AWC            杏子の海(8)


        
#2414/5495 長編
★タイトル (MMM     )  93/12/11  17:19  (164)
           杏子の海(8)
★内容

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                     (杏子、中二 4月)

 私、もう一ヶ月以上も前のことになるかな、学校をお昼ごろ抜け出してすぐ近くの
産婦人科の病院に行ったことがあるの。車椅子の私がそんな所に来たものだから病院
の看護婦さんたちも目を白黒させていたわ。でも私必死だったから。あとで校長先生
たちからどんなに叱られるか覚悟して来たんだから。

 ……

 私、敏郎さんと結婚できるのかどうか悩んでいました。私、子供を産めないなら、
もうどうしても敏郎さんと結婚できそうにありませんものね。両肢が悪くて、それに
子供を産めない私なんかと、誰が結婚してくれるでしょうね。

 ……
『先生、私、子供産めるんですか。産めないんですか。はっきり言って下さい。』

 私、怖かった。先生の返事を聞くのが怖かった。たぶん『産めない』って言われる
と思えてたから私耳を抑えて頭を下げてうずくまりました。

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 敏郎さんへ
 草陰に不思議な花がありました。コスモスの花みたいで、でも秋に咲くコスモスの
花がなぜ今こんなところに咲いているの。
 私、体育の時間になるといつも一人で運動場の隅っこをうろちょろするんですけど
このまえ(おととい)とても不思議な花を見つけたのよ。花壇のブロックのすぐ外に
咲いていてちょうどみんなから一人離れ離れになって体育の時間を過ごしている私み
たいでした。みんなが咲いている花壇の中に咲いてなくてなぜこんなところに咲いて
いるの。どうしてなの。寂しいでしょう。寂しくないの。可哀想。私とっても不思議
でした。
 でも綺麗。とっても綺麗。
 その花は花びらが紫色をしていて普通のコスモスの花とは違っていたのよ。コスモ
スの花は黄色い花びらをしているのよ。それにいつも秋に咲くものなのよ。
 私とっても不思議で茎を手に取って折り取りました。やっぱりコスモスの花みたい
でした。形はやっぱりコスモスの花で、でも不思議な色。
 私、その花を先生に見つからないようにソッと胸の中に隠しました。まるでこの花
私みたい。私、胸がジンッときちゃって、この花を家に持って帰って花瓶に生えよう
、と思いました。
 でもその花、私の胸のなかで私と敏郎さんの間に生れた赤ちゃんみたいに動いたわ
。私、子供産めないからこの花を子供にしようかな、て思ったほど。

 辺りの花壇には一面にチューリップやヒヤシンスの花が赤や青や紫色に咲いていて
とても綺麗。目がクラクラとするみたいなほど。でも私、胸のなかに隠したこの花の
方がもっと好き。まるで私みたいだもん。それにもしかしたら私と敏郎さんの間にで
きる赤ちゃんみたいだもん。
 私、でも小学校の頃もよくこんなことしていました。私、なんだか小学校の頃を思
い出してきてちょっぴり感傷的になって泣けてきました。
 この花を胸に抱えて目を潰ると私の悲しい小学校時代のことが夢の中の出来事のよ
うに思い返されてきます。
 それはとっても悲しい思い出で私この頃2年近く忘れていたことなのに。私、小学
校の頃も体育の時間にはいつも運動場の隅っこで見学していたんです。
 私、その頃もよく運動場の片隅の花壇の傍で時間を潰していました。誰も話相手が
いなくて何もすることがないからいつもそこへ行ってたのです。
 そうして私、みんなが笑いさざめきながら駆け回っているのに知らないふりをして
運動場の隅っこのそこでヒマワリの花やヒヤシンスの花やコスモスの花などと戯れて
いました。
 私、目に涙を浮かべながら、嗚咽を漏らすのを必死にこらえながらみんなと戯れて
いました。
 みんな、私の友だちで私いつか笑いながらみんなと戯れていました。とっても綺麗
。みんなとっても綺麗。黄色や青色や紫色が織り交ざっていて目がクラクラしそうで
とっても綺麗。みんなみんなとっても綺麗。一生懸命に咲いていてとっても綺麗。

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 君が僕に言い寄って来たって、僕には君を無視することしかできない。僕には哀し
い喉の病気があるのだから。だから僕は君とは喋られないのだから。



 炎の中から、塔の中から、君が喋りかけたって僕は喋らないだろう。僕の周りには
重い鉛の扉があって僕と外界とを分け隔てている。とくに女の子とは分け隔てている
。

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             (浜辺での夜の会話)

(細波の音が僕らを包んでいる。それに杏子さんの家の方からか電線に止まったすず
めの鳴き声が聞こえてくる。そして白いカモメが飛行機のように黒い大気の中を海面
目がけて垂直に降ちて来ようとしている。)

『敏郎さん。黒い大きい不安ってなあに。黒い大きい不安って。
『それは僕を包み込もうとする巨大な津波のようなもので僕は毎日の学校生活の苦し
さについ負けそうになったときそう思ってしまうんだ。教室の中や学校からの帰り道
のときなんかによく。
 でも僕はそれを跳ねのけて生きなければいけない。どんなに辛くたって明るいふり
をして頑張って毎日を送らなくっちゃいけない。
 僕らは、本当に僕らはとても辛い境遇にあるけれど決して負けたり挫けたりしない
で生きてゆかなくっちゃいけない。僕らは決して負けないで。

(カモメはやがて魚をくわえて海面を飛び立ったようだった。赤い窖に小さな可哀想
な魚をくわえて。)

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 杏子さんへ

 今、ポツポツと雨が降っています。まるで僕の心のようです。明日もまた学校か、
と思うと。
 早く日曜日が来ないかなあ、って思います。
 日曜日になるとそれに魚釣りに行けるから。またこのまえのような大きなチヌを釣
りたいなあ、と考えています。

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       (この空の中に)

 僕は溶けてゆきたいです。
 このポツポツと雨の降っている空の中に
 永遠に、永遠に。
 僕は消えていきたい。
 いつまでも。いつまでも。
 この白い空いっぱいに。
 僕は溶けてゆきたい。
 永遠に。いつまでも。



 僕の心は雨の中を揺れ動く。
 ゆらゆらと揺れながら
 僕の心は雨の中を揺れ動く。
 悲しく悲しく揺れながら
 僕の心は雨の中を揺れ動く。



 月夜の中に君が居て、
 必死に走ってくる僕とゴロを待っている。
 悲しく泣きながら、
 ずっとずっと泣きながら
 僕らを待っている。
 僕らは一生懸命走っているのに
 なかなか前へ進めなくて
 もどかしくて、
 君は泣いている。
 僕らももどかしくて、
 ちっともちっとも進まなくて
 悔しくて
 苦しくて
 泣いている。



 君は凧のように上がっているね
  帰り際、バスの中で見た
 彦山での凧のように
 君は今日上がっていた。
  そして緑色のバスで家路に着く僕を見つめているようだった。
  悲しげに
  本当に悲しげだったけれど



 君は燃え尽きて
 ロケットのように僕の乗るバスの屋根に落ちてきた。
 僕は燃え尽きて
 疲れた、疲れた、とだけ言っていた。



『敏郎さぁ〜ん。』
 海の奥から、網場の海の底から聞こえてくる。
 杏子さんの呼び声が
 十何年も鼓玉し続けていたかのように





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