#2426/5495 長編
★タイトル (MMM ) 93/12/11 19: 5 (189)
杏子の海(20)
★内容
敏郎さんへ
敏郎さん。これが私の最後の手紙になるのかもしれません。敏郎さんが人生のピン
チを切り抜けられたあと、今度は私が人生の岐路に立たされたみたい。敏郎さんは中
二の頃にもそういうことがあってそれも切り抜けられてきた強い強い人でしたけど私
は、私は弱い人間なのでしょうね。それとも私は苦しんだり悩んだりしているふりを
していながら実際は全然敏郎さんのように苦しんでいなかったのかもしれません。
敏郎さん。私は本当は弱い人間だったのですね。それとも女の子だから、女の子だ
から弱いのかな?
僕は君のことをうるさく思ってきていたのかもしれない。また僕の心から君の姿は
消えつつあった。君の姿は僕に罪の意識とそして良心の呵責と、海辺の君の悲しげな
表情が僕の瞼に焼き付いていて離れなかった。僕は君を捨て去ることはとてもできな
かった。でも僕には君は僕を美しい肉欲へと走らせることを妨げていた。君は僕に禁
欲的な生活を
君は僕には邪魔になりかけていた。僕は変わりつつあった。僕は以前の純粋な僕で
はなくなりつつあった。僕もまた他の男と同じような男だった。僕は自分の胸の奥か
ら湧いてくる欲望にどうしても耐えることができないようになりかけていた。
僕も普通の人間だったし、僕も欲望に負けてしまう弱い人間だった。僕は聖人には
なれなかった。
もう疲れ果てててしまったと、君は言うかもしれない。僕らの思い出の浜辺はもう
遠くにあって、君は何も信じれるものもなくなって、君は誰も信じられなくなって、
君はもう疲れはててしまったと言うのかもしれない。
杏子さんからの悲しい別れの手紙を僕は土曜日、夕暮れの淋しげな夕陽に照らされ
ながら読んだ。僕はこれで勉強に熱中できる、とも思った。また、きっと僕が医学部
に上がってから手紙を書こう、とも思っていた。もうこれですべてを勉強に賭けられ
る、と思った。また、少し寂しくて、涙が溢れてきそうにもなった。
『僕は今まで君のことだけを考えて幼ない頃から生きてきたし、これから何年間か文
通を中断することになるけれど、きっと僕が大学に入ったときには、文通を再び始め
て、そうして少し経ってから、会おう。僕が大学に入ってからは、もう文通だけでな
くってちゃんと会って話をしよう。大学に入ったら僕は喉の病気や言語障害の研究に
身を捧げて、そうして杏子さんとも喋れるようになるんだ。きっとそうなるんだ。
(僕は杏子さんに一ヶ月以上も手紙を書いてなかった。こんなことは始めてのことだ
った。僕は一週間に一ぺんは夜2時ぐらいまでかかって杏子さんに手紙を書いていた
。だから僕の出す手紙はいつもぶ厚いものになっていた。でも僕は医者になろうと決
めて勉強に熱中するようになってから、杏子さんへの手紙を書くのがとても時間が勿
体ないように思えてきていた。また僕はそれほど勉強に焦っていた。)
僕は僕と同じような病気で苦しんでいる人たちのため医者になろうと思って杏子さ
んに手紙を書く時間も惜しんで勉強に打ち込み始めてきた。僕は一生懸命だったんだ
。もう杏子さんと文通するのをやめようとさえ思っていた。僕が医学部に合格するま
では杏子さんと文通するのを中止しよう、と思っていた。
僕は杏子さんが思っている以上に学校でドモリなどのために苦しんでいた。一ヶ月
以上も手紙を出さなかったのはそのためなんだ。短い手紙でも書けば良かった。便箋
にたった一枚でもいいから手紙を書けば良かった。
本当に医学部に合格するまで文通をやめておこう、と考えていた僕はバカだった。
それにせめてその理由を書いた手紙を出すべきだったんだ。
悲しい訐別の手紙は4月の終わりのある日、僕が6時ごろ図書館での勉強に疲れて
帰ってきたときポストの中に入っていた。いつもはぶ厚い杏子さんの手紙が今回はと
ても薄っぺらかった。そして僕は一ヶ月以上もまだ返事を出していないのに気づいて
ハッ、とした。
僕はその夜、次のような詩を書いた。
悲しい手紙は僕を
遠い昔へと連れて行った
