AWC できもの三話  みのうら


        
#510/1336 短編
★タイトル (ARJ     )  95/ 9/22  19:33  (182)
できもの三話  みのうら
★内容

第一話: 我が家の猫

 それに気付いたのは、午後を随分回ったころだっただろうか。
 いつもなら日当たりの良い二階の窓際に、ちょこなんと座っている猫が、この天
気の良いのに日陰にいた。
 見降ろす私に対してニャアと鳴くでもなく、ただなんとなくそこに居て、中空を
見やっている。
 猫というのは元々いろっぽい動物であるが、この日は妙にぽったりといろっぽい。
人間じみた表情をしている。傾げた首の具合や、潤んだ目の感じが、昔風の花魁
でも思わせると言ったら言い過ぎだろうか。
 猫は幾分おっくうそうに、ちらりと私に目線をくれるとまた、何を眺めているの
か中空に目を戻す。頭でも撫でてやるかと手をのばすと、何とはなく嫌そうだ。
 それでも、いつもしてやるとおり、片方の耳を倒すようにして頭に触れてやると
いやに生あたたかい。
 猫の体温はもちろん人間のそれよりは高い。それにしてもあたたかい。熱でもあ
るのか?と顔を寄せたら……。
 猫の耳から顔にかけて、大人の親指大に毛が薄い部分がある。そこが桃色に腫れ
上がり、その中心には小さなかさぶたが出来ていた。さらに見れば、そのフタと皮
膚の隙間から、ぽっちりとビーズ大の赤い血がいくつか膨れ上がっていた。
 縞の浮き出た顔全体がこのできもののせいで腫れてしまった。それが猫を普段よ
り丸顔に見せていたのだ。熱に目を潤ませ、気分のすぐれぬ猫はいつもの心地よい
指定席を降り、冷たい床板で身体を冷やしていたものと見える。
 かさぶたなど出来たときは掻き崩してしまうのが畜生というものではないかと思
っていたが、猫は至っておとなしい。座り込んだきり動かない猫から、せめて血だ
けでも拭ってやろうと私は懐中からちり紙を取り出し舌でしめした。
 そっと紙で触れると、猫は目を細めたが逃げる様子もない。この生き物は痛みを
嫌うから、痛ければすっ飛んで逃げる筈なのだが顔をしかめたまま我慢している。

 濡れたちり紙は、血の珠をすいすいと吸った。
 さて、と立ち上がろうとしたが猫は動かない。おや、と眺めれば、今度は血のか
わりに黄色い膿が珠を作っている。
 仕方がないのでちり紙に息を吹きかけ、湿気を持たせてから膿を拭いてやった。
するとどうだ、膿は後から後から出て来るではないか。ときおり血も混じる。
 その血膿をせっせと拭いてやるうちにかさぶたがふやけて来たのか、ずるりと落
ちた。さすがにそのときは痛かったのか、猫はニャンともギャンともつかないうめ
きを上げたのだった。しかし動かない。ちいさなかさぶたを食べてしまうと、首を
縮め顔をしかめ、いじらしく耐えているのである。
 かさぶたの落ちたあとは膿で満ち溢れたクレーター、活火山の火口のようであっ
た。
 火口と違うところは、この溶岩は自力では溢れ出て来ない。ちり紙という道を作
ってやらねば決して外に出ようとはしないのだ。
 だんだん面白くなって来た私はちり紙二枚を費やしてとうとう猫のできものがは
らんでいた血膿を全て拭き取ってやったのであった。
 べったりとねばこい膿がだんだんと水っぽくなり、最後には透明なリンパ液のご
とき水だけが出、それもようやく出なくなる。
 驚いたのは残された火山の口、クレーターの様子であった。大人の男なら一握り
で握りつぶせるほどの猫の頭に、ぽこりと切り取られた桃色の火口。その小さな入
り口からは想像もできないほど意外な深さ。底の方のほの白いのは、もしや猫の頭
蓋骨ではあるまいか。あれほど膨れ上がっていた頭は、もう元の形に戻りつつあり、
猫はあっというまに猫に戻った。
 猫を抱き上げ、しみじみと眺めていた私の膝を蹴って、猫はいつもの猫らしい足
どりで去ってしまった。


