#2369/5495 長編
★タイトル (HBJ ) 93/10/16 2: 5 (182)
『精神的売掛金増加方法』1<コウ
★内容
【1】
♀♀♀♀
康夫さんは、果たして、働く気があるのだか無いのだか、知らないけれども、ず
っと失業していて、毎日、家にいるし、娘のエミは保育園だから、つまりは、私が
家にいる時には、何時でも店屋物なのだから、出前を取るという事自体は、決定済
みの事なのだけれども、もう、さっきから、一時間も「蕎麦にするか寿司にするか」
でもめている。それも、「私は寿司がいい」「いや、俺は蕎麦だ」というのではな
くて、お互いに、「どっちでもいい」と言い張っては、譲りあわない、というか、
譲られあわないでいる。これは、大岡越前の三方一両損の、江戸っ子の大工と、浪
速の両替商の、粋な意地の張り合い、という感じでは、全然なくて、お互いに、精
神的な部分での借りを、作りたくないのだ。
私が、品書きを持って、キッチンのテーブルにつくなり、康夫さんは、何処から
ともなく、すっ飛んで来ると、丸で、椅子取りゲームの様にテーブルにしがみつい
て、「俺、どっちでもいい」と言った。
「俺はどっちでもいいけれども、お前はどうなの?」
私は、増田屋の品書きで、顔を扇ぎながら、この、一見、優しさの現れの様にも
思える言葉を吟味するのだ。うっかり、お誘いに乗って、「私はお蕎麦がいいなあ」
などと言おうものなら、まんまと、敵の術中にはまる事になる。
「私もどっちでもいい」と言ってやった。
「俺の方が、最初にどっちでもいいと言ったのだから、お前の好きな方にしていい
よ」
「嫌よ」
「どうして」
「だって」(だって、寿司屋のマグロが光っていても、蕎麦がのびていても、私の
せいにするんじゃないか!)
一昨日、蕎麦をとった時も、そうだった。康夫さんの目論見としては、蕎麦なら
蕎麦屋の出前が遅れる事を、ただ、ひたすら、期待して、「ほら、こんなに蕎麦が
のびている」と、丸で私のせいで、ふやけた蕎麦を食べる羽目になった、と言わん
ばかりだ。そして、雰囲気としては、「だから言ったじゃないか」とか「俺の言う
通りにしておいたら間違いは無かった」という感じになってしまうのだ。誰かを殴
っておいて、「見てみろ、こんなに俺の拳が腫れてしまったじゃないか、どうして
くれる」という様な、馬鹿馬鹿しい詭弁を弄しては・・・・逆か? わざと殴らせ
ておいて、後から損害賠償請求をする様なやり口だ。何とか、自分が犠牲者になっ
ている、という雰囲気作りに躍起になっているのが、康夫さんの最近の四年間であ
り、特にこの四ケ月、つまり失業してからは、そういう傾向が激しくなった。勤め
ている時には、玄関で、ネクタイをゆるめて、「あー、疲れた疲れた」と言うだけ
で、社会に消耗されている事が証明出来たけれども、今では、居もしない敵から私
を守る事で、「俺がいるからお前は無事なのだ」という雰囲気を作るのに必死だ。
ところが、ところが、その手は桑名の焼蛤だ。
「どうして人の優しさに素直になれないのかねえ」テレビを見ながら、寿司屋の品
書きでテーブルをトントン叩きながら、康夫さんが言った。
「あなたの方が、私の優しさに素直になってくれたらいいじゃない」
「嫌だね」
「どうしてよ」
「だって、もし仮に、仮に、仮にだぜ、俺が寿司が食いたい、と言ったとして、も
しかしたら、お前だって寿司が食いたかったかも知れないのだから、そうしたら、
お前だって食うんじゃないか」
そう簡単に、私が、自分の欲求を露にしない事を知っているのだ。
私は、欲しいものを、「欲しい」とは言わない。回りの方から「あなたにそうし
てくれると有り難い」と言われる状況を待っていて、他人の要請に乗っかる様な形
で、自分の欲求を満足させる。なんとなく、徳川家康かマキャベリみたいで、嫌ら
しくも聞こえるが、そんなに大げさな事ではなくて、単に、増田屋(蕎麦屋)が定
休日なのを知っていただけの事だ。私は、寿司が食べたかったのだけれども、わざ
わざ、「お寿司が食べたい」と言わないでも、どの道、寿司になる事は分かってい
たので、それなら、康夫さんに、「寿司がいい」と言わせておいて、私は、「付き
合い」で食べた様にした方が、エゴを通したみたいにならないので、いいのだ。
「漁夫の利女だな」と康夫さんが言った。
言葉の意味を知らない男だ、どうせなら、「便乗女」と言って欲しかった。
