#2139/5495 長編
★タイトル (RMC ) 93/ 6/17 19:19 (197)
泣かないでレディー・ライダー 04〈トラウト〉
★内容
『FATBOY』には相変らずお客がいない。
サム・クックのバラード「ア・チェインジ・イズ・ゴナ・カム」が小さくかかっ
ている。
ゲンジが憂鬱そうに、カウンターにおいてある十円玉のような葉を持った木を
眺めている、伊豆のサボテン公園にふたりで行った時に冗談で買った「金の成る
木」というやつだ。
あの日から月曜になると彼女は必ずやってくるようになった、もう二カ月にも
なる。
箱根に向うワインディング・ロードをジェットコースターのように「ウオー」
と叫びながらすっ飛ばしたもした。いろんな所に出かけたが、ナホとのデートは
必ずH・Dと三人一緒。考えてみれば、普通は飲みにいったりするのがデートな
のだが、そういうニュアンスのデートはしていないと思った。楽しいのは楽しい。
しかし、それだけだからどうもいけないのかな、と思っていた。
それにゲンジは呆れる事に彼女の電話番号を未だに知らない、彼女が教えない
のだ。それよりどこに住んでいるかも知らない。帰りはいつも横浜駅で彼女を落
す。家がわからない、電話が出来ない、あくまで一方的だ。
ちょっと人には言えない情けない話しだ。翻弄されていると言われれば返す言
葉もないが、そこらにいるような遊び好きの女とは、正反対の感じがする彼女だ。
しかし何故なんだと追求しようと思うと、うまくはぐらかす。
あまりそれを追求すると、彼女が去っていくような気がする。それほどナホは
もうゲンジの胸に存在が大きくなってしまっているのだ。
そんな事を考えているうちに、また月曜がやってくる。それでまたにこにこし
てしまう自分がいる。まったく腐るがしかたない。
しかし、ナホは小さい時から父の顔も知らずに母とふたり暮しだ、男性不信と
いうやつなのかもしれない。それだったら時間がかかるのかもしれない、とゲン
ジは思う事にした。
しかし、それにしてもやっぱりアタマにくるか、うかない顔で彼は立上がって
コーヒーをマグカップに入れた。
先週はよせばいいのにそのことをリュウに相談した。そして親友の彼を店先で
軽くだが一発殴ってしまった。
「キスもロクにさせねえでよ、ナホは他に彼氏がいるな」とリュウがほざいたか
らだ。それからあいつは来ない。謝りに行こうかとも思うのだが、どうも行きそ
びれている。
ゲンジは『まいったな』と、ぬるめのコーヒーを飲干した。
洗い場にたち、皿を洗い始めるとドアが開いた。振向くとそのリュウだ。
ゲンジが頷くと、彼が外へ出ろと顎をしゃくった。今日はスカイラインのGT
Rに乗って来ていた。だからいつものように気がつかなかったのだ。
ゲンジはドアにかかっているOPENの札をひっくり返しCLOSEDにし、
鍵を閉めるとリュウのGTRに乗込んだ。
リュウは無言で貯木場の奥にある、本牧埠頭の突堤にゲンジを連れて行った。
しかし、つくやいなやいきなりの先制攻撃だ。ゲンジの顔に思いきりパンチが
飛んできた。ゲンジは一瞬何がなんだかわからなくなったが、気がついた時には
もうリュウの足元に転がっていた。
上を見上げると「久しぶりにやるか」とリュウが両手を構えなおして、ペッと
脇につばきを吐き、ゲンジを煽った。顔は笑っている。
ゲンジがリュウの足を払いに右足を出すと、リュウはジャンプをしてそれをよ
けた。
「ちぇ、女にいいように遊ばれてよ。うじむしみてえなやつだなお前」リュウが
顎を上げて言った。ゲンジはジーンズの埃を叩きながら、ゆっくり起きあがって
目に掌をあてた。ちょっと血が滲んでいる。
「痛えなぁ、リュウ」
「ああそう?」
まだ構えを崩さないでいるリュウにゲンジは「俺が悪かったよ」と手を差しだ
した。リュウが不信ながらも手を降ろすと、今度はゲンジが思いきりリュウの口
元にパンチを放った。リュウは倒れずに「汚ねぇなこのやろー」とゲンジのみぞ
おちにこれでもかとばかりに蹴りを入れた。ゲンジがすっ飛んだ。息が止ってコ
ンクリートの上でもがいた。
リュウはその脇にデンと足を広げて座ると「これでおあいこだぜ」とゲンジを
眺め、タバコを出すと、ペッと唇から血を吐き捨てた。
