AWC 「始発電車殺人事件」 連載第2回    叙 朱 (ジョッシュ)


        
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★タイトル (PRN     )  96/11/24  22:15  (188)
「始発電車殺人事件」 連載第2回    叙 朱 (ジョッシュ)
★内容
  「始発電車殺人事件」 連載第2回    叙 朱 (ジョッシュ)

  4 シカゴ (つづき)

 妻の幸代はこの降格帰任を山下から説明され、激しい憤りをみせた。
「どうして、あなたが責任をとらされるの。あなたは会社のためにやったことなんじ
ゃないの、それにちゃんと報告していたんだし、どうして責任をかぶるような形にな
ってしまうわけ? 毎日、毎日、夜遅くまで働いてきたあなたの努力は一体何だった
の。それを愚痴ひとついわず耐えてきた私の立場を会社は一体どう考えてるの。」
 山下は、面食らった。幸代はおとなしい妻だった。山下の帰宅が毎日のように深夜
になっても、恨みがましいことはいわず、淡々としていた。週末も、接待ゴルフで夫
は留守がちっだったが、ひとりで編み物をしたり、ショッピングに出かけたりして気
を紛らわしていた。
 若くして異例の抜擢を受けた山下のアメリカK商会ゼネラルマネージャーという肩
書きが、幸代には何と言っても嬉しかった。そして、ゼネラルマネージャ夫人と呼ば
れることが、幸代の口から愚痴を消し去っていた。幸代は、山下のはつらつとした姿
に、心の安寧を得ていたのだった。
 それだけに、今回の冷酷な降格人事は幸代を動転させた。家庭の雰囲気を、そして
自分の幸せを簡単に壊されてしまったようで、幸代の怒りは激しく、また容易に収ま
りそうもなかった。
 「所長はどうなるの。何も責任はないわけなの。あれだけあなたを好き勝手に、接
待だ、ゴルフだとさんざん引っ張り出しといて、今回は知らんぷりなの?」
「彼は駄目だよ。」
 山下は、頬をぴくつかせる幸代をなだめるように言った。 
 アメリカK商会のシカゴ所長、田中は、総務畑出身の事なかれ主義者であり、宴会
やセレモニーは大好きであった。田中は、事あるごとに山下を引っぱり出し、接待の
席でもしきりに山下の手腕を絶賛した。しかし、今回の山下の窮地に際しては、ひた
すら現地の連絡窓口として傍観者に徹していた。山下も田中に多くを期待はしていな
かったが、そのなりふり構わぬ保身ぶりには、怒りを通り越えて、あきれかえってい
た。
 山下が帰任でシカゴを発つ日、シカゴ空港まで見送りに来た田中所長に対して、幸
代はとうとう最後までにこりともせず、そして口も開かず、体面を気にする田中を大
いにうろたえさせた。見送りは、田中の他にはわずか数人という寂しいものだった。
 「何で、エコノミーなの。ケチ!」
 幸代は飛行機の席に座ってからも毒づいていた。

  5 月見野

 山下が目を閉じている間に、電車は、いつの間にか月見野駅を過ぎていた。どうや
ら、山下の車両に、新しい客は乗り込んでこなかったようだ。相変わらず、外套の男
と山下の二人きりだった。山下は、目をつぶっていたが、頭の中は冴えていた。

  6 東京

 海外統括本部長の平野は、帰任の挨拶に来た山下を本部長室で明るく迎えた。席を
立ち、山下の肩に手を置き応接セットに座らせると、秘書にコーヒーを持ってこさせ
た。相変わらず、平野の額はてかてかに光り、髪を固めたポマードが鼻をついた。
「しかし、君には苦労をかけたな。ささ、コーヒーを飲め。このコーヒーは、俺がわ
ざわざ、フィリピンK商会に言って取り寄せたものだ。日本では手に入らない豆だ、
うまいぞ。」
 せかせかした喋り方も変わらない。山下は、コーヒーに口を付けた。コーヒーは濃
く、美味しかった。 
「まあ、しばらく骨休めのつもりで、ゆっくりしてろ。君はずっと営業最前線でがん
ばってきたんだから、少しぐらいは、休みが要るだろう。なな、そうだろう?」
 平野は、にこにこ、まるで好々爺のような笑顔だった。山下は型どおり、今回の不
始末をわび、そして、自分の後任やスパレックとの契約について気になって聞いてみ
た。
「後任は出さないことになった。当面、田中所長に営業も見てもらう方針だ。あいつ
は、気は小さいが、言われたことだけはくそ真面目にやるから、都合がいいんだ。あ
ははは。それから、今回問題になったスパレック社への債務保証は、今のところ手つ
かずだ。どこかに販売契約ともども転売しようと動いている。行きがかり上、私が担
当で、本部内で処理するべく動いているんだ。まあ、気にするな。何とかするから。
君は気にしないで、しばらくは、業務課でのんびりしていろ。いいな。ささ。コーヒ
ーのお代わりはいるか?」
 山下は、コーヒー1杯だけ飲み終えて、もう一度、頭を下げてから、本部長室を出
た。平野の機嫌は良かった。それが何故か、山下には、引っかかった。

