AWC マッハ (7)     くじらの木


        
#2359/5495 長編
★タイトル (BCG     )  93/10/ 2  12:32  (181)
マッハ (7)     くじらの木
★内容
 翌日の朝になっても、右の脇腹は鈍く痛んだ。
 シャッをめくるとまだこぶし大の赤黒い痕がくっきりついていた。
 考え様によっては、顔にそれがあるよりはよかったといえるのかもしれない
と、無理に思うようにした。
 その日の午後は武藤が四月にバイクで転倒して大怪我をした場所に自転車に
乗って出かけた。
 浦和から越谷に通じる県道と122号が交差する手前で右に曲がり、鳩ケ谷
市に向かう道の途中にそのカーブはある。
 幅の狭い道の両側にはつげの木やはなみずきやらの植木を栽培している畑が
広がり、武藤が事故った深いカーブの手前にぽつんと小さな酒屋が一軒建って
いる。
 僕は自転車を酒屋の前に停めた。
 ガードレールに腰を掛け、店の前の自動販売機で買ったコーラを飲みながら
そこから始まる大きな左カーブを眺めた。
 午後の四時でも車はたまにしか通らず、バイクにいたってはダックスが一台
鳩ケ谷方面から来ただけだった。
 コーラを飲み終え、酒屋の中に入り、店番の小母さんに向かってあらかじめ
考えておいた嘘を言った。
「すいません、僕、四月にここでバイクに乗って事故を起こした武藤秀雄と同
じ高校の者なんですが、今度文化祭で高校生のバイク事故というテーマで研究
発表することになりまして、ここで起きた事故についても調べているんですが
よろしければその時のことを話していただけないでしょうか」
 小母さんは配達表らしき用紙をレジの横に寄せ、ちょっと困ったなといった
表情で僕を見た。
 予想通りの反応だった。
 僕は努めて明るく言った。
「ああ、井崎先生でしょ、やっぱり来ました?」
「一週間ぐらい前だったかしら、あの事故のことでちょっと調べてるのでって
言ってね」
「ええ、井崎先生は生活指導の担当ですから、今度のレポートを書く事で、助
言をいくつかいただいてまして、たぶんそれの確認をされてるのだと思います
、几帳面な方ですから、重複しても結構なんで、もう一度話していただけませ
んか」
 小母さんは、そんなのお安いご用よといったふうににっこり笑うと、話し始
めた。
「危ないよね、バイクなんて、その先生にも言ったんだけど、よく親は乗せる
よね、信じられないよ、実際、あれはね、うちで救急車呼んだんだから、もう
死んじゃったと思ったよ、ほら、そこから見えるでしょ、あそこのガードレー
ルに一度当たって跳ね返されて、あの辺に転がってたの、ぐったりしちゃって
、ぴくりともしてないんだもの、死ななかったんだってね、あれは運がよかっ
たのよ、えっ、その子?一度もうちになんかあいさつにこないもの、新聞で知
ったのよ」
「何時ごろだったんですか」
「そうだな、確か夜の二時頃だったかしらね、ガシャーンていう音がして外に
飛び出したら、そういうことになってたの」
「その音がする前に何か別の音とか、声とかは聞こえなかったですか」
「わからないわ、寝てたからね」
「このカーブってよく事故が起きるんですか」
「うーん、ここあんまり車通らないし、ほとんど事故なんて無いんだけどね」
「その時、武藤のバイク以外に別のバイクを見なかったですか」
「ああ、やっぱり同じこと聞くね、見なかったよ、あの子一人だけよ」
 僕はその他こまごまとした事をうわの空で聞きながら、井崎の蛇のような目
を思い出していた。
 僕の目的はここに井崎が来たことを確かめることだけなのだ。
 小母さんが不意に言った。
「それじゃあ、あれ、昨日来た女の子もあなたと同じレポートで」
「えっ、井崎先生以外にも来たんですか」
 僕は驚いて言った。
「ええ、昨日、ポニーテールの可愛い子だったけど、やっぱり、あの事故のこ
とで聞きたいことがあるって」
 ゆりえに違いなかった。

