#2425/5495 長編
★タイトル (MMM ) 93/12/11 19: 2 (193)
杏子の海(19)
★内容
(青い便箋に書いてある杏子の机の引き出しから出てきた手紙)
私は今日学校を休んでて、そしてきっと今日敏郎さんと会うんだ、3週間も手紙を
くれない敏郎さんにどうしたのか聞くんだ。(敏郎さん、ほかに女の人ができたのね
。きっとそうよ。敏郎さんほかに女の人ができたのに違いないわ。) そう思って3
時すぎごろ家を出て敏郎さんがいつもバスに乗ってる水族館前のバス停まで出かけて
行きました。敏郎さん、5時ごろになったらバスから降りてくるから。いま学年末テ
ストがあってて今日で終わりだから。
敏郎さんこのごろ手紙の量も以前よりずっと少なくなったし(以前は便箋にびっし
り5枚くらい書いてきてたのに今は一枚か二枚だし。
私、風邪のふりして休んだのにママが出かけている隙に家を出ました。あとでママ
からどんなに叱られるかわからないけど私、もうどうなってもいいわ、それに敏郎さ
んが手紙くれないからよ。私、泣きそうな顔して家を出ました。
(敏郎さんのバカバカ。敏郎さんのバカバカ。)
私もいつかこういうふうになるときが来ることを予感していたようです。敏郎さん
からふられる日が来ることを。でも本当にそんな日が来たみたい。
(私、今日敏郎さんと会って、そして敏郎さんの気持ちを確かめて、敏郎さんの気持
ちが私の心配していた通りだったら、私、帰りがけに桟橋に寄って海に落ち込んで死
んでしまうの。
(杏子、渦に巻き込まれながら死んでしまうの。そして杏子くるくると渦に巻かれな
がら『敏郎さぁ〜ん』と叫ぶの。私のその声、敏郎さんをいま苦しめている呪いをま
すます強くするの。そして敏郎さん、私の死んだあと、前以上に苦しむことになるの
。
私、途中でママに会わないかな、会ったらどうしようかな、とびくびくしながら車
輪を回しました。ママと会ったらどうしよう。泣きかぶって許して貰おうかな。
私、2ヶ月ほどまえ創立記念日のとき同じように3時ごろ家を出て水族館前のバス
停まで行ってそこで敏郎さんを少しだけだったけど見たことを思い出してなんとなく
心がうきうきしてきました。おかしいわね。このまえと違って今日は悲しいはずなの
に。おかしいわね。
でもやっぱり半分も来ないうちに悲しくなってきたわ。手が痺れてきて。なぜこん
なに苦しまなくてはいけないの。手がとてもきつくてだるいわ。
敏郎さん、あんまりよ。
敏郎さん、あんまりよ。
私は空に向かってそう呟いたわ。青い空がそんな私を見て笑ってたみたい。
敏郎さんのバカ。敏郎さんのバカ。
すると涙がでてきたのね。青い空が海のように揺れたわ。涙が私の耳の後ろに落ち
たみたい。
私、泣きながらガス屋さんの裏の道を進んでたら、道端に紫色をした小さな可愛い
花があるのに目がつきました。岩や雑草の間に一人ぼっちで咲いていてまるで私みた
い。でも可愛い。
それはちっちゃな菫の花のようでした。私、近寄ってかがみ込んでそれを手に取っ
たわ。鼻につけるとプーンととてもいい香りがして。
私、敏郎さんと手を取り合って野原を走ってたわ。敏郎さん、王子さまのように素
敵で、ちっちゃな私、とっても幸せ。
※(この日杏子は敏郎と会えなかったのである。敏郎はこの日夜8時まで県立図書
館で勉強していたのであった。杏子は2時間も待って6時ごろ家路に就いた。この日
杏子はもう少しで網場の桟橋から身投げをするところであった。家路につく杏子の目
には涙がにじんでいた。)
杏子さんなのでしょうか。中学生ぐらいの色の白い魅力的な女の子がさっきから川
原で盛んに石を積み上げては倒しそして泣きかぶりながら再び積み上げては倒してい
ました。杏子さんなのでしょう。いやぜったいに杏子さんだ。白い2つの健康そうな
足が厭に魅力的でした。
川原の石を積み上げては倒し、積み上げては倒し、を繰り返していました。もう何
年そうしているのでしょう。僕には何十年にも、いや何百年にも思えます。
杏子さん、いつまでそういうことを続けているつもりなんだろう。
僕にはあと何十年も、いや何百年もそういうことを続けてゆくように思えて哀しく
て涙ぐんでしまいました。
(敏郎 日記 日付なし)
僕は杏子さんとつき合うということが、自分が言語障害など立派な身障者であるこ
との証であるような気がしてこのごろつき合うのが(つき合うと言うか文通すると言
うか)厭になってきていました。
きのう、図書館で勉強していた僕は隣りに座っていた活水高校の一つ年上の女のひ
とから話しかけられ友達になった。そして僕は。
僕は誘われたようでした。でも僕にはその意味がよく解らなかった。
