#2248/5495 長編
★タイトル (AZA ) 93/ 7/30 9:48 (200)
焦点 5 永山
★内容
江戸川乱歩殺人事件 香田利磨
*登場人物
明智小五郎(あけちこごろう) 地獄王子(じごくおうじ)
越後薫子(えちごかおるこ) 越後一丸(えちごかずまる)
山村記子(やまむらきこ) 朝霧順(あさきりじゅん)
峰科金十造(みねしなきんじゅうぞう) 峰科千代子(みねしなちよこ)
峰科万作(みねしなまんさく) 峰科百代(みねしなももよ)
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あのミステリアスな事件が起こったのは、確か、1964年のことだったと
思う。東京オリンピックまであと半年足らずに迫った頃、私と薫子は大学の友
人宅に招かれ、大いに歓談していた。
「薫子君は将来、どうするつもりなんだい?」
峰科万作が、ふと思い付いたかのように、妹に言った。彼はこの春、私と共
に、同じ大学の同じ学部生となっていた。
我々二人は、高一の頃からの友人で、今日は、無事に入学できたことを、峰
科の家で一緒に祝おうということになったのだ。
「私は、大学を目指してみたい気持ちもあるのですが、もっと自分の知りたい
ことについて、深く、集中的に学んでみたい気持ちもありますの」
妹の薫子は、今年から高校三年生になる。そこの規則で、三つ編みにセーラ
ー服という、没個性的な格好しかできないが、それでも、兄のひいき目でなく、
人並以上の美しさを持つ女性になりつつあると思う。
「ほう。それじゃあ、大学ではそんな学び方は無理だと考えている訳だ」
「話を聞く限り、集中的という点で問題があるような気がしますから、そう申
しているのですわ」
「色々なことを広範に、互いに関連付けて学ぶことも、ためになると思うがね、
僕は」
「そのような学習法は、私には合わないんですわ、きっと」
「どちらにしても、大人しく嫁に行く気はないらしいんだ。困ったものさ」
私が口を挟むと、薫子は怒ったた表情になって、こう言った。
「どんな点で、私が勉強を続けることが、困ったものなの、お兄さん?」
「どんなと言われてもね……」
「いつもそうだわ、お兄さんは。女は高校を出たらお嫁に行くのが当然だなん
て、考え方が遅れているのよ」
「そうじゃなくて」
へどもどしながら、私は、妹に内面的な女性らしさを持って欲しいというこ
とを言おうとしたが、その前に、
「はは。とんだ逆襲を食らってしまったな、一丸」
と、万作に割って入られてしまった。
「ところで、薫子君。大学を目指すにしても、独自の勉強を続けるにしても、
ここ一年が勝負となる訳だ。そのどちらにするか、判断する期間という意味も
込めて、最後の気分転換を図るのはいけないことかな?」
「どういう意味でしょう?」
薫子は、ストローでオレンジジュースを一口吸い込むと、手に持っていたグ
ラスをテーブルに戻した。
「僕の父が、長野の方に別荘を持っているんだ。父は足を悪くして以来、そこ
で休養することが多くなっているんだが、今度の連休に、僕も姉とで、顔を見
せに行くことになってるんだ。それで、一緒にどうかなと思ってね」
「急に言われましても、どうお答していいのか分かりませんわ。ねえ、お兄さ
ん」
「ああっと、僕なら、何の異存もない。実は、僕はもう、万作の厚意を受ける
ことにしているんだ」
「何だあ! そういうことでしたの。人が悪いわ、本当に」
ちょっと気取られた様子だった薫子は、すぐに歓声を上げ、同意の意を示し
た。
「では、決まりだ。話は、僕から通しておくよ。出発は……」
万作は、嬉しそうに手を叩くと、説明を始めた。
万作に連れられ、我々兄妹が峰科の大きな別荘に到着したとき、出迎えてく
れたのは二人の女性であった。
「お久しぶりね、薫子さん」
万作より一つ上の姉、峰科百代さんは、女子大に通ってられる。非常に聡明
