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★タイトル (UYD ) 97/ 2/ 2 20:12 ( 39)
雑談日記 KEKE
★内容
もしひとが障害を持つとして、いったいどのような障害がいやか、
あるいは不便だと思うか、ということを書いた本を読んだ。
両目失明、両耳が聞こえない、口がきけない、両手がきかない、両足が
動かない。講演しているときに、この質問をすると、ほとんどのひとは
失明が嫌だとこたえるそうである。次が両手がきかないになるとか。
ところが、各種障害者のなかで、一番社会参加、あるいは社会進出が
進んでいるのが、盲目のひとなのだ。すでに室町時代から、琵琶法師の
組合などがつくられていたという。琵琶をかきならし、歌をうたって
各地をまわる盲人がたくさんいて、その組合までつくられていたわけだ。
また江戸時代には、検校や座頭など、金貸しをなりわいとしていた盲人が
たくさんいたし、また盲目の学者などもいた。こういうひとたちは、限られた
特別なひとというわけではなく、ごく普通にいたらしい。
つまりこういうことなのだ。ひとというのは、ひとりでは生きられない。
ひとに依存し、依存しあって生きている。ひととの関係がつねにある。
ということは、ひとといかにコミュニケーションをとるかということが
重要なのだ。障害ということをこの観点から考えると、失明というのは、
かなり有利な障害なのだ。口がきけない、耳がきこえないとなると、
ひとと話をすることができない。すなわちひとと関係をつくるのに非常に
不利である。足が動かないと、そとにでてひとと関係をもつことができにくく
なる。
自立ということを、なんでも自分でやることと考えると、目が見えないと
いうことは大変なことだが、でも、もともと何でも自分でやるなんて不可能
なのだ。あなた自分で米をつくってますか?その米を自分で運んできてますか?
その米を自分で売ってますか?みんな他人がやってくれていることなのだ。
自分が金をはらって買ったんだから、自分でやったのと同じだと思うなら、
無人島に一億円でももって行ってみたらいい。そんな状態で金が何の役に
たつか。みんなひとがやってくれていることの上に、我々の生活は
成り立っている。
つまり、ひととの関係をつくっていく能力。ひとに依存する能力、ひとを
使ってなにかをしてもらう能力。そういう能力があるかないかが重要で、
障害ということを、その観点からみてみると、口がきけないとか耳がきこえない
というのが、想像以上にダメージがおおきい。
自分ひとりで生きているつもりになるな。あるいは、自分ひとりで
なにもかもやるなんて考えなくてもいい、自立というのは、そういう
ことではない、というのが、今夜の結論でした。