AWC 安らぐ[18]/有松乃栄


        
#2324/5495 長編
★タイトル (WMH     )  93/ 8/26   4:17  (115)
安らぐ[18]/有松乃栄
★内容


  18

 たこ焼き屋の主人の目から、涙がこぼれ落ちていた。
 彼は目を覚まし、子供の名前をつぶやいた。
 紀美子の姿が消えていることを確認して、一人で眠ってしまったのだと思った。
 片付けが終わると、長椅子に座り、煙草に火をつけた。
 「今年も終わりだな」
 と、漏らした。
 大きく呼吸をした。時計を見た。
 それから立ち上がり、しばらく考えた後、近くの電話ボックスに入り、電話を
かけた。
 受話器から、声が聞こえた。
 『及川です。ただ今、留守にしております……』
 たこ焼き屋の主人は、降り出した雪を見ながら、静かに語り始めた。

 ドアから現れた男は、サンタクロースの格好をしていた。
 赤い帽子に、赤い服。白いつけ髭の下には、なぜか赤鬼の面をかぶっている。
 男が言う。
 「メリークリスマス」
 そして男は、ゴムを巻いた指を、幼い紀美子に向け、ゴムを発射した。額に当
てられた紀美子は、姿を消し、下にゴムだけが落ちた。
 私は、目を疑い、きょろきょろと紀美子を探した。もちろん、どこにも姿がな
かった。
 「なんで、きみちゃんを消した」
 私が言った。
 「紀美子は君だ」
 男が言った。そして、まるでピエロのようにオーバーに体を動かし、思い出し
たように指を振り、鳴らした。
 天井から、ゆっくりとリボンをかけた箱が落ちてくる。ふわふわ、ふわふわと。
 「お嬢ちゃんに、プレゼントだよ」
 男が私に、箱を手渡した。
 「あけてごらん」
 男が言った。私は、言われた通りに包みを解き、安っぽい、ボール紙のような
箱を開けた。
 すると、ポンとはじけるような音がして、中から光の玉が浮かび上がった。
 だいたいが鮮やかなピンク色をしていて、ちらちらとエメラルド色や白に変化
しながら、回転し、大きくなっていった。
 そして、玉は男のお腹に埋まるように入り、男の体を光が包み込んだ。
 私は、あまりのまぶしさに目を閉じた。
 ゆっくりと光が消え、男が口を開いた。
 「ああ、僕は生まれ変わってしまった。これは、僕の意思ではなく、本来なら
ばあまり好ましくない状態なのだけれど、とにかく僕は生まれ変わってしまった」
 男は演技のように、身振り手振りで、私に言った。
 突然、私は、心臓のあたりに、針をさしたような痛みを覚えた。
 「君は、心臓が痛くてかわいそうだ」
 男が言った。
 今度は、私の体を寒気が襲った。
 「君は、寒くてかわいそうだ」
 男は、私を抱きしめようとした。私は男を突き放した。
 すると、今度は、頭が痛くなった。
 「君は、頭が痛くてかわいそうだ。僕が、楽にしてあげよう」
 男は、私の額に手を置いた。私の頭痛は、すうっとなくなった。
 私は、怖くなった。何かに、すがりつきたくなった。
 再び、幼い紀美子に会いたいと、心の中で願った。
 「君が会いたがっている娘を、連れてきてあげよう」
 男は、指を鳴らした。
 ドアが開き、思った通り、中へ入ってきたのは幼い紀美子だった。
 紀美子は、私の方に走ってきてくれた。私は、紀美子を抱きしめ、きりがない
ほどの涙を流した。
 紀美子も、私の腕を強くつかんでくれた。
 涙でぼやけた目のまま、周り見た。私は、それまで、この部屋がどういう姿だっ
たのか、覚えていない。今、ここは、私が小さい頃に住んでいた家の、子供部屋
になっている。
 大人になった頭の記憶から、すっかり除外されていた、子供の頃に持っていた
ぬいぐるみや、数多いおもちゃを見ることが出来た。
 私の過去において、これほど幸せなことがあっただろうか。私の胸は、震えて
いた。
 ふと、私は、願いがかなうということに気づき、何かを考えようとした。
 まだ、誰かに会いたい。
 私が今、もっとも会いたい人間とは誰なのだろう。
 「君が今、心の奥底で、もっとも会いたいと思っている人間に会わせてあげよ
うか」
 男が言った。
 彼には、私の考えていることがわかるのだ。
 「君が会いたいのは、俺だよ」
 そう言って彼は、髭と帽子をとり、鬼の面を外した。
 私は、彼の顔を知っていた。けれど、誰なのか、具体的にはどうしても思い出
すことが出来なかった。
 ただ、私が彼のことを好きだったのだ、ということだけはわかった。私は、記
憶の外側で、彼に会いたがっていたのだと思った。
 彼は言った。
 「俺は、君のことなら何もかもわかっている。君の耳がかゆくなったら……」
 私の右耳は、かゆくなった。
 「俺に、それが伝わる。君が、くしゃみをしたくなったら、する前にそれが伝
わる」
 私は、大きなくしゃみをした。
 「そんなこと、ある筈がないと君は思っているだろう」
 私は、そう思った。
 「だけど、俺は君のことなら何でもわかる。君がつらい時は、俺もつらくなる。
君が寂しい時は、俺も君と話をしたくなる。君が俺を好きなのと同じだけ、俺も
君を好きになる」
 彼が、紀美子を抱き上げた。私は、何故か紀美子を下ろそうとした。
 彼はそんな私を笑いながら、紀美子を下ろし、私にキスをした。私は、何故か
寂しく思った。ふと見ると、彼も寂しそうな顔をしていた。
 私は、それを見てつらく思った。すると、彼もつらそうな顔をしていた。
 私は、そんな自分を思って、泣きそうになった。おそらく彼も、そんな自分を
思って、泣きそうになっているに違いないと思った。
 私は、そっと彼から離れた。彼も、そっと私から離れた。
 部屋の外から、足音が近づいてくることに気づいた。誰かが、早足でこの部屋
に向かっている。そして、その足音は走っているようなテンポに変わった。
 私は、さっき紀美子と私を追っていた、大柄の男を思い出し、紀美子を腕の中
に隠した。
 すると彼が、私と紀美子を無理矢理引き離し、私のことを抱いた。
 私は、
 「きみちゃんが、きみちゃんが」
 と、叫びながら、彼をふりほどこうとした。けれど、彼は私を強い力でしっか
りと包み、私の力では身動きがとれない。
 私は、彼をにらんだ。
 彼は、私の目を見て、優しく微笑んだ。
 足音は、もうドアの前まで近づいていた。

                                (つづく)





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