#2140/5495 長編
★タイトル (RMC ) 93/ 6/17 19:22 (154)
泣かないでレディー・ライダー 05〈トラウト〉
★内容
ゲンジはいつあの事を問いただそうと考えていた。
缶ビールのロング缶を二缶飲んでも、それを言出せないで、焚火の炎に照らさ
れるナホの顔ばかり見つめていた。
しばらくすると、ナホが顔を上げて「それで?」といった。
「何が?」
「聴きたいんでしょ何か」
「どうでもいいよ」
ナホがうつ向いた。
ゲンジはもう一度缶ビールに手を出したがナホの分だ、やめた。
「・・・・ごめんね」
ゲンジが黙って焚火にまた薪を足した。
少し大きくなった炎を彼女が見つめている。
「今日で会うのやめるかな?」
いきなりナホはそういうと、泣きだしてしまった。
「どうでもいいっていっただろ」
ぽつんと大粒の涙がナホの膝におちた。
「よせよ」
声をたてずに肩をしゃくりあげている。
ゲンジは皮ジャンを脱ぎ、それをナホかけてあげると、ズッとそのまま黙って
泣いているナホを見ていた。
なんでも言えばいいのにと思った。何にも聞きたくないとも思った。
しばらくするとナホは、そのままテントのジッパーを開けて中に入ってしまっ
た。ゲンジはどうしようもなく、缶ビールをまた開けて、降ってくるような星を
眺めながら飲んだ。
しばらくしてジッパーの隙間から中を覗くと、彼女は泣き寝入りをしてしまっ
たようだ。しかたなくゲンジもジッパーを開け、ナホにシュラフをかけてあげる
と、その隣で体を伸し、丸いテントの天井をみつめ、ため息をついた。
脇をみると、暗くてよく見えなかった彼女の寝顔がある。涙のあとが見える。
訳はわからないが、少なくともナホは自分を好きだ、嘘なんかつけるやつじゃ
ない、そう思った。
ゲンジはそのまま起さないように、彼女の首の後ろに手をいれそっと抱きしめ
ようとした。
彼女が向うをむいたので、ゲンジはその手を離した。
彼女が、また小さく声を出して泣きだした。
その声をゲンジは自分の唇でふさいだ。
そっと抱きしめた・・・・ゲンジの体もこころなしか引寄せられた。
唇を離し、ナホの顔を両手ではさんで見つめた。
ナホが目をあけた。何かを言いたそうにした。
ゲンジは首を横に振って、もう一度強く抱きしめた。
テントを照らしていた、焚火の炎が小さくなり・・・・すっと消えた。
さっきからあたりに聴えていた虫の声が一段と高まってきた。
うつらうつらしている間に夜明けが来た。しかし隣にいる筈のナホがいない。
シュラフはまだ暖かい。ゲンジはあわてて飛び起きH・Dのエンジンをかけた。
ハンドルのところにつの貝で作ったネックレスがかけてあった。つの貝に穴を
あけ、間にビーズをとおしたインディアンジュエリーのようなネックレスだ。そ
れをとりあげると、それに小さな紙のこよりが縛ってある。
『ゲンジに逢えてよかった、ありがとう。NAHO』とそれには書いてあった。
ゲンジはそれから一日中あたりを探した。しかしナホはどこにもいなかった。
しかたなくテントに戻り、二人で来た道を引返しながら、手あたり次第にコン
ビニやらレストランに飛込み、彼女を見かけなかったか尋ねたが、それも徒労に
終った。
彼が元町に戻った頃には、もう商店街の灯も落ちた頃だった。商店街を曲ると
FATBOYの店先にリュウのGTRが止っていた。バックミラーにH・Dが映
ったのか、リュウが窓を開けて手を上げた。
「なんにも言わないで、いなくなった」ゲンジが唇を結ぶと、リュウは頭をふり
ながら「そうか、今日は寝ろ」といい、GTRを商店街の方にバックさせた。な
んだかんだ言いながら、彼は昨日帰らなかったゲンジを気にしてくれていたのだ。
次の日から数日のあいだFATBOYのドアにはCLOSEDの札がかかりっ
ぱなしになった。
ゲンジは『港・ピープル』の出版社に電話をしたが、やはり電話番号など教え
てくれなかった。翌日は出てくる筈だというので、一日、通りでナホの現れるの
を待ったが、現れなかった。リュウがみかねて自分の彼女をその『港・ピープル』
に行かせ、電話と住所をうまく聞出してはくれたが。電話は不通。東神奈川にあ
った彼女のアパートをようやく捜し当てたが、なんとナホはもう引越したという。
『もうこれで気が済んだろ』というリュウの声も聞かず、ゲンジは彼女の母が
いるという静岡までバイクを走らせた。あてもなくただ走り回ってみようと思っ
たのだ、ナホの写真もある。
そうして彼は二日間静岡中を走り回った。いつもよりアクセルを開けて、H・
Dのエクゾーストノートを街中に響かせてだ。
二日目には電話帳をめくり、川村という姓すべての家に電話をしたが、名前さ
え嘘という事なのか、ナホのかけらさえも見あたらなかった。
もう『そんなもんだ』とは思いたくない。理由がわからないから諦めないのだ。
