AWC パントマイム・ダンサーズ 00-02       青木無常


        
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パントマイム・ダンサーズ 00-02       青木無常
★内容
00-02 
「あぶないっ!」
 無意識に叫びながら奈々の手を思いきり引きよせた。
 同時に、蛮声を放ちながら白昼の異人は、ふりかぶった槍を優に向けて思い切り、
投げつけてきた。
 ゴウ、と風がうなりを上げるのを耳のわきで聞いた。
 切り裂かれる空気の流れを追って槍は頬と髪をかすめ過ぎ、ドン、と鈍い音を立て
て背後の壁に突き立つ。
 恐怖よりも思考停止の自失状態を露呈して、ナンパ小僧二人組は、突き立った槍と
交差点の彼方の異人とを交互に眺めやり、説明を求めるようにしてさまよう視線が―
―優の上に停止した。
 わたしのほうが知りたいわよ、もう、と口中でつぶやきながら、抱えこんだ奈々に
怪我がなさそうなのをざっと確認し、都市白昼の蛮族へと視線を向ける。
 ぎくりとした。
 さっきまでたたずんでいた白い壁の前に、あの派手な色彩の衣服をまとった褐色の
人影を見つけることができなかったのだ。
 瞬時、軽いパニックが優を襲う。
 すぐに、見つかった。
 異質きわまりない風貌より、その全身が発する異様な鬼気が、いやでも目をひきつ
けるのだ。
 パニックはおさまらず助長された。
 湾曲した片刃の蛮刀を肩上にかまえつつ、異人戦士は車の行きかう交差点を半分ほ
ど、踏破しつつあった。
 耳障りな音を立てて数台の車が、ノーズをアスファルトにめりこませる。だが異人
は、軽々とした身のこなしで、おしよせる鉄塊を次々と飛びこえ、突進した。
 優めがけて。
 躊躇は、一瞬にとどめた。
 思考は一時棚あげて優は奈々をおしやり、怒濤のごとく肉薄する褐色の戦士にむけ
て、身がまえる。
 銀の軌跡がふりおろされるのを、紙一重でかわした。余裕ではない。相手の太刀筋
が、予想をこえて鋭かったのだ。
 心臓を驚愕と恐怖に鷲づかみにされながら、いっぱいに見ひらいた目で相手の挙動
をとらえつつ、反撃にうつる。
 が、と歩道の敷石をたたきつつ剣先が火花をまき散らしたとき、露出した褐色の脾
腹に向けて小ぶりな正拳が叩きこまれた。
 残像だった。
 予想外の蛮人のスピードに、荒れかけていたハートが一気に、パニックの域に到達
していた。
 剣は敵の背後に向けて後退し、むきだされた歯の間から、しゅうと吐息が噴き出し
た。
 前傾していた重心をあわてて移し、後方に飛びさがるための予備動作をつづけるう
ちにも、スローモーションのように相手の腰の後方から半月が迫り出してくる。
 間に合わない――閃光のように判断が下されると同時に、急速に頭脳が冷却する。
死ぬのかなあ、と他人事のような感想が脳内をよぎり――
 視野に、思いがけない援軍が進入した。
 優に声をかけてきたナンパ小僧だ。朝シャンを欠かしたことのないようなサラサラ
の髪をざんばらに乱しながら、褐色の戦士に思いきりのいい体当たりをぶちかました。
 声も立てずに異人は飛ばされて、郡集のただ中につっこんだ。
 遠まきにしていた人群れが、ぎょっとしたように一斉に後ずさる。戦士が崩れこん
でくるのをまともに受けとめた先頭の数人が、毒虫を追いやるようにして倒れかかる
褐色の肉体をおしかえした。
 完全にバランスを崩してよろよろとたたらを踏む戦士に、調子にのったナンパ小僧
が飛び蹴りをくらわした。
 背中に痛撃を受けて再度よろめき、異人は敷石にしたたかに身体をぶつけながら倒
れこんだ。かん、と音を立ててその手から剣がこぼれ、がらがらと回転しながら後ず
さる群衆を追ってころがった。
 呆然とする優に、ナンパ小僧は首だけふりむかせて自慢そうに笑ってみせた。余裕
ありげな足どりで、異人戦士に歩みよる。
「――あぶないっ!」
 反射的にそう叫んでいたのは、異人戦士の毒蛇のように危険な性を、からだで感じ
ていたからだろう。
 忠告を無視してナンパ小僧は蛮人を眺めおろし、口端を歪めながら腹でも蹴りつけ
ようと足を引いた。
 ぎらりと、戦士の瞳が光を放つのを優はたしかに見た。
 逃げて、と警告を発するより速く、閃光のいきおいで戦士の肉体が回転した。
 軸足を、ナタのような一撃でうたれてナンパ小僧は、どっと顔面から歩道の敷石に
