#2118/5495 長編
★タイトル (RJM ) 93/ 6/ 7 20:22 (176)
『飛翔前』 第二章 スティール
★内容
元町に向かっていた。街の中心である五稜郭を通らずに、海岸沿いの道を行こうと
思った。今日はいい天気だから、そう考えた。自衛隊の駐屯地前を過ぎ、刑務所と競
輪場の間の広い道を抜けて、突き当たりを右に折れた。石川啄木臨海小公園と一緒に、
海が見えた。いつ見ても、素晴らしい景色だった。青い水平線と白い波とに並んで、
元町の左半分が、海の向こうに見えた。函館は、比較的風が強く、波が荒いように、
私は思う。アパートの部屋からも、海はいつも見えていた。しかし、やはり、海とい
うものは間近で見ないと、実感が湧かないらしい。海を臨んている、その道路をトレ
ノで走った。
元町に向かっていた。少し遠いが、元町の生協で買い物をしようとしていたのだ。
目的地はあった。目的も、いちおう、あった。買い物をして、自分の部屋に帰るのが、
目的だった。いや、しかし、自分の部屋に帰ることが、目的だろうか? 買い物する
ことが目的なのだろうか?
海辺に、風はない。トレノは走る。私は何処へ向かっているのだろう。スーパーま
で、遠出して、買い物に? それとも、ドライブに? いったい、何のために? いっ
たい、何の目的で? 目的がなくなると、死ぬのだろうか? それとも、狂ってしま
うのか?
元町の生協で、日用品と夕食を買った。それ以外の予定はなかった。トレノに乗り
込んで、発進させた。目的もなく、ドライブをしようと思った。夕暮れまでは、アパ
ートに帰るつもりも、帰る必要もなかった。道路二、三本分、山手にある、ハリスト
ス正教会の前を通った。そこから、真っすぐ進み、元町公園と公会堂の間を通り抜け
た。予想していたよりも、いくぶんか多く、観光客がいた。トレノの前に子供と母親
がいた。観光で来ているようだ。私の心は、いつの間にか、過去に翔んでいた。
不快感。親のせいで、子がよく狂う。いちばん、許せない、許せないことだ。子供
は、親が自分の話を聞いてくれて、理解してくれれば、親がヤクザでも、売春婦でも、
いいのだ。ほんとうに大切なのは、子供が、親を慕い、愛するのと同じくらい、子供
のことを理解し、愛してあげることだ。また、ひとり、どこかで、子供の気が狂う。
半島の本当の、はじっこに位置する外人墓地で、トレノの進む向きを変えた。この
まま、まっすぐ進めば、この先には、火葬場がある。祖母の葬式で、十年前に来たこ
とがある。そこで、私は人間の骨を初めて見たのだ。崩れかかった祖母の頭蓋骨も。
今日は、珍しい無風の日だ。港町の函館に、こういう風のない日もあったのだ。海
辺の金森倉庫と、高速フェリー乗り場の近くを通り過ぎた。観光客がたくさんいた。
立待岬に向かった。私のトレノは、元町を抜け、十字街で市電の線路に合流した。
トレノは、線路を横目に進んだ。函館公園のわきを過ぎた。桜の季節以外には、静か
な公園だ。
私は、よく旅に出た。なにかに、いたたまれなくなって、旅に出た。過去の清算す
るために、人を殺すための旅に出た。去年の夏には、私は、トレノで、九州に向かっ
た。私は、高速を、車で、のろのろと運転しながら、考えた。自問自答した。なぜ、
いま、この時代に、私は、復讐しなければならないのだろうか、と。私は、ただの殺
人犯になるのか、いま、この日本で。もはや、昔、言われていた愛という言葉の意味
は、いつの間にか、変わり、愛は、若者のアクセサリーの一つになった。愛は、また、
商売になり、生きるための道具になった。いつのまにか、愛は、胸の痛いものではな
くなった。私を取り残して、ほんとうに、そうなって、誰しもがそうなってしまった
のだろうか。
私には、恨みがある。北九州市に、どうしても、殺さなければならない男がいた。
その男を殺すと、昔の彼女と約束したのだ。私は彼女に対する約束を果たす義務が負
わねばならない。なくなったのは、愛だけでなく、真実や誠実や義務や責任もなくなっ
た。いや、なくなったというよりも、すべてが、私を裏切ったのだ。
現実ばかりでなく、虚構のの世界のはずの創作も、暗喩や異常な設定を描くように
なった。私とたいして変わらない年の作家の、書く小説からも、恨みや恋愛の情念と
いったものが、いつの間にかなくなってしまっていた。文学という流れからも、見捨
てられた私の心は、完全に処り所を失い、行き場を失った。私は、時代に取り残され
た古い人間なのだろうか。ダリのようなシュールレアリズムは、私の心を救ってはく
れない。私の心は、小さな像や歪んだ時計では、著すことなどできないのだ。難解な
言葉や、暗喩や、異常な変質者じゃない。いたたまれない、憎い、ぶっ殺したい、私
の場合は、ただ、それだけなのだ。
私は、馬鹿デカい登山ナイフを助手席に積んでいた。いまの私には、これだけが、
唯一の、心の処り所だった。これで、あいつの腹を、渾身の力を込めて、刺してやる。
愛に満たされていないわけじゃない。軽く目的もなく、生きているわけにも、いか
なかった。考えただけで気分が悪くなるような恨みが、私には、あるのだ。恨みを持っ
