AWC 始発電車殺人事件連載第3回  ジョッシュ


        
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★タイトル (PRN     )  96/11/29  22:58  (200)
始発電車殺人事件連載第3回  ジョッシュ
★内容
  「始発電車殺人事件」 連載第3回   叙 朱 (ジョッシュ)

9 すずかけ台から、つくし野(つづき) 

「ああ、血が流れていますね。」
 走り出した電車の中で、警察官を名乗る若い男が、つぶやくように言った。外套の
男の腰のあたりを指さしていた。赤黒いペンキのような血が、開いた外套の裾の方に
じわりと広がりかけている。
「包丁で刺されたようですね。ほら。」
 確かに包丁の柄のようなものが、外套の隙間からのぞいていた。
 若い男は、触らないように注意しながら、ゆっくりと外套の男のまわりを一回りし
た。山下は、電車のドアのそばに立ちつくしている。電車の外は、白んできたような
気配だった。
「神奈川県警に電話をいれたいですね。」
 若い男は独り言のように言った。山下は、手に抱えた書類鞄を、若い男につきだし
た。
「中に携帯電話が入っている。使ってくれ。」

 若い男が、神奈川県警に電話を入れている間に、電車はつくし野駅に着いた。 シ
ュパッ、シュパッと高圧エアを開放して、電車のドアが開いた。山下は、開いたドア
からプラットホームにいるT電鉄の駅員を手招きした。振り向いた駅員が息せき切っ
て駆けつけるまで、山下はドアの間に右足を差し入れて待っていた。
 制帽をかぶり白手袋をした駅員は、倒れているオーバーコートの男を見ると、職業
意識から思わず声を掛けた。
「どうしたんですか、大丈夫ですか。具合でも悪いんですか?」
 床に転がった男からの返事は返ってこなかった。眼鏡をかけた若い男から、死んで
ますよ、と教えられ、若い駅員は動転した。まるでお化けでも見るような顔つきで、
倒れたオーバーコートの方を見やると、またすぐにホームに出て、大声で上司の主任
を呼んだ。
 異常な雰囲気を感じた乗客が開いたドアから首をつきだして、大声を出した若い駅
員の方を見ている。電車は、出発時刻を過ぎても、動き出す気配はなかった。

 T電鉄は、その始発電車の運行を、つくし野駅で打ち切った。乗客は、数えるほど
しか乗っていなかったし、後続の電車が約十分後に来るという説明で、大した混乱は
無かった。緊急事態発生のためと、車掌が車内放送した。乗客は全員つくし野駅で下
車させられ、念のためと言われて、氏名、住所、連絡先の電話番号の記入を求められ
た。警察官を名乗る若い男が、名簿を持って乗客を回った。
 山下だけは、まだ電車の中で呆然と立っていた。
 始発電車の乗客は、正確には男十二人、女二人の全部で十四人だった。死んだオー
バーコートの男は十五番目の乗客だった。住所、氏名、不明と記入された。
 午前六時十五分頃、まだ薄暗い中に降ろされた乗客は、プラットフォームで、仕方
なくぶらぶらしていた。山下は、第一発見者としての事情聴取のためと言われ、若い
男と車両の中にいた。若い男は、栗原と名乗った。

 午前六時二十五分。
 赤色灯だけを回転させながら、しかしサイレンは鳴らさず神奈川県警のパトカーが
駅前に到着し、年輩の男が二人、眠そうな顔で降りたった。
 二人は駅員に案内されて、問題の車両にやってくると、じろりと栗原を見やり、そ
して山下を見た。
「電話をくれたのは、君か?」
 白髪頭の方が、栗原に向かって聞いた。栗原は、白髪男が取り出した警察手帳を覗
き込んだ。神奈川県警N署捜査係長の嶋田脩だった。階級は、警部補とあった。
「ご苦労様です。私が電話しました、栗原です。」
 嶋田は、栗原から山下に目を移し、それから、足元の外套の男を見下ろした。そし
てそのままの姿勢で、喋った。 
「後で、ゆっくりと詳しい話は聞かせてもらうから、とりあえず、隣の車両へ移って
くれないか。」
 栗原は、何か言いかけたが思いとどまり、黙って山下に合図し、隣の車両へ歩いて
移動した。
「あれは殺人なのか。」
 山下は、隣の車両に腰を下ろしながら、低い声で栗原にそう聞いた。
「そうとしか思えませんね。」
 栗原は、小さく答えた。
「そうだとすると、刺されたのは電車に乗る前だな。中央林間から、ずっといっしょ
だったが、電車の中では、うめき声ひとつ聞いていない。確か、ボクが中央林間で乗
り込んだ時には、身体を震わせていたように見えた。あれは、苦しみを我慢していた
のか。」
 栗原は、山下の最後の言葉をとらえて聞き返した。
「それじゃあ、中央林間駅では生きていたのですか。そうすると、電車の中で息絶え
たってことですか。可哀想に。」
 山下も栗原もそこで口をつぐんだ。
 N署の二人は、しゃがみ込んで、死体をのぞき込み、外套の裾を手で持ち上げたり
して何か真剣に話し合っているようだった。こちら向きの嶋田の顔が深刻だった。
 山下はその暗い表情を見やり、だんだん不安にになってきた。事情聴取というのは
どのくらいの時間がかかるのだろうか。会議に間に合うだろうか。栗原に聞いてみよ
うかと思ったが、栗原は目をつぶり、何か考えているようだった。
 仕方なく、山下も目をつぶった。床にゆっくり倒れ落ちる外套の男の残像が、頭に
残って消えなかった。山下は、頭を強く振り、残像を消そうとした。