な女性で、容姿もモデル並と言って過言でない。
(薫子も、百代さんのようになれるんだったら、好きなように勉強させるんだ
が……)
とは、私や両親の心の声である。こうなる確信が持てない訳だ。
「本当に、百代さん。一層、おきれいになりましたわ。素敵です」
妹が百代さんと顔を会わせるのは、確か、中学以来だと思う。
「まあまあ、ようこそ」
大らかな声で、私達を迎えてくれたのは、万作らの母君の千代子さんだ。一
言で形容すれば、古風な女性となるであろうこのご夫人は、たいてい和服を召
されている。と言っても、顔を会わせるのはこれが三度目か四度目かという程
度だが。
「お世話になります」
「遠慮はいらなくてよ。自分の家のつもりで使ってくれて結構だから、気兼ね
なんてしないでね。不便なことがあったら、何でも言ってちょうだい」
「はい」
そう答えてから、私は気になったことを口にした。
「あの、御主人は、どうされているのでしょう? 真っ先にお目にかかれるも
のと思っていましたが」
すると、不意に夫人の顔が曇った。これには、私達兄妹だけでなく、峰科の
姉弟も驚いたようだった。
「お母さん?」
万作に続いて、百代さんも口を開く。
「どうかしたの? 一足先に私が来たときから、お父さん、引っ込んだままだ
ったし、様子がおかしいなとは思っていたけれど……」
「……もう依頼を引き受けてもらったことだし、話してもいいかしらね……」
理解不能。
「え?」
「ここまで言って、話さなかったら、あなた達も不安でしょうから、お話しま
すけど」
千代子夫人は、私や薫子にそう言うと、改まった調子で、話し始めた。
「実は主人、脅迫状を受け取っているの」
「脅迫状?」
「封筒に便箋何枚かで書かれているのが、四月の二十日ぐらいに郵便受けに放
り込まれてあったのよ。それそのものは、主人が手元に置いているから、正確
な文章は分からないんだけど、恐ろしい文面だったわ。確か……」
それから夫人が紙に記したのは、次のような物だった。
<峰科金十造よ、貴様に復讐するために、俺は帰って来た。貴様のような非道
な男には、地獄がお似合いだ。世にも無惨な死を持って、地獄に送ってやる。
我が名は地獄王子>
「便箋みんなを見せてもらったんじゃないから、これで全文じゃないはずよ。
それにしても、恐ろしい、怨みの感じられる文字だったわ」
「どうして、今まで話してくれなかったのよ?」
桃代さんが言った。非難の響きがある。
「お父さんが……。主人が話したがらなかったからよ。手紙の一部だって隠し
たぐらいだし……。それに、もう安心していいの。有名な探偵の、明智小五郎
さんに事件の捜査を依頼したから」
「明智小五郎?」
声を上げたのは、私だけではなかった。誰もが驚いているに違いない。
「……って、あの怪人二十面相なんかと闘った……?」
「そうよ。もうすぐ……今日中にもお見えになるお約束だから、安心できると
思うわ」
「でも、こう言っては何ですが、明智小五郎はかなりの年齢じゃないですか?」
万作が、逆に心配するように言った。それに反論したのは、妹の薫子だった。
「いいえ。いくら齢を重ねようとも、名探偵と呼ばれる人は、衰えることはあ
りません。第一、老いれば衰えるという考え方自体、型にはまったものですわ」
「薫子君にはかなわないな。いや、これでこそ、安心できるというもんだよ」
それから万作は、取り繕うように大声で笑った。
「相変わらず、人殺しの話が好きなんだな、おまえは」
あてがわれた部屋に荷物を置いてから、私は薫子の部屋に移った。
「探偵小説のことですか? それでしたら、お兄さんの認識不足ですわ。私が
愛する探偵小説は、美しい謎と論理の物語です」
「それはともかくとして……」
探偵小説論をぶたれるても困るので、私は話題を切り替えた。
「明智小五郎って、本当のところ、何才なんだ?」
「はっきりとしたことは分かりませんが、もう六十に近いはずです」
