AWC 『ハード・ウェア』(2)  スティール


        
#2274/5495 長編
★タイトル (RJM     )  93/ 8/13   0:36  (180)
『ハード・ウェア』(2)  スティール
★内容


 メニューが運ばれてきて、私は現実に、引き戻された。なにげなく窓の外の札幌
の景色に目に入った。初冬とはいえカラフルなファッションで着飾った女性たちが、
目に入った。その女性たちは、四十をゆうに越えているだろうけれども、彼女たち
の若々しいファッションはこの通りによく似合っていた。顔の表情も幾分取り澄ま
したようでいて、どこか横柄な自信のようなものも感じられる。そんな彼女達を目
にすると、私は決まって、叔母の友人達の事を思い出してしまう。


 叔母は、奇麗な人だった。そのときのパーティーの出席者の中で、おそらく、一
番美しかった。
 しっとりと結い上げたつややかな黒髪。白くて、ほそおもての美しい顔立ち。く
すんだ萌黄色の着物に白いうなじが、匂いたつほどに、一人の完成された女性とし
ての魅力を含んでいた。しかし、それは何者にも犯すことが出来ない汚れのない魅
力だった。蓮池の中で、清らかに、凛として咲いている美しい蓮の花をわざわざ摘
み取ろうと思う人は、まずいないだろう。汚してはいけない神秘的な何かが、蓮の
花にはあるのだ。そして、夜目に写るその凛とした姿は、妖しいほどに美しい。叔
母は、ちょうどそのような女だった。そして、いつも何処か遠くを見ているような
眼差しを持っているような女だった。叔母の廻りだけ、空気が澄んでいたように、
私は、いつも感じた。
 叔母の夫、つまり私の義理の叔父は、ある高額所得者でつくるクラブに所属して
いた。叔父はその会の理事をしていて、その日のパーティーでは自分が進行係の番
に当たっていた。小さなパーティーは、月一度の割合で開かれていた。そのときの
は、比較的大きな集まりだった。叔父のところでは、そのパーティーに自分達の親
しい友人を招待していた。
 叔父は、比較的、見栄えのする体形を持っていた。年は四九才にもかかわらずし
かし若く見えた。知性的には見えなかったけれど、仕事は出来そうに見えた。事実、
叔父は会社を二つ、その他にマンションもいくつか持ち、成功していた。

 私は、個人的には叔父に好意的だった。しかし、パーティーでの叔父は、余り好
きではなかった。なぜなら叔父はその中にあって必要以上に自分を飾り立てた。そ
れに自分は大変に情け深い人なのだということをよく強調することがあった。さら
にその中にあって叔父は自分がその仲間であることを自慢に思っているのだった。
そして、それをあからさまにした。軽薄ではないまでも叔父のパーティーでの振る
舞いは、あのベタベタした春先の雪に似ていた。執拗なまでに不快なのだ。

 もちろん、私は、パーティーが嫌いではなく、むしろどちらかと言えば楽しめる
側の方だと思う。上品で、物腰が洗練された人達の中では、ある種の安心感があっ
た。礼儀正しいのもいい。ウイットに富んだ会話もいい。言葉遣いが乱暴な人には
嫌悪を通り越して、私は憎悪を抱いてしまうのだ。しかし、叔父のものは、そのど
ちらにも当てはまらず少し異質だった。

 叔母は普段、あまりパーティーなどに出たがらない人だった。が、その日は、招
待した友人の手前、叔母が客の相手をしなければならなかった。そのパーティーに、
私も出席していた。

 ちょうどパーティーのある2週間前、私のところへ叔母から電話がかかって来た。
私は、ちょうどベッドからおきだそうかと思っていた時だった。時刻は、午前十一
時をちょっと過ぎていた。
「聡美ちゃん。まだ眠ってた?」

 柔らかで、優しい声が受話器の向こうから聞こえてきた。
「ああ、叔母様」

「ゆうべも遅かったの?ごめんなさいね、眠っているところを起こしたようで」
叔母は、いつもこんな謙虚な物言いをした。
「いいえ、いいのよ。そろそろ起きなければと思っていたところだったから」

