AWC 『飛翔前』 第一章     スティール


        
#2117/5495 長編
★タイトル (RJM     )  93/ 6/ 7  20:16  (176)
『飛翔前』 第一章     スティール
★内容

 いったい、何が真実なのだろうか?
 私は目覚めながら考えた。いつもと変わらない鬱陶しい朝だった。こんなことを考
えるのは危険だということはよく承知しているつもりだ。しかし、私の思いはいくら
消そうとしても、消えない。少しまえから、小説を書くようになった。不思議なこと
に、そうすると、これまで見えなかったことが見えてきた。私はいままで立ち止まっ
ていただけなのだ。そのことは、むだではなかったかもしれない。創作者としては。


 昔の文学者はよく自殺した。自殺しなくても、破滅した者も多いようだ。なぜ、生
きるのかを考え、過去を思い出して後悔する。ふつうのサラリーマンや学生が、決し
て考えてはいけないこと。たしかに、世間の目からみれば、立ち止まっているのだ。
ただ、そのことが、普通の人種にはプラスにならず、作家にはプラスになっているだ
けなのだ。詩や小説を書く者は、その鬱屈した気分を創作物に転化させているものも
多い。だから、その立ち止まりが、プラスになっている者も多いのだろう。破綻した
精神こそが、文学を産み出す土壌になるのだ。私は小一時間も、ベットでそのような
ことや過去のことを考えた。そのあと、起き上がって、シャワーを浴びた。

 過去の思いが、よみがえる。立ち止まって、河の流れを見つめているように。河の
水が流れるがごとく、時は流れる。私は岸辺に立って、景色を眺める。時は流れる。
でも、一歩も前に進めない。私の時は流れない。私は立ち止まっているのだ。

  珈琲を煎れて、カップに注いだ。窓のそばに立って、珈琲をすすりながら、窓の外
の風景を眺めた。街全体の様子が見下ろせた。アパートは山の中腹にあった。私の部
屋はそのアパートの最上階に位置し、下の平野にある街を見下ろせた。遠方には、海
が見えた。街は三方を海に囲まれていた。街は函館という名で呼ばれていた。天気が
良かったので、街は陽に照らされて、輝いていた。のどかな、その風景に、私はいつ
もいらだちを感じた。函館はさびれつつある街だった。

 昔はそうではなかったが、最近、私は都会に出ようかと思うようになった。いつも、
心の中に、何か満たされないものがあった。空虚な何か。都会という響きが、私に、
何かを期待させていた。私は決して生活の変化を求めているのではなかった。都会に
行けば、心を満たすものが得られると期待していただけなのだ。しかし、現実に、都
会がその満たされない何か、心の隙間のようなものを埋めてくれるだろうか? そん
なはずはなかった。都会に移り住んでも、何も変わらないと思っていた。都会で暮ら
した経験がなかったが、都会に対する私の期待が幻想であると、私は確信していた。
そういった、いらいらしたときには、街に夜が訪れるのを、待ちどおしく感じた。

 都会の空気。地方都市とは違う都会の空気。なぜ、都会の空気が地方と違うのか、
長い間、私には分からなかった。しかし、先日、香港に行ったときに、私は私なりの
回答を導き出した。香港の街は臭かった。自然のものとは思えぬ匂いがした。東京の
臭さを強くしたような匂いだった。香港のガイドが、香港の街の臭さはヘドロの匂い
だと言った。ブラジルのサンパウロも、ヘドロのせいでひどい匂いがしていたとも言っ
た。東京も、私にとっては臭い街だった。東京の街の匂いもおそらく、ヘドロのせい
に違いないと、私は確信していた。

 霧に遮られさえしなければ、日暮れとともに、函館の夜景が輝き始める。街の夜景
を見ると、なぜか気分が落ち着いた。夜の景色の始まりの様子。月がおぼろに輝き、
星は白い点として現れ、街の灯が少しずつ灯ってゆく。夕暮れになるのを、私は待ち
望んでいた。私は、夜の闇を好んだのではなく、気分を落ち着かせる夜の景色を好ん
でいたのだ。

 ふと、山のふもと近くに目が入った。河が流れていた。その河の右に沿って、舗装
されていない道があった。人や車が行き交うその道は好きだったが、その傍らを流れ
る河は嫌いだった。その河を見ると、そのふちに立つ自分を、私は想像した。
 チッ、チッ、チッ、と、時計の音がした。壁に掛けてある時計の音がした。一秒一
秒の時を刻む音だった。普段は聞こえない時計の音が聞こえてきた。時が流れている。


 私は、岸辺に立つ自分の姿を想像した。私の時は止まり、私は立ち止まっている。
岸辺に立って、河を見つめているように。時は流れる。河は流れるように。私はただ、
立ちつくし、決して、そこを動かない。私の時は止まり、まわりの時が流れるのを見
つめているだけ。時は、私を残して、河の流れとともに流れる。河は流れる。私を残
して。河は流れる。私は独りで、いつまでも立ち続ける。

 突然、不快感を感じた。床に膝をついて、頭をおさえた。頭の中に浮かんだイメー
ジがあった。悪魔のような、いやっ、魔というようなものだ。叫び出したい感情がわ
きあがってきた。いったい、この感情は何なのだろうか。頭がおかしくなったのだろ
うか。私の心を切り刻む壁の時計の音を消すために、ステレオのスイッチを入れた。
ベッドに横になりながら、私は考えた。天井の壁が目に入った。この魔というような
ものは、心の中の奥深くにひそむものではなかった。将来に向けての不安でもなかっ
た。わけのわからない、理由のない不快感といったものだった。この不快な感情から、
どうすれば逃れられるのか、以前はわからなかった。というよりも、別なことでその
ような不快感から逃れていた。小説に取り組むまでは、こんなにもひどい不快感にさ
いなまれることはなかった。

  こんなとき、私は、こういう不快な思いを小説に転化することにしていた。不愉快
な感情や漠然とした恐怖のようなものを、作品に転化しているといっても、怪奇小説
を書いているわけではない。さっき、ひざまずいた時に感じたようなことを、文字と
して、私は具現化していた。危険だと知りつつ、考えてはいけないことを、考えてい
た。
 いままで、私はいったい、何をしていたのか。もちろん、何もしていなかったわけ
ではない。目の前の幸せに、背を向けていた。大事な、なにかに、背を向けた。心の
中のちっぽけな、なにか。邪悪な、魔のような、なにか。素直になれない、なにか。
たとえ、そのせいで、死ぬことになるとわかっていても、素直になれなかった。
  部屋。生活空間。部屋。ドア。窓。空。雲。虹。青空。夏。冬。暖房。暖かい暖房。
過去を後悔している。後悔している。死ぬほど、後悔している。いままで、なにをし
た? そして、これから・・・。

 プロになりたいアマチュアは、よく『社会から見れば、自分は存在していないのと
同じだ』とか『世間から見れば、何もしていないのと同じだ』とか言うが、そういう
考えは間違いだ。そういう鬱屈した気分のときは、その感情を、創作のエネルギーに
すればいいのだ。プロになれなけば、なにもしていないというのか? プロになれな
ければ、存在していないというのか? そんなことを言い始めたら、世界中のほとん
どの人が、なにもしていない、存在していない人間になってしまう。自分が認められ
ないだけの話であって、それは、芸術家だけの話ではないのだ。問題は、自分が他人
よりも目立ちたい、注目されたいというそれだけのことなのだ。

 私も似たような考えを持っているが、私の考えは、それとは少し違う。私は、小説
を書いている。自分の人生を、自分自身を、証明したいからだ。自分で自分のことを
優秀だと、どんなに思っていても、そのことを証明する手段がなかった。私の小説が
出版され、売れれば、今までの人生を証明できる。ふつうでは、口にできないことが、
創作の形で主張できる。
 嫌な奴とは、触れたくないから、作家になる者もいるのだ。どんな人間ともコミュ
ケーションを取れるというのも、ひとつの才能・個性であるということは悪いことで
はないし、それが長所であることは、私も認める。それを認め、尊敬さえする。日本
のサラリーマンには、それが必要なのかもしれない。しかし、私にとっては、それが
苦痛なのだ。

 単一化された個性。日本人の大多数を占めるサラリーマンの個性は、たったひとつ
だ。私にとって、サラリーマンはただの奴隷にしか見えない。月々何十万かの、金で
働く奴隷だ。サラリーマンに要求される個性は、やる気のない部下をどのように働か
せるかとか、奴隷の位が高いだけの上司に気に入られ、出世するかというくらいのこ
とに過ぎない。日本は好きだが、そういうサラリーマン的な物の考え方を、私は嫌っ
た。

 小説を書くうちに、だんだん自我に目覚めてきた。自分が立ち止まっていたことに
気づいた。そして、失われた過去を取り戻そうと考えるようになった。小説を書くこ
とが、自分自身を見つけ出し、過去を取り戻すことなのだ。自分がなぜ生きているの
かということや、自分にとって、いったい、なにが真実なのか、ということを考える
のは、自殺や破滅につながる危険な行為だということも分かった。いままで自殺した
り、破滅した文学者の気持ちもよく分かるようになった。まだ、私は、ましなほうか
もしれない。文章として、文字として、書けば、不快感や鬱屈した気分が、形として
心の中から吐き出すことができるのだから。


 日が高くなり、私は食事をした。これから、どうしようか? ヒマだった。日差し
が強く、風のないおだやかな日。買い物もしなければならない。車で街に出ることに
した。

 いつでも横になれる格好から、背広に着替えた。ダブルのスーツに。背広以外の格
好で歩くと、私は、心に余裕がなくなり、そわそわした。なんとなく、不安になった。
他人の目が、どうしても気になった。背広を着ると、不思議と不安になることがなかっ
た。ポケットが多いことも、私が背広を好きな理由のひとつかもしれない。

  部屋を出る前に、ヒゲを剃り、鏡に自分の顔を映した。大丈夫なようだ。部屋の外
に出る準備は終わった。あとはドアから出るだけだ。ドアを開け、白く長いアスファ
ルトの廊下を、いつもの習慣でなにげなく見た。ほかには、誰もいないようだ。ゆっ
くりと歩いて、エレベーターに向かった。下向きのボタンを押した。エレベーターが
昇ってきて、ドアが開いた。乗った。エレベーターの中で、足の裏を離さないままの
姿勢で、私は子供のように体をくねらせた。一階まで、ほかに誰も乗ってこなかった。


 シ・]席
ノ笑り込んだ。相変わらず、あたりに人影はない。私の車は、中古のAE86
トレノだった。キーを廻して、エンジンを始動させた。私のトレノは、マフラーに穴
が空いているらしく、大きな排気音を出した。ギアが古くなっているのか、ギアをチェ
ンジさせると、時々カキンという金属音がした。どちらの音も、夜になるとよく響い
た。私にとっては、どちらも心地よい響きだ。決して、まわりの人々に迷惑をかける
ような音ではなかったと、自分では思っている。

 車で、坂を降りた。斜度のある、けっこう急な坂だ。それを数km下れば、沿道に町
並みらしいものが見える。エンジンを止めたままでも下れるような坂。下っている間
も、街の景色を見ることができた。冬は、冬の風景。夏は、暑い光景。春は、ほのぼ
のとした。秋には、寂しい色。いろいろな景色の感じられる坂。空には雲、太陽、青
空があった。

 自分の頭のよさや勘には自信があったが、人よりも、感性が鈍いと思っていた。小
説を書くようになってから、感性が鋭くなったのだろう、きっと。いままで、見えて
いないものが見えてきた。これまでの私の生活環境は、悪すぎたようだ。いままで、
何十年も、生活してきた場所も、環境も良くなかった。山の中腹に住んで、街の風景
を、毎日見れるということは、とても素晴らしいことだ。いまの私は、昔のみじめな
私とは違う。少なくとも、精神的には、救われている。

 坂を下り、一番最初に現れた交差点を、左に曲がった。二車線の道路を、その緩い
カーブに沿って、トレノで走った。産業道路という、ドライブ気分には、よく似合う
道路だった。ただ、ドライブというには、この道路は混み過ぎていた。最近は、駅前
よりも、郊外つまりこの近辺の方が、発展してきている。この郊外に沿って、街をつ
つむように走っている産業道路が、この街で、最も混んでいる道路のようだ。街も、
生き物のように成長するようだ。私も、街の一部といえば、一部には違いないのだが。










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