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フリー日記 1997年4月分より /竹木貝石
★内容
4月14日(月)
今日の散歩は、天神橋まで行ってきた。
家を出て西(右)の方に行き、新守山駅のガードをくぐって歩いた。幸心の県営住
宅に住んでいた頃、よくこのガード下を通ったものだ。雷が新守山駅の鉄塔に落ちた
時には、まだ幼かった息子と二人で、お母さん(U子)を駅まで迎えに行ったが、大
雨でガード下は水が溢れて長靴の上までかぶるくらいだった。
当時、住宅でお隣だったOさんが、このガードを上がった所に家を建てて、今も住
んでおられる。長女のA子ちゃんは私の息子と同級生で、今は結婚して子供もあり、
先日、U子がOさんの奥さんに会って聞いた所によると、なんと! 孫(A子ちゃん
の娘)にヴァイオリンを習わせているそうである。県営住宅当時、私はヴァイオリン
に夢中で、長男と長女と私自信の3人が、N先生に付いてレッスンを受けていた。そ
の様子がOさん一家の印象に強く焼き付いているとのこと、現在私の家では誰もヴァ
イオリンを挽かなくなってしまったが、お隣に影響を与えていたのである。
間黒神社は、低い石柱を鉄棒で横につないだ神社特有の塀垣を備えており、横手か
ら境内に入って、まず狛犬を観察した。
鉄の賽銭箱には長方形の大きな南京錠が掛けてあり、屋根はあるが、吹き降りだと
賽銭箱の中に水が入るので心配だ。百円硬貨を入れたものの、賽銭箱の観察に気を取
られて、参拝をしなかったような気もする。
拝殿は十二畳敷きほどの板縁で、落ち葉がつもって汚れていたので、靴履きで上が
らせてもらい、一回りした。太い角柱と屋根と木の手すりはあるが、壁などは無いし、
ペンキが塗ってないから、すぐに木が腐ってしまうのは惜しい。
石の柱の鳥居は、昭和2年に作られた物で、東京在中の寄付者または建築者の名前
が書いてあった。
境内には貨車が置いてあり、多分物置代わりみ使っているものと思われるが、これ
はなかなか羨ましい。
用水路に架かる橋が神社の太鼓橋の感じになっていて、石段を川縁まで下りると、
中程の深みに大きな鯉が泳いでいて、70センチはあるだろうと妻が言った。
神社の向かい側に、コンテナの貸倉庫があり、波形の壁面は頑丈そうな手応えだっ
た。
倉庫とか分譲住宅とか聞くと、私はつい購入したくなるが、それは我が家の乱雑ぶ
りによるのである。敷地面積40余坪、総建坪32坪、7室の他に廊下・階段・浴室・
洗濯場・便所・ベランダなど、結構広く取ってあるつもりだし、五人家族ならさほど
狭くない筈で、世間にはもっと窮屈な家に住んでいる人もたくさん居るだろう。とこ
ろが、私の家族は全員、物を捨てたり廃棄したりしない性格で、何でも大事に仕舞っ
ておく。それも、きちんと片づければよいのに、雑然とか乱雑とか言う範疇をはるか
に越える状態にしてあり、本・衣類・ビデオテープ・パソコン関係の機器やマニュア
ル類・食器やプラスティック製品や安物の民芸品等、家中に積み上げたり投げ散らし
てあるから呆れる。別居した長男も、自分の荷物を持って出て行かずに、ほとんど全
部部屋に置きっぱなしにして行った。「足の踏み場も無い」と言うのは、正に我が家
のことである。
私の子供の頃から話に聞いているガスタンクは、高いコンクリート塀の奥に2基在
り、地球のようにまん丸い大きなドームの赤道部に、階段が付いているらしい。一度
も事故を起こしたという話を聞いていないが、もしも大爆発になったら、1キロ離れ
た私の家でも危ないかも知れない。管理や修理はどのように行っているのだろうか?
