AWC 『飛翔前』 第三章     スティール


        
#2119/5495 長編
★タイトル (RJM     )  93/ 6/ 7  20:26  ( 78)
『飛翔前』 第三章     スティール
★内容

 青柳町の路面電車乗り場。路面電車の終点。そして、石川啄木の墓がある墓地を抜
け、立待岬に着いた。
 トレノを岸壁に止め、海を見た。何時間かまえに、通り過ぎた啄木小公園が、かす
かに見えた。ここにも観光客がいた。私は、独りでここにいることがむなしいような
気がして、数分で、岬を離れた。
 車で、函館山に登った。上からの景色をみたいからではなく、車で登ること自体が
好きだったのだ。登っている途中も景色がみえた。この景色もなかなかいいものだ。
函館山の山頂まで達して、すぐ引き返した。山を降り、五稜郭に向かった。五稜郭を
通って、帰ることにしたのだ。

 もう、そろそろ、日が暮れる。夕焼けになりそうだ。私は焦った。急がねばならな
い。早く帰らないと、夕焼けが見れなくなってしまう。
 町と空の色が、少しずつ薄くなってきていた。元町を出て、駅前を通り過ぎ、五稜
郭で渋滞に引っ掛かった。渋滞のせいで、時間をいくらか、むだにした。
 五稜郭をやっと抜けた私は、トレノを飛ばし、昼に降りた坂を急いで駆け上がった。
駐車場にトレノを止め、買い物袋を握り締め、走った。エレベーターは、一階に待機
していたままだったので、すぐ乗れた。
 部屋に飛び込んだ私は、すぐ窓際に向かい、外を見た。空は、まだ明るかった。下
を見た。十数メートル下の路面のアスファルトが見えた。ふだんは、真下をできるぼチッ桂090400垈9オていた。私は、飛び降りたくなった。下のアスファルトに叩きつけ
られて、死にたいと思った。

  私は大急ぎで、ワープロを取り出した。今の気持ちと、心の中の光景を、書き留め
ておくために。
 そうしなければ、本当に、ここから飛び降りてしまいそうな気がしたのだ。私は、
自分の思いを、ワープロに打ち込んだ。


 名前。私の名前は、まだない。今の名前は、仮の名でしかない。本当の自分を見つ
け出すまで、私の名はない。
 風が吹き、火が地を焦がし、すべてがなくなっても、本当の自分を見つけるまで、
私の名はない。
  私は、いったい何なのか。どこにいっても、どんなに時が流れても、それがわかる
まで、私の名はない。
 ほんの一握りのかすかな想いが、私のすべてを決めてしまう。消された記憶。消え
ない想い。私の思い出。過去。過去の栄光。
 ドア。部屋のドア。入り口でもあり、出口でもあるドア。私はそこから出れない。
住所が変わり、部屋が変わっても、私はそこから出れない。自分の好きな方法、好き
なやり方で、外部と接したい。
 過去を取り戻したい。失われた過去の栄光を。消された過去、抹殺された過去の栄
光を取り戻したい。
 永遠の記憶、永遠の記録として。


 そのとき、ワープロのキーを叩いていた私の手を、赤く暖かい光が包んだ。夕焼け。
そうだ。そうだったのだ。あの高速道での、あの感覚は。
 私は、また新しい文を打ち始めた。


 たそがれが、街におとずれる。風もなく、はればれとした街。陽に照らされていた
街に、たそがれがおとずれる。
 光よりも闇のほうが、この街には、よく似合う。光が鈍くなり、街の色が消えてゆ
く。空が変質して、朱色に変わる。今日は風がない。風の速度がない日だ。
 無風の夕暮れには、夕焼けが映える。半島の先に山があり、そのすぐ近くに、真紅
の太陽が燃えている。
 夜景の前兆に、私の心は躍り上がる。今日は、霧のない、綺麗な夜景が見れるだろ
う。 たそがれが、街をつつむ。安っぽい、愛という言葉ではなく、街をつつむ。少
しずつ、街に灯が灯る。生命の灯り。ひとつひとつが、生きている輝き。
 街灯の灯も、輝く。人の道を照らすために。影をつくるために。物の影をつくるた
めに。 あの街の、ひとつひとつの灯りが、この街なんだ。この街が、生きていると
いう証明。たったひとつの証明。夜景を見るときにだけ、それを感じる。
 風じゃなく、愛じゃなく、輝きだけどきらめきじゃなく、これが、この街の生きて
いる価値なんだ。まだ、生きている息吹である価値なんだ。
 夕焼けが、闇に変わる。無色の空間と、闇のサーカスのようなバランス。
 街に灯が灯る。ひとつひとつが、それぞれ意志を持って、輝く。そして、光の速さ
で、私の元に灯りが届く。
 私にとっては、風よりも速く、愛よりも温かい、街の灯り。街に、闇がおとずれ、
本当の夜景がまた、戻ってきた。
 私は、この街を出ようとは思わなくなった。必要もないのに、都会に出てゆくこと
はないのだ。少なくとも、いまは。











前のメッセージ 次のメッセージ 
「長編」一覧 レミントン・スティールの作品
修正・削除する         


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE