AWC お題>ノックの音がした>「こまったちゃん」  りりあん


        
#872/1336 短編
★タイトル (HYN     )  97/ 8/18  16:27  ( 81)
お題>ノックの音がした>「こまったちゃん」  りりあん
★内容
      お題>ノックの音がした>「こまったちゃん」
                           りりあん 

 ノックの音がした。
ドアが静かに開き、ナースキャップをつけた若い女性が顔を出す。 
 「りりあんさん、そろそろお願いしますね」
愛想笑いが、りりあんと呼ばれた女に向けられる。
 「あ、はーい」
りりあんはけだるい返事をすると椅子から立ち上がった。身につけたサーモン
ピンクのワンピースをすそを簡単に整える。

 女性の後について、りりあんも部屋を出た。
 床も壁も、何もかもが真っ白な廊下を抜けると、片面がガラス張りになって
いるロビーが目の前に見えてきた。
 りりあんは軽くため息をつき、透明な物質の外に広がる景色に目をやった。
濃緑の葉が生い茂る低木と、その向こうに僅かにかすんでいる山々。
 「ではリストです」
女性の事務的な声が現実に引き戻す。B5程度の大きさの紙が手渡された。
 「はい……、えっ? ちょっと、これはどういうことなんですか?」
りりあんの表情が険しくなった。彼女は物事をはっきりさせないと気が済まな
い性格なのだ。
 「一日3人までなんですよ、契約は」
 「申し訳ありませんが、今日だけ4人お願いしたいのです。こちらの方を
 担当していた人が帰省中なもので」
リストの2番目にある名前を指さす。
 まったく、なんて日なのかしらね。
 「もちろん、超過分は十分にお支払い致しますよ」にっこりと微笑む。
 「わかりました。そういうことなら話は別です」
りりあんも微笑みを返し、リストを折り畳んでポケットに入れた。

 ロビーから上に向かって伸びる階段を昇りきると、厚手の絨毯が敷き詰めら
れた広いフロアに出た。革張りのソファと、洋風の巨大な生け花が中央に置い
てある。りりあんの他には誰もいない。
 彼女はこれらの前を通り過ぎ、つきあたりにある銀色のドアの前に立った。
壁に填め込まれた↑のボタンを押すと、ドアは音もなく開いた。迷うことなく
中に乗る。

 りりあんが降りた場所は薄暗かった。細長い廊下の両脇には茶色い扉がいく
つも並んでいる。彼女はそれらのうちで、武闘という名札のかかったドアの前
で立ち止まった。
 目を閉じ、深呼吸をひとつ。
 「大丈夫……」そう呟いて、ゆっくりと瞼を開ける。
 これが彼女にとっての儀式。

 ドアをノックする。返事はない。
いつものことだ。鍵を差し込み、なるべく静かにロックを外す。
 蝶番が軋む音と共に、彼女は部屋の中へと滑りこんだ。 
そのままベッドに横たわる男に近づいてゆく。
 「あなた……」痩せた肩に手をかける。
男の目がゆっくりと開き、りりあんをその視界に捉えようと努力していた。
 「りりあん……、来てくれたんだね」
弱々しい声に彼女は微笑みで答えた。ベッドの脇に腰掛けると、男の手を握り
しめて自分の胸に押し当てる。
 「ぼくは……もうだめだ。書きたいことがたくさんあるのに……身体がい 
 うことを聞かないんだ」
 「ううん、あなたならきっと元気になれるわ。そうしたら私のこと、書いて
 くれる約束だったでしょう?」
男の手に頬擦りをし、汗ばんだ額と乱れた髪を優しく撫でた。
 「りりあん……、ぼくは君の想いに答えたい、けど……」
男の目から涙が溢れる。りりあんは指でそれを何度も拭う。
 「時間がなさすぎる……」
 「お願い、そんなこと言わないで……愛しいひと……」
そう言ってりりあんは男を抱いた。いまにも途絶えてしまいそうな男の鼓動が
りりあんの胸を締めつける。
 「名前を……、ぼくの名前を呼んでくれ……、いつものように」
男の呼吸が急に早くなった。
 「ええ……永山さん」

 りりあんは武闘と呼ばれる男が、人工呼吸を施されながら慌ただしく運び出
されるのを、茫然と見送っていた。
 ごめんね、武闘さん。
 だって今日に限ってあなたの順番が一番先だったんだもの。
 助かってくれるといいけど……。
 でもほんとはあなたのこと、好きだったのよ。
 
 「りりあんさん、すぐ用意して下さい。時間がないんですから」
彼女が振り返ると、後ろには例の女性が仁王立ちしていた。
「着替え用」という札のついたセーラー服を持って。

                           おしまい    
         




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