AWC 夕立                    聖 紫


        
#481/1336 短編
★タイトル (ALN     )  95/ 7/23   3:44  ( 70)
夕立                    聖 紫
★内容

    熱気はその瞬間夕暮れの薄闇に淀み灰黒色の雲は地上へと盛垂れ
    せせらぎの囁きは緑原を渡る雨音に隠され雷は稲妻を逃す事無く
    心の底深く迄を激しく震撼させる全くの突然は大胆な夕立の訪響
    風は傘を持ち去り雨は大気を清め光りは闇を切り裂き静寂を覆す

    君は全くの裸の侭心すら覆う物を持たず風雨は容赦無く君を打つ
    閃光に脅え轟きに怯え膚を犯す雨は風に冷め心は空白の侭流魔酔
    瞳は妖しく憂い頬を過ぎる微笑は艶しく誘触れられ様とする物は
    肉体では無く限界迄清らかに澄み切った心なので在ろう事に気付


  気配は幾度も繰り返された記憶の断片を呼び起こすにすぎぬ侭興奮を新鮮に覚醒
 させ乍、全く斬新な鼓動を蘇らせてくれるのです。 築二百余年の木造家屋の二階
 の障子戸は大きく開かれ回廊の外を巡る雨硝子戸は朝の中より戸袋へと集められて
 白けた木の手すり越しに広がる雑草の彼方に川を挟んで小山が盛り上がり、其れを
 囲む様に峰々を誇示するが如く深蒼に聳える山々が立ち塞がって、僅かに軒下と山
 の頂の間に見える空には、燻銀を海の色で溶かした様な積乱雲が見えるばかりで、
 もしも、鳥や蝉が鳴き声を持たぬ生き物で在れば、この街には音等全く無いのかも
 知れないと思わせるほど… それほど静かな初夏の夕暮れだったのです。

  今朝早く開いたばかりの山梔子の香りを此の部屋に運んでくれた彼女は昼前に出
 かけた侭未だ帰って来ては居ない様です。 田舎の街には珍しく垢抜けのした彼女
 は、今年の春迄は東京に居たのだと教えてくれました。 短大を卒業した後東京で
 の就職を諦めて此の田舎で旅館を営む親元へと帰り、今は此の町の公共施設で事務
 員をして居るのだそうですが… それが、今の不況の為せる就職難の所為なのか、
 もっと他に理由の在っての事なのか迄は聴くには及ばざる事の様にも思われるので
 す… ただ、彼女の方では何か其れについて話たい様でも在ります。 否。 そう
 思えるだけの事で、事実はそうでは無いのかも知れません… 否、否… きっとそ
 う思う事が唯一の気休めとなって居たのかも知れません。 何一つとして必然性等
 の無い思い違いに過ぎないのです。 二階の窓から見下ろす事の出来る紫陽花の大
 きな植え込みの前に立って居た彼女の背中が泣いて居た様に思えたのも、宵祭りの
 夜偶然に街で見掛けた彼女の影が寂しそうに思えたのも… 二三日前から毎朝必ず
 部屋の花を生け代えに来てくれる様になった理由が、その度に何かを切り出したそ
 うな眼差しの所為では無いか等と云う事も… 総てが遠い古に置き忘れた幻への投
 影に過ぎないのです。

  遠く遥か彼方から聴こえてくる雷鳴は心地よく思えるものです。
 やがて青白い閃光が空を切り裂き、緩く淀んだ大気に刺激を与える頃、雲は厚く垂
 れ込めて一面を覆い、時間に不似合いな薄暗がりが辺り一面に下りる頃、一際大き
 な轟きは突然不意を衝いて響きわたるのです。 大粒の雨は投げつけられた侭叩き
 突けられる様に落ちて来ます。 静寂の中で統べては騒がしく、騒然たる嵐は何処
 迄も静かなのです。 草花も木々も水面も大地の表に広がる総てのものは今此の空
 の下で雨に打たれて居るのです。 雨は水となり木々の梢を深緑の葉を花弁を伝い
 大地を流れて行きます。 水面に広がる無数の波紋が流れるでも無く、交わるでも
 無く、広がり掛けては消えて行き、消えて行くより早く新しい波紋を広げて… し
 かし総ては、確実に消えて行くのです。

  灯かりも点けぬ部屋の奥までを時折閃光が青白く照らし出す中、薄闇に溶け込む
 様に影となり、紫煙の行方を気に留めるでも無く眺めて居ると雨の香りを纏った気
 配を背に感じるのです。 夕立に降られたのでしょう… 着替えも済ます事無く、
 彼女が部屋に入って来るのが背中越しに理解のです。 一体どの位の時が流れたの
 でしょうか… 無言の侭で嵐に魅入って居たのは… 言葉が不必要かったからでは
 無く、言葉など無かったからに他なりません。 何も考えられなかったのでは無く
 初めから考え等何一つ無かったからに他ならないのです。 全くの静寂は心の外に
 も、そして中にも広がり、総てを擒に替えるのです。 何かを話そうとした瞬間、
 静寂は人の気配を感じた妖精の様に跡形も無く姿を隠して終い、同時に心に浮かん
 だ言葉も消えて仕舞ったのです。 後に残った静けさは静寂では無く… 気不味さ
 に似た苛立ちだったのでしょうか… 闇は滑り落ちる様に深く濃くなりつつ宵闇の
 嵐は夜の雨へと代わり、窓は大きな山水画の額縁になるのです。

  開け放たれた部屋の中では気付かなかった山梔子の香りが一層強く漂うのは閉ざ
 された闇の所為ばかりでは無いのでしょう… 夜の深さが罪の深さとすり代わる様
 に… 微かな重みは微睡みに代わり静かな寝息は闇の深さを教えて、無意識の底に
 潜む息を意識が押し殺す様に、やわらかな肌の温もりが鋭い短刀の切っ先となり心
 に突きつけられた瞬間… 微睡みの淵より目覚めるものがあの緩やかな淀みを脅か
 した雷鳴の様に総てを覚醒させ、全くの空白の中より立ち上る朝靄の様に総てを包
 み乍覆い尽くすのです。

                                   聖 紫




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