AWC 休日に街へ出て (下) κει


        
#2122/5495 長編
★タイトル (WJM     )  93/ 6/11  22:41  (145)
休日に街へ出て (下)          κει
★内容


繁華街を歩いていると、金龍というラーメン屋が目にはいる。「激辛」をうたってい
るラーメンで、僕は少し早い昼食をとることにした。
通り過ぎようと前を一度は過ぎたのだが、額に汗をかき舌がヒリヒリする感じが思い
出されて、少しの葛藤の後、ほとんど気付けば店に入っていたという状態だった。
立ち食いの店であった。
僕は汚れた赤いカウンターの前に立ち、おばさんに言う。
「一つちょうだい」
「はァい」
右手にみえるボールに入れられた恐ろしく辛いキムチやらをみていると、小さな期待
が沸く。この頃になって、やっと少しの空腹感を覚えた。
ふと、サイフをどこかに落とした不安が駆けて、後ろポケットに手をやる。ない。
駅から出たとき、たしか僕は手にサイフをもっていた。それをどうしたか。
10円玉を駅から落としたのを思い出す。あの時もあった。それでは、どこで。駅前
のベンチでか。思い出せない。
ラーメンと交換でお代を支払う事になっているから、逃げ出すのならば今だ。
扉の無いこの店のちょうど出入口である、のれんのすぐ横に僕は幸いにも立っていた。
おばさんの目が麺をゆでる事に注がれているのを確認した。この麺は僕と、少し離れ
た所にたっている女性二人の分だ。
すっと僕は外にでた。すぐ前がパチンコ店であり、僕はその騒がしさの中へすぐさま
駆け込んだ。
奥まで金龍ラーメンの方に顔を向けないようにしながら歩いた。おばさんが追いかけ

床に転がっている銀色の玉を一つ拾い上げて、冗談気に立ったまま弾いてみる。
カラカラカラとそれは虚しく何処にも入ることなく落ちていった。
軽い失望を感じながら、僕は裏口からでる。自動ドアは、僕が出たのを確認して閉ま
る。頭のいたくなるような雑音が低くなる。

サイフには千円札が9枚入っていた。カード類を入れたサイフではなかった事は好運
といえるかもしれない。
冷ややかな焦りが、そう襲ってこないのは、金額が大したものでなかったのが大きい。
常にあるべきものが、存在せずそれで四苦八苦する事に僕は小さな憧れを抱いていた
かもしれない。
といっても、当然見つかればいいという願いの方が大きい事は確かだ。
しかしその一方、どこかで、さァてどうやって帰ろうか、と日常の壁を越える事態に
胸踊らしているのも確かだった。

とりあえず、自分が駅から歩いてきた道を戻る。繁華街の通路は、人で溢れ帰ってお
り、もしここで落としたのであれば、ほとんど絶望だった。それでも、僕は下を見な
がら歩く。
駅前の信号にでた。
おじさんは、まだ叫んでいる。もう明らかに声は渇れていた。
手かざしの彼女は、その広場の中央に立って、キョロキョロしている。エスカレータ
ーからは、沢山の人間が降りてくる。
ふと、駅からみた、黒い頭のうごめきを思いだした。今、こうやってみている限り、
人の顔はすべて違っていた。美しい女性もいれば、そうでない女性もいる。男性もそ
う。
おじさんの声が、止んだ。どうしたのかと見ると、椅子に腰掛けた。少しの休憩だろ
うか。そう願った。

信号が青に変わって、僕は駅前に歩く。青になり流れる、目の不自由な人のための音
楽が、騒がしい街にあっている。
僕は喋らず静かにしているのに、どこからともなくよどんだ人の喋り声が聞こえる。
それが集合して、街になっている。
黒い頭と、内容の聞き取れない音と、人を乗せた車と、バスがはく黒い排気ガスとが、
表面上、地でうずまいている。

