AWC 泣かないでレディー・ライダー 06〈トラウト〉


        
#2141/5495 長編
★タイトル (RMC     )  93/ 6/17  19:25  (129)
泣かないでレディー・ライダー 06〈トラウト〉
★内容
                ◇

 ナホのいない元の生活にゲンジは戻った。リュウも相変らずベスパでやってく
る、しかも女連れだ、というか女を『FATBOY』に待たせて仕事を抜けてく
るという技を発揮している。えらく愛想のいいポチャっとした中国人、中華街の
食料品店の娘だ。葉とかいて「ヨウ」と読む、名前のような名字の葉ちゃんだ。
 最近ではリュウより葉の方が店にいっぱなしで、ホットドッグさえ作る。下手
をすると中華饅頭でも出しかねない勢いだ。
 しかし、女性がいると店がいつでも明るい。常連はリュウの彼女と知ってなが
らも、彼女がいない時は寂しそうだ。
 いつかナホが取上げた店の記事の脇に『葉ちゃんに手を触れてはいけません。
竜』という張り紙がしてある。これもお笑いだ。
 ゲンジは、あいかわらず店に客がいない時を狙って、H・Dのサスペンション
やらチャンジペダルを変えたりして、チューンアップだかダウンだか、わからな
いが、ただいじくる為の目的でいじくっている。昨日もリュウが持ってきてくれ
たグリップのいいタイヤを、試しにはかせてみたようだ。休みにまたあてもなく
走りに行くのだろう。
 リュウは『ゲンジが完全にナホの事を諦めた』と思っていたのだが、ゲンジは
誰にもいわずにすべての休みをナホ探しにあてていた。リュウの彼女ヨーちゃん
だけには、その事を少し話した。彼女は幼稚園を見かけたら、必ず「太郎ちゃん
はいる?」と聞いて、いたら「飯田太郎ちゃんなの?」と聞いてみてくれてるそ
うだ。ゲンジはまだそれまではやった事がない。
 次の休みになるとゲンジはH・Dで東名に乗り入れ、あんまりタイヤが気持い
いからという自分なりの理由だてをして、静岡まで走った。二週前もその理由で
走ったのだが。
 電話帳の飯田姓を調べたのだが、彼女の実家らしきものは見つからなかった、
載せていないのだろう。そうなると、後は幼稚園探ししかなくなる。この前はい
きあたりばったりそれをしたが、幼稚園の終了時間はすべてお昼前だ、それにあ
わせて全部は無理だ。それで一旦は諦めたが、考えてみれば電話を忘れてた。
『お宅の園児に太郎ちゃんいますか、飯田太郎ちゃんって言うんですが』
 なんの事はない、これでいいのだ。
 彼は静岡につくと、海岸まで一気に走り、海岸沿いのレストランで食事をする
と、バイクをそのままパーキングに駐め、レストランの脇にあった電話ボックス
を陣取り『静岡中の幼稚園全部だ』とばかりに電話をしまくった。しかしこれも
やはり全部は無理だ。静岡市内という事さえ定かでない。