僕らが文通を始めるきっかけとなった4年前のペロポネソスの浜辺の光景がそのと
きのままで思い出された
悲しい出会いだったのかもしれないけれど
でも僕らはそれから色とりどりの便箋や封筒の中に
僕らだけの幸せを築いていった
そして僕はその夜、泣きながら床に就いた。
僕は杏子さんから別れの手紙を貰った次の日、朝いつものようにごはんを頬にふく
らませながらバス停へと走っていながら漠然とした言いようのない不安に襲われた。
----僕の今からの人生はどうなるのだろう。僕の今からの人生はどう変わってゆくの
だろう----と。
僕は高校二年になったばかりだったし、
僕は休みの日寝ていて『世の中が変わっていく、どんどんどんどん変わっていって
いる。小さい頃から僕の心を支配してきた杏子さんの幻影が泣きながら闇の中をクル
クルと舞いながらどこか奥の知れない暗い処に吸い込まれていっている。そしてもの
すごく苦しんでいる。』
と気づいて僕はハッとしてとび起きた。5月5日の子供の日のことだった。僕はい
つもよりちょっと遅く7時半ごろ目が醒めたけどそれから12時近くまで布団の中で
物思いに耽ったりウツラウツラしていた。そしてさっき杏子さんの悲しげな姿が見え
たのだった。
でも飛び起きた僕にはとても哀しい不安があった。
以前は窓を開けると
オレンジ色の屋根をした杏子さんの家が見えていた
でも今は見えない
途中にビルが建ってしまって
杏子さんの家は隠れてしまってもう見えない
以前は見えていたのに。
そうして寂しくなりがちな僕を慰めてくれていたのに。
もう僕も一人きりなんだなあ、という気持ちが悲しく湧いてきます。
僕は一人で、僕は一人で生きてゆかなければならないのかと思うと
寂しくて 夜空を見上げながら涙が 僕の頬を伝わっていこうとしている
今からは僕は一人で生きてゆかなければならないのだろう
誰にも頼らず
ただ自分一人で
僕は自分一人で。
もしもまだ僕が杏子さんと文通を続けていたならば
そしてゴロと一緒に杏子さんの車椅子を押してあげて
僕らは今頃とても楽しい夕暮れを迎えることができただろう
でも今僕の目に映るのは、寂しい、もう暮れかかった夕暮れの海だ。僕の周りには
誰も居ないし、
君に手紙を出さなかった3月、4月のときに(※ああ、これは3月14日に書いた
ことになっている)僕は君に手紙を書いた。でも僕は出さなかった。手紙が短かった
し、
“3月14日 PM11:35分”と最後に書かれたこの手紙はたった3枚の手紙
だけれども僕のあの頃の苦しい心境を書き綴っていて、とても杏子さんに見せるのも
はばかられるほどだった。
僕はすぐに医者に診せて、喉の病気を治していたら、そうしたら僕も君と楽しい少
年少女時代を送れていたと思う。
君とこの浜辺を歩いてゆく後ろ姿が見えている。辺りはうす暗くて、僕と君しかい
なくて、僕も君も全然口をきかないでいる。
僕は君に手紙を書かずに遊んでいたのではなかったのか。たしかに一生懸命勉強も
していたけど魚釣りに行ったりさんかくと遊びに行ったりして遊んでいた。君に手紙
を書く暇は充分あったはずだった。
僕からの手紙の来ない間、君は寂しかったのかもしれない。でも僕も寂しかった。
勉強に追われ、心に何の余裕も持てなかった。その頃、僕の胸の中は、勉強とその疲
れによる寂しさだけしかなかった。
僕は君のことをほとんど忘れ去っていたようだった。たしか一度、手紙を書いたけ
ど、出さずに机にしまい込んでいた。君のことを忘れよう、という衝動が僕の胸の中
で働いていたのかもしれない。君を忘れて他の女の子に走ろう、と僕は(○○さんな
んかへ)思っていた。
君の方がいいと僕はずっと言ってきた。苦しさを理解してもらえる君の方がずっと
いいと僕は言ってきた。でもそれは僕の一人よがりだったんだと今ようやく気づいた
。
君が『敏郎さんがきっと医学部に受かりますように。』と書いた七夕の紙が僕の机
の中にある。君が綺麗な紙に習字で書いてくれたその紙を僕はいつまでも持っている
つもりだ。この言葉を心の支えにして僕は勉強してゆくつもりだ。