「あぁ痛え」ゲンジが呟くと、リュウがジッポの蓋をカチンと開けた。
「この前な、久しぶりにお前に殴られて、殴り方を思い出してな、俺」
ゲンジがようやく起きあがって、リュウと並んで地べたにすわった。リュウが
ゲンジにタバコの函を差しだした。ゲンジが首を横に振って「わかったよ、わか
った」といって彼の肩をポンと押した。
「おい鍵貸せよ」
「あ?」
「その顔で店出るのか、お前」リュウが手を出した。リュウの方は唇をちょっと
切った程度だ。
ゲンジが「悪いな」と鍵を渡した。
『明日になれば青痣だろうが、どうせ明日は月曜日だ。いや問題の月曜日か』ゲ
ンジがそんな事を考えていると、リュウはさっさとエンジンをかけて行ってしま
った。ゲンジはただ呆然と行交う船を眺めながら『どうすんかな』と考えた。さ
っきのタバコが吸いたくなった。
悔しいが女の扱い方は昔からアイツの方が上だ。ゲンジは殴られて、かえって
良かったかもしれないと思った。なにかが吹っ切れた気がした。
翌朝起きると、久しぶりに彼は押入れからキャンプ用具を引張り出し、コンパ
クトなテントとシュラフを用意し、ガスランタンのボンベの残量チェックをした。
昨日はあれからフラフラと山下公園まで歩いて、ポップコーンを鳩と一緒に食
いながら考え続けた。しかし、どれだけ考えても、何も彼女が言ってくれなけれ
ば結論は出ない。だからキャンプだ。遠出をする。ゆっくり話す。なるようにな
れ、だ。
階段を上がる音が聴えてきた、ナホだ。彼女がチャイムを押す前にゲンジはド
アを開けて、その荷物をぽんと踊場に放り出した。
ナホは相変らずニッコリ笑ったと思ったら「どしたの?」目の痣を見て心配そ
うに眉を曇らせた。それから足元にある荷物を見た。今朝の彼女には二つ疑問が
ある訳だ。
「ああ、目の痣は昨日リュウに一発見舞われた。もう痛くはないよ」
「どうして?」
「ナホの事でさ」ゲンジがいうと、彼女は真顔で頷いて、それからは何も言わな
くなった。
彼が先に階段を降りて、H・Dを正立させてエンジンをかけた。彼女はまだ乗
ろうとはしない。バイクをまっすぐ立ててエンジンをかけないと、H・Dはエン
ジンオイルが回らない、更に暖気運転にもかなりの時間が必要なのだ。ナホはい
つしかその間さえ覚えている。
ゲンジはバイクから降り、タンデムシートの後ろと、タンクの上になんとかキ
ャンプ用具をくくりつけると、バイクにまたがった。彼女が何も言わずにヘルメ
ットを受取り後ろに乗った。
「今日は遠出をする、嫌だったら途中で帰るさ」
彼女はまたうなずくと、それからは、いつもの明るい彼女に戻った。よせばい
いのにまたゲンジの大好きないい匂いがする。
彼女が後ろからしがみついてきて「出発っ!」と言った。
ゲンジが苦笑いをしながらギアを入れ、アクセルを開けた。
夜になるまで、あの事には触れないでおこうとゲンジは決めた。それにしても
ナホはなにを考えてるのか、まったくあっけらかんとしている。
藤沢パイパスを一気に抜けようと思ったが、いつになく渋滞だ、途中で林道に
降りた。クルマはだいぶ減ったが、道幅が狭く見通しの悪いワイディング・ロー
ドだ。それでも好き好んでこの道を走りにくるバイカーも多い、H・Dの走りに
は似合わないが、結局はゲンジはそれなりに走りを楽しんだ。
相模湖が見えてきた「もうすぐ中央高速のI.Cだ」ゲンジが叫んだ。
「やっと落ちついて走れるのね」
「ああ一○○Km/hで走る。H・Dスポーツスターがもっとも歓迎する巡行速
度だ。その感じで何日でも走り続けるのが、こいつには似合ってるんだ」ゲンジ
が言った。
「なるほどぉ」ナホがいうと、ゲンジはギアを二つ程落し、ウインカーをつけて、
そのI.Cにバイクを乗入れ、料金所の前で止った。
ゲンジはそこでやっとハンドルから手をはなした。林道で若干疲れたのか、体
を延しながら、チケットを貰おうと手を出した。
しかし料金所の係員は「お兄さん、バイクの二人のりは禁止なんですよ」だ。
ナホは大笑いだ。ゲンジは今日に限ってその事をまったく忘れていた。いつだ
ってここから中央高速に乗っていたので、何も考えずバイクを走らせてしまった。
「ちぇ、降りろよ」
「どうするの?」ナホが肩ごしに顔をのぞき込んだ。