矢田川の堤防に上がり、河原に下りた。
芝生や広場や通路が綺麗に整備してあり、おじいさんの人が自転車で遊びに来てい
たり、二人連れのおばあさんが散歩に来たりしている。
木の長椅子に腰掛けて少し休み、暫く歩いて今度は、陶器かと見間違うほど固く仕
上げたプラスティック製のテーブルとベンチに座ったりしながら、天神橋の下まで来
た。
新しく架け替えられたこの橋は、国道19号線が矢田川の上を走る鉄橋で、名古屋
市の守山区と北区の境にもなっている。
橋の上は三車線だそうだが、橋の下は案外響きが少なくて静かである。橋脚は幅約
4メートルで、長さ12メートルと5メートルくらいのコンクリートの柱が組になっ
ていて、それがこちら側の岸と向こう側の岸に一組ずつ在るとのこと、見かけはしっ
かりしているらしいが、阪神大震災を思い出すと、こんなちゃちな構造でよいものか
と案じてしまう。
橋の下は夏きっと涼しかろうと思うが、今既にコンクリートの上に寝そべっている
老人もいる。
川原を元の所へ戻る途中、雲雀の声を聞いた。ピーチクピリピリ チャーチクピリ
ピリと楽しげにさえずりながら、天空を上昇して行き、声が小さくなったかと思うと、
やがて一期に下行して、我々から少し離れた地点、先ほどの陶器のようなベンチの辺
りに下りたとのこと、はるか向こうでも、盛んに雲雀が啼いている。
川を遡って、JR中央線の鉄橋の下に来た。ここの橋脚は、先日庄内川の松川橋で
見た橋脚と同じような古びたコンクリートで出来ており、その隣に、煉瓦を積み上げ
て作ったような橋脚が立っていた。この鉄橋は、こういう橋脚が全部で5組在ると妻
が説明してくれた。
川の水音が一段と高い辺りで、水際まで下りてみる。
そこは既に川底に当たり、無論整地はしてないが、ヘドロ状態ではなく、石ころが
大き目の砂利のようになっていて、案外足触りが良かった。
今日は水かさが少ないので、本流から別れて1メートル幅くらいの小さな流れが出
来ており、それをまたいで中州のような部分を歩いた。雨が降れば、ここも濁流が渦
巻くのかと思うと不思議だった。
さらに川を上って、前回桜を身に来た地点、「庄内川合流点まで6キロ」と表示し
てある所まで来た。土手の桜の花はまだ僅かに残っていて、手で触れると花びらがサ
ラサラと散った。もう葉っぱが大分大きくなっている。
堤防を後に、だらだら坂を下り、Mさんの家を訪ねた。
今日は在宅していて、座敷に上げてもらい、冷たいお茶とドーナツをご馳走になっ
た。親戚や身内のこと、金の貸し借りのことなど、約30分ほどよもやま話をして、
いとまを告げた。
4月15日(火)
今日は、家から西北の方を一回りしてきた。
まず郡道に出て西へ行くと、道路脇に八重桜が2本あって、妻はまだ五部咲きくら
いだろうと言ったが、花々が枝に群がって咲いている様子は見事だった。
我々全盲者にとって、桜の花の美しさが今一理解できないのは、花の一輪が小ぶり
で、花びらも薄く、指で触れても頼りなさ過ぎるからである。桜の花が樹木を覆い、
枝いっぱいに満開に咲き誇っている様を、想像することはできても、実感として味わ
うことは難しい。梅の花も似たような物だし、桜よりももっと小さい花で、例えば、
キンモクセイとかかすみそうなどは、なお分かりにくい。せめて蓮華やたんぽぽくら
いのしっかりした花だと触察しやすく、皐やつつじの大きさなら十分で、私は百合の
花が大好きである。だから、そめいよしのよりも八重桜の方が指ではっきり観察でき
てありがたい。盲人の場合、花の数や量よりも、花の一つずつの美しさの方が鑑賞し
やすいということになる。
幼い時からの全盲者にとって、一番想像しにくいのが、人の顔立ちと満開の花の美
しさではないだろうか? 他のことなら大抵は予想したり想像したりすることができ
