした。今、日記と言ったが、日付を記すつもりはない。ただ、好き
なときに、自分の悩みを、精神の淀みを解放し、叩きつける場所を持つため、
こういった方法を選んだまでに過ぎないのだから。
こんなことが役に立つのかどうか、実際のところは分からない。でも、何か
をしてみないと、おかしくなってしまうかもしれない。そんな危惧を、僕は現
在、抱いている。
これは誰にも見られないようにしなければならないだろう。そのためには色
色と方策を用いるつもりだし、現に用いているのだ。それでも万が一、誰かに
読まれてしまったときのことを考え、お遊びのつもりで書いたんだと言い抜け
られるように、あまり細かなことまでは書かず、現実に即した記述もなるべく
避けたいと思っている。が、これからの精神状態によって、どう転ぶか、自分
でも予想できない。
とにかく、今、僕が一番欲しているのは、内定だ。たった一つの内定。これ
を手にすることができれば、ひょっとすれば、僕の精神は解放されるのではな
いか、と思い描いているのだ。内定をもらい、就職活動を終息できれば、今年
の春先から、連綿と続いている就職活動の「線」を断ち切ることができるのだ。
つまり、その「線」の上の、一つ−−いや、盗難と殺人で二つか−−の点に過
ぎないあの嫌な出来事を忘却できると信じている。
今回は、これぐらいにしておこう。最初だから、溜りに溜っていた何かが、
一気に噴き出してくれたような気がする。これで全部、出て行ってくれたのな
ら、それに越したことはないのだが……。
余計なことは考えずにいよう。
また気になってきた。
新聞にあの殺人のことが載ったときは、さすがにまともに読めなかったもの
の、どうやら例の連続幼女殺害事件の四つ目として警察は捉えてくれたみたい
で、安心していた。
が、来る日も来る日も、朝昼のワイドショーで、連続幼女殺害事件の続報を
伝えている。その内容を見ても、さして新しい手がかりが発見されたり、進展
があったりしたとは思えないのだが、テレビ局はこの事件を報じている。あと
は政治と災害のニュースばかり。他に何かないのか、全く。
朝昼のワイドショーが気になるのなら、見なければいい。それはそうなのだ
が、こちらは面接に出かけるまでの時間、当然のことながら家にいる。母親と
顔を合わせないのも不自然だから、一緒に居間にいると、嫌でもテレビを見ざ
るを得なくなってしまう。こう決めつけるのも何だけど、世のお母さん連中が、
こういったワイドショー好きなのは、言うまでもない。
経過はどうあれ、そういう訳で事件に関する捜査の進み具合いは、まずまず
耳に入ってきた。やはり、新しい事件からということか、四つ目が真っ先に取
り上げられている。犯人像は、依然として変質者。
それとは別に、警察は、自分には全く目を向けていないようだ。少なくとも、
一度として僕の言えに話を聞きに来はしなかった。何とか、偽装がうまく行っ
たのか?
