AWC 安らぐ[19]/有松乃栄


        
#2325/5495 長編
★タイトル (WMH     )  93/ 8/26   4:19  ( 76)
安らぐ[19]/有松乃栄
★内容


  19

 「どんなことがあろうと、俺は、君をつらい目に会わせない」
 彼は、私の顔を胸に押しつけた。
 「きみちゃんを! お願い、きみちゃんを連れて来て!」
 もがきながら、私が言った。
 彼は、私の目を見て、こう言った。
 「どんなことがあろうと、俺は君だけを見ていよう。そして、君だけのことを
考える」
 私は、唖然としていた。そして、すぐに何もかもを理解した。
 これは、私が望んでいたことだ。私は、このことをずっと望んでいたんだ。こ
れが、私にとって、安らぎを得る唯一の手段だと、ずっと信じていたことなんだ。
 私はもう、声が出せなくなっていた。
 ドアは、勢いよく開けられた。そこに立っていたのは、あの、屋上から飛び降
りた筈の若い医者だった。
 若い医者は息を切らし、ものすごい怒りの目つきで、私の方をにらんでいた。
そして、すぐにそれが、彼に向けられているものだとわかった。
 彼は、私を離し、おびえた様子で後ろに下がっていった。
 若い医者は、私に目を向け、
 「紀美子さん、戻るんです。もう、これ以上、無理に思い出すことはありませ
ん。十分です……。十分」
 と、言った。
 そして、彼の方に歩み寄り、右手で殴り飛ばした。
 座り込んでいた私に、近づいた医者が手を差し伸べた。その時、私は、彼が石
和明義であることを思い出した。
 明義は、赤くなった頬を押さえながら立ち上がっていた。
 「なんで殴るの?」
 私は、医者に言った。彼は、私と目を合わさなかった。
 明義の方に行こうとした私のことを、誰かが呼んだ。
 「紀美子!」
 私は、ドアの方を見た。
 私はもう、そこに走り寄っていた。
 そこにいたのは、母だった。
 「お母さん!」
 「紀美子、私のこと思い出してくれたんやね。私がいたということ、思い出し
てくれたんやね」
 私は母に抱きつき、そして膝をついて泣き崩れた。誰よりも、もっとも会いた
かったのは、母だったんだ。私は、母のことを呼び続けた。
 「お母さん、ずっとおってね。私、お母さんが死んでしまう夢見てたんよ。ど
こにも行ったら、いややよ」
 「……ずっと、ここにおるよ。ほら、そんなに泣いたら、あかん。あんたは、
強い娘でしょう」
 母は、私の髪を優しく撫でて、
 「二年間も、あんたのことばかり考えてたんよ。でも、よかった。あんたに会
えて、本当によかった」
 と、言った。私には、よく意味がわからなかったが、自分の心がこんなにも澄
んで思えたのは初めてだ。何か、つっかえていたものが、どこか遠くへ飛んで行っ
たような気分だった。
 「お母さん、どうしてここがわかったの? どうして、私がお母さんに会いた
いということがわかったの?」
 私が母の顔を見上げると、母は、あの若い医者の方を見て、彼に頷きかけてい
た。
 「僕が連れてきたんです」
 彼は言った。
 「随分、心配しましたよ」
 私は、その時、彼のことも知っているような気がした。そして、何か色々なこ
とが、わかり始めていることに気づいた。
 雪の降る丘で、初老の男が言った、確認、とはこのことなのだろうか。
 私は、幼い紀美子の姿を探した。部屋の中に見あたらない。
 「お母さん、きみちゃんは?」
 私は、母に尋ねた。
 「きみちゃんなら、ずっと私の側を離れないでいたんよ」
 母は言った。
 私は、小さい頃を思い出した。そうだ。ずっと、母の後ろにくっついていた。
時には甘えて、叱られて泣いたことも、もちろんあった。
 私は、目を閉じた。母の背中におんぶされて、揺られているような気がした。
 とにかく、夢のように安らいでいられる。
 私はずっと、このままでいられることを祈った。ずっと、母と一緒にいたいと
思った。
 深い眠りに入っていく中で、それが不可能であることを思い出しながらも、な
お……。

                                (つづく)





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