「それじゃあ、私が寿司なり蕎麦なりがいい、って言ったら、あなたが漁夫の利男
になるじゃない」
「だって、実際、俺は、寿司でも蕎麦でも、どっちでもいいんだもの」
「だから、私もどっちでもいいの」
「ふん」康夫さんは鼻で笑った、「俺達は、似た者夫婦だなあ、こうやって、お互
いに譲り合わないのだから」
それは、違う違う。全然、違うのだ。その違いについて、何か適当な比喩が無い
ものか? と、長い間、考えていたのだけれども、つい先日、横浜スタジアムで、
巨人VS横浜第18戦を観ていた時にひらめいた。野球にたとえて言うならば、私
は、石毛みたいなものだ。先発ピッチャー桑田のピンチを期待しているリリーフ・
エースの石毛は、嫌らしといえば嫌らしいが、チームの為にはなるのだ。一方、主
税さんのやっている事は、
「康夫さんのやっている事は、試合が負けた後で、長嶋采配を批判する広岡監督み
たいなものよ」
「夜遅くまで勉強していると思ったら、そんな下らない事、考えていたのか」いか
にも、呆れちゃうなあ、というトーンで、康夫さんが言った。「だいたい、石毛と
広岡と何処が違うのか、俺には、分からないけれどもね」
「広岡監督は、言葉だけ、って事よ」
「あれ、カチンコチンとくるなあ、その言葉だけ、っていうのは、俺が失業してい
る、という事?」
「誰もそんな事、言っていない。自分で探してくるのは気にしている証拠よ」
「だけれども、今日は、ちゃんと、失業保険ももらってきたじゃないか。金は天下
の回り物だ」
「あなたは、天下に参加していないじゃない」
「こんな下らない天下には参加しない方がいいんだ」康夫さんは、ブラウン管を指
さした。
ほらほら始まった、と、私は思った。これが、言葉だけの誤魔化しだ、と、私は
言っているのだ。この人は、暇なものだから、一日中ワイドショーなどを見ていて、
「誘拐されて殺された十九才のOLもいるんだから、俺は自由に生きたい」とか、
「俺は確かに失業しているけれども、十万人もアラブ人を殺したシュワルツコフに
比べたら、ずっとマシだ」とか、「五十億年後には地球は爆発するから、あくせく
してもしょうがない」とか、「たった今、産まれた人も含めて、生きている人、全
員、百年以内には死んじゃうんだから、他人の出世を妬んでもしょうがない」とか、
「どうせ、雲仙普賢岳は爆発するんだから、リサイクルなんて、馬鹿らしい」とか、
「モザンビークもボスニアもソマリアもカンボジアも、全く酷い、だから、辰巳琢
郎は地獄に行かないといけない」とか、その他色々、エトセトラ、ETC。
自然も滅茶苦茶、社会も滅茶苦茶、だから、自分も滅茶苦茶でいい、という事に
はならないのに、どういう訳だか、この人は、ガリレオが寺院の灯から地球の自転
を発見した様な関係妄想で、古今東西・世界中のアラを探してきては、「だから自
分は働かなくてもいい」と結んでしまう。
我々は、「何をしても自由だが、人様にだけは迷惑をかけるな」という教育を受
ける。だが、我々は、何もしていない状態でも、植物をなぎ倒し動物を殺して食べ
ている訳だから、何か全体に貢献をして、初めて、人には迷惑をかけていないとい
う+−0の状態にいる事が出来るのだ。
にも関わらず、このぷーたろーは、自分が労働をしなくてもいい理由を、CNN
や、不条理の小説や、ニヒリズムの哲学や、神秘主義思想や、ユングや、オカルト
や、UFOや、山頭火や、岸田秀の作文の様な、私には怠け者の福音としか思えな
い様な、「どうせ**じゃないか」を見つける為に、動植物を殺しているのだから、
二重の意味で、地球のお荷物的存在なのだ。
その様な、言葉だけの誤魔化しが、何の効力も無い『子供銀行のお札』に過ぎな
い事を、私は知っている。
私も、かつては、言葉で誤魔化して、「誰に迷惑をかけたか!」と胸を張ってい
た。『アクセル』を、徹夜で読んでは、「生活は召使いがしてくれる」と確信した。
しかし、明け方に、新聞配達の青年が白い息を吐いているのを見ただけで、「どう
してみんなに働かせておいて、自分だけが人生の問題について、考えちゃう権利が
ある訳?」と、そんな『確信』など、簡単に瓦解するのを知っているのだ。
その事を、康夫さんに教えてやろうかと思ったが、「私も昔はあなたの様に」的
な、経験に立った物言いをした所で、この男は、経験なり生活なりを、言葉で誤魔
化す事に、熱中しているのだから、「ほう、人間の役割分担について言っているの?