私は、体全体で伸びをした。それにつられて、私が飼ってるヒマラヤンの猫も前足
を出して同じように伸びをした。私は、その猫の頭を、ちょこんとつついた。

「でも、昨日のパーティーで、しつこく絡まれちゃって、まいちゃったわ。悪い人
じゃないんだけどね、『僕は、君のような女性がタイプなんだ。結婚しよう』だな
んて、言って」

「まあ、良かったじゃないの。結婚すれば?」叔母は、心地よい笑い声を立てて言っ
た。

「冗談じゃないわよ、奥さんも子供もいるのよおっ。それでね、そしたら『僕は家
族を捨てる!』って、言うのよ。『いいかげんにしろっ、私は、使い古しはごめん
こうむります』って言って上げたわ」

 叔母は声を上げて笑っていた。極めてきげんが良さそうだ。

「ところで、聡美ちゃん。いつまで、独りでいるつもり。亡くなった姉さんにも、
私は、くれぐれも頼まれているんだし、適当な人が見つからないなら、私に言って
くれれば良いことなんだから」

 このまま延々と、お説教されてはまずいと思った私は、話を変えた。
「ところで叔母様、今日は何の御用」

「あっ、そうそう。聡美ちゃんまたお願いできないかしら、今度の土曜日。また、
パーティーなの。主人がお客様を招待しているのよ」

「さ来週の土曜日ね。わかった」と、私は言った。

 叔母は、人と話をするのが余り得意ではないから、自分が出席しなければならな
いパーティーにはいつも私に同伴を頼んだ。
 私も、叔母が嫌がるようなあの手のパーティーは、あまり得意ではないけれど、
叔母よりは社交性があるので、それほど苦痛に思ってはいなかった。
『聡美ちゃんがパーティーに出てくれると助かるよ。会が華やかになって。』と、
いつも、叔父は言った。叔父も、私が出席することを喜んでいたようだった。


 私の母は高校2年の時に亡くなった。その母が、叔母に『くれぐれもよろしく頼
むわね』と、他界の間際に言った。叔母は、その言葉に、とてもこだわっていた。

 叔母夫婦に、子供はいなかったせいか、私は、叔父夫婦にとても、かわいがって
もらった。叔父が、子供はつくらない主義なのだそうだ。そのことに関しては、叔
母も、特に不満が無いようだった。

 母と、叔母はとても気の合った姉妹だったのだ。そして、よく似ていた。生前、
母が元気だったころ叔母は、しょっちゅう函館へ遊びに来ていた。二人とも、函館
で生まれ、函館で育った。
 私は、子供の頃から、二人の会話を聴くのがとても好きだった。それは、まるで
宝石箱をひっくりかえしたような楽しさだった。二人の会話は、おしゃれで優雅で、
知的で気が利いていた。叔母は、私の母の前では、とてもお喋りになった。子供の
ころから、いつも一緒の二人の話す話題は、豊富だった。


 私も、同じミッション・スクールへ通うようになって二人の会話の仲間に加わる
事が出来るようになった。その時、私は初めて大人になったような気がした。憧れ
が、叶ったようなきがしたのだ。その日、私は、日記に詩を書いた。それは、確か
『百合の花が水蓮の花に変わりたいと願っていた事が成就した』というようなもの
だった。
 私は、詩を書くときには、ふだんは考えもしない人生について、よく思い悩んだ。
そして、私は、それらを詩にした。

 私の詩は知ってか知らずか、私の心の内面を雄弁に語った。私は、よく、自分の
詩を読みながら、自分自身を発見した。私の詩の多くは、だいたい、次のようなも
のだった。
 人は生まれながらにして、本能的に美しいものを知っていて、無意識のうちに美
に対する憧れが出てくるのではないか、と。もちろん、それは個人的な好みの枠を、
抜け出ることが出来ないかもしれないけれど。太古の昔から私たち人間の美への憧
れは、衰えるどころか益々、栄華の勢いだ。これは、やはり、欲望なのかもしれな
い。そんな人間の欲望は、いつの時代でも密やかに、人々の内に生息している。人
はただ、それを表面的にだけ捕らえて、本当の心は見せようとはしないけれど。


