AWC               杏子の海(10)


        
#2416/5495 長編
★タイトル (MMM     )  93/12/11  18:31  (200)
              杏子の海(10)
★内容
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                                                        高一・八月
 寂しさに耐えかねて窓を開けて海を見回しても
 もう誰もいない
 真夏の海が輝いていて
 僕に向かって駆けてくるゴロの姿と
 微笑んでいる杏子さんの姿が
 哀しく思い描かれるだけだ
 とても哀しく、とても寂しそうに

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 敏郎さん。敏郎さん。生きることって、生きることって何なの。

 生きること。正しく生きること。僕にはそれが何なのか解らなかった。

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                           敏郎 高一 八月

 淋しいとき、淋しくてたまらないとき、僕はよく海を見ます。すると青い海が僕を
慰めてくれます。真夏の8月の眩しい海が



 真夏の青い海ってとても綺麗。でも杏子はいつも一人でしか眺められないの。ベッ
トの上からや、車椅子の上からしか眺められないの。



 僕も一人だ。僕も一人でしか眺められない。ゴロが居るけれど。ゴロがちょっぴり
僕の孤独を慰めてくれるけれど。



 私は一人なの。私には誰もいないの。パパやママがいるだけなの。いつも敏郎さん
の家を涙で曇らせて見るの。いつも少し敏郎さんを恨みながら。喋ってくれない敏郎
さんを恨みながら。
 高台にある敏郎さんの家をいつも見るの。いつも夕方、悲しくて寂しくてたまらな
くなりながら見るの。



 私、夕方になると悲しくなるの。昼間は元気なのに、パハと夕方、クルマに乗って
帰りながら、私、必死に悲しみをこらえているの。助手席で涙がこぼれてくるのを必
死で耐えてるの。



 私、悲しいの。自然と涙がこぼれてくるの。クラスのみんなは幸せなのに、私だけ
不幸なの。私も幸せになりたいの。


 僕も同じだ。僕も一人だ。僕も毎日一人で立山の坂を降りながら、泣きたくなって
くる。淋しさとみじめさと、僕の喋り方や病気のことで。



  もう夏も終わろうとしているのに、僕は一度もこの浜辺に来ていなかった。もう夏
も終わろうとしているのに。
                                            (高一・八月・夏の浜辺にて)



 君の微笑みは、僕に哀しい思いしか起こさせなかった。君の微笑みは、赤い薔薇の
ようだった。哀しい哀しい薔薇のようだった。



  赤い気球に君とゴロが乗って、盛んに僕に手を振っている。
 僕は浜辺で君たちを見上げている。君たちは気球の上ででも寂しそうで、その寂し
げな雰囲気が僕には解る。熱い熱い太陽の光が僕らを照らしているけれど、僕らは笑
っているけれど、心の中はとても寂しい。



 敏郎さん。虹が見えるわ。私たちの未来のようなの。七色のように綺麗に輝いては
いないけど、でも私たちの未来のような虹なの。美しい虹なの。



 海の上を君が歩んでいる、君が動いている。いつも一人ぼっちの君が、海の上を漂
っている。まるで幽霊船のように、夕暮れの海の上を漂っている。



 立ち上がった僕の目にはもう、杏子さんが天国を僕へ手を振りながら駆けてゆく姿
が見えていた。そして何故かゴロが、一年後ゴロが死んでいくことを予知するかのよ
うに、杏子さんの傍についていた。
 孤独な僕の目に映った錯覚に違いなかった。もう夏も終わろうとしているのに僕の
心は孤独だった。



 僕が夢見ていた浜辺はこんなものじゃなかった。僕が夢見ていた浜辺は、僕が杏子
さんの車椅子を押して、ゴロが傍に付き添っていて、杏子さんがいつまでもいつまで
も喋っていて、僕はときどきただ『うん。』とうなづくだけで、杏子さんが一人でず
っと喋っていて



(僕は深い悲しみに沈みながらこの浜辺に佇んでいます。もしも杏子さんがいてくれ
たら、もしも僕がちゃんと喋れたら、と思いつつ。
 そうしたら僕は明るくこの浜辺に佇むことができたのに。)



 恥ずかしがる君と、息をひそめる僕と、どちらが苦しいだろう。君はどうしても僕
の前には現れたがらなくて、僕は息をこらえながら海面へ海面へと何回往復しただろ
う。
 君の方が苦しいのかもしれない。夏の終わりの夕方の海はもう、少し薄暗くなって
いて僕を少し不安にさせたし、君をも心細くさせていたと思う。



 潜っててとても寒かった。30分も潜ってたら寒くて寒くてたまらないようになっ
てきた。もう秋になってきた。寂しい秋になってきた。



 大きな海のなかに溶けていって、何にも考えなくていいようになって、のんびりと
毎日を、全然時間を気にせずに過ごせたら、どんなに幸せだろう。



 敏郎さん。元気にしてますか。もう夏も終わりに近づいています。もう8月も20
日を過ぎてしまって、あと一週間あまりでまた学校が始まるのかと思うと少し憂欝に
なります。敏郎さんたちはもう補習が始まっているのでしょう。それに敏郎さん、毎
日柔道の練習があっているのでしょう。
 もしも私が元気な躰をしていたら、敏郎さんたちの柔道部のマネージャーをしてあ
げるのにね、と思っています。
 私、この夏も海へ行きませんでした。いいえ、毎日のように夕方頃浜辺に出ていま
した。敏郎さんがゴロを連れて来ないかな、とも思いました。でも敏郎さん、この夏
一回も来ませんでしたね。やっぱり中学の頃と違ってそんな暇ないんでしょうね。去
年まではよく敏郎さんの姿を浜辺でときどき(いつも遠くからでしたけど。それにい
つも敏郎さん、すぐ走って去っていってしまわれていましたけど。)見ていられたの
に。
 この夏も何事もなかったように過ぎてゆきます。お盆も終わって、このまえ台風が
来て、そして夏も終わりに近づいてきました。夜もあんまり暑くなくなりました。

                                                杏子・中二・夏

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           杏子の日記

 私だけのピノキオ いつも不安そうにうつむいている可愛いピノキオ
 寂しげなピノキオ でも笑顔はとても楽しげなピノキオ

 私のピノキオは
 実はとっても力の強いピノキオでした。
 外見はとっても痩せているように見えるけど
 裸になると筋肉と骨だけ…

 やがて私はピノキオから抱かれる時が来るのです。
 嵐の夜にたなびく黒い老いた腕で
 息ができないほど強く強く抱きしめられるのです。
 強く強く…

 敏郎さんの不思議に光る白い裸体。杏子の裸体も白くてやがてそのうち私たち重な
り合うんです。そして溶けてゆくの。波の音を聞きながら。
 私たち蝋人形なのです。小さな可愛い綺麗なとっても綺麗な。でも燃えてゆくんで
す。私たち。
 炎の中で私たち始めて一緒になれるんです。もだえながら…焼かれてもだえながら
…私たちやっと一緒になれるのです。叫びながら。断末魔の喚きをあげながら。
『苦しい?…敏郎さん?…熱い?…

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           (杏子さんへの手紙の下書きだろう。)
                          高一   9月8日

 青い、青い海だけが見える。もう夏も終わりに近づいた9月の海が見える。



 もうあまり暑くなくなってきてやっと夏も終わった感じです。ゴロもこの頃はあま
り暑くなくて過ごしやすそうです。それより暑がり屋の僕や父は暑くなくなってとて
も嬉しいです。
 杏子さん、お変わりありませんか。僕たちは二学期が始まったけどもうずっと前か
ら補習があってたしクラブがあってたので以前と全然変わりません。中学の頃は本当
に42日間ずっと休みだったのに、そうして友だちと自転車で大村へ行ったり大村湾
一周をしたりしていたのに、本当にあの頃は暇があったのに。今は英語や古文の予習
なんかをしなければならないし、いろいろ宿題があるし大変です。

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                                           杏子 中二 九月

  少し肌寒くなってきたこの頃 敏郎さんいかがお過ごしですか。

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  僕は苦しみ始めた。今までこんなことはなかった。高校に入ってばかりの頃、スク
―バスの中で友達に話しかけようとしたとき言葉が出てこず不思議に思ったことがあ
った。でも今まで(一学期のとき)現国の時間、一文読みで言葉が出てこないで苦し
い思いをしたことがあっただろうか。一学期のとき、たしかに何回か最初の言葉を2
、3回言ったりして吃ったことがあったようにも思う。でもこんなに苦しんだことは
なかった。

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