偽装に関してだが、僕はあのとき、こうすればよかったなと悔やんだことが
ある。それは、あの女の子、北沢雅子という名前らしいが、あの子の手に、だ
まし取った郵便物の一つでも握らせておけば、容疑は簡単にあの男に向けられ
たのではないか、ということである。
こんな悪魔のような思い付きを得たのだが、自分はそれをすぐに打ち消した。
そこまでして何になると言うんだ? 僕はただでさえ、あいつから合格通知を
奪った人間だぞ。大げさに過ぎると言われるのは承知の上で、記そう。僕は彼
の未来を奪ったに等しい。その彼に、さらに殺人の罪まで着せて、どうするの
だ? そんなに憎む相手ではない。いや、そもそも、全く憎むような相手では
なかったのだ。単に、彼が運がよかった(僕より優秀だったとは認めたくない)
から、トーカルに入れたというだけなのに。
幸いと言っていいのかどうか、僕はまだ、手元に問題の通知を置いている。
どうしてこれを処分せず、置いているのか、自分でも分からない。不思議な感
覚。これを持っていれば、自分が代わりに入社できる? そんなことは思って
いないはずだ。いつか、あの男に謝罪する機会が来て欲しいと、心の奥底で願
っているのだろうか、僕は。しかし、そんな機会は永遠に来るはずがないのだ。
来たとすれば、それは自分の破滅を意味する。殺人犯として捕らえられるとい
う、世間的な意味での破滅だ。
仮にこのことを、誰かに相談したとすれば、
「そっと返しておけばいいじゃないか」
と、一蹴されるかもしれない。だが、それでは何の問題解決にもなっていな
いのだ。自分でよく分かっている。
どうすれば
いけない。これではいけないんだ。これを書いて、かえって滅入ってしまっ
てどうするんだ。もうやめることにする。
何が罪かと言って、殺人がその最大の物の一つであることは、大半の人が認
めるだろうと思う。
しかし、今の僕はそれと同じぐらい、合格通知を横から奪い取ってしまった
ことが気にかかっている。あのとき、どうしてあんな大それた行動に出られた
のか、自分でも分からない。もし、郵便配達夫が怪しんだり、不意にあの家の
者が顔を出していたら、どうするつもりだったのか……。
そんな行動をしたことが自分で理解できないのと同様、何のためにしたのか
も理解できない。あの男のトーカル入社を邪魔して、何になるんだ? 自分が
代わって入れるはずもなく、単に自己の心の中に澱をため込んだだけじゃない
か。ほんの一瞬の間、自分や栗本さんを差し置いて、おまえなんかに合格させ
てたまるか、いいざまだ。そう思ったのだが、その直後の訳の分からない内に
やってしまった殺人のせいとあいまって、僕の精神状態は、確実におかしくな
ってしまった。そんな気がする。
自分が自分の狂気を認識している間は、大丈夫でいられるだろうか? 果し
て、いつまで大丈夫でいられるか、現在の狂気から真の狂気への変わり目は、
自覚できるのだろうか? ひょっとしたら、今、こうして書きつけている日記
(のような物)でさえ、他人が読めば、おかしくておかしくてしょうがないの
かもしれない。その上、恐ろしいことに自分自身、己の気持ちの正直なところ
を書いているかどうかさえ、怪しいのである。僕はおびえている。
最近、不可解なことを感じている。気になってしょうがない。何かと言うと、
朝、洗面台の前で顔を洗った後、顔を拭きながら鏡を見るときのことだ。当然、
鏡には左右逆になった僕の顔が映っているはずなのだが、どことなく違ってい
るような気がしてならないのである。
僕はその顔をじっと見つめてみる。全体的な印象は、今までと変わらないよ
うに思える。だが、細かなところが、どうもいつも見慣れた自分の顔とは違う
気がするのだ。細かなところがいくつか気になり出すと、改めて全体を見たと
きの印象までが、最初と違って、猛烈な違和感を感じてしまう。背中がかゆい
とき、手を伸ばしたが、ちょうど手の届かない部分だけがかゆくて、いらいら
する感覚に似ているだろうか。それとも、間違い探しの絵を二枚同時に見るこ
となく、一枚ずつを時間を開けて見せられた感じが、より近いだろうか。
信じられないが、僕の顔は急激に、しかしはた目には分からない程度の早さ
で変化している? 鏡を見るのが恐くなってしまいそうだ。
ひょっとしたら、自分と、もう一つ別の人格が存在しているのでは? そん
な妄想に取り付かれている、今の自分。
そう考えると、楽になるから、こんな妄想を抱くのだろうか。あのとき、通
知を奪い取った自分、女の子を殺してしまった自分、遺体を運んで小細工をし
た自分、あの「自分」は、僕ではなかったのだ。彼、あるいは彼らが勝手にし
たことなのだ。こう考えていると、楽になれるのは確かだ……。
そうだ、この考えに従えば、この間、僕が自分の顔をおかしく思ったのも、
納得がいく。僕の内なる、別の面を持った僕の顔が、鏡に映るようになってい
るのだ。これはいいかもしれない。別の面を出すことができれば、自分の気の
持ち方も変わるだろうし、就職活動だってうまく行くかもしれない。
ま、冗談だ。
何が起こっているのか分からない。五里霧中。
この間から、僕の人格が複数に分裂している何かの証左になるような物事を
探し始めている。そして、僕は一つの事実に思い当たった。この前、記した妄
想や冗談は、実はそうではないのかもしれない。
昔、こんなことがよくあった。眠っていると夜中に突然、目が覚める。いや、
正確には、覚めてはいない。意識だけが起きるのかもしれないし、ただの夢な
のかもしれない。それは今になっても分からずじまいのままだが、とにかく、
意識としては目が覚めているのだ。
そして、何時なんだろうと思い、時計を見ようとする。が、どうしたことか
身体が動かない。自分の意志で自由にならないのである。両肩の辺りを掴まれ、
がっしりと押さえつけられている感じだ。
それでも起き上がろうと、何度か試みる。そうしている内に、何がきっかけ
なのかは分からないが、不意に肩にかかっていた重圧感が薄れ、起き上がるこ
とができた。と思った瞬間に、「本当に目が覚める」のだ。周囲を見渡しても、
誰の姿もない。誰かに押さえつけられていた訳でもないのに、起き上がること
ができなかったことになる。そして、自分の首の周りには、汗がじっとりとに
じんでいるのだ。
このことを初めて体験したとき、僕はすぐに他人に話した。親とか友達とか
に話して、どういうことなのか教えてもらいたかった。が、僕の望みはかなえ
られなかった。彼らから返って来た答は、二通りに大別できた。
一つは、
「それ、金縛りだよ」
である。それではとばかりに、僕がどういう仕組みで金縛りが起こるのか、
続けて彼らに問うと、疲れているからだとか霊がいるからだとか、いま一つ曖
昧な理由しか聞けない。
僕自身、金縛りがどんなものか、きちんと把握している訳ではないが、僕が
その後も何度も体験したのは、金縛りではないと思う。これは、僕のもう一つ
の人格が僕の身体を抜け出ようとして、それがうまく行かなくてもがいていた
のかもしれない。もしくは、もう一つの人格が僕を追い出そうとしていたとも
考えられようか。ともかく、あれは人格が分裂する前兆だったのだ。僕はそう
確信している。
書き忘れるところだったが、二つ目の返答は、僕も最初に考えた、夢だとい
う説である。これはあまり意味をなさないと思う。不可解なことは、何でも夢
で片付けようと思えばできる。
それでも僕は、この体験は夢ではないと考える。あまりに生々しく、肩を押
さえつけられる感触を得ているからだ。夢の中では痛みを感じないと聞く。な
らば、僕の主張する肩を圧迫するような力も、あんなにはっきりと感じること
ができるとは思えない。
最近、僕がこの体験をしているのかというと、そんなことはない。いつ頃か
らなのか忘れてしまったが、現在では全く体験しなくなってしまった。これは
恐らく、僕と僕の別人格の部分が、自由に離れたりひっついたりできるように
なったからではないかと思う。だから、肩への圧迫感も消え、身体が眠ったま
ま意識が目覚めることもなくなったのだろう。
そして、僕でない、もう一人の僕が、信じられないようなこと、僕がそれま
で考えもしていなかったような行動を起こしているのだ。そしてそいつは巧妙
なことに、自分がしたことを僕に擦り付けるために、僕の記憶の中に、そいつ
自身の記憶を送り込んで来ているに違いない。もしかして、こうして書いてお
かなければ、僕の考えの中で、そいつにとって都合の悪い部分を消されてしま
うこともあるかもしれない。そういう意味でも、僕は書くんだ!
−続く−