 ゆりえがあの場所に行ったことを僕らに内緒にしておこうと思っているらし
いことは、次の日になってはっきりした。
 学校からの帰り道で、僕がさりげなくあのカーブのことを話しても、まった
くそれに乗ってこないのだ。
 ゆりえはなんらかの仮説を立てて、それの証明のために歩き回っているので
はないかと僕は思い始めていた。
 いったいどんな仮説を立てているのだろう、そんなことをぼんやりと考えな
がら歩いていたので、ゆりえの話は途中からしか聞いてなかった。
「……ってところから考え直してみたのよ」
 進は軽くうなづいた、どうやら彼は初めから聞いていたらしい。
「僕らが何かを見過ごしているっていうことかい」
 進がそう言うと、ゆりえはうーんと小さな声で言い、小さなため息をついた
後話し始めた。
「そもそもの出発点が間違っていたんじゃないかしら、武藤君が屋上から落ち
たのが朝礼の最中だから、朝礼に出ていた人は犯人ではありえないっていう前
提が」
「でも、武藤が落ちたのは間違いなく朝礼をしていた間だぜ」
「違うのよ、私の言っているのは、犯人はなんらかのトリックを使って、武藤
君が朝礼中に屋上から落ちる仕掛けを作っておいたんじゃないかって事なの」
「ちょっと待てよ、俺達は武藤が落ちてすぐ屋上へ行ったじゃないか、何もな
かったぜ」
「よく考えてみて、わたしたちが屋上へ行ったのは、武藤君が落ちてすぐじゃ
なかったのよ、みんなが体育館から出て、私達が屋上に上がるまでは少なくと
も、四、五分はあったわ」
 進は「なるほど」と言ったきり黙り込んだ。
「ゆりえ、順を追って話してくれないか」
 僕がそう言うと、ゆりえはカバンからレポート用紙を出し、鉛筆で図面のよ
うなものを書き始めた。
「ここが屋上のフェンスね、その外側に台に乗せた武藤君を乗せるの、台の下
の片方にはしっかりしたブロックでも置いておいて、台の外側の下にはこうい
うふうに氷とか、ドライアイスとかを置いておくのよ、初めのうちは武藤君を
乗せた台は平行だけど時が経つにつれて台は外に向かって傾き始め、ついには
武藤君はごろりと下に落ちることになるわ」
 ゆりえは図を描き終わると、その一枚を切り離し、僕に渡した。
「まずそれを理解してもらったということで、最初から話すわね、犯人は朝礼
の始まるずっと前に武藤くんと屋上で待ち会わせていたの、もちろん初めから
殺すつもりでね、犯人は隙をみて武藤君の頭を金槌か何かで殴り付けて彼を気
絶させたの、ここで致命傷になるような殴り方をしてはいけないの、死ぬのは
屋上から落ちたときでなくてはならないから、そしてこの装置に乗せ、上履き
をそろえて、その場を離れ何食わぬ顔で朝礼に出る、もちろん台はちょうど朝
礼の最中に傾くように何度も実験を重ねているわけ、朝礼が終わってみんなが
武藤君の周りで騒いでいる隙に屋上に上がり、さっきの装置を人目のつかない
ところに隠し、再びみんなのところに戻れば何も証拠は残らないわ」
 ひゅーと進が口を鳴らした。
 たしかにゆりえの言っていることには、いくつかの疑問はあった、ゆりえの
仮説では、やはりあのフェンスを越えさせることについての説明もついていな
かったし、その殺人装置をかたずけることについてもあまりにも偶然に頼りす
ぎているような気がした、しかしそれがまったく不可能な方法でもないように
も思えた。
 僕は図面から顔を上げ、ゆりえに言った。
「それでゆりえは犯人は誰だと思うのさ」
「それはわからないわ、ただね、朝礼に出ていたからといって犯人では無いと
いうことはこれで言えなくなったってことなのよ」
「そんなこと警察だって考えそうなことじゃないか、でも警察はリョウを追っ
てる」
 ゆりえ指名するようにはボールペンの先を僕に向けた後、唇をちょんと突き
出すようにしてしゃべった。
「瀬島君、警察はリョウが犯人だとは言ってないのよ、あくまでも可能性のひ
とつとして考えているだけで、それ以外の可能性を捨ててしまったわけではな
いと思うの」
 確かにそうだと思った。
 僕はリョウを心配するあまり、警察がリョウを犯人だと決めて追っていると
思い込んでいたのかもしれない。
「結局振り出しに戻ったってことか」
「そう、これであたしも瀬島君も犯人の可能性があるってこと」
 驚いてゆりえの顔をみた。
「うそよ、少なくとも瀬島君は犯人じゃないわ、だってあの日武藤君と別れて
教室に入ってから何処にも行かなかったし、もちろん朝礼中だってちゃんとい
たわ、あたしずっと見てたんだから確かよ」
 ずっと僕を見ていた、確かにゆりえはそう言った。
 進の家の前で進と別れ、僕とゆりえは駅に向かって歩いた。
 駅前の商店街を歩いているとき、ゆりえが言った。
「ねえ、考えてみれば、武藤君が殺された日、彼が屋上に呼び出したのはあな
たと進くんの二人だったわよね」
「ああ」
「今になってちょっと気になったことがあるの」
 ゆりえはそういった後、その次のことばを言うべきかどうか迷っている様子
で、無言のままゆっくりと歩いた。
 そして意を決したかのようにぴたりと足を止めると、鋭い目で僕を見つめた
。
「進君、左腕を怪我してたわよね、あの怪我をしたのってちょうど武藤君が怪
我をした頃だったんじゃないかしら」
「何が言いたいんだよ」
「なんだか気になるのよ」
 僕はゆりえの言ったことを無視するように歩きだした。
 ゆりえが僕の後を追いながら言った。
「ただの偶然なのかしら」
 僕は無言で足を早めた。
「それに、あの日の朝、進君はあなたより早く登校したわよね」
 ゆりえは早足で僕の横を歩きながら続ける。
「気になるのよ」
 僕はすっかりあわててしてしまい、意味の無いことをいくつかしゃべった後
逃げるようにしてゆりえと別れた。