るし、もしかしたら、実物よりも美しくイメージしているかも知れない。けれども、
喜びに満ち溢れた人の顔と、満開の花の美しさだけは、何故かうまく脳裏に描くこと
ができないのである。
中央線の線路沿いは、かつてベルタやルイス(盲導犬)と通勤した道である。私が
住んでいた県営住宅と新守山駅の距離は歩いて約15分、あの頃は若かった! 長男
や長女とヴァイオリンを抱えてレッスンに通った道でもある。
今は舗装されて、トラックがブンブン通る。
線路に沿って北へ300メートルほど進み、左に曲がって幸心のガードをくぐる。
ガードの一番低い所は、背の低い私でも天井に手が届く。
お母さん(U子)が、自転車の荷物台に次女や三女を乗せて、このガードの下を通
る時、いつも、
「アー! アー!」
と言って反響させるので、仕舞には子供たちも一緒に真似をしたものだ。
ガードを抜けると、すぐ右側に用水路があり、これは後で述べる〈八ケ村用水路〉
の上流に当たる。
30〜40メートル行って右(北)に入ると、ここが県営〈幸心住宅〉の中央道路
で、懐かしさもひとしおである。
私の一家が管理人として入居していたのは、昭和47年の6月から57年の11月
までで、色々な思い出がある。
その頃はまだ平屋建ての六軒長屋が多かったが、今では全て高層建築のマンション
方式に変わり、私が住んでいたD棟は、七階建ての〈九棟〉になっている。
道路の左側は公園で、これは以前と同じ場所にあり、右側の住宅(二棟・三棟・九
棟・四棟)の横を通って北に進んだ。
坂を上って庄内川の堤防に出ると、すぐ右に中央線の踏切があり、この辺りは、昔
ツクシつみや花火見物に来た所である。
堤防を川の方へ少し下った所に、『松川橋緑地』と彫った大きな自然石があった。
今や河原は整備され、野球のグランドや打ちっ放しのゴルフ場になっていて、幾人
もの人が練習をしていた。その音を聞きながら、堤防の中腹の芝原道を川下(西)に
向かって歩き、勝川橋のそばまで来た。
橋の手前に勝川公園の名残があり、防水小屋もあった。
ここの桜並木は、いずれも樹の幹が根本から数本に別れていて、太い枝というより
それは幹のようで、中には頭の高さをほとんど水平に伸びている物も多く、これなら
『花のトンネル』と言う言葉が分かるような気がする。
堤防を離れ、国道19号線の下をくぐり、その19号線の歩道に上がって、暫く南
へ歩いた。
妻が毎朝パートに行っているS新聞店、たからがわ歩道橋などを過ぎ、用水路脇の
休憩所に来てベンチに腰掛ける。
自然石の前面を大理石のようにすべすべに磨いて、次の説明文が刻んであった。
「八ケ村用水路は、御用水の水源と郷合川の源流を合わせて出来た川で、川村→牛牧
→大森垣外→大永寺→金屋→守山→幸心→瀬古を潅漑した所からこう呼ばれている」
その石の大きさを手で計ってみたら、高さ90・幅120・厚さ30センチもあっ
た。
用水路に沿って、『フイリヤブラン』『ヒトツバタゴ』などの植物を眺めながら歩
き、そこから新守山駅のガードをくぐって、家に帰って来た。
犬小屋とその周囲を何年ぶりかで綺麗に掃除しようとしたら、小屋の木が腐って壊
れてしまっていた。
我が家の番犬は柴犬の雑種で、Yさんからもらって、「ハッピー」というモダンな
名前を付けたが、それほどの品格はない。もう14歳になるが、幸い病気もなく元気
なのが嬉しい。
壊れた犬小屋は小型の木製で、購入当初、トタン板を切って外壁全体に打ち付け、
妻がペンキを三重・四重にも塗ったお陰で、14年も持ちこたえることができた。
ホームセンター『アント』へ行って、消費税込み六千余円で、プラスティック製の
犬舎を買ってきたが、当のハッピーは慣れないので入り辛そうにしている。