 幸代とは、日本へ帰ってきてから、ぎくしゃくしてきた。
 それまで夫には一切口答えしない妻だった幸代は、日本へ帰国後、格安のK商会の
社宅にはいることを頑として拒み、中央林間駅前の家賃十七万円の賃貸マンションを
自分で探してきた。降格処分された山下の月給ではとても払えない家賃だった。しか
し、幸代は意に介さず、実家から援助してもらうと宣言した。幸代の実家は、長野の
素封家だった。
 山下の仕事へ対する不満が、家の中でもでた。滅多に感情的なことを言わなかった
山下が、時折かんしゃくを起こすようになった。つまらないことが、気に障った。
 気がつくと、山下も幸代も、家の中で無口になっていた。

 そうして、日本帰任後、雌伏の日々を過ごしていた山下だったが、海外業務課で向
かい合わせに座っている若い聡明な業務課秘書には、帰任以来いたるところで助けら
れていた。倉科エリコという二十五歳の背のすらりとした女性だった。
「あ、それやっときますから、心配しないでください。」
 きまって白いブラウスに灰色のタイトスカートのエリコは、山下がまだやったこと
もないような事務処理を依頼されてまごつくと、書類立て越しにさっとその白い手を
差し出してきて、書類を奪い取った。そして処理が終わった後で、山下の席にやって
きて、簡潔に要領を説明してくれるのだった。
「君は、アメリカ人の秘書並みにすごいね。」
 ある夕方、仕事で残っていた山下は、帰ろうとしたエリコに誉め言葉のつもりで、
思わずそう声を掛けた。エリコは、一瞬その意味を理解しようというかのように考え
る素振りをして、そして、にこりと笑った。笑うと柔らかそうな唇の間から、八重歯
がちらりとのぞいた。エリコは、山下に囁くように言った。
「でも、少し違いますよ。私は、アフターファイブもオーケーですから。」

 その日を境に、山下とエリコは会社の帰りがいっしょになると連れだって飲みに行
くようになった。エリコは池袋に住んでいたため、中央林間に住む山下との中間地点
ということで、新宿によく行った。エリコは酒は強かった。二人は飲みながら、いろ
いろな話しをした。山下がもっぱら話し手で、エリコは聞き手だった。シカゴでの苦
い経験もエリコに乗せられて、あまり抵抗無く山下は話した。山下は、自分の気持ち
がエリコに引きつけられてゆくのを感じていた。
 ある夜、酔いが回った山下は、半分真面目にエリコをホテルに誘った。エリコは一
瞬黙り込んだが、しばらくして、山下の手を握り返してきた。

  7 南町田

 電車は、南町田駅に停車した。
 山下は、人の気配を感じて目を開けた。新しい乗客だった。
 ホームから乗り込むその若い男を山下は見つめた。雑誌を片手に、灰色の背広を着
て、薄い銀縁の眼鏡をかけていた。若い男は、乗り込むとまず山下の方を見やった。
山下と目線が一瞬合った。メガネの奥はまだ半分眠たそうで瞳の光は弱かった。次に
男は横に座っているオーバーコートの男を怪訝そうに見やった。たぶん山下が最初に
抱いた感想をこの若い男も感じたようであった。
 若い男は持っていたコンピュータ雑誌を広げながら、入り口の向こう側のいすに腰
を下ろした。そのコンピュータ雑誌は山下も定期的に読んでいる月刊誌だった。若い
男はすぐに熱心に雑誌に読みいった。再び目を閉じた山下を乗せて、電車は、静かに
南町田駅を出発した。

  8 東京

 山下が帰国して、約一年後のことだった。
 K商会取締役に選任された平野に代わり、新しく海外統括本部長となった江尻武夫
から出勤したばかりの山下は、呼びつけられた。
「どうだ、業務課ではなかなか腕が振るえなくて、欲求不満になっているようだと聞
くが、そうかな。」
 前任の赤ら顔の平野とは異なり、江尻は神経質そうな蒼白い顔をしていた。確か、
台湾K商会から帰任したばかりと聞いていた。こちらは山下と違い役員待遇の本部長
に抜擢され、栄転での凱旋帰国であったようだ。
 山下は、江尻の真意を測りかねて、返答は濁した。
「まあいい、本題に入ろうか。実は今、新しい海外プロジェクトの検討が始まってい
るんだが、君をその検討グループに加えたらという声があってね。どうかね?」
 江尻の薄い唇が斜めにねじれ、冷淡な笑い顔になった。
 山下は、どきんとした。そのプロジェクトの話は知っていた。香港に新しい販売事
務所を設立しようという計画だった。実は、その企画は、海外統轄本部でかつての同
僚だった企画担当に山下自身が吹き込んだものだった。香港が中国に返還になる一九
九七年七月以前に、K商会の既得権としての販売会社を香港現地に持っておくことが
今後の中国ビジネス展開上、絶対に必要だ、というのが計画のポイントだった。シカ
ゴでの失点を取り戻し、営業最前線に復帰できるチャンスだった。
「是非やらせてください。汚名挽回でがんばりますので、是非プロジュクトに参加さ
せてください。」
 山下は江尻の笑顔が消えないうちにと、すぐさま返答した。江尻の唇はねじれたま
まだった。
「そう言ってくれるだろうと思ったよ。それじゃあ、山下君は、明日から海外企画課
に移ってプロジェクトの検討に参加してくれ。業務課の方は、引き継ぎは今日中に済
ませられるだろう。それから、ふたつだけ、念のために伝えておくけれど、まず第一
に、このプロジェクトが実行されることになった暁には、検討グループのメンバーは
全員、香港に行ってもらうことになる。いいね。それからもうひとつは、プロジェク
ト自体は、まだ決定されたものではないということだ。その可否は、これからの検討
グループの報告を聞いて、海外統轄本部の部長会で決定され、そして役員会の承認が
必要だ。したがって、早まった行動や、言質は慎むこと。いいね。」
 山下に異論はなかった。「分かっております」と言った山下に、江尻が、思い出し
たように続けた。
「ところで、君は、アメリカで活躍していたらしいね。君が帰された本当の理由は、
分かっているのか?」
 江尻の顔から、笑みが消えていた。山下は、慌てて言った。
「はい、充分認識しているつもりです。反省もしています。」
「いや、分かっていればいいんだけれどもね。」
 江尻の顔が曖昧に笑った。
 その笑い方が気になりながら、山下は急いでお辞儀をし、本部長室を出た。

 9 すずかけ台から、つくし野

 電車は、すずかけ台駅にがたんと停車した。 
 その衝撃で、山下は、はっと目を開けた。山下の目の前で、オーバーコートの男の
身体が、真横に傾き、そしてゆっくりと座席の上に倒れ込み、そのまま電車の床に転
がりおちた。ずさっという体の重みが電車の床にぶつかる音を、山下ははっきり聞い
た。
 山下は、反射的に立ち上がっていた。その男の倒れ方は明らかに異常だった。生あ
るものに必ずある反射的な動作が全くなかった。生気のある転がり方ではなかった。
死んでいる。山下は直感的にそう思った。
 電車のドアが、シュパッという圧縮空気の開放音とともに開いた。しかし、誰も乗
り込んでくるものはなかった。山下はどうしたものかと周りを見回した。コンピュー
ター雑誌を熱心に読んでいた若い男が気配に気づいたのか銀縁メガネの顔を上げた。
メガネの奥の目を細くしばたかせながら、立ちつくす山下と床に転がったオーバーコ
ートの男を一瞥した。
「触らないでください。」
 若い男は、立ち上がりながら意外と太い声でそういった。左胸に手を突っ込み内ポ
ケットをまさぐりながら、山下の方に歩いてくる。
「私は警察の者です。現場の保存をいたしますから、触らないでください。」
 内ポケットをまさぐるのをあきらめて、若い男はそういった。
「ちょっと訳があって、いまは身分証明ができませんが、警察の者ですから。」
 警察官を名乗る若い男は、言い訳めいたことを言いながら、倒れている男の方にし
ゃがみ込んで、その顔色をのぞき込み、首を振った。
「ああ、いけません。もう亡くなっています。」
 その時、シュパッ、シュパッという音とともに、電車のドアが閉まりかけた。山下
は、とっさにドアに駆け寄り、右足を閉まりかけたドアの間に差し込もうとして、失
敗した。ドアは、ぴしゃりと閉まり、何事もなかったかのように、電車はすずかけ台
の駅を出発した。
(以下、連載第3回へ続く)






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