『もうナホが帰らなくてもいい』ゲンジはそう決め、その理由だけを探した。
◇
ロシア語? スペイン語? 意味どころか、読む事も出来ない名前の貨物船の
間をタグボードが忙しげに行交っている。
遠くから汽笛の音も聴える。鳩の群れが気持良さそうに、かなりのスピードで
空を独占し、少数派のカモメは、低い空で遠慮がちに潮風に翼を広げている。
本牧埠頭の突堤で、またゲンジとリュウが殴りあいをしていた。
『彼氏どころか本当は旦那もいて、可愛い子供なんかもいるんじゃねえか、ナホ
はよ』とリュウが言ったからだ。
リュウのスーツの袖が抜けている、ゲンジのジーンズの膝が両方とも破れ、そ
こから血が滲んでいる。どれだけの間そうしていたのだろうか、両方とも、もう
歩けないほどにふらふらだ。
リュウが最後の力を振絞って「ウオーッ」とゲンジに体ごとぶつかっていった。
ゲンジとリュウがいっしょくたになって、コンテナヤードの壁の隙間に突っ込
んでいった。ゲンジの腕がねじれた。
ゲンジが唸る。
リュウが立上がって「手前、いつまで馬鹿やりゃ分るんだ」とまた両手を構え
た。
ゲンジが「痛えぇ」とまた唸った。
「立て、ゲンジ」リュウが手を手前に振って煽る。
「だめだ、リュウ。折れたみたいだ、折れたぁ」
リュウがびっくりして近寄った。
するとゲンジが素早く拳をリュウの顔にめり込ませた。
得意のフェイントだ。
リュウがひっくりがえった。
「痛えぇ、足が折れたみたいだ、足が」今度はリュウだ、それを見たゲンジが大
笑いをした。
そのままふたりで大の字にひっくりがえり、笑い続けた。
リュウが差しだしたタバコをゲンジがとった。普段はあまりすわないのだが、
ときどき吸いたい時がある、例えばこんな時だ。リュウが苦笑してタバコをくわ
え、ゲンジにジッポを放った。ゲンジが火をつけて、それをまたリュウに放った。
ふたり一緒に、目の上の青空に烟をふーっとはきだした。
「しかし、なんなんだろうな、あいつ」ゲンジがポツンと呟いた。
リュウが上着の内ポケットから、紙切れを出して、ポンとゲンジの胸に投げた。
「見ろよ」ゲンジがその紙きれをとった。
『竜へ、菜穂子』と書いてある。
ゲンジがリュウの顔をみた。
「もう喧嘩はやめだぜ『ゲンジには内緒にして下さい』だとさ、みせて上げただ
けえらいと思え。諦める理由が知りたいんだろ」
ゲンジはしばらく無言で、それを何回も読返していた。それには、
私がすべて悪い。
詳しく書いている時間がないから電話をする。
リュウは優しい人、だからずっとゲンジの側にいてあげて。
それから、私は静岡にも横浜にもいない。
そんなような事が書いてあった。
リュウは待ちきれずにタバコをもう一本つけて、ゲンジの顔を見ず、独り言を
いうような調子でナホと電話で話した事を呟きだした。
「ナホは昔、大手の出版社にいた。二一の時にその会社にいた静岡出身の男と結
婚する予定だった。優しい男だったらしくてな、彼女に一から仕事を教えてくれ
た。それで彼女は一人前に文章を書くようになった。おまけにその男はバイクに
乗っていた」
ゲンジが無言で、リュウのポケットからタバコとジッポを取りだし、火をつけ
ると、それをまたリュウの胸に放って、また空を見上げた。
「その男が結婚式の前に事故って死んだ。それで彼女は妊娠してたって訳だ」
ゲンジが一気に烟をはいて、むせた。
「結婚式の前だ、そのくらいの事はするわな。太郎ちゃんっていうんだってさ、
今三才。幼稚園に入れたくてな、お袋のところに預って貰った。それまでは自宅
仕事で保育所に預けていたらしいんだけどな、それもうまくいかなかった」
リュウが顔をゲンジに向けると、ゲンジはそのまま空を見つめている。
その空をユリカモメが一羽ゆっくりと通り過ぎていった。
「川村ってのは実家の名前じゃなくて、ダンナの名前。籍は入っていないが子供
の手前、そうしといたらしい。ペンネームにも使ってた。だから電話帳でも見つ
からない。本名は飯田とか言ってたかな」
ゲンジがうなずいた。
「だからバイクが大嫌いだったんだってよ。なんだか知らないけど、気持ちを切
りかえる為に、反対にバイクに乗ってやろうと決めたそうだ。俺に言ってくれた
のは、それだけ。お前の事は、ただいいバイク友達を見つけたと思ったんだけど、
それがそうはいかなくなった。迷惑かけたって、泣いてた」
ゲンジがまた何度も頷いた。
「よく泣く女だな、あれ。それだけ聞くのに一時間だよ。それで向うから切れた」
「・・・・悪かったな、殴ったりして」ゲンジがやっと口を開いた。
「もう俺ら三○に近いからな、治り遅いよ」リュウが笑いながら、軽くゲンジの
腹にもう一発パンチを入れた。
ゲンジが起きあがって、リュウに手をさしのべた。
リュウが不信な目をむけると「もうフェイントはなしだ」ゲンジが言って、リ
ュウを起きあがらせた。ふたりはふらふらのまま肩を組んでGTRに戻った。