AWC 新しいメッセージは、ありません・3(1)修正版  武闘


        
#711/1336 短編
★タイトル (FWG     )  96/11/30   1:17  (152)
新しいメッセージは、ありません・3(1)修正版  武闘
★内容

一、山サキ

 街角には名の売れたアーティストを模した女性が目に付くようになった。
 山サキのはいている一枚数千円のジーパンではなく、数十万円はしそうなオールド
ジーンズを身にまとっている。
 彼女たちは、くりくりにパーマをかけ、二つに束ね、似たようなスタジャンを着て
いる。
「君たちのパフィな歌を聴いてみたいな?」
 彼女ら二人に、同人数の男が声をかけた。
 数ヶ月前なら、そんな軟派な男に石でもぶつけたいと思っていたが……。
 山サキから笑みがこぼれる。
「俺にも彼女が出来たからさー」
 ショーウインドウに映る自分の顔がにやけていることに気がついた。
「いい加減、独り言をいう癖を治さなくちゃ……」
 山サキにとって年来の願いであるが、達成されたことはない。
 改札を抜け、肩をぶつけながらプラットフォームに出る。ここでもパフィな女性が
目に付く。
 だが、もっと目に付く存在がいる。
 禁煙のステッカーが張った壁際で煙草をふかしてる男だ。
 油でギトギトのオールバックも目障りなら、肩をゆらしながら上目遣いに視線を漂
わせる姿も気に入らない。
 山サキの嫌いなチンピラだ。
 もっとも嫌いなのは、禁煙場所で当たり前のように煙草を吸い、吸い殻を床に投げ
捨て靴底で踏みつぶす奴らだ。それが、このチンピラだった。
「ここは禁煙場所ですよ」
 作り笑顔を浮かべ、優しくいったつもりである。
「あーん」
 男は口元をすぼめ、近づいた山サキの顔面に紫煙をはきかけた。
「だ・か・ら、喫煙は指定された場所でどうぞ、と、いってるんだ」
 汗が頬を伝うのを山サキは感じた。言葉が荒くなってきたのも分かる。
「あーん、あんだって?」
「……」
 男は壁から離れ、煙草を投げ捨てた手で山サキの頬を撫で、肩に腕を回した。
「世の中には注意していい人と悪い人がいる。それぐらい知らねーか?」
 臭い……。山サキは男の息を嗅いで吐き気を覚えた。
 腐ってる。この男は心底から腐ってる。
 山サキは男の肩に腕を回した。そのまま手のひらで首筋を押さえつける。男の肩に
足のすねを置き、跳ね上がった男の手を後方へと引く。
「ギャオ!」
 男は声にならない声を上げた。間接技は決まってしまえば、日本語で話せる余裕な
どない。男の顔面はプラットフォームに接触し、鼻先には先ほど投げ捨てた煙草がい
ぶっていた。

「それで、どうして血みどろになるわけ?」
 美枝子は穏やかに話す。顔に微笑みを浮かべない。
「間接を折るわけにもいかないだろう? それで離したら、そく殴り合いさ」
「すぐ正義感をきどるんだから……」
 八畳の洋間に満たされた消毒液の匂いと、薬の刺激で山サキの表情が歪む。
「我慢しなさいよ。男の子でしょう」
 美枝子の表情に笑みが生まれた。
 桂木美枝子。山サキの彼女である。大学のキャンパスで2ヶ月ほど前に知り合い、
なぜか気が合った。
 なぜか?
 理由は彼女が心理学や仏教哲学を趣味としてるからかもしれない。逢う度にそう感
じるようになっていく。美枝子は山サキにとって、優秀なセラピストでもある。
「一切種子識。喧嘩癖は治らないわね。持病だものね」
「なんだい、一切種子識って?」
「潜在意識のことよ。仏教哲学では阿頼耶識(アラヤシキ)というわ」
「ふーん」
「禁煙場所での喫煙は許せないとか、目には目を、なんて情報が入っていて、今回の
ように事が起こると果実になるわけ。つまり、殴り合いね」
「俺だって、ルールを守れば何もいわないさ。それに、注意も出来ない男って、美枝
子は好きなのか?」
 美枝子は声を出して笑い始めた。
 無垢な笑い。山サキは美枝子の笑いには勝てなかった。もっとも何一つ勝てるもの
などない。心底、惚れているのだ。
 山サキが美枝子の家を訪れるのは、今日が始めてである。両親は旅行で不在という
ことだ。
 独りでは淋しいから、という理由で誘われた。
 それなりの期待も当然ある。
 訪れた理由はもう一つある。
 彼女がパソコンを買ったのだ。パソコン通信をしたいという。今の時代、インター
ネットでなく、パソコン通信というのが変わっている。
 理由を問いただすと、オンラインマガジンで読みたいものがあるとのこと。
 ところが通信の設定ができないというのだ。
 真新しいパソコンラックには、フロンティアのディスクトップが飾られている。真
横には花が活けられた花瓶が寄り添っている。メカに花は不似合いではあるが、女性
的な雰囲気を醸し出してはいる。
「はい、マニュアルとパスワード」
 ベッドに腰掛けていた山サキに、美枝子はマニュアルに封書を添えて差し出した。
 封書を見て、山サキは息をのんだ。
 ディスカルトサーブ。一月ほど前まで、山サキが入会していた大手BBSである。