第二話: どくだみの効用

 弟がまだ幼く、学校に上がるか上がらないかの時期であった。
 鼻の下をなにやら赤く腫らしている。子供の柔らかな皮膚であるから、またとび
ひの類でもあろうかと家人は特に気にしなかった。
 ところがその二三日後、彼の唇はいつもの倍に膨れ、鼻の下のできものはその正
体を現したのであった。
 それは、小玉葱のように白くつややかな脂で出来た芯を持ち、ヤツデの葉を寝か
したごとき模様を描いて根を張る、思わずほれぼれする見事なできものであった。

 母は買い置きの薬をとりあえず塗り、弟は特に痛くもないのか、歯抜けの前歯を
むき出しにして、平気で過ごしていた。
 しかし、このできものは周囲の予想に反し、全く引いて行こうとはせず、只己の
版図を着々と侵略していったのである。
 子供の真新しい肌をふっくりと腫らし、その表面を火星の運河のように赤黒く、
不可思議な模様を描いて這い回る根。その全てを掌握し、君臨する白い脂塊は、表
面こそ変わらない姿であったが、見えざる場所で次第に身体を肥やしているのが充
分に想像できたのである。
 私などはその熱を持ち、脈打つ様子を芸術品のごとく愛で、飽かず眺めていた。
弟などはそれが自分の手柄であるかと勘違いし、胸を張って誰にでもそのできもの
を自慢そうに見せて歩いていた。
 が、母にとっては深刻な問題であった。これ以上放置して、傷が一生残ったりし
たらさすがに笑えないであろう。
 と、いう訳でどくだみの葉を五、六枚、どこかから調達せよなる命令が私に下っ
た。
 文句を言いつつも近所の家の塀の根本に生えた貧相などくだみを何枚かちぎり、
持ち帰る。母は小さいの汚れているのと文句を言いつつ葉を束子で洗い、水気を切
ってから軽く火であぶり、くしゃくしゃと揉んだその小片を弟の鼻の下に張り付け
た。
 ご存じのようにどくだみには猛烈な臭気があり、現に私がこの植物を探すときも
、臭気をたよりにたどり着いたのであった。
 火であぶったのは殺菌のためだったから、葉には水分がまだまだたっぷりと残っ
ており、揉まれたため臭いは倍増していた。
「……う」
 弟の鼻は腫れ上がり、臭いをほとんど感じないようだったが、母と私はたまった
ものではなかった。葉を絆創膏で固定すると、本人にはおとなしくしているように
と告げ、用事を見つけては立ち去ってしまった。
 そして一時間。
 どくだみを剥がすときが来た。
 期待に胸ふるわせながら、母、私、そして弟はそっと葉を剥がした。
 いた。
 今まで奥に引き込み、赤い地腫れの中に白い影をあらわしていたその脂塊が、以
前の倍ほども火口から乗り出している。
 慎重の上にも慎重に、母はその塊をそっと摘んだ。今、この根を引き抜けなけれ
ば、次はないかもしれないのだ。
 静かに、引き出す。
 意外にもあっけなく、それは出てきた。
 黄ばんだ脂塊を頭に、ずるずると細く純白の根が何本も従う。人の体の中にこれ
ほど白い物体が生成されるとは。奇怪な快感に打たれて、私たちは作業を続けた。
根を残してはならないのだ。
 植物の葉脈によく似たそれら固形物をすべて引き出してしまうと、少しだけ水が
出た。
 そして翌日、弟のできものはきれいさっぱり、何事もなかったように治ってしま
ったのである。


