AWC 終宴のとき(2)            珈琲


        
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★タイトル (RTG     )  95/ 6/ 6   2:22  (173)
終宴のとき(2)            珈琲
★内容

 それから時は流れ、ウィクスは起き上がり、歩けるようになった。しかし、そこは
光のない世界。医師が言うには一時的なものらしい。治るのは明日かもしれないし、
何年後かも知れない。ウィクスは途方に暮れた。
 ある日、退屈な毎日に嫌気の差したウィクスは学士院を抜け出した。
 頬に当たる陽差し。人々の話し声。街の、大気の息遣い。全てが懐かしかった。
 微かな気配と物音をたよりに一歩一歩確かめながら進む。学士院の中では目が見え
なくても歩けるようになっていたが、さすがに外ではそうはいかない。何度もつまず
き、人や壁にぶつかり、ウィクスは自分が無力だと思い知らされた。
 そこがどこかもわからずさまよい、気力の尽きたウィクスは石壁を背に座り込んだ。
 そこは裏通りらしく、誰もいない。その静けさに後悔の念が沸き上がってくる。が、
疲れているからだと思い直し、しばし休むことにした。
 ここは一見静かな所だが、人々の生活の匂いが染み込んでいる。冷たい石壁に囲ま
れたあの部屋にはない……。
 足音が聞こえる。ウィクスがそのことに気付いたのは、足音が目の前で止まったと
きだった。
「……ウィクスなの?」
 女性……少女の声。どこかで聞いたことがある。ウィクスは顔を上げた。少女は薄
い布で顔を隠していたが、どちらにしろ彼には何も見えない。
「もう目は見えるの?」
「……いいや」
 そう、あの少女の声だ。顔も知らない親切な少女……。ウィクスは理想に膨張され
た少女のことを思い浮かべた。
「何故こんな所に?」
 不思議そうな少女の声。
「抜け出したんだ」
 ウィクスはわざと明るい調子で答えた。自分の弱さを隠すために。
「……そう」
 しかし、少女はそれに気付いたらしい。それ以上は聞こうとはしなかった。
「君こそ、何故こんな所に?」
 今度はウィクスが同じ質問をする。
「なんとなく……」
 少し困ったような声。が、それはすぐに小さな悲鳴となった。
「血が! ウィクス、あなた怪我を!?」
 ウィクスはそれを聞いて初めて右手が少し痛むことに気付いた。どこかでぶつけた
のだ。
「大丈夫、かすり傷だよ」
「かすり傷でそんなに血は出ないわ。ちょっと見せて」
 少女がウィクスの手を取る。突然痛みが走り、彼は思わず声を漏らした。
「ごめんなさい!」
 とっさに少女は手を離し、謝った。
「いや……大丈夫だよ」
「でも、早く手当をしないと」
 少女はすこしためらってから、顔を隠していた布を解き、ウィクスの腕を取ると傷
口をきつく縛った。
「きちんと手当をしないと。私の家はこの近くだけど……」
 ウィクスは迷った。
 今頃、学士院では大騒ぎになっているのではないか?
 ふと、そう思ったのだ。が、背中に感じる石壁の冷たさが、それを打ち消した。
 剣を振るえなくなった自分が学士院にいる理由があるのか? 学士院は自分を疎ま
しく思っているのではないか?
「お願いします」
 ウィクスは立ち上がると、思いを振り切るように答えた。


 少女の家はそれでもかなり歩いた所にあった。手当を受けている間ウィクスは黙っ
ていた。
「これで大丈夫。……痛かったかしら?」
「いや。ありがとう……」
 名を言おうとして、ウィクスは少女の名を知らないことに気付いた。
「……君の名は?」
「フェミリア。……フェミリア・サクェス」
「じゃあ、師の?」
「ええ、娘です」
 ウィクスは不思議に思った。師の娘は赤い瞳の魔物だった。けれど、この少女は普
通の人間なのだ。
「ほかの家族の人は?」
「父は、このところ帰っていません。母は……いません」
「……。姉妹は?」
「いいえ、いないわ」
 おかしいぞ? 魔物は? それともあれは幻だっかのか?
「……何故抜け出してきたの?」
 混乱し始めているウィクスに少女は思い切って聞いてみた。
「え? ああ、そう……寂しかったからかな」
 ウィクスはまたもや冗談めかして答えた。が、それが本音だった。
 それから数時間、ウィクス達は取り留めもなくいろいろな話しをした。昔のこと、
今のこと、未来のこと。触れたくないことは心の奥にしまっておいて。日が西の空に
沈む頃まで。
「もうこんなに暗くなってしまって。時の流れるのは早いものね」
 窓の外を見ていた少女は振り返りながら微笑んだ。それから、ウィクスの瞳に気付
き戸惑う。彼をどうすればいいのか少女にはわからないのだ。ただ、彼と話している
自分がとても楽しんでいた。そして、このまま彼と話し続けていたいと思っている。
少女もまた寂しかったのだ。
「……今日は泊まっていったら?」
 少女は自分の言った言葉に驚いた。何故こんなことを言ったのだろう?
「……ああ」
 ためらいながらもそう答えたウィクスも学士院には帰りたくなかったのだ。
 そして、次の日。少女はこう言った。
「もし、よかったら……この家で暮らしませんか? 父も必ずそう言うでしょう」
 ウィクスは驚き、迷ったが、結局この好意に甘えることにした。