 パーティーの当日、叔父からは、お客様をお迎えしなければいけないので、早め
に会場の方へ来るようにといわれていた。しかし、叔母は、支度に手間取って定刻
ギリギリに会場へ着いた。叔父は、あきらかに不服そうな態度だった。叔父と叔母
の仲は、あまり、うまくいっていなかったのだ。叔父には、女がいて、叔母は、そ
のことを知っていた。しかし、叔母は、知らない素振りをしていた。叔父は、叔母
がその事で知らない振りをしていることを知っていたようだった。そして、私もそ
れらのことを知っていた。叔父は私には優しかったのに、叔母には必要以上に冷た
かった。

 叔父は、冷ややかな顔のまま、私たちを今日の招待客に引き合わせた。私達は、
型通りの社交辞令を交わした。招待客は、この界隈でも結構、名が知られた夫妻だっ
た。五十は過ぎていると思われる、整形外科医の夫のほうは、物腰も柔らかな紳士
である。穏やかな口調と洗練された振る舞いは、いかにも育ちの良さを窺わせた。
少し、年下と思われる奥方のほうには、以前、どこかであったような気が、私はし
た。その女性は、高慢が、派手で高価な衣装を着けているような人だった。それに
加えて、随分と、色気というものが感じられた。元は看護婦だと、私は聞いていた。
多分、世間ずれしていないお坊ちゃまに、自分の多少の美しさと悪知恵によって、
うまく取り入ることに成功した口なのだろうと、私は思った。

 人の美しさの基準が、外見と内面性の二つの要素から成り立っているものである
なら、おおよそ先の婦人は、その二つともに該当しないだろう。あの夫人の、あの
高慢で横柄な態度は、十分に、人の心に敵意を抱かせるものだった。全くつまらな
い偶然にも拘わらず、そのことが、その夫人のプライドを傷つけたらしい。彼女は、
私が同じ色のマニキュアをつけていたのが、気になったらしい。そのマニキュアは、
去年の秋、フランスで買って来たものだった。クリスチャンディオールのマニキュ
アで、とても深い色合いの、ピンク色をしていた。私は、その深い色合いがとても
気に入っていた。その日の私は、白い大きな襟で縁取られたシックな紺のワンピー
スを着ていた。それで、そのマニキュアで、指先を少し華やかにしていたのだった。


「あら、あなたも、フランスへ、ご旅行なさったの?」
と、夫人は、顔を真正面に向けたまま、視線だけ落として言った。
 最初、私は、彼女が何を言っているのか、理解が出来なかった。しかし、私は、
私の指先に彼女の視線を感じたので、ようやく彼女の言っていることが、理解が出
来た。
「ええ、去年の秋、お友達と二人で廻って、参りましたの」
と、私は、失礼の無いつもりで言った。しかし、彼女は侮蔑と冷笑をもって、「ふ
ふん!」と、言っただけだった。私は、彼女のその振る舞いを全く失礼だと思った
が、顔には、相変わらず、あいまいな笑みを浮かべていた。しかし、夫人は、私を
全く無視して、そして、今度は、叔父のほうに向かって、いやらしく媚を含んだ目
で、今日の招待の礼を言った。声が甘えたような口調に変わったのには、驚いた。

 叔父は、その流し目に、気持ちが乱されたようだったが、それを隠すのが必死の
風で取り繕っていた。叔父は、化粧の濃いめの女性に弱かった。私は、以前に何度
か、叔父と一緒に歩いていた女の人を目撃した。その人たちは、ことごとく、叔母
とは、全くといっていいくらいイメージが違う化粧の濃い女たちだった。女の顔も、
服装も、派手なら、そういうときの叔父の服装も派手だった。いちどなど、派手な
グリーンのスーツに臙脂のネクタイというのを見たことがあった。いま、思い起こ
してみれば、目の前の高慢な女はあの時の連れの女性に、似ているような気がした。





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