 君島美子の母親に会っておこうと思った。
 一度家に戻り、シートのかけられたマッハを横目で見て自転車で出かけた。
 家を出て三十分ほどしたあたりで細かい雨が落ち始めた。
 家に戻ろうかとも思ったが、あと十分も走れば美子の家に着く、そうしたら
美子の母親から傘か合羽を借りればいいと思った。
 バス通りをバスと競争しながら走り、住宅地の細い路地をスピードを落とさ
ず走り抜けた。
 美子の家が見えたとき、あわててブレーキをかけて、生け垣の陰に隠れた。
 家の前に見覚のあるグレーのサニーがちょうど停まったところだったのだ。
 運転席側のドアが開き、傘を広げて井崎が出て来た。
 そして驚いたことに、助手席側のドアからゆりえが出てきたのだ。
 井崎とゆりえ、どういうことだ。
 いつのまにか強くなった雨にうたれながら、僕がぼんやりと思い出していた
のは君島美子のことだった。

 家に帰り、玄関でぐしょぬれになったズボンを脱いでいるときに、おふくろ
があわててとんで来た。
「良二君から電話があったわ、ついさっき」
「それで」
「何処にいるのつて聞いたら、それは言えないけど元気ですって、あなたは出
かけてるって言ったら、また明日でも電話するって」
 リョウののんびりぶりに腹が立った、馬鹿野郎、今すぐよこせ、おまえがど
んなことになっているか知らないのか、いったい何処にいるんだ。
 僕は熱いシャワーを浴びたあと、進に電話を掛けた。





前のメッセージ 次のメッセージ 
「長編」一覧 くじらの木の作品
修正・削除する         


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE