AWC 老いを見つめる(2)」つづき」  村風子


        
#2112/5495 長編
★タイトル (KGJ     )  93/ 5/28  18:46  (181)
老いを見つめる(2)」つづき」  村風子
★内容


 今日は何としても二十ケースは出したいが、間に合うかどうか。午後三時までに集荷
所に持って行かなければならないが、洗いから箱詰め運搬まで、総てを一人でやらなけ
ればならない。集荷所への運搬ぐらい、安良がただ家で、ゴロゴロしているのだからや
ってくれても良いのにと腹を立てて、口走ったのも初めのうち、最近ではもう怒る気も
しない。軽トラックで運べば簡単なのに、軽トラックは、安良の足代わりに使われるだ
けである。
 幸恵は間近かに人の気配を感じた。顔を上げると目の前に安良の顔があった、浅黒く
肉付きの良い丸顔は体は大きくても口許が緩んでいて気の弱さを感じさせる。
 「オッカアー ちょっと下ってくる」
 安良は体に似合わない声で怖ず怖ず言った。
 此の辺りでは街へ出るのを一般に、下ると言った。
 何を言うにも何をするのも自信なさそうにオドオドとして、それがたまらなく腹立た
しい。まあよい、部屋に篭もって、ただゴロゴロしているよりは、増しである。
 幸恵は視線を戻して大根を洗う手を早めた。
 安良は軽トラックを乗り出して行った。
 あのオドオドした自信なさは何時からだろうか、と、頭をかすめる。子供の頃はあん
なではなかった。ただ頼り無さはあったが、お人好しで明るさがあった。そう言えば勤
先を変え始めた頃から安良の明るさが薄れて、口数も減ったような気がする。でも、な
んであれ街へ行こうと考えたのは、安良に変化が出た。これがきっかけで良い方向へ向
ってくれればと思う一方、あの、人に向った時の自信なさそうな人の気を伺う眼差し、
あれでは勤めに出て他人の中で働くことはとても難しい。村の人達と付き合って行くこ
とさえ心配であるが、育った土地で子供の頃からの仲間となら、百姓しながらなんとか
なると思うが。
 明日はグラジオラスを出荷しなければ、と気が急く、花が開きすぎる、もう待てない
。大根を出荷してから、クラジオラスを夕方までに切って、今夜は、夜業で揃えなけれ
ばと、考えながら計画を組むのも疲れる。何のために、誰のためにこんな苦労をと、頭
をかすめる。お金は欲しい、幾らあっても欲しい。お金は使うだけあれば余分は要らな
いと言う人もいるが、それはお金のある人が言うことだ、僅かばかりのお金を、欲しい
物も不自由をしてまで貯金して、少しづつ増えればそれで気持ちが何となく落着いて精
が出る。
幸恵が夕食を済ませて、庭先の外灯の下でグラジオラスを揃え始めた処へ、安良が戻っ
た。軽トラックを庭の隅に停めて下りてくると、花を揃えている前に黙って突っ立つた
。
「どうかしたかい」と、手を止めて幸恵は顔を上げた。
「べつに」 と、口篭もった安良の表情は外灯の影でわからなかった。
「先に食べたよ、冷めないうちに急いで食べな」
「うん」
 家の中へ消えた安良は、何時もと今日は、少し変わった感じがした。今日何をしに街
へ行って来たのか、その事を詳しく聞きたい思いがしたが、それを口にする事が出来な
かった。若しうかつにそんな事を口にして、拒否されでもしたら、また更に溝を深くし
てしまう、それが恐ろしかった。
 暫らくして、家の中から現われた安良は。花を揃えている幸恵に、背を向けて少しう
な垂れ気味の格好で、左足の爪先で、庭を軽く蹴る仕草を、繰り返しながら。
「後片付けしといたよ」と、言った。
「え?」
「食べた後の片付けさ。 そして明日から、また、弁当造って、」
 安良は、背を向たまま言った。幸恵は、その大きな背に視線を向けて、手が動かなか
った。また働きに出て周囲の人達に潰されたら、どんな仕事を探したのだろうか。 こ
の子の為に出来ることは何でもしてやろうと思っても、大きくなり過ぎて、今の幸恵に
は、何をしてやれば良いのかまったく見当がつかない。この子が中学生の頃までは、迷
うこと無く世話をやけた。それがこの子の為に良かったか悪かったか、分からない。何
としても一人で歩んでほしい、自分の判断で。その姿を早く見たい、もう残り時間が少
ない。
 花を揃え終って、荷造りに取り掛かかれたのは、九時半過ぎであった。其処へエンジ
ンの音が道路から庭先へ飛び込んで停まった。こんな荒い事をするのは次男の信安だ。

 幸恵は車から下りてきた信安に言つた。
「いま少し静かに帰って来れないか、びっくら(驚く)するじやあないか。近所迷惑だ
よ」
「そうかい。まだやってるんか」
「ああ、おまえも少し手伝え」
「え? 俺が、俺だつて残業してきたんだぞ」
「いいから」
 幸恵えは強引に押しつけた。
「おふくろにも、まあ、困ったものだ。着替えてくる」
 信安は家の中に消えた。どうし、てこうも信安には気軽に物が言えるのか、不思議で
あるが、口から出てしまう。考えてみると、信安は一度として素直に「はい」と言って
手伝つてくれた事はないが、幸恵の気持ちを難癖を付けながら汲んでくれる。安良と違
つて、思ったことを、そのまま口に出す、が、また周囲の言葉にも傷付けられ無い心を
貰ってきたのか、同じ腹を痛めた子供でも違いすぎる。体付きも小柄で、筋肉が引き締
まった感じだ。信安が口にするのは、「おふくろ、今時こんなチビに産んでくれるなん
て、流行らないよ」であるが、幸恵はそう背が低いとは思っていない、最近の若者の背
が高くなり過ぎたのだと思っている。

       三

 八月の末に大根の播き付けをした。が、九月に入って少しも雨らしい雨が降ってくれ
ない。毎日、毎日、空を見上げては雲が空を覆ってくれるのを願いながら、祈る思いで
雨を待ったが、雨は降ってくれずに畑の土は白く乾いて、埃が立つほどに乾き切った。

 このままでは大根は売り物にならない。焦るのは気ばかりで、手の施しようがなくて
、とおとお大根作りの仲間は、大きなポリタンクを軽四輪トラックに積んで水を運び、
動力ポンプを使って大根に水掛けを始めた。毎朝一、二時間、沢の川から、高台の大根
畑へと行き来する何台かの車が列をなす程であった。幸恵もじつとしては居られずに、
耕耘機で水を運んで大根にかけたが、女手ではとても追い付けなくて、半ば諦め乍らも
、せめて少しでも救けようと、畑の片隅へ集中して水掛をつづけた。
 雨がきたのは、九月の半ば過ぎで、耕耘機での水運びにも疲れて、もう諦めようかと
、迷つている処であった。救いの雨、だが遅すぎた。水不足の大根は土際に膨らみが見
えて、もうとても売り物にならない、その部分を切ってみると黒みを帯た空が入ってい
る。外目には、少し生育が遅れた位に見えて、大根の葉は青々として、この雨で勢いを
取り戻したかに見えるが。さて、この売れない大根の片付けと、処分は、大変で気が重
い。
 その日は朝から激しい雨降りであった。
 早朝に有線放送がながされた。
「ほ場整備の、実地測量の結果が出たから公民館へ今夜七時半に集まるように」
 幸恵は追い詰められる思いで、その放送を聞いた。
 降り出したら本当によく雨は降る。あんなに降って欲しいと望んだ時には、降って呉
れなかったのに、九月の末に降り出したら、二、三日おきに降る。こう降ると、稲刈り
が気掛かりだ。その前にと、雨の中を朝から、その売り物にならない大根を、雨合羽を
着て抜き取り、畑の片隅へ積んで片付けた、その疲がいやに身にこたえた。出荷する予
定の大根も駄目になって、出荷できない。それで、午後三時頃、早めに仕事を切り上げ
た。
 雨降りでもあるから、一息入れようと部屋に寝そべって、大根洗い場のシートを叩く
雨足に定まらない視線を投げていた。
 気掛かりは、ほ場整備である。今夜は公民館へ行かなければ、と、思うだけでも、気
が重い。早めに夕食の支度をして、安良も信安も戻らないが、先に食べ始めたところへ
、また有線放送がはいった。
「区民の皆様再度連絡致します。今晩七時半より、ほ場整備実地測量の結果をお知らせ
致しますので、公民館までお出掛け願います。尚、印鑑を持参願い、確認の捺印を願い
ます。繰り返します、・・」
 公民館の広間は大勢の人で、ごった返していた。それぞれの地区を担当している役員
が机の上に構図を広げていて、それに皆が群がって、覗き込んでいた。女の姿は僅かで
、皆一家の主人であるが、何れも高齢で、若い者の姿は見えなかった。
「此処まで出掛けて来るだけで、はあ、もう疲れたよ」
 大声を張り上げて、広間へ入って来た幸平爺さんは、広間の片隅へどっかり腰を下ろ
して、大声で笑いながら言った。
「アッ、ハ、ハ、ハァ、俺の目の黒いうちに、ほ場整備が間に合うかなァ。うちの倅は
、百姓を、やりっこ無いし、だと言って、俺は、ほ場整備は嫌だとも言えないし、弱っ
たものさ。アッ、ハ、ハ、ハァ」
「そうさ、この中で倅が本気で百姓の跡を継いで呉れるものが居るかい、マァ、一人も
居ないじゃあないか、俺の処も望みなし」
 答えたのは、幸平と同年令の和男で、二人とも七十一歳とは思えない元気さで百姓仕
事を続けていた。幸恵はそんな二人のやり取りに視線を投げていた。
 幸平は戦前の若い頃に槍投げの選手で鳴らした話のある、頑丈な体格。小柄な和男も
同じくマラソンの選手で鳴らした陸上のコンビとのこと。何故この二人は何のこだわり
もなく、また屈託もなく、こんな事が言えるのかと、幸恵は二人の会話を聞いていた。

 幸平は続けた。
「うちの倅ときたら言い草がいい、後は継がないが跡は取る。こうだよ」
「そうなんだよ、実に倅達は狡い、ほ場整備して、どの田圃でも畑でも車が入れる様に
して置きさえすれば、どうにか為るで、賛成だ、と」
 二人は大声で笑い飛ばす様にして、幸恵の前を通り過ぎて、構図を広げている人垣へ
加わった。幸恵もそれに続いた。
 実測面積は、何れも縄延びがあって、台帳面積より広かった。他の人達も同じで、そ
の人達は、自分の財産が殖えた様な気になって、ニコニコして、幸恵に声を掛けてきた
。
「おまえさんの処も、増えたかい?、良かったなァ、俺の処も増えた」
 それは、たまらなく嬉しそうな声であった。幸恵はそれに笑顔で答えたが、少しも嬉
しくなかった。嬉しいどころか、ほ場整備の負担金が、縄延びの分、また金がかかる、
その方が頭が痛い、そっとして置いてくれたら何もなかったのにと思う。
 家に戻ると、安良が一人で夕食を食べていた。信安は今日もまた残業か、まだ帰って
いなかった。

 安良は、あれから勤めが続いている。勤めといっても、此の地方の各所でほ場整備が
始まり、その関連で、この八ケ岳山麓に広がる遺跡群の発掘が忙しくなった、其処へア
ルバイトに出ているのであった。
 安良は何も語らなかったが、勤めて二ヵ月。以前の明るさを少しずつ取り戻している
のを感じている時に、次男の信安が口にした。
「おふくろ、兄貴が何を始めたか知ってるかい、あれは、きっと親父の後を継ぐ心算だ
、心配ない、百姓する」
「え、安良がそんな事を言ってたかい」
「いや、言わないけど、発掘現場の話をする時の兄貴の顔が違うもの、あれは性に合っ
ているんだ、土をいびるのが」
「発掘って?」と、聞くと、市の埋蔵文化財課でしている内容を、詳しく話してくれた
後で、これは、兄貴が言いだす迄は、そっとして置いた方がいいな、と、付け加えた。


 幸恵が声を掛ける前に、安良は顔を上げて言った。
「おッかあ、何処へ行ってたんだ」と、箸を置いた。
「公民館。ほ場整備の実地測量結果が出たんで、その確認に」
「どんなだった」
「どんなって?」
「それは、広ささ。あつたかい?」
「余分にあった。えらく広いくて、困ったョ」
「なぜ、?良かったじゃあないか」
「金が余分に掛かるからなァ」
「お金なら何とか為るさ、信安も少し位は出してもいいらしいぞ。でも下の日向田は家
を建てるから分けて呉れって言ってる。でもこれは内緒の話だ、信安が言い出す迄はな
」
「そうかい、まあ、早く食べてしまいな。皆で亦、ゆっくり話そう」
 安良の言葉で幸恵は少し救われる思いであった。倅二人はそれなりきに話し合ってい
る、二人とも似たょうな方法で、互いの気持ちを覗かせてくれた。
 幸恵は風呂場へ行き、スイッチを入れた。今夜はゆっくり風呂に浸かって休もう。安
良の言う通り何とか為る。その気持ちは追い詰められた、それでなく、広大な原野を流
れる大河の、ゆったりした流れを眺めている、そんな気持ちであった。

                         (終)






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