(4月2日)
杏子さんとの純愛に生きるべきか。それとも知子さんとの恋に変えるべきか。性欲
に走るべきか、それとも杏子さんとの愛に自分を犠牲にすべきか。
自分は一度は死んだ人間だ。一度は死んだ男だ。やはり杏子さんとのために自分の
命を捧げるべきか。
(4月5日)
悪魔が勝った。そうだ。悪魔が勝ったのだ。
(敏郎の日記帳より抜粋
手紙の下書きだろう。)
僕はこの頃杏子さんの言うようにたしかに女の子の友達ができました。でもそれは
単なる友達で僕はやはり杏子さんを一番好きです。
杏子さん、憶えてますか? 僕らが文通を始めるきっかけとなったあの浜辺のこと
。杏子さんこの頃全然そこに出ていませんね。でも僕昨日そこまで走ってきました。
そこで僕、緑色の不思議な石を見つけました。ちょうど杏子さんの車輪が嵌り込んで
動けなくなった所でです。それ、とっても不思議な石で、
もう遠い過去のことのように思う。波の音も変わってしまったように思う。杏子さ
んが車椅子で海を見つめている幻影を僕はゴロと一緒に見つめているみたいだ。もう
遠くなってしまった過去のことのような気がする。
僕には遠い道が続いている。夕暮れの浜辺から僕の家までよりもずっとずっと長い
道が(年月が)続いている。僕はそれを一人ぼっちで耐えながら歩いていかなければ
ならないのだと思う。僕は一人ぼっちで誰も友達もなくてその道を少なくとも大学を
卒業するまで歩かなければいけないのだと思う。ものすごく寂しくて、ただゴロしか
いなくて、そしてときどきとても不安になって、叫び出したくなるようになる。
寂しく昨夜と同じように窓辺から夜空を眺めたとき、カシオペアとオリオン座が輝
いているのが僕の目に止まった。もう夜の9時半だった。勤行を終わって勉強をし始
めているときだった。とても悲しくなって僕は思わず窓を開けて海を見た。
いつごろからだろうか。僕がカシオペアや北極星を見なくなったのは。あれはたし
か勉強が忙しくなった高一の終わりぐらいだったと思う。オリオン座も見なくなった
し、僕は毎晩8時まで県立図書館で勉強し始めていた。毎晩8時まで県立図書館で勉
強していたけれど僕の心にはもう夜空を見る余裕はなかった。焦りと悔しさだけしか
僕にはなかったと思う。でも帰りのバス停で南の空のオリオン座を何度も何度も見た
ように思う。寂しく一人バスを待ちながら僕は北極星やカシオペアは見えなかったけ
ど、南の方にあるオリオン座だけは見ていたように思う。夜の8時頃、バスを諏訪神
社のバス停で待ちながら、僕は唇を噛みしめながら見ていたように思う。
ああ、もう春になろうとしている夜空を僕は自分の部屋から眺めている。カシオペ
アがあってあれが北極星でそうしてあれがオリオン座で。僕は久しぶりに夜空を眺め
たなあと思った。窓辺に座りながら僕はとても懐かしかった。
小学校や中学時代、僕はよく夜空を見ていたっけ。でも高校に入って、僕はほとん
ど夜空を見なくなった。南十字星はどれなのかなと捜していた。あの頃の僕はとても
素直だった。あの中学時代の純粋だった僕は、今はもう勉強に追いたてられて星を見
る間もない。僕の胸の中は焦りと悔しさでいっぱいだ。僕の胸は今にも爆発しそうだ
(ノドの病気のことなどで。)
海の底から聞こえてくるの。私たちを呼んでいるの。私たち苦しんでいるから、だ
から、『早く来なさい、早く来なさい、』って、私を呼んでいるの。敏郎さんを呼ば
なくって、私を呼んでいるの。
(杏子・中二・四月二十日)
海の精が呼んでいるわ。『早く来なさい、早く来なさい、』って、海の精が呼んで
いるわ。
(四月二十五日)
君も苦しんできたのかもしれない。でも僕ももっと、たぶん君よりももっと苦しん
できた。君はみんなから同情されていつも君の家の近くの同級生の女の子たちと楽し
そうに帰っていた。でも僕は一人ぼっちだった。僕の苦しさを誰も分かってくれなか
った。
僕は泣きたくなったとき、いつも仏壇の前で一時間も二時間も勤行・唱題をした。
不思議と力が沸き上がってきて元気が出てきていた。僕は君にもっと創価学会の信心
を勧めるべきなのかもしれない。君は神はいないと言ってるし、そのくせときどき日
曜日には教会へ行っている。君は親の勧めるままにキリスト教を信じようとしている
のかもしれない。
僕はただ、大学入試に向けて一生懸命勉強することしか、僕には毎日学校帰りに県
立図書館で閉館まで勉強することしかできない。また一生懸命勉強することが
パパの愛、ママの愛、
私それを思うと泣けてくるの。
今まで苦労して育ててくれたパパとママと
(四月二十六日)
涙が流れてくるの。
自然と流れてくるの。
もうだめだわ。私もうだめだわ。