何時から『エホバの証人』になったのかね」という、諧謔で、切り替えしてくるだ
けだ。だから、自分で、思い知るしかないのだ。
そして、ほんの少ししたら、実際にそうなった。
なお、十数分の間、私達は、「サイコロの丁半で決めようか?」とか、「こんな
夫婦喧嘩は犬も食わないし、腹の足しにはならないなあ」などという、馬鹿馬鹿し
い譲られあいの押し問答を繰り返していたのだけれども、CNNを見ていた康夫さ
んが、何を思ったのだか、突然、
「俺、寿司でいいよ」
と言ったのだった。
「え」っと思った。その時にも、何かを企んでいるに違いない、とは思ったけれど
も、それが、こんなに下らない事だとは思わなかった。
出前の寿司が届いた時から、康夫さんは、急に、さっきまでの威勢のよさがなく
なってしまって、食欲もなくなってしまって、ショウガを割り箸でつついるだけだ
った。
「どうしたの? 食欲無いの?」と、私が聞いても答えない。
その内に、うつむいて、しゃくり泣き出したのだ。これは、ただならぬ事態だ。
私は、彼の肩を揺すった。
「どうしたの?」
「俺はよお、俺はよお」泣きながら康夫さんはショウガを箸で摘んだ。「これをお
前にやってさあ」それだけ言うと、わっ、と泣き出して、テーブルにふさぎ込んで
しまった。
「どうしちゃっの? さあ、言ってごらんなさい」両肩を持って、どうにか起こし
た康夫さんの顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃで、SFXの特殊メイクの様に、おぞ
ましい。「黙ってちゃあ、分からないでしょ」丸で、虐められて帰ってきた娘のエ
ミから、事情聴取をしているみたいだ。「さあ、話してごらんなさい」
ティッシュで、鼻をチンしてあげてたら、ようやく、嗚咽混じりに、語りだした。
「俺はよお、CNNを見ていて、思い出したんだけれどもよお、そういえば、日本
国政府も、PKOを出すのに、ガリ事務総長に頼まれたから、という他人の要請で、
自分の欲求を満たしたけれども、それは、里美と同じやり方だ、って思ってよお、
お前にショウガをやって、ガリだよガリ、ガリ事務総長だよ、お前のやっている事
は、日本政府と同じで、ガリ事務総長に頼まれたから、という、外圧を利用するや
り方なんだね、って言いたかったんだ」
なによ、それ、なによ、それ、馬鹿じゃないの。そんな荻野アンナやディブ・ス
ペクターや和田勉も呆れる様な、下らない駄洒落というか皮肉というか諧謔で、私
から一本とれる積もりでいたのか?
「そうしたらよお、寿司を届けてくれた人が、七十才ぐらいの、おじいさんで、走
って来たらしくてよお、俺みたいな若造に寿司を届ける為に、俺のギャグの為に、
汗をかいていてよお、こっちは、エアコンのきいた涼しい部屋に居る、っていうの
に、あの、おじいさんの事、思い出すと、とても、俺、食えねえ、うわあー」
「ほーら」と私は思った。が、同時に、康夫さんは、馬鹿だ、と思った。
汗をかいている人=善良な人、という考えは幼稚だ。ブスは心が綺麗だ、という、
『花と夢』もしくは『別冊少女フレンド』の世界である。
だいたい、この人は、寿司屋のおじいさんには同情する癖に、マンションの一階
のコンビニ酒屋のおばあさんに、「長い夏休みだねえ」と嫌味を言われて、「あん
なババアはAIDSになってくたばればいいんだ」と言っていたじゃないか。要す
るに、詳しく知ってしまえば、嫌な人も多いのだ。
確かに、私も、昔、新聞配達青年にそう思ったのだけれども、実は、あの新聞青
年は、牛乳や下着を盗んでいたのだった。それから、もっとびっくりする事には、
「僕は、新聞配達で指が痛いから、一人ではおしっこが出来ない、だから、手伝っ
て」と、近所の小学生の女の子に、ペニスをマッサージさせるという、とんでもな
い破廉恥な悪戯をしていたのだ。詳しく知ったら、嫌いになる場合が多いのだ。
「あの寿司屋のおじいさん、ね」と私は言った。「山手にマンションを三つも持っ
ている大金持ちなのよ。だから、同情する事なんて、ないわよ」
これは、隣の大坂さんから仕入れてきた噂だ。
私の話を聞いて、康夫さんは、やっと寿司を食べ出したけれども、それでも、ト
ロをつまんでは「このマグロを捕った人は、きっと女房子供を残して長い長い遠洋
漁業に出ていたんだろうなあ」と言って、一口、食べる。シャリをつまんでは「こ
のお米は、秋田のお百姓さんが」云々かんぬん言って、一口、食べる。卵をつまん
では「この卵は養鶏場のおじさんが」云々かんぬん、と、それこそ、エホバの証人
の様な事を言い続けていた。
どうにか、全部食べ終わると、血液の循環が、脳から胃にまわって、冷静さを回
復したのかどうだかは知らないけれども、感情を露にした事が恥ずかしくなった様
子で、リビングに行ってしまうと、アップライトのピアノの上に飾ってある、写真
を見ている。四年前、新婚旅行で行ったアラスカの流木の前で記念撮影した、一枚
だ。