てはいけないのか。恨みのない人間を鞭打ち、絶対に恨まない人間に鞭打たれるのが、
今風なのか。恨みのある人間に、復讐せずに、そんなことをしなければいけないのだ
ろうか。
いま、こうしている瞬間にも、傷が付く。心に、傷が付く。無数の傷が、そして、
深い傷が付く。闇は、永遠に暗く深いものになる。
梅雨の感覚が、心から消えない。原因は分かっているのに、私の心から消せない。
自分自身の問題は、自分で解決しなければならない。あの梅雨のじめじめした感覚が、
心から消えない。心の梅雨が、私を苛んで苦しめる。私は、人を殺さねばならない。
私は、殺人者だ、人殺しだ。私は殺す、恨みのある人間を殺す。
死は永遠に、相手を葬って、倒す。私のいらいらした、鬱屈した感情を吹き飛ばし
てくれる。苦悩は、刑務所で味わう。どうせ、ふつうに暮らしていても、苦しむのだ。
恨む相手を殺したら、きっと、私は、永遠に苦しまない。私一人だけの勝利だ。世間
の人々に理解されなくても、わかってもらえなくてもいい。私一人だけが理解できる、
私一人だけが認識できる勝利だ。
私は、中世の武士だ。意地や名誉を守るために、禁じられた行いをして、腹を切っ
た武士だ。何を恥じることがあろうか、私は殺人者であっても、ただの殺人者ではな
い、自分の名誉を守るために殺人者になったのだ。
私は、恨みのある奴を刺す。刺し殺す。そうして、恨みを晴らすのだ。自分の命を
かけて、刺し違えても、相手を倒す。私の苦悩を消すために、私の心の中の梅雨を消
すために。
もしかしたら、私は、頭がおかしいのだろうか。もう、おかしいのだろうか。だが、
私の足は、まだ、地についている。天に昇るはずの、私の魂は、常に暗く、澱んでい
る。
正義は、いったい、何処へ行った。正義は、いったい、何処へ消えた。悪は、大手
を振って、栄え、ますます、繁栄している。私は、自分自身の正義を守りたい。自分
自身の空間を守りたいのだ。罪を犯した人間を殺さないことは、自分自身の中の悪を
認めるということだ。
私は、殺人者になるために、車に乗って、北九州に向かった。私は、破滅への道を
選んだのかもしれない。だが、破滅したとしても、決して、敗北したということにな
るわけではなかった。少なくとも、私自身の観念では、敗北ではなかった。
真実が、闇の彼方に消えて、すべてがなくなっても、私は、きっと、満足するに違
いない。この長い長い道程を、私は、車で走り抜けつつ、そう思った。
私は、ロシア文学をよく読んだ。ロシア文学は、不思議と、私の肌によく合ったの
だ。罪と罰、殺伐とした風土、権威と名誉、それらのテーマすべてに、私は共感でき
た。風が吹き、雪が降る、寒い季節に、小さい小屋の中で暖炉の火に暖まりながら、
ロシアの文豪は、いったい、何を考えたのだろうか。
北九州に着いた私は、夕暮れに、奴の会社の前で、奴が出てくるのを待った。私は
昼間に、車を盗んだ。それで、奴を轢き殺すか、それとも、状況しだいによってはqA!
奴Bナイフで刺すか。三時間ほど、待ったら、とうとう、奴は出て来た。私は、車で、
ゆっくりと、奴の後を付けた。奴が一人になった瞬間を狙い、私は、奴を轢いた。何
度も、何度も、奴を轢いた。
小倉駅の近くの人目の無い路地で、私は盗んだ車を捨てた。気分を落ち着けるため
に、私は、ゲームセンターに入った。
私は、そこから歩いて、私が函館から乗ってきた車が置いてある駐車場に向かった。
土地勘がないので、何分か、無駄な道で迷ったが、二十分ほどで、やっと、駐車場に
たどり着いた。
なぜ、自殺して、死なない。どうして、自殺して、死なない。
以前、札幌に旅行したときのことを、私は思い出した。冬の夜のことだ。札幌から
高速道路に乗り、函館に向かっていた。苫小牧の手前あたりから、雪が降り始めた。
雪は車と進む方向から、強い風に乗って、降ってきた。その降る雪は、道路と全く平
行に、トレノのフロントガラスに突き刺さる矢のように、私の目には見えた。
その雪の中で、私はトレノを走らせた。その光景を、かなり奇異に感じた。千歳空
港付近で、私のトレノ以外の車は、すべて曲がった。千歳を過ぎると、対向車のほか
には、車をほとんど見かけなかった。
雪が降っていた。私とトレノに突き刺さるように。不思議な気分になった。時間の
感覚がなくなった。というよりも、現在は、現在である必然性がなくなった。自分の
生きている空間にも、必然性がなくなった。映画でも見ているような映像が、私の前
に拡がっていた。
吹き付ける風は強かったが、車は風がないときよりも揺れない。真正面から吹き付
けていたからだろうか?
いま、考えてみると、あのとき、車も、風の流れに乗っていたに違いない。あのと
きの感覚は、いったいなんだったのだろう? あのときの感覚は、何かに似ているよ
うな気がした。
何十分、続いただろう。しだいに、道路を走っている感覚がなくなってきた。高速
だから、止まれなかった。いや、どうしても、止まることができなかったのだ。場所
と時間の感覚もなくなっていたのかもしれない。
雪の中、突然、正気が戻った。直前に、トラックがのろのろ走っていた。私はブレ
ーキを踏んだ。もう少しで、大ケガをするところだった。