 そんなある朝。ウィクスは小鳥のさえずりに目を覚ました。石造りの白い天井が光
を反射している。光源をたどり窓に目をやると、家々の白い壁が朝日に輝いている。
すべてが、鮮やかに見えた。
 見えるのか? ……いや、これも夢?
 おかしなことに、ウィクスは夢の中では目が見えている。が、その不自然さに彼は
気付いてしまう。夢から覚めるとそこは闇に閉ざされた現実。希望の光はいつも目の
前で消えてしまう。
 ウィクスは上半身を起こすと、しばし朝日を眺めた。
 どれくらいたったのか、ウィクスはふと足音に気付いた。ついで扉が開く。反射的
にウィクスはそちらを見た。
 少女が入ってくる。透き通るような白い肌に若草色の長衣、朝日に輝く白銀色の髪
を無造作に後ろで束ねている。そして、赤い瞳……。
「おはよう、今日は早いのね。着替えを持ってきたわ」
 少女はそう言って微笑むと寝台に近づき、手に持っていた着替えを差しだした。し
かし、ウィクスは受け取ろうしない。
「どうかしたの?」
 少女は眉をひそめるとウィクスの顔を見て、そして気付く。ウィクスの瞳が自分の
瞳を見つめていることを。
「……!」
 少女はとっさにウィクスに背を向けた。
「目が……見えるの?」
「いいや、何故?」
 見えると言ったら少女は逃げ出す。そんな気がしたのだ。
「ごめんなさい。あなたの目が私を見つめているような気がしたから……」
 少女は振り返り、謝った。が、ウィクスは苦笑していた。
「手を」
 ウィクスは怪我の治った右手を差し出した。少女は理由もわからずその手を取ろう
とする。が、ウィクスは急にその手をつかむと、少女を引き寄せる。
「なに? ウィクス? 手が痛いわ!」
 ウィクスはじっと少女を見つめた。
「……綺麗だ。白い肌も、この髪も、その赤い瞳も」
「……!」
「今朝起きたら見えていた。とても良く見える。……大丈夫、君は魔物なんかじゃな
い。僕が一番良く知っている。君は優しい女の子だ。ただ、少し他の人と瞳の色が違
うだけなんだ」
 ウィクスが手を離すと、少女は崩れるように彼の胸に顔を埋めた。声を上げて泣い
た。ここに自分を理解してくれる人がいる。実の父でさえ分かってくれなかった自分
を。孤独という呪縛から解放された少女は、ただ泣いていた。
 それとは別にウィクスはどうしたものかと思案していた。が、気が付くと少女の白
いうなじが目にはいる。顔が赤くなるのが分かり、慌てて窓の外を眺めた。
「……ごめんなさい」
 泣きやんだ少女はウィクスから離れると、涙をぬぐって微笑んだ。
「……」
「涙で服が濡れてしまったわね。着替えたら降りてきて、朝食にしましょう」
 少女が出ていき、扉が閉まる。ウィクスは服を着替えると部屋を出た。


 あの日、師は戦いの中で帰らぬ人となった。それも人間同士の醜い戦争の中で……。
 ウィクスは声に気付くと振り返った。
「何か言ったかい?」
 フェミリアはウィクスを軽く睨むと、言葉を繰り返す。その瞳にはウィクスの青い
瞳が映っている。
「何か占ってあげましょうか?」
「でも、君の占いは?」
「いいのよ別に……。どうなのかは分かっているもの」
「どうして?」
 ウィクスは平静を装いながら聞いてみた。
「意地悪ね。こんな私を好きになってくれる物好きいると思う? 赤い瞳の魔物を?」
 少なくとも一人はいる。ウィクスはそう言いたかった。けれど、フェミリアは悪い
冗談としか思わないだろう。
「そうだな……この国の未来なんてどうだ?」
「……変わったこと言うのね。いいわ、占ってみましょう」
 フェミリアはそう言うとカードを机に置いてシャフルし始める。口にだす言葉はカ
ードとの契約の呪文。ウィクスは黙って見ている。フェミリアの動きが止まり、つい
でカードをまとめる。そして、配置。星の形に置いていき、最後に一枚中央に置く。
配置が終われば解読。カード一枚一枚には意味があり、その組合わせと状況ですべて
を表現している。細かいことまで分かるが大抵は大まかなことだけを読みとる。
 フェミリアは次々をカードをめくっていく。が、その顔色は青ざめてきている。
「どうしたんだ?」
 フェミリアの表情の変化に気付いたウィクスが聞く。しかし、彼女は答もせず最後
の一枚に手を掛けたまま動きを止めた。その顔色は死人のように悪い。
 カードが軽い音を立てて倒れた。世界の逆位置。
「どうなんだ?」
 ウィクスが強い口調で聞いてくる。
 まさか! 何かの間違いに決まっている。フェミリアは必死に否定しようとした。
 しかし、カードは決して先見師を裏切ることはない。
「……この国が滅びると」
 フェミリアはそう呟くと、カードを手に、急いで部屋を飛び出した。


                               第一章 終




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