「押す」ゲンジはしょうがなく、料金所の前から入口まで、結構長い一方通行の
道の端をひとりで押して歩いた。入ってくるクルマやバイクがその度に彼を見る。
かなりかっこ悪い。
「H.Dが最も得意とする巡行速度だ。なんちゃってね」ナホは後ろからとぼと
ぼ歩きながら、茶々をいれた。彼女はかえって楽しそうだ。
「しかたない二○号線か」
「山梨?」
「もっと遠く」
「長野の方?」
「ああ」
「・・・・そう」
「帰るか?」
「いいの」
彼女が道路の脇からネコジャラシを抜き、クルクル回しながらハミングをしだ
した。
やっと通りに出た。
「牛乳がおいしいんだ」彼が、そういいながらキックを入れた。
「コロッケは?」ナホがリアシートに座って笑った。
「ああ? ないけどソフトクリームがおいしい。道路沿いにあるかぼちゃのうど
ん『ほうとう』も旨し」
「・・・・楽しみ」
ゲンジはそのまましばらく二○号線をとろとろと走っては、信号で止るのを繰
返した。いつものゲンジならこういうところでは、かえって飛ばすのだが。あき
らめスピードといった感じだ。
かなり時間をロスしたが、須玉を抜け出たあたりからは、さすがにのびのびと
した風景が広がってきた。たしか六月あたりであればツツジの群落が目に鮮やか
なところだ。
彼女は後ろでまたハミングだ。空も真っ青でハミングに似合いの天気だ。
そのハミングの声にエンジン音が交じる。
その交じりあった音が風に飛ぶ、
そして、その風が梢を揺らす。
空気がこころなしか透き通って光っている。
しばらく走り、ふたりはその『ほうとう』をやっつけると、デザートをめざし
清里あたりに点在する牧場に向った。ナホはソフトクリームを二つも平らげると、
馬に乗ったり、訳のわからぬおみやげなどを買込み、いつになくはしゃいでいる。
更に先にいくと標高が高くなってきたのか、白樺の林がめだつようになった。
向うからハーレーのサイドカーがやってきた。老夫婦の楽しみといったところだ。
ナホが手を上げると、彼らはそれに答えた。ハーレーでなくとも数名のバイカ
ーは挨拶をしてきた。その度に後ろでナホが「ヤッホー!」と叫ぶ。
ゲンジは国道の脇にひまわりの畑をみつけると、そこにバイクを乗入れた。ま
だ夕暮れには少し間があるが、暗くなると設営がメンドウだ。
ナホが手伝おうとすると、あっという間に彼はドームテントを立てた。ほんの
三分ぐらいのもんだ。「凄い!」ナホが声を上げた。
「俺がすごいんじゃなくて、テントが凄いんだ」彼は笑うと、またH・Dを始動
させた。
「待ってろ、ビールと食料を仕入れてくる。散歩でもしながら薪を集めてくれな
いか?」
「OK」
ゲンジが行ってしまうと、ナホはその大きなひまわり畑を一周しようと思った。
ひまわり畑の向うには八ガ岳だろうか?白い帽子を被った山々がすがすがしい。
太陽がその稜線近くに近づいている。
『いけない、もう三○分もしたら暗くなるかもしれない、散歩どころじゃない』
ナホはそう思って必死でひまわり畑のまわりを歩き、薪になるような木を探し
た。
ゲンジが帰ってきた。そこにナホがいないと気がつくと、ひまわり畑に隠れて
いたナホが「えへへ」と首を出した。両手一杯に白樺の倒木を抱えている。
「おっ、凄い。白樺だ」
「燃えるの?」
「うん、いちばん燃える」
「・・・・じゃないかと思ったんだ」彼女が胸を張った。
気がつくと稜線に太陽が沈む間際だった。燃えるようなオレンジだ。
その上に紫の帯があって、真上の空は昼の青より神秘的なコバルトだ。
ナホがそれに見とれ、思いだしたようにあたりを歩きだした。
ゲンジは早速、ランタンをとり出し、それに灯を入れた。
白樺の倒木を組んで、剥いだ皮を上にのせ焚火をつけた、と同時に太陽が稜線
に消えた。
夕陽がおちると同時に気温が下がってくるのがわかる。
ナホが両手を抱えて、ウウウと体を震わせ帰ってきた。
灯と焚火がついている、まさにジャストタイミングだ。彼が両手を広げて笑う
と、彼女が手を叩いて焚火のところにやって来た。
彼女が持ってきた「クロワッサン」と「から揚げ弁当」というヘンな組合わせ
ではあったが、ふたりは「景色が旨い」といって上機嫌でそれをペロリと平らげ
た。