#2149/5495 長編
★タイトル (RMC ) 93/ 6/17 19:51 (114)
泣かないでレディー・ライダー 14〈トラウト〉
★内容
[EPILOGUE]A CHANGE IS GONNA COME
夜はどこまでも、底なしに深い。
月も星も出ていない、茫漠とした大地だ。
しかしそれはゲンジの心の中も同じだった。
何のあてもなく、ただクルマを走らせていた。
ルースが頭をゲンジの右肩にのせ、泣きはらした目を閉じていた。ゲンジは左
手でワーゲンのステアリングを持ち、右手でそのルースの肩を抱いている。後席
ではエマが寝息をたてている。
時計の針は午前三時を回っている。
そうしてゲンジは数時間というものインターステイトを東へ走り続けている。
いくら走ろうが、この大地には変化のかけらさえ見えてこない。走っている自
分が大地の暗さに引込まれ、大地の一部として溶けこんでしまいそうな気さえす
る。
自暴自棄だ、このままルースとエマを連添い、死のうかとさえ思う。
目をしばたたき、頬を叩いた。
救いようのない気分だ。
カーラジオか? ゲンジはふと思った。ノー天気なDJの声でも聞くしかない。
スイッチをいれた。
想像通り陽気なダミ声のDJだ。しばらくその南部なまりでスラングだらけの
番組を聴いていた。
一曲目は陽気なカントリー&ウエスタンだった。
二曲目に入ると、思いがけず知っている曲が聴えてきた。
サム・クックの「ア・チェインジ・イズ・ゴナ・カム」FATBOYでいつも繰
返しかけていたバラードだ。
そのまま聴いた。
隙間だらけのサウンドのイントロが終ると、ソウルフルに、切なげに、張るで
なく、押えるでなく、その男の声がゲンジの胸に響いた。
I was born by the river. Iwas litle Tent.
(俺は 河のそばの小さな家で生れた)
And just like this river I been running every day.
(そしてこの河と同じに 毎日一生懸命走り続けてきた)
今の自分にはその英語の歌詞がどうやらわかる。
シンプルな英語だ、それだけに悲しい。
その歌はこう語っていた・・・・
それからは 随分と長い 時の流れだ
だけど俺の暮しは ちっともいい方向にはいかない
助けてくれと願っても 誰も助けてはくれない
空の向うに何があるのか 俺にはわからないが
きっと こんな時代もかわる時がくる
俺は そう信じる事にする
そうだ 俺はそう信じている
いきなり、彼がワーゲンのステアリングを思いきり右にきった。
道を外したとしても荒れ地がどこまで続く砂漠だ、崖がある事を期待していた
訳でもない、死のうと思った訳でもない。その歌詞と自分が重なった。と思った
とたんに知らずに軌道をそらせたくなった。
ふたりが同時に目を醒した。
彼はクルマを止めると、驚かせた二人に「眠かっただけだ」と安心させ、そこ
でしばらく眠ろうといった。
しかし、あれだけ眠かったが、いざ眠るとなるとそれもならなかった。
海底のようなどこまでも不気味な静けさが、彼を襲ってくるのだ。
ウインドウに額をあてて空を見た。
走っている時には見えなかった星をひとつみつけた。ヘッドライトをけしたせ
いだ。
頼りない明滅を繰返す寒色の星だ。その星を眺め続けた。
そしてナホと太郎の事を想った。
想ったが、それはすぐにでも会いたい、という想いではない。
消失してしまった過去を遠くから懐かしむ、というような想いだった。
結局眠るのを諦めた。
そのまま彼はまた何マイルもクルマを走り続けさせた。
無言で東に走り続けた、無意識のうちにデイトナに向っているのだ。
夜が明けてきた・・・・
しばらくすると、ルースが起きた。
「眠れなかったみたいね?」ゲンジに言葉をかけてきた。
ゲンジがうなずくとルースがあたりを見回した。といっても寝付く前と風景は
何ひとつ変っていないだろう、ゲンジはおおまかに場所の説明をした。
ルースは頭をかき上げると、ひとつため息をついた。
彼女もうつらうつらしながら考え事をしていたようだ、昨日いきなり帰ってき
たぐうたらの亭主の事を呟くように話しだした。
「昔はいい人だったのよ」
ゲンジは昨夜の男の顔を思い浮べた。
「いつからかわからない。誰が悪いのかもわからない。だけど・・・・あの人は私を
捨てて女に走った。それはいいけど、一緒にこのエマも捨てたの」
ルースが後ろのエマを振返った。
彼女は寝息を立てている。
「たとえ貴方があの人のいうように、私の恋人だったとしたら、余計あの人は私
のところに帰るべきじゃないの」
ゲンジはまたルースの肩に手をやって、優しく二・三度たたいた。
彼女が歪んだ顔で笑った。
ゲンジはその男の気持ちを考えた。
なにがあったのか分らないが、ルースに会いたくなって帰ってきたのには間違
いがないんだろう、しかしルースは彼を待っていなかった。
おまけに子供が車椅子。女房には東洋人の恋人がいた。
ルースがあくまで冷静にすべてを釈明した。
しかし、その男にはルースの説明を受ける権利さえないのだ、例え彼が思いこ
んだようにゲンジがルースの恋人であってもだ。
頭に血がのぼっている南部の男に理解が出来る筈もない。
その男がルースを殴るに至ったのを見たゲンジは、フォールディング・ナイフ
を開いて彼の目の前にかざし、ルースのお得意だった言葉「ゲット アウト オ
ヴ ヒア」を使う事になった。そのとたん亭主は拳銃でも持ってきかねない形相
で表に飛出した。
それでゲンジは二人をつれて逃げた。
「ゲンジ、貴方には感謝する」
「俺は、君達がしあわせになって貰わないと困る」
とゲンジは答えた。
「・・・・ゲンジ」
ルースがまた頭をかきあげてゲンジを見た。
「エマはゲンジがそばにいるとしわせだって言ってたわ」
ゲンジはルースの顔をみて頷いた。
「・・・・私もそうだとしたら?」
ゲンジには返事が出来る筈がない。黙っていた。
彼女もしばらく黙っていた。
「恋人が日本にいるのね?」
ルースが言った。
それにもゲンジは答えないで、ただ前を見つめていた。
だいぶ前から遠くに見えていた看板が近づいて来た。有難い事にコーヒーにあ
りつけそうだ、ゲンジは休むか?という目でルースを見た。
ルースが頷き、エマを起そうと後席に手を伸した。