AWC           杏子の海(9)


        
#2415/5495 長編
★タイトル (MMM     )  93/12/11  17:51  (192)
          杏子の海(9)
★内容



 もう冬の冷たい風が吹き始めた頃の日曜日のことだった。
 誰かが僕の乗るバスのボンネットの上に舞い降りた。
 よく見ると紋白蝶みたいな羽を付けた杏子さんだった。
 僕は一年ぶりぐらいに見る杏子さんだった。



 3日前、僕は杏子さんとすれ違った。クルマの中から身をのり出して僕を見つめた
君と、バス停でぼんやりと立ちつくしていた僕と。
 杏子さんは全然変わってなかった。僕も全然変わってなかっただろう。僕は中三の
頃から全然身長も伸びてないし(でも体重は中三の冬の受験期間中に57Kから62
Kへ5K太ったけど。もう痩せていることをあまり気にしなくていいようになったの
だけど。遊べなくて、アッという間に5K太ったけれど。でも僕は


 君の目は寂しげだった。
 クルマから身を乗り出した君の目はやっぱりほかの誰のよりも大きくて美しくて
 もしも君が両足が不自由でなかったら、僕は恋焦がれて、きっと今のようにお互い
手紙を一週間に一度ずつ出しあうようなことはしなかったと思う。
 僕はきっと君と会っていたと思う。
 でも君が見た僕は現実には
 クラスのある女の子を好きになったり
 中学の頃のあるクラスメートのことを思い出して感傷的になったりしている僕だ。
 でも僕は君を幸せにしたくて
 一生懸命、中学の頃の僕のままであり続けるつもりで君に手紙を書いてるけど、
 君も薄々気づいているだろう。
 僕の手紙が短くなっていることを。
 君は僕が高校へ入ってからクラブや勉強で忙しくて中学の頃のようにあんまり手紙
を書くのに費やす時間がなくなったのでしょう、と君から書いてきたけれど、
 実は本当はそうではないんだ。
 僕の心は君から少しづつ離れていってるようなんだ。
 少しづつ、でも確かに君への情熱が薄れつつあるのを自覚している。
 でも君を悲しませたくないから、僕は今も一生懸命、週に二回ぐらい夜を費やして
手紙を書いてるけど、
 本当は僕の心は君から少しづつ離れていっている。
 何故か情熱が湧いて来なくて、
 僕はこの前のような薄っぺらな手紙を書いてしまう。
 本当にもう夜、手紙を書いてても以前のような情熱が湧いて来なくて、
 僕は君が可哀想なため、ただそれだけのために、
 僕は君に手紙を書いているように思う。


 君が美しくて
 いつも僕を愛してくれてるなんて
 それは僕の心のわだかまり。

 君は
                      高一・六月(日記)

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            (杏子、出されなかった手紙。)

 今、津波が襲ってきて私や敏郎さんを呑み込んでゆく夢を見ました。敏郎さんの家
、小学校の近くだからとても敏郎さんの家まで津波はやって来ないと思いますけど夢
の中で私も敏郎さんも揺れ動く大きな波の中に居ました。
 今、とてもけたたましく救急車のサイレンの音がしています。何台も何台も走って
いるみたい。私、きっとその音で目を覚ましたのだと思います。今、夜の1時45分
です。今日は疲れていて9時半ごろ寝ました。よく考えるともう四時間寝ているんで
すね。私、この手紙をベットの上で書いています。この頃よく夢を見るから…。不思
議な不思議な夢ばっかり。でもいつもすぐ忘れてしまうから。だから日記に書いてお
こうとして枕元にボールペンと日記帳を置いてたんですけど寂しいから、だから私、
手紙を書き始めました。

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            (結局、出さなかった手紙。
             杏子さんが中二の六月ごろに書いたと思う。)