第三話: BCGの怪
 私が、小学校を卒業していくらもたたない頃だった。
 結核予防に、はんこのように九つおされる針。あれはBCGという名前だっただ
ろうか。右の二の腕におされるあれである。
 その針先でつつかれた九つの傷口のうち、左下の一つがかさぶたになり、いつま
でたっても治らなかった。直径五ミリくらいのゆがんだかさぶた。
 ご存じの方も多いと思うが、かさぶたには根っこというか、芯があるものがある。
芯のないかさぶたはすぐ治ってしまうし、つまらない。安全ピンの針先などを消
毒し、桃色に透けるクレーターの底に鎮座ましますホットケーキ状の芯の端をつつ
く。場合によっては突き通し、べりりと一気に剥がしてしまう。芯さえ再発しなけ
ればそのかさぶたはすぐ治るのだ。しかし手強い奴もいて、再度のチャレンジに屈
せず真皮と癒着し剥がれないもの、簡単に剥がれるのだがすぐに再生してしまうも
の、などなかなか楽しませてくれる。
 そっちがその気なら、と、端から徐々に剥がす方法、針を十字に突き通し、接着
面を減らしてから一気に引き剥がす方法など、様々な方法が編み出された。
 そして問題のかさぶたである。
 どんなかさぶたでも、一年もなおらないようなことは滅多にない。
 このかさぶたは違った。かゆいので掻き崩してしまうと、中に黄色いホットケー
キがある。針は通らない。かといって血も出ない。膿もしない。一年以上のつきあ
いであった。持てる技術のすべてを投じて戦ったのだが、敵はいっこうに動じない。
またクレーターはふさがれてしまう。
 長々と続いた戦いであったが、その日私はとうとう雌雄を決しようと覚悟を決め
た。技が通じないなら力で勝負だ。
 安全ピンの針と、かさぶたを剥がした後のクレーターを消毒する。皮膚がふやけ
てちょうどいい感じになったところで、左手で傷口をつまみ、力を込める。
 水が出た。においの少ない、量の多い水だ。これが出ると戦いは長引く。しかし
その日の私は引く気はなかった。ぐいぐいと押し、ホットケーキを浮かそうとする。
針を突き立てる。痛みもなく、刺さりもしない。こちらも自分の身体だから、つい
力を入れ損ねる。
 そして格闘すること数十分。己のふがいなさに業を煮やした私は、気合いを入れ
てクレーターをひねった。滲んでくる水をすべて出してしまおう……としたのだが。

 ぶつ

 いい音がした。
 はりつめた糸が切れるような……そんな音だ。
 クレーターからは、黄色い溶岩が突出していた。高さおよそ七ミリ。
「…………なななな、なんだこれは!」
 あわてた私は針でつつき、貫こうとした。無駄だ。
 透明に近い黄色。どこかで見たような、皮膚と違和感のない黄色。
 これはもしや……。
 思春期の入り口にいた私は知っていた。鼻の頭からぶつりと出てくる、半透明の
脂。あれだ。あれしか考えられない!
 何かを芯に、この脂を私は一年以上、右腕で養育していたのだ!
 すると、芯はBCGの……。
 親指で触れてみた。出てこない。戦いは終わっていないのだ。
 姉に、母に、弟に触れ回った。姉は我がことのように目を輝かし、私の戦いを見
守った。
 戦うこと数分。私はもう一度、力を入れた。小鼻の脂肪を爪で押し出す要領だ。


 ぷつ

 今度はやや小さい音がして、とうとうその塊の全容は明らかとなった。
 全長約一センチ。六分目のところで直角に、鍵のように曲がった脂の塊。あまり
のすばらしさに私はくらくらした。
 痛みは一切なく、血も出ない。脂の抜けた後はぽっかりと穴が開き、奥まで丸見
えだ。素晴らしすぎる。
 問題の塊は、爪で両断された。中に、白く乾燥したような芯がある。手応えのあ
る、固い物体だ。これを何と形容したらいいだろうか。言葉が見つからない。親指
の爪と爪で押しつぶしてみる。少し固いが確かに脂肪だ。
 上等の酒に酔ったような満足感とともに、私はその脂肪を紙に包み、焼いた。
 蛋白質の燃える黒いにおいが立ち上り、私と姉は洗面所で火を使ったことを母に
しかられたのだった。

                                 終


 このお話はおおむねフィクションですが、やはりノンフィクションな所もござい
ますのでよい子はまねてはいけません。特に三話のようなことをすると、跡が残り
なかなか消えなくなるので注意が必要です。




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