「新しいメッセージは、ありません」
「新しいメッセージは、ありません」
「新しいメッセージは、ありません」

 悪夢のメッセージが脳裏をよぎる。
「私、夕食をつくるから。その間にお願いね」
 彼女が肩に手を置いた感触も、ドアを閉める音も遠い世界の出来事に感じられる。
 震える手で封を切り、ユーザーIDとパスワードを眺めた。
 視線を下げると、何がなんだか分からなくなった。
「ディスカルトサーブSS? 何だSSって……」
 疑問はマニュアルを紐解くことで解決した。インターネットへの高速化対応にとも
ない、BBS 自体が変化していたのだ。
 パソコンを起動させる。メーカー独自のメニューランチャーから通信ソフトを立ち
上げる。後はパスワードなどを登録するだけ。彼女が通信できないというのが不可思
議に思われる。俺を誘うための口実だったのだろうか? 考えても分からない。
 山サキはアクセスポイントの電話番号を入力して、通信を始めた。
 内蔵モデムが盛んに音をたてる。
 メインメニューに到着メールの表示はない。

「新しいメッセージは、ありません」 

 脳裏に浮かぶメッセージ。しかし……。もしかしたら新しいメッセージがあるかも
しれない。そう考えた刹那、指はコマンドを打っていた。
 文筆創作のコーナー、雑談ボード、と移動する。
 指先に力を込め、3.タイトル一覧、を選択した。
 現れたメッセージの数々。
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雑談>最近山サキさんおいでになりませんね  いいぐる
 感想をいただいた時はかっとなっていろいろ書いたりしましたが、やっぱり冷静
に考えてみると私が悪かったみたいです。作文の本を買ってきて、勉強し直してい
るところです>スイマセン
 気を悪くされたのでなければいいんですけど……<ほら、辞書に登録しました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「ごめん!」
 思わず声を出してしまった。
 いいぐるさんには悪いことをしたと思う。
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雑談>山サキさんは  海ハラ
 いいぐるさん、山サキさんはそんなに小さい人ではありませんよ。きっと何か事
情があって、アクセスできないだけだと思います。あれだけ厳しい感想を書くから
には、彼にも覚悟があったでしょうし……
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 そんな覚悟はなかった……。ほんの軽い気持ちで……。
 そこまで考えて、山サキは奇妙なことに気がついた。自分がアップしたメッセージ
が存在していないのだ。いいぐるさん宛のメッセージ以後、数百のメッセージがあり
ながら、自分のメッセージが存在していない。
 お詫びのメッセージは無数に書いた。アクティブメンバーの所在を尋ねるメッセー
ジも書いたはず……。
「そうか。SSへ変更したからなー。旧アクセスポイントにつないでいたんだ」
「しかし、待てよ。他に書き込みがなかったということは、知らなかったのは俺だけ
ということか?」
 事務局からのお知らせもないというのはおかしい……。
 もしかして……誰かにはめられたのか……まさかなあ、そんなことはないよな。
 疑惑と呼ぶには、馬鹿らしい話だ。
 そんなことを出来る奴などいない……だけど……。
 打ち消そうとしても、呪文のように「はめられた」という疑惑が浮かんでくる。
 モニタの横に置かれたボールペンをとり、せわしなく動かす。ペン先が所在なげに
宙を彷徨う。舌を鳴らしながらメモ用紙を一枚引きちぎった。メモ用紙には乱れた字
で、美枝子のIDとパスワード、それにアクセスポイントのコールナンバーが書き留め
られていく。
 ドアの開く音で、山サキは振り返った。シャツの胸ポケットにメモ用紙を入れる。
「ハンドルネームを登録しておいたよ」
「ハンドルネームって何?」美枝子が小首を傾げる。
「ネット上で流通するニックネームさ。もなかにした」
「ふーん。実名じゃ駄目なのかなあ」
「変な男からメールが山ほど届くかもよ。それで良ければ実名に戻しておくけど」
「じゃあ、もなかでもいいわ」
 美枝子は一通りモニタを眺めてから、山サキを階下のリビングへと誘った。




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