#4275/7701 連載
★タイトル (RTG ) 95/ 6/ 6 2:20 (126)
終宴のとき(1) 珈琲
★内容
一章、凶 兆
勢いよく扉が開いた。古くなったそれが悲鳴を上げる。
フェミリアは机の上から視線を上げると、入って来た若者をいちべつして、
「扉が壊れてしまうわ」
とたしなめた。
若者、ウィクスは丁寧に閉めながら、それでも、
「壊れるのは、この扉が古いからだよ」
と反論する。
しかし、フェミリアはどうでもいいことのように聞き流し、手に持っていたカード
を机の上に並べ始める。それは占いに用いるものらしく奇妙な絵が描かれていた。
ウィクスは軽くため息をつくと扉にもたれ、それを黙って見つめることにした。
カードは真実を映す鏡である。彼女の師である、先見師の言葉である。鏡は、ただ
置いたのではどこか見当違いの方向を映し出す。ものを映すためには角度を調整し、
必要なら明りで照らし出さなければならない。その角度がカードの配置であり、明り
が先見師の才能である。
「なにを占っているんだ?」
しばしの沈黙の後、ウィクスが口を開いた。
「……恋よ。私の」
カードを並び終えたフェミリアが呟く。
「え?」
ウィクスは驚いて、フェミリアを凝視した。
「どうかした? そんなにおかしい?」
自嘲気味の声色。そして、
「……魔物は恋をしては駄目?」
フェミリアは顔を上げ、今度は真っ直ぐにウィクスを見つめる。その赤い瞳がなに
かを訴えていた。
この世に瞳の赤い人間はいない。瞳が赤いのは畜生か化け物だ。そんな人間がフェ
ミリアを魔物にした。事実、最初にフェミリアを魔物といったのは彼女の母親だった。
ウィクスは返答に困り、目を逸らした。
ウィクスが初めてフェミリアに逢ったのは七年ほど前になる。彼は学士院に入った
ばかりで、剣技の師、デラルド・サクェスのもとで修行の日々を送っていた。
その頃、一つの噂が流れた。
サクェスの娘は血のように赤い瞳をしている。目があっただけで気が狂うそうだ。
ウィクスは噂にすぎないと思った。師に問う必要もないと。しかし、噂には必ず根
拠がある。ウィクスは好奇心に動かされ、そして、事実を見つけた。
師の不在を確かめ、鎧を着込み兜で顔を隠す。急使を装い飛び込んだ家には少女が
いた。いや、ウィクスの目には赤い瞳の魔物が見えた。噂で濁った青い瞳には……。
気が付くと、ウィクスは走っていた。すべてを消し去るかのように。しかし、血の
ように赤い瞳が焼き付いて離れなかった。
真っ直ぐに見つめるフェミリアの瞳は、あの時のそれに似ている。ウィクスはそう
思った。
「……やめた」
フェミリアは、黙ったままのウィクスから目を逸らすと、カードを寄せ集め、机の
上に広げてある布の上にそっと置いた。
ウィクスは何か言おうとするが、言葉が出てこない、しかたなく窓の外を眺める。
白い石壁の向こうには北の沼地が横たわっていた。
二人がいるのは王立学士院の北棟の一室。学士院はメリトルン王国の王都エドリア
クにあり、歴史は古く、創始者は独立、建国を達成させたエドリアーク一世。各専門
分野を研究し、なおかつ優秀な人材を育成するのが目的である。
現在、最も重要な目的は戦士の育成。もっとも、戦争の為ではない。百年も昔に、
モルタティーク二世の政略結婚により、唯一の隣国であり、元は一つであったデイク
ストル王国との戦争は終結している。
問題は北に広がる湿地帯にある。化け物と呼ばれる異形の生物が十数年前から頻繁
に出現するようになり、その被害には数多くの人命が含まれている。要は化け物退治
なのである。
しかし、危険に自ら飛び込もうとする馬鹿はあまりいない。徴兵制度が戦争の終わ
りと共に廃止され、人材不足が悩みの種となっている。が、例外は必ずある。ここに
いるウィクスのように。
ウィクスは殺伐とした風景を眺めながら、ふと疑問に思う。あの瞳の意味にいつ気
付いたのだろう。
五年前のあの日、北の沼地で戦った化け物は、想像以上に手強かった。師と二人で
相手をしていたが、足場が悪く思うように動けない、ほとんど師一人で戦っていた。
それでも、ウィクスは攻撃の機会を捜していた。そして、機会は来た。少なくとも
彼にはそう思えた。
剣を真っ直ぐに構え、一気に跳躍する。ついで、弱点である目に剣をふり下ろす。
刹那。師の叫ぶ声が聞こえた。次の瞬間、腹部に激痛が走る。ウィクスは意識を失い、
地に墜ちた。
深い闇の底でウィクスは意識を取り戻していた。全身に痛みが走り回っている、そ
んな感じだった。痛みに意識が集中できない。しばし後、やっと情報が集束し始める。
師の叫ぶ声……。化け物の触手が下から突き上げてくる。避ける暇は無かった……。
「師匠!」
ウィクスは叫び、起き上がろうとした。しかし、声は音にならず、激痛が走る。
「動いては駄目。大丈夫、戦いは終わったのよ」
闇の中から少女の声が聞こえた。鈴の音色に似た、静かな、それでいて稟と響く声。
「……ここは?」
微かに唇が動く。声にはならなかったが、少女には分かったらしい。
「貴方の師、サクェスの家よ。もう三日もたっているわ」
三日も……。ウィクスは苦笑するしかなかった。
「運ばれてきたときは出血がひどくて、もう駄目かと思ったけど……。本当に良かっ
た」
泣いているのか、声は微かに震えている。
「さあ、何か食べないと。少し待ってて」
立ち上がり、遠ざかる足音。扉が閉まる。ウィクスは不思議に思った。
この暗闇の中を?
そして、あの赤い瞳の少女を思い出す。
まさか!
扉が開いた。頭から血の引いていくのが分かる。逃げ出したいが、体が動かない。
確かめなければ……。
ウィクスは混乱していた。
「あ……明りを」
どうにか声になる。しかし、少女はすぐには答えなかった。
「……目が、見えないの?」
どうにか聞き取れるほど小さな声で、まったく予期せぬ答が帰ってくる。ウィクス
は言葉を失った。
数時間後、ウィクスは王立学士院医術部の一室で意識を取り戻した。
あの後のことは覚えていない。多分、無理に動こうとして、気絶したのだろう。
少女はここにはいない。そのことがウィクスをほっとさせていた。
それからの医術部のでの毎日は単調なものだった。
朝は薬師の持ってくる薬を飲む。それが、何故か毎日違う。丁度良い実験体にされ
ているらしい。
午後は、なにもすることはない。会いに来れ人もいない。両親、兄弟はすでに亡く
なっている。十年前に化け物に襲われ、生き残ったのは彼だけであった。剣を選んだ
のはそのせいかもしれない。そして、師もまた例外ではなかった。
師はもはや私を見捨てたのだろうか?
目の見えないウィクスにとっては永遠とも思える一日である。自然とウィクスは考
えこむ時間が多くなった。
赤い瞳の少女のことは出来るだけ避けるようにしていた。が、考えずにはいられな
い。
あの少女は本当に赤い瞳の魔物なのか?
この頃、そんなことを考えるようになった。少なくとも、あの闇の中から聞こえた
声は人の、感情のある響きがあった。いつしか、ウィクスは赤い瞳の少女とは別人だ
と思うようになっていた。