僕はさきほど座っていたベンチの所まできた。茶色のサイフはどこにも落ちていない。
何度もこのまわりを回ってみたが、同じだった。
襲ってきた脱力感に、僕はもう一度ベンチに腰をおろす。何も考えずに、ぼーと溢れ
る通行人を眺めていた。
流行なのか、ベストを羽織っている人がやたらと多く感じられた。僕と少し離れた場
所で座っていた歌のおじさんが、立ち上がりまた大声でうたいだした。
僕もおじさんのように、大声上げてうたいたくなった。理解不明だったおじさんの行
為は、いがいにも容易な心境からであるかもしれない。
大声あげて歌おう、しかし人の目が僕の前に大きく立ちふさがり、僕は思いとどまっ
た。
所詮、黒い頭であるはずの人の目は、どうしても強大な力を携えていた。
打ち勝とうと考える時もあったが、そうすべき理由を見失い従順に従うべきだという
考えが僕を占める事が今のように、ほとんどだった。

無気力感が、時間と共に冷めていくと、先ほどの、さァてどうやって帰ろうか、とい
う冒険心に近い気力が沸いてくる。
しかし、それはそう大した事柄でないと思った。なぜなら、わずか数百円ほどの電車
賃くらい、警察に頼めばかしてくれるのでないか。
また急によなよなとなってくる気持ちとは裏腹に、やはり安堵を感じた。
残念な気持ちが、すぐに安堵に変わったりする、自身の心に不思議な思いがした。
元気であったのが、急に力無くしたり、幸せであったりするのが、急に不幸になった
り、それは認識できないほどの些細な出来事でだ。振り返ってみて、そんな事は数え
切れないほどの日常の事。

金龍ラーメンを出た時から、感じていたゆううつの種が一つ消えそうだ。
近くの交番で、理由を話すと、あっさりと500円玉を貸してくれた。電車賃は32
0円ほどであったが、僕は嘘を付いて500円だと言った。
サイフが届いたら連絡してもらうため、住所を紙に書いて、僕は銀貨を握りしめ、交
番をでた。
ゆううつの種が完全に消えた。

自由に使用できるお金は180円。たぶん何も出来ないが、僕はとりあえずまた入り
乱れた繁華街を歩く。
あてもなく歩いていると、どうも様子が変だと気付いた。場違いな通りに来てしまっ
ていた。急ぎ足で、通り過ぎようとしていると後ろから声をかけられた。
「にーちゃん。ちょっとにーちゃん」
僕は何か落としたのかと思い、振り返る。店の前で手招きをする男にほとんど無意識
に少し近寄る。
すると僕の腕を掴んで、何か僕にピンクの小紙を手渡す。
「今なら1000円引きやで」
僕は、驚いて笑いながら「ちょっと、やめてくださいよォ」

男は、笑いもせずに真剣な顔をして低い声で、いやいやほんまに、とか言う。
「ちょっとォ」と、僕は道行く数人の通行人の目を少しだけ気にしながらも、笑った。
「入ったことあるやろ?」
「そんなん、ないですよ」
すると、男はわざとかどうか、目を丸くして、うそっ、と驚き声を発した。
「またまた、にーちゃん、嘘ばっかり。1000円引きで4000円やから」と、僕
の腕をまた強く引っ張る。僕は少し、力をいれてそれに抵抗する。
「じゃあ、入らなくていいから、ちょっときてや」と、男は相変わらず店に引っ張り
こもうとする。好奇心から僕は付いてゆく。
すると、看板の下から写真が入ったパネルを取り出して、どの子がいい、と相変わら
ず僕の腕を掴みながら。
その男の腕は少し力を入れれば振り切れるようなものだったが……。その中に、彼女
がいた。
行きの電車の中、僕の注意を引いて止まなかった彼女が写真の中で座っていた。
上半身を裸にしていた。僕が無言になったのをみて、男はしめたと思ったか、それじ
ゃアといって、ともに店に入ろうと行動をおこした。
僕の隣に座って、文庫本を熱心に読んでいた彼女に、僕が抱いていた願望が少なから
ずかなえられるのか。
すでに、ゆらぐ想いに、僕ははっとした。ジーンズにあるお金の軽さ。180円。
それで、またもとの苦笑いのようなものを浮かべながら、やめてくださいってばァ、
と今度は強く振り切り、もと来た筋を歩きだした。本当に、写真の女性が電車でみた
彼女であったかどうかは分からない。よく似ていただけの事かも知れない。

今までの僕らのやりとりをみて、その2件となりの店の前に立つ男が、また僕に声を
かける。僕は、それを完全に無視しながら、もしも金があれば僕はどうしていただろ
うかと、考えた。
ポケットの上から180円を触りながら、金の有無ではなく、僕の理性の勝利だと考
えたかった。














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