10 新宿

「ねえ、もし香港行きが決まったら、私も連れていってくださらない?」
 エリコは、ベッドに座って乱れた髪を手で揃えながら、脇で腹這いになっている山
下に向かってそう言った。
 新宿の都庁そばのCホテルが、いつしか山下とエリコの密会の場所になっていた。
 山下は、皺になったシーツの端を見つめながら、久しぶりの心身揃っての充足感を
味わっていた。こういうときは煙草が旨いんだよな。山下は、もう止めて久しくなる
煙草の味を思い出した。
「ねえ、聞いてくださってるの?」
 エリコが振り向いた。山下は下からエリコの顔を見上げた。鼻が尖っていて、日本
人にしては、彫りが深い。どちらかというと美人系の顔つきだった。
 香港進出のプロジェクトは、K商会海外統括本部企画課で、秘密事項として検討さ
れていた。しかし、同じ統括本部内の業務課秘書であるエリコがプロジェクトについ
て知っていても不思議はなかった。そろそろ、具体的な採算計算も終わり、部長会へ
の具申を行う日限が迫りつつあった。承認されれば、山下はすぐさま、現地に赴任す
るつもりだった。エリコはそうした事情を察知しているようだった。
 ただ、エリコに気持ちがのめりつつある山下ではあったが、頭の中では、はっきり
と仕事優先で割り切っていた。山下は、エリコへの最適な返答を頭の中で素早く組み
立てた。
「K商会の日本起案のプロジェクトに、女性メンバーが採用されたことは過去に一度
もない。前例のない特別なことを、平社員のボクの力だけでやることは無理だ。仮に
できたとしても、君を無理矢理メンバーにする事を、他のメンバーは快しとはしない
と思う。ボクも君のような優秀な秘書がいっしょにいてくれると大変ありがたいのだ
けれどもね。だけども、どう考えても無理なんだ。だから、残念だけどあきらめてく
れ。」
 山下は、手を伸ばして、エリコの尖った鼻の輪郭を人差し指でたどりながら、しか
し、はっきりとそう告げた。
 確かにエリコは優秀な日本人秘書だった。父親のフィリピン駐在中に生まれたそう
で、そのままフィリピンの大学を卒業するまで現地にとどまったため、英語、フィリ
ピン語にも堪能な国際的な秘書でもあった。その優秀さを認められたからこそ、フィ
リピンK商会採用という現地社員の身分から、K商会では異例の、東京本社への転勤
そして正社員採用という大抜擢を受けたのだった。二年くらい前、ちょうど、山下が
まだシカゴで華々しく活躍していた頃のことだったらしい。したがって、エリコは香
港でも充分やれる見込みはある。しかし、海外へ進出する場合では、秘書は現地採用
するのがそうしたプロジェクトの鉄則であった。現地での雇用枠を極力広く取ること
が、現地政府との関係上も良かったし、ビジネス自体もスムーズにいった。
「それは分かっています。ですから正式のメンバーではなくて、例えば私設秘書とか
という形ででもよろしいんですの。考えていただけません? 私、山下さんと離れた
くないんです。」
 エリコの言葉は、取りようによっては愛人志願ともとれた。エリコの白い指が、裸
の山下の背中を触ってきた。山下は、くすぐったい気分を抑えながら答えた。
「無理を言わないでくれ。僕は結婚して妻もいる。もう一人連れていけるほどの余裕
はないんだ。まあ、妻と離婚でもすれば別だが、今のところその可能性もない。香港
に行ってもたまには帰ってくるし、我慢してくれ。」
「我慢できません。」
 エリコは、そう言うと、山下の背中に爪を立てた。

11 つくし野から長津田

 つくし野駅前で、山下と栗原は、あたふたとパトカーに押し込まれた。それはたぶ
ん、山下と栗原が重要参考人、あるいは被疑者になっていることを意味していた。
 これは、大変なことになったぞ。会社で大事な会議があるというくらいでは、警察
は解放してくれないだろうな。山下は自分の運命を呪いたくなった。
 栗原は、パトカーの後部座席に押し込まれても平然と座っていた。パトカーが動き
出すと、通り過ぎる外の景色をながめはじめた。雲一つ無い日本晴れだった。腕時計
は、そろそろ七時を指そうとしていた。
 栗原は、自分が警察官であることを説明した。神奈川県警はおそらく、身分照会を
するだろう。今はつっけんどんでも、仕方がない。栗原は、落ち着いていた。
 山下が小脇に抱え込んでいた書類鞄は、いつの間にか、同乗した警官がしっかり抱
え込んでいた。山下は、すぐにその事に気づいたが、雰囲気に飲まれて言い出せなか
った。観念して目を閉じた山下を乗せて、パトカーは、人気のない長津田の町をサイ
レンを鳴らさずに走り抜けた。