  杏子さんへ
 今日はずっと雨が降っていました。僕は授業中、教室の窓から、純心中学校で授業
を受けている君のことをずっと考えていました。
 なぜ人には幸不幸の別があるのかな、って考えていました。雨はドシャ降りの雨で
した。僕は人はなぜこんなに不公平があるのだろうか、などと考えていました。
 人は不公平になるように生まれてきているのかな、とも思いました。幸せな人は幸
せなことが続いて、不幸な人には不幸なことが続いて。
 これではいけない。こんなことであってはいけないなあ、と雨を見ながら僕は思っ
ていました。
 どうすればみんなが公平で、幸せな社会が出来るのかなあ、と考えていました。不
公平のない世の中は、と考えていました。
 たとえ物質や金銭的に平等になったって、僕や杏子さんのような病気や身体障害を
持った人はどうなるんだ、と思っていました。
 たとえ、お金がみんな平等になったって
 その人の持って生まれた宿命(カルマ)が良くなるわけではないのに、と思って僕
は何が一体みんなを平等にできるのかな、って考えていました。理想境は出来ないの
かな、って考えていました。

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       (たしかその手紙を書いた夜の3日後の夜に書いたと思う。)

  杏子さん
 僕はあの日、一人で学校から帰りながらつくづくと考えました。僕ら、恵まれない
運命を持って生まれてきた者は一生不幸なんじゃないかって。そう思って僕はとても
悲しかった。なぜ世の中はこんなに不公平があるんだろう、と思って。
 僕ら、運命に流され弄ばされてきた僕らは、経済的に平等になったって、どうした
らいいんだろう。僕らは、お金よりももっと、健康な体が欲しい。お金よりも病気を
治したい。
 夜、僕はおき上がると杏子さんへ手紙を書き始めた。夜の12じだった。今日は7
月1日で外は雨上がりの夜景だった。悲しみの涙の雨が辺りいっぱいににじんで濡れ
ているようだった。そして明日の学校への不安と一緒に。
 窓辺から雨に濡れた夜空を眺めながら、僕の心のなかは不安でいっぱいだった。夏
になりかけているのに僕の心の中は寂しかった。一月の氷の日のような夜景に僕の目
には映った。

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 僕はこの先どうやって生きてゆこう。
 辛い日々が僕を待ち受けているようだ。
 悲しい悲しい毎日が、涙と一緒に
 僕の目の前に待ち受けているようだ。



 生きることって何だろう
 幸せはどこにあるのだろう
 僕らは何を目指して
 そして何を目標に
 生きてゆけばいいんだろう。



 海を見てごらん
 自然とほほ笑みが湧いて来るだろう。
 もう7月になって真夏の海が
 僕らをほほ笑ませてくれる



 君の悲しさと僕の悲しさとどっちが悲しいだろうかと僕は思う。きっと僕の方が、
毎日の学校がとても辛いから、僕の方が悲しいと思う。

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        ----夢の中で----

  藻の間に杏子さんの顔が見えて
 『杏子さん。何処なんだい。』
 杏子さんは岩陰と藻の間に隠れた。でも僕は潜っていって隠れている杏子さんのう
づくまっている寂しげな背中を見た。
 『…』
 僕は声を発することができなかった。うづくまって顔を見せようとしない杏子さん
の心を思うと、僕は声をかけることができなかった。

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 君は言った。『もう夏も終わりね。私たちの青春も終わりね。』 ----僕は手紙に
書かれてあった君のその言葉の意味が解らなかった。でも次の年の春、僕は君のその
言葉の意味が解った。



 君の居ない浜辺を僕とゴロは駆け廻る。
 君の居なくなった浜辺を僕とゴロは駆け廻る。



  ゴロが泳いでいる。
 ペロポネソスの浜辺で、
 ゴロが気持ち良さそうに泳いでいる。

    ※(ゴロはまるで首を潜水艦のOOOのようにして楽しそうに泳いでいた。)

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                                                   高一・八月


 冬の間、あれだけ悲しかったこの浜辺も、もう夏になると悲しみをあまり感じさせ
ないのは何故なんだろう、と思います。
 冬の間、あれだけ悲しかったこの浜辺も、もう夏になると悲しみをあまり感じさせ
ないような、そんな浜辺に変わっています。以前と全然変わらないのに、



  真夏の赤い陽炎が
 僕の心を楽しくしてくれているのかもしれない
 吹いてくる風は熱く
  僕を夢見心地にさせてくれる

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                                                 高一・八月

 僕はずっと来ていなかった。
 ずっと夏休みの補習や柔道の練習なんかで
 ずっと、もう何ヵ月も来ていなかった。
  でも全然変わっていない。
 ただ風が熱くなって
 砂が熱くなって
 それだけが冬の頃の浜辺と変わっているけれど。





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