「定年ぐらいか。さっきは、千代子さん達の手前、何も言わないでいたが、本
当に大丈夫なのかね?」
「きっと、大丈夫です。五十を越したときに解決したとされる『化人幻戯』事
件も、見事に解決しています」
そんなものかねと思いながら、私は黙った。確かに、私にも、明智探偵の活
躍に胸躍らせた時期もあったが、今では忘れかけていたほどだ。まあ、イギリ
スのシャーロック・ホームズが不滅であるように、探偵の代名詞として明智の
名は不朽であろうが。
「ここの主人たる金十造さんは、明智探偵が来るまでは、誰ともお会いになら
ないつもりかしら」
「さあて。それほど用心深い性格だったとは、記憶していないが。ただ、今は
百代夫人と散歩に出られているそうだ」
「そう言えば、足を悪くされているとのことでしたが」
「どうやら、車椅子のまま、夫人が押しているんだろう。献身的なことだよ」
「先に言わせてもらいますと、夫に尽くすのが妻としての務めだなんて、認め
ませんわ、私は」
やれやれ。私が心の中でため息をついたそのとき、
「キャアアあ」
と、何とも形容しがたいが、確かに女性の悲鳴が聞こえた。
「何だ?」
「外のようですわ。行ってみましょう!」
私達は部屋を飛び出すと、玄関へと向かった。そこでちょうど、万作達と出
くわした。
「聞いたかい、今の声を?」
万作は私達の顔を見るなり、こう聞いてきた。
「ああ、聞いたとも。どこからしたか、分かるかい?」
「いや、はっきりしない。だが」
弟の言葉を、姉の千代子さんが引き継いだ。
「あれは母に間違いなくてよ。玄関先の道を、少し山の方に行っていると思う
わ」
そこで、我々四人はひとかたまりになって、山道を進んだ。
「あそこ!」
めざとい薫子が、木々の隙間から、求める人影を見い出した。
「大丈夫、お父さん、お母さん!」
千代子さん達はそう叫ぶと、車椅子から落ちた金十造氏と、うつ伏せに倒れ
ている百代夫人にそれぞれ駆け寄った。
私達も近付き、様子を窺う。
「どうなんですか?」
「駄目だ。父は目をやられたらしい。何かしら、刺激の強い液体をかけられた
みたいだ」
「こちらは、気を失っているだけみたい」
千代子さんが、大きな声で知らせた。
「じゃあ、とにかく、御主人の目を何とかしないと。お屋敷に運ぶか、水を持
って来るかして」
薫子が言った。
「そ、そうだな」
慌てている万作に代わって、千代子さんが決断した。
「距離はそれほどじゃないから、運びましょう。車椅子に乗せれば、女の力で
もすぐだわ。薫子さん、別荘に戻って水だけじゃなく、念のため、お湯の用意
もしといて。万作に一丸君は、母を運んでちょうだい」
こういうときになると、一つでも多く経験を積んでいる方が頼りになること
が、身に染みた。我々は、千代子さんの言う通りにした。
幸い、金十造氏の目にかかっていたのは、こしょうやら七味といった調味料
を水でといた物らしかった。何日かは目が見えない状態になるが、命に別状は
ないし、水で洗い流せば失明の危険もない。
また、夫人の方も気絶していただけで、すぐに意識を回復した。
「何があったの、お母さん?」
落ち着いた夫人を囲んで、僕らはことの説明を求めた。
「いきなりだったわ……。私が主人と散歩していて、少し、あの山道から外れ
た方向へ歩いていると、黒い帽子に黒い服を着た男が、飛び出して来たの。そ
いつは、私を突き飛ばすと、主人の顔へ何かをかけていたわ。私、それをやめ
させようと思って、男に飛びつこうとしたんだけれど、そのときに男の顔を見
てしまって……」
広間のソファの上の百代夫人は、気分悪そうに、手を口にやった。
「どんな顔だったんですか?」
薫子が促した。
「どろどろに溶けたような醜い顔だった……。私、恐ろしさと気味悪さで、悲
鳴を上げた後、気が遠くなってしまったの」
「分かったわ。お父さんはそのとき、何も言ってなかったのね?」
千代子さんの質問に、夫人は黙ってうなずいた。
−続く