12 新宿

 エリコは、どちらかというと、アルコールが入っても無口な方だった。ところが、
ある日、新宿のバーでは、珍しく能弁だった。にこにこしながら、突然、意外な身の
上話を始めた。
「実は、私には日本国籍がないんです。もう、お話ししたと思うんですが、私は父が
フィリピンに在留中に生まれました。海外で生まれた場合は、日本国籍を得るために
は、日本大使館にそれなりの書類を出しておかないと駄目なんです。国籍の留保手続
きというらしいのですが、どういう手違いか、私の場合は、それがちゃんとしてなか
ったようでしたの。」
 山下は、ジントニックを飲みながら、良く動くエリコの柔らかそうな唇に、見入っ
た。エリコは、バーボンのグラスを手にしていた。
「フィリピンの大学を卒業するまでは、なんの不自由もなかったものですから、国籍
のことは二十二歳になるまで、私自身も全然気づかないままでしたの。ところが、フ
ィリピンK商会に入社しようとしたときに、国籍の確認がありましたの。」
 それなら、山下も知っている。海外での雇用は、慎重に行われる。まず第一に、そ
の現地国の市民を雇用するという鉄則があるのだ。そうした雇用実績が、特恵関税の
申請や、法人税の優遇などの審査では有利に働くものなのだ。
「私は、フィリピン国籍は持っておりましたから、入社条件だけはクリアできたので
すけれど、つい、調子に乗って日本国籍も持っていると入社面接の時にお話ししまし
たの。そうしたら、それはおかしい、とK商会の人事部から言われてしまいました。
つまり、日本国の法律では二重国籍が認められるのは二十一歳までらしいことが分か
りましたの。それを越えると、国籍の留保申請をしていた人達には、日本国の法務省
から確認が入り、どちらの国籍か一方の選択を要求されるということなんですの。」
 それは山下には初耳だった。エリコは、そこで一息つくと、バーボンをぐっと飲み
干した。エリコが、グラスをカウンターにおくと、蝶ネクタイのバーテンダーが、音
も無くやってきて、空になったグラスに氷を落とし、バーボンを注いだ。
「私のところには、そのような法務省からの確認は、来ておりませんでしたの。つま
り、日本国籍は留保されていなかったという事なのです。それまでは、日本という国
をそれほど意識していなかった私でしたのに、日本国籍がとれないということが分か
ったその日から、急に日本のことが気になり始めましたのよ。」
「君は、大学を卒業するまでに、一度も日本に来たことはないのか?」
 山下は、何気なく聞いてみた。エリコは、首を大きく振った。手にしたバーボンの
グラスで、かちかちと氷が当たる音がした。
「そうですよね、一度でも日本に来ていれば、パスポート申請とかですぐに気づくは
ずですものね。一度くらい、日本に来ていれば良かったのかもしれませんね。」
 エリコは、少し遠くを見つめるような顔つきをした。山下は、ジントニックを一口
飲んだ。バーテンダーが、ちらっと山下の方を見やり、ジントニックの残量を目で確
かめた。
「でも、ひょっとしたら、日本の国籍がとれるかもしれないんですの。別に欲しいと
思っていたわけでもないのに、どうしてでしょうね。なぜだか分からないんですけど
その事で、嬉しいような気持ちになってしまいましたの。」
 エリコは本当に嬉しそうだった。バーボンを飲むピッチもいつもより早い。エリコ
がそんなに日本の国籍を欲しがる理由が山下には分からなかった。たぶん、それは国
籍を意識しないできた人間には、永遠に分からないことなのかもしれなかった。山下
の頭には、とっさにいくつかの疑問が浮かんだが、エリコの嬉しそうな表情を見て、
とりあえず、そのままにしておいた。
「まあ、そんなに楽しいことならば、乾杯でもしようか。」
 山下は、グラスを指で押し出した。グラスは、カウンターの上を静かに滑り、それ
を見たバーテンダーが、音もなくすり寄ってきた。エリコもバーボンを空けた。バー
テンダーが、飲み物を作る間に、エリコがいたずらっぽく笑いながら、山下に話しか
けた。
「山下さんが私と結婚してくだされば、簡単に日本国籍がとれると思っていたのです
けれども。そちらの方の見込みは難しそうですかしら?」
 山下は、一瞬、返答に詰まってしまった。ごまかすように、手を伸ばし、カウンタ
ーの上でエリコの左手を握った。エリコは笑顔を崩さないまま、山下の手を右手でふ
わりと覆った。いつしか、それが、二人の情事のサインになっていた。




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