 彼は電話ボックスを出ると、レストランのレジで衝動買いしたバネでピコンピ
コンと動くひょうきんなキャラクターのキーホルダーをくるくる回した。そして
下唇をつきだし、目の上に垂れてきた前髪をフーと吹いた。
 手を延し伸びをして、その手を後ろにウーとやりながら、首を回転させた、コ
リコリという音がした。
 バイクをパーキングから引きだし、しばらくとろとろと海岸をあてもなしに走
ると、昼寝に最適な堤防をみつけた。彼はその堤防の下にバイクを駐めると、ポ
ケットからバンダナをとりだし、それを顔にかけ、しばらく昼寝をする事にした。
 バンダナを通しても陽射しがぽかぽかの小春日和の海辺だ、ここで寝ないテは
ない。
 しばらくそうしていると、そのバンダナが風に飛ばされた。しかたなく起きあ
がってそのバンダナを探すと、彼のH・Dの脇にちっちゃな子供がいた。
 ゲンジは、子供と同じ目の高さに座って「バイク好きなのか?」と聞いた。
 子供はなんだかわからずに、手をハンドルにあてて「バブーン バブーン」と
いう。ゲンジは笑いながら、さっき気まぐれで買ったキーフォルダーを「ほら」
といってその子にあげた。初めてその子ははにかみながらもにこっと笑った。
 ゲンジはH・Dにまたがると、その子をわきの下から持上げて、シートの前に
乗せてあげた。その子は夢中でハンドルにしがみつき、また「バブーン」だ。
 彼は大笑いをして、ハンドルにかけてあったヘルメットをその子にかぶせた。
「こやつが太郎ちゃんか」ゲンジが独り言をいうと、子供が「うん」といった。
「・・・・本当に太郎ちゃんて言うのか?」彼が子供の肩ごしに上からのぞき込んで
尋ねた。また子供が「うん」といった。
「飯田太郎ちゃん?」ゲンジがいうと、彼はまた「バブーン体勢」に戻った。ど
うせ鈴木太郎かなんかだ。
「おうちは?」と聞くと「あっち」と彼は、通りの向うの、小さな山の中腹にポ
ツンとある一軒家を指さした。その家に行くためだけの細い道が通っている。
「よし、ちゃんと捕まるんだぞ」とゲンジはその子にかぶせたぶかぶかのヘルメ
ットのベルトを縛ると、その一軒家にバイクを向けた。
 いかにも老夫婦が住んでいそうな、昔からある作りの家だ。小さいが玄関の脇
にそれなりの庭が見える。玄関の前につき、彼は表札を探した。あったがはっき
りしない、潮風に晒され黒っぽく変色している。彼は背伸びをしてそれを眺めた。
 『飯田』確かに飯田だ。
 ゲンジはびっくりして子供の顔を伺った。
「飯田太郎ちゃん?」子供がまた「うん」といった。
 ゲンジが堰を切ったように笑いだした「本当かよ、ボク飯田太郎ちゃんか?」
 子供がまた「うん」といって不思議そうな顔をした。またゲンジが笑った。
「ママは?」とママの名前を聞くと「いない、お買物」という。
「ママのお名前は?」
「バブーン」
「おばあちゃんは?」と聞くと「お出かけ」
 それからはまた詰らなくなったのか「バブーン体勢」である。彼はバイクを降
りて道に座り込んだ。信じられないが、間違いなくナホの子のようだ、彼はマジ
マジとその子を眺めた。
「よーし」というと彼はその子をまた乗せ、ヘルメットをかぶせなおし、海岸沿
いの通りにH・Dを注意深くゆっくりと走らせた。
 道行く人に尋ねながら、ようやく二○分程で街道沿いの大きなオモチャ屋を見
つけると、そのオモチャ屋でバイクのオモチャを探した。高い棚の上に電池仕掛
けのハーレーを見つけると、やった、とばかりにジャンプして彼はそれをとり、
太郎の手を引いて、レジに向った。
 店の外に出たとたんに、包装紙を破り、それを箱から出して太郎に差しだした。
 太郎がニコニコしながら、胸いっぱいの大きさのそれを抱えた。
 そしてまた来た道を引返し、海岸の通りから、その家をあらためて眺めた。
 その家は山の陰になるのか、まだ昼間だが奥の部屋にボォと電気が点いている。
 確かさっきは点いていなかった筈だ。
 ナホが帰ってきたのだ。間違いなくあそこにナホがいる。ゲンジはそう確信し
た。
 彼は通りにクルマが来ないのを確かめると太郎に「おうちに帰りな」といった。
 太郎はそのハーレーのオモチャを抱えながら、その通りを渡って家に向った。
 ゲンジはその太郎の後について、H・Dを押していった。
 ちょっとした坂をふうふういいながら上がると、家の一○m程手前についた。
 先を歩いていた太郎が、ガラガラと戸をあけてなにかを言うのが聞えた。
 数秒後には太郎がナホにハーレーのオモチャを見せる筈だ。
 そして『どしたの?』と彼女が聞く・・・・太郎が『貰った』という。
 『誰に?』
 今だ、彼は力強くH・Dのキックを入れた。
 ナホが何度も耳にしている筈のH・Dスポーツスターの音が轟いた。忘れる筈
もない、1200CCにボアアップされたV2エボリューションの音だ。
「ゲンジ!」ナホの叫び声が聞えた。
 ナホがすっ飛んできた。
 ゲンジが顔中で笑った。
 手を広げたその胸に彼女がぶつかって来た。抱きしめた。
 ゲンジの皮ジャンの胸に彼女の涙が落ちた。
「探したんだぜ」ゲンジがいった。
 ナホは顔も上げずに泣いている。
「迎えに来たんだぜ」
 ゲンジもグローヴで目をちょっとこすった、グローヴが少しだけ濡れた。
 向うから太郎が歩いてきて泣いているナホを見あげた。ナホが太郎を足元に抱
きしめた。
 ゲンジは太郎をさっきやったようにフューエルタンクの手前に乗せると、やっ
と顔を上げたナホの肩を「このやろう」とトンと突放した。
 ナホが涙の顔で、初めて笑った。
「太郎っていうのこの子」
「ああ、とっくに友達だ。乗れよ」
 リアシートの方に顎をしゃくった。
 スロットルを開け、海岸の通りに出た。
 オモチャを抱えた太郎が前にいる。
 あの日抱きしめたナホが後ろにいる。
 彼はもう彼女を責めないでおこうと思った。
「色々あるよ生きてりゃさ」と思った。
 思いながら、どこまでも海岸の通りを走った。
 ナホがゲンジの背中に額をつけてまた泣き始めた。
 太郎はハンドルに巻付けてある、つの貝のネックレスをいじっている。
 水平線の空がいつかと同じように、フューエルタンクと同じ色に染まってきた。




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