激突した。
 鼻がつぶれ、熟した果実をたたきつけたように真っ赤な粘液が四方に拡散した。
 そのときにはもう、戦士は回転のいきおいのまま立ちあがっていた。
 四囲を睥睨し、足もとにうずくまるナンパ小僧の腹底に、するどい蹴りをひとつ、
吸いこませた。
 押しころした苦鳴をあげて小僧が痙攣するのを冷たく観察し、ほかに反抗者の存在
がないことをひとわたり確認した後、優にその視線をすえ直した。
 吊り目の仏頂面に最初にうかんだ表情は、ほくそ笑みだった。
 あるいはそれは、威嚇の表情であったのかもしれない。
 歯をむきだし、見ひらいた双眸を獲物にぴたりとすえたまま、鍛えぬかれた刃物の
ような肉体がどん、と弾かれた弾丸のように急迫した。
 身がまえながら優は、自分の敗北と死とを予測していた。
 映画でも見ているように、現実感はわかなかった。
 一部始終を呆然とわきから見ているだけの奈々は、その瞬間、優の雰囲気が一変し
たことに驚愕した。
 表情が瞬時にして消失していた。
 氷のような視線が、突進してくる敵を怜悧に捕捉する。
 軽く沈めた身体はストップモーションのように凍結し、激発寸前の弾丸を思わせた。
 褐色の颶風が、肩をつきだして肉迫する。その身体が、突き出した肩先を頂点に、
奇怪な赤い燐光を発する幻像を奈々は目にしていた。
 受ける優が、白く輝きだすのも。
 赤い稲妻と白い光輝が、交錯した。
 ギィン――と空気が切り裂かれるような音を、奈々は耳にした。小さく悲鳴をあげ、
反射的にかたく目をつむっていた。
 そのまま、時までが凍りついたような気がしていた。
 騒音と人声の絶えない渋谷駅前の雑踏が、写真かなにかの内部に閉じこめられたよ
うな、空白の瞬間だった。
 それは時間にすれば、一秒にもみたない、ほんの刹那のできごとであったのかもし
れない。
 ふぁんと電車の警笛が鳴り、井の頭線の発車を告げるアナウンスとブザーがそれに
重なった。
 車のあげる静かなエンジン音がいくつも通りすぎ、遠くのほうからは人のざわめき
さえ聞こえる。
 すべて夢だったかのような錯覚を覚えつつ奈々はおそるおそる、目を開いた。
 なかば予想、なかば期待どおりの光景があった。
 呆然と遠まきにとりまいて、ことの経緯を見守る野次馬の群れ。
 ナンパ小僧のかたわれは、腹を抱えて路上に横たわり、涙をにじませた目をかたく
閉ざしたままだ。
 その前方で――優と、褐色の戦士とは、時代劇のように交錯を終えた姿勢のまま、
硬直していた。
 ごくり、と唾を飲みこむ音が自分の後頭部で、やけに巨大にひびきわたる。
 声をかけようとして口をひらきかけ、声が出ないことに気がついた。
 息さえもが、とどこおっていた。
 そしてその時――異人戦士の鍛えぬかれた肉体が、ぐらりとよろめくのを目にした。
 口の端から一筋の血流がどろりとこぼれ落ち、異人は目をむき出したまま路上に足
と手をついて倒れこんだ。
 優、やった、と心中快哉を叫びつつ親友に視線を移し――
 無意識のうちに小さく、悲鳴をあげていた。
 左手で右肩をおさえながら小柄な少女は、片ひざをついて苦しげに息をあえがせて
いる。
 右腕は力なく路上にたれさがっていた。
「優!」
 叫びざま、かけ寄りかけた。自分以外にもほぼ同時に、数人の野次馬が「大丈夫か」
と叫びつつ走りだしている。
 その全員に向かって、
「来ないで!」
 凛とした叫びが、制動をかけていた。
 混乱しつつ慣性のまま走り寄りかけ、奈々は氷の刃に胸をさしつらぬかれたように、
ぎくりと停止した。
 義侠心に富んだ他の数人の野次馬も同様だったらしい。一様に、ぎょっとしたよう
な顔をして、同じ方向に視線を向けていた。
 異人戦士に。
 憎悪と苦痛に、みにくく顔を歪めつつ蛮人は、両肩を抱えこむようにしておさえな
がら立ちあがっていた。
 たぎりたつ鬼気が、その全身から炎のようにゆらめいているのがわかった。それが、
少女救出に向かいかけた数人の足をとめさせた、正体だった。
 が――奈々は気づいていた。優が救助者たちに制止をかけたのは、褐色の戦士のせ
いだけではないことに。
 なぜなら優の、少年のような美貌は、蛮人戦士を視野の端におさめつつも、まるで
別の方角に向けられていたからだ。
 そしてその焦点には――山高帽をかぶり、黒いスリーピースを身にまとった、英国
紳士を思わせるいでたちの、ひとりの老人がたたずんでいた。
 白い肌と鷲鼻、瞳の色は判然としないが、背丈はやや高めだ。白髭に覆われた顔は
遠目には表情もわからないが、その全身から異様な紫色の炎が立ち昇っているのを奈
々は見た。
 もとより現実の光景ではあり得ない。オーラ、という単語が脳裏に浮かぶ。ひとの
生命力が霊的に現出するという、オカルトめいた知識とセットになって。が、生まれ
てこのかた奈々は、オーラどころか幽霊ひとつ、目にしたことなどない。
 にもかかわらず、はっきりと目に見えていた。
 無数に集まった野次馬の背には、そういった類のものは見えない。はっきりと形に
なって目にうつるのは、三つだけだった。異人、英国紳士の老人、そして優。
「何がどーなってるのよーもー」
 弱々しくつぶやいた時――
「さばき切れねえ、か」
 つぶやきとともに――第四のオーラが、奈々のすぐかたわらからずい、と現れた。
 タケル……くん、と、小さくつぶやいていた。
 この騒ぎのそもそもの発端である、優の幼なじみらしい少年の小柄な背中が、奈々
の斜め前に姿を現したのだ。
 その背中には、炎が燃えていた。
 凶猛で、力にみちた、熱い炎の、幻像が。
 優がふりかえり、タケルの姿をみとめて大きく目を見ひらいた。
 その顔に、わきあがるようにして微笑が浮かびあがる。
 タケルの横顔もまた、ニヤリと笑った。抑えきれないように。
 同時に二人は、ふたつの風と化していた。
 タケルは前方の英国紳士に、優は褐色の異人戦士へと。
 そしてふたつの逃走が、あいついで起こった。
 鷲鼻の老人は、タケルが自分に向けて急迫すると見るやいなや、ステッキをくい、
と眼前に持ちあげた。そして――消えた。
 奈々は自分の目を疑った。が、消えた、としか表現できなかった。人群れのなかに
さっと身を隠したのかもしれない。身のこなしとタイミングで、どうにでもできるこ
とではあった。が、いくらその行方をさがしても、移動の痕跡ひとつ見出せない。
 タケルもまた瞬時、とまどったようにたたらを踏んだが、奈々ほどうろたえはしな
かった。すぐに方向を転じ、優の加勢に参ずるべく、異人戦士に向き直った。
 急接近する優を迎えうつ姿勢をとりながら舌なめずりを見せていた異人戦士は、新
たに出現した敵が自分のほうに進行方向をかえたのを目にして、ぎり、と奥歯をかみ
しめた。
 闘争心に膨れあがっていた褐色の肉体が躊躇のためか、中途半端に後退と前進を、
くりかえした。
 が、勝ち目はない、と見たか歯をむきだして優と、そしてタケルを指さし、
「おまえたちは、おれが殺す! このタヤサルの、ラドワリが!」
 吠えるようにして、はっきりとした日本語でそう叫び、そして――
 消えた。
 今度はまちがいない。まぎれこめる距離に、人は一切いなかった。身をかくせるよ
うな遮蔽物の類もまったくない。にもかかわらず、煙どころかトリック撮影のように、
ぶつ切りのコマから消失するがごとく褐色の肉体は、そこから一瞬にしていなくなっ
ていたのだ。
 口もとをおさえたまま呆然と、奈々は人間消失地点に目を釘づけ――
 優もまた、驚愕の表情で消えた襲撃者をさがして、何もない空間に視線をさまよわ
せていた。
 途方に暮れたように優はふりかえる。
 そして、人群れのなかに、タケルの小柄な背中がまぎれるようにして埋もれていく
のを見つけ、悲鳴のように声をあげていた。
「タケル!」
 呼びかけに、少年はふりかえり、ちらりと唇の端に微笑を浮かべた。
 そして群衆をかきわけ、交差点をまたたく間にわたって駅構内に消えた。
 優は追ってかけ出しかけたが、背後で腹をおさえてうずくまるナンパ小僧の存在を
思いだし、ふりかえりながらたたらを踏んだ。しばし躊躇するように駅と背後とに視
線をさまよわせたあげく、ため息をついて力をぬき、横たわるナンパ小僧に歩みよっ
た。
 大丈夫、と頬をたたく優に小僧が弱々しく微笑みながらうなずいているところへ、
わけがわからないまま奈々と小僧の相棒も歩みよる。
 いまさらという感じで交番から警官が走り出てきた時、井の頭線改札わきの窓から、
タケルは最後にもういちど、遠い記憶の中の少女にちらりと、目をやった。
                           ――TO BE CONTINUED.




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