AWC 白亜の星座                 聖 紫


        
#471/1336 短編
★タイトル (ALN     )  95/ 6/27   1:15  (200)
白亜の星座                 聖 紫
★内容

    美しき羽衣に潜む鋭き嘴の餌食とならぬ様にお前は闇に融けて
    輝きの中を彷徨労り無いきらびやかさの群より尚悲しく美しい
    闇に活きることを忘れ微かな灯火に身を焦がす愚かな獲物達に
    永遠の安らぎを約束する為に… お前は今宵も黒い影となる。
    言い訳などは聴いてもらえないことを知り尽くしたお前の瞳が
    挑む様に私を見据える夕刻は雨を運んできそうな湿った風の中
    望みは今朝までの過去を消し去ることか、明日と云う代償か…

  特別急行電車は平淡な街並を抜けて山間を目指す。 乗車と同時に気付いた芳
 香の正体は姿をおぼろに隠したままで思考はそれ以上の追求を拒む。 電車がそ
 の体を大きく傾けた時に軋む気流に乗って再びその芳香は満たされ、そして流れ
 去る…

  『薔薇だ… 』

  心の中で呟いた時には既に彼男の視線は静かに車内を遊泳して居た。 車内に
 は、それらしい主は見あたらない… その代わりに彼男が視線を奪われたものは
 斜め前方の席の客が膝の上で開こうとしている冊子の『白亜の星座』と云う活字
 だった。 彼男の視線はそのまま、冊子の載せられた客の腿に移り、静かに膝の
 辺りから脚を伝い降りて足首迄辿り付く。 未だ若い女性のそれは健康にふくよ
 かで、滑らかな張りのある美しい脚だった。 履き物は踵が低い。 伝い降りた
 脚を逆に辿りながら再び冊子を覗き見ると、先程の冊子の上に重ねられた要所案
 内を思わせるもう一つの冊子に刷られた地図の地形には見覚えが在った。 地名
 の幾つかには印があり、同じ様に開かれた天文ガイドにも、同じ地名が見える。
 色が白く綺麗な指先を伝い、腕を這い登り、同じ様に白い首筋を通り、斜め後ろ
 気味の横顔に辿り付く。 髪は首筋を隠さない程度に短く、時折見れる横顔は健
 康的で明るく見え、少なくとも左目瞼は二重で… 瞳は大きく澄んでいる。 肌
 の艶から、未だ二十代前半だろうと思った時、彼男の脳裏で過ぎった影には彼男
 自身気付く事も無かった。 不躾な眼差しは暫くの間、その客の膝に開かれた冊
 子と、横顔を見つめて居たが… やがて疲れた様に車窓の外へと投げ出された。

  『星座ウオッチャーか… 』

  無意識の中に彼男は電車と山肌の間で帯の様に続く梅雨時の灰色の空を見上げ
 て居た。山岳にさしかかった電車の車窓は、眼前に迫る山肌に覆われ暗緑色のト
 ンネルの中を走って居るかの様で何時にも無く退屈でもある。 しかし、此のト
 ンネルの中を走って居るかの様な退屈な時間は、実は彼男にとって貴重な時間で
 も在る。 いったい彼男は何時から此の長いトンネルに迷い込んだのだったろう
 か… そして、何時抜けるのだろうか… そんな事を思わせる一瞬すら煩わしく
 感じられて成らないのは何故なのか、彼男には分かっていた。 生きる意欲は遠
 い過去に捨て去られて居た。 生きて居る事すら意識するでも無い日々は彼男に
 とって永遠のトンネルなのだろうとすら気付く事を拒む。 そして、それを拒む
 彼男自身を持て余して居るのは、やはり彼男自身に他ならないのだ…

  電車が喘ぐように車体を軋ませる。 斜め前方の彼女は相変わらず『星座』の
 冊子を読み続けて居る。 闇の中に光りを求める… 否、否、光りを求めるが故
 に、闇を望むのでは無いか… 浅い闇では無く、薄い光りでは無い。 光りと闇
 の共存… 『白亜の星座』… 彼女は闇を知らぬ天空に輝く星座を求める旅人…

  同じ様に旅を続ける彼男の帰る場所は、何処でも良く… だがしかし、何処に
 も無い。 帰る場所を知らぬ様に旅の行く先すら知らない。 川底の砂地に身を
 投げ入れた石の船の様に、川底の砂の奥深く飲み込まれるでも無く、水の流れに
 流されるでも無く… 意識は閉ざされたまま眠るでも無く、既に岸を夢見る事も
 無く、水面の光りすら観上げはしない… ましてや、今更星座など見上げる術も
 無いだろう。

  電車が大きく傾きながら車体を震わせる。
 彼女の膝の上で幾冊も重ねられた冊子が電車の通路に滑り落ちた瞬間彼男は眠り
 の先に在るかも知れない目覚めを予感した。 通路に横たわる冊子に向かって、
 彼女の手より先に延びた彼男の手を追いかける様にして延びた彼女の指先が触れ
 た一瞬、彼女の手は静止し、驚いた様に見つめた彼女の顔は強張る前に微笑みに
 代わって居た。

  「有り難う御座います」

  差し出された冊子を受け取りながら彼女は屈託の無い会釈で応えた。 彼男は
 微笑みながら冊子を手渡し、「この時期に見られる星座が在るのですか」と尋ね
 ながら、通路を挟んで隣の席に腰を下ろした。 彼女は直ぐには応えず、受け取
 った冊子を開くと先程迄観て居た頁を指し示しながら話しを始めた。 星座を観
 るには場所と季節が密接に影響する事は彼男にも分かって居たし、特別な場所と
 時間を要求する星座が在る事も浅識ながら知って居た… 無論、それを求める程
 に、ただならぬ思い込みに違い無い事も想像できた。 彼男が星座についての知
 識が全く無い訳では無かった所為も在ってか話は弾んだ。 彼男が最初に思った
 通り彼女は海岸線の町まで星座を求めて行くと云う。 彼女は初めて行く町なの
 で着いてから場所を探すまでが大変だとも云い、地図だけが頼りだとも云って微
 笑んで見せた。 そんな所為か「今夜は無理ですが、明日の夜でしたらご案内出
 来ますよ」と切り出した彼男の好意に素直に応じて今夜の宿の連絡先等を教えた。
 無論「都合がつかなかった時には諦めて下さい」と云う彼男の断り付の約束に過
 ぎなかった。 彼女が素直に好意に応じたのは初めての土地に地理的な不安が在
 ったからばかりでは無い。 そんな事は今までに何度も繰り返したことであり、
 むしろ、彼女にとっては初めての土地を地図を頼りに歩く事がひとつの楽しみで
 も在ったのだ。 何故見知らぬ通りすがりの彼男の申し出を素直に受け入れられ
 たのか、彼女自身驚いて居た。 電車が山間の駅に着くと旅人達の束の間のふれ
 あいは幕をおろした。 つい1時間前に話し始めた二人が「じゃぁ、また… 」
 等と別れる光景も珍しいが、彼女は彼男の好意を信じて居たし、彼男は彼女を乗
 せた電車が、その駅を出るまでは気まぐれな申し出が大きな意味を持って来よう
 事等気づきもしなかったに違いない。

  次の列車連絡まで約1時間… 彼男はホームのベンチに腰掛けると直ぐに立ち
 上がった。 公衆電話の前迄行き、テレホンカードを出しかけてその手は止まっ
 た。 先程迄『星座』の話に夢中になって居た彼女の笑顔がそうさせたのかも知
 れない、或いはそうさせたのは彼男自身の中に邪で打算的な下心が在ったからな
 のかも知れない。 ただひとつ云えそうな事は、川底に埋もれ掛けた石の船が水
 面を流れる藁に手を差しだそうとして居ると云えなくは無いと云う事… 。

  彼男は改札口を慌ただしく抜けるとタクシーに飛び乗った。 彼男は次の列車
 を待たずにタクシーを利用する事にした。 行き先を告げた後でも未だ彼男は迷
 って居た。 …次の列車の終着駅の駐車場には彼男の車が止めて在った。 …次
 の列車に乗れば其処に着くのは2時間後になる… タクシーで行けば1時間弱…
 其処から今乗って来た特別急行電車の終着駅までは車で2時間… その列車が終
 着駅に着くのは今から3時間後… もしかすると、今別れたばかりの彼女を駅の
 ホームで迎える事が出来るかも知れない。 否、そうすべきだと彼男は思った。

  電車は山間をひたすら走り続けて居た。 苦しそうに唸って居たモーターの音
 は急に静かになり、レールのつなぎ目を数えて響く音は軽快になり、時折ブレー
 キを掛ける音も軽やかに聴こえる。 山脈を登り切った電車は海岸線を目指して
 山襞を下りて行くのだ。 彼女は独りになって初めて大胆な約束をした自分を愚
 かしく思って居た。 先程迄旅の徒然に話し相手をして居た彼男の事だ。 彼女
 と同じ様に、彼男が星座に感心を持って居たから話が盛り上がったのか… 否、
 あまりにも自然に、古くからの知人の様に接されて、気持ちがゆるんで仕舞った
 のか或いは、やはり… 心にすきが在ったのだろうと… 取り留めもなく思い巡
 らせば恥ずかしくも思えてくる。 ただひとつの救いは、「都合がつかなかった
 時には諦めて下さい」と云った彼男の言葉だった。

  『きっと、都合が悪くなった… とか云って電話をして来るんだわ』

  否、電話すら掛けて来ないかも知れないけれど、掛けて来るにしても、初めか
 ら都合は悪い事が前提の申し出だったのだ… と思う事が一番良い事の様にも思
 われて来た。 『そんな事より… 』彼女には所要案内で思いを膨らませ続けて
 来た場所に近付きつつ在る興奮の方が大きかった。

  車窓に海原が映り始めると電車は旅の終わりが近い事を知らせる。
 車内放送は乗り換えの案内を初め、長旅の労を告げる頃には車速は緩やかになり
 視界にホームが音もなく滑り込んで来て、静かに後方へと流れて行く… やがて
 その流れが止まると其処は海岸沿いの街である。

  彼女は旅行鞄に詰め込んだ冊子の重さを今更ながらに怨めしく重いながら改札
 口へと進む列に続く。 宿は、駅からバスに乗り小一時間の所にある。 バスは
 駅前から出て居る筈だけど… 『バスが混んでいたら… 地獄だわ… 』旅慣れ
 して居る筈の彼女にしては、今回は少し重装備過ぎたと自分でも後悔して居た。

  『今回は、後悔ばかりだわ… 』

  そんな風に彼女に思わせるのには、もう一つの理由も在った。 陸橋を下りた
 頃から何と無く誰かの視線を感じて居る様な気がして成らなかったのだ。 きっ
 と重たそうな荷物を抱えて、後悔して居ますと云わんばかりの顔の彼女を誰かが
 観て居るに違いない… と、考えてしまうのは、やはり此の重たい鞄の所為…
 それとも…

  『気のせい… 』

  そう思って居た視線が気のせいでは無い事に気が付いたのは改札口で旅券を差
 し出した時だった。 改札口の外に途中電車の中で旅の徒然の話相手だった彼男
 が居たのだ。 先程から感じ続けて居た視線は彼男のものだった… 驚きの余り
 彼女はその視線を見つめたまま立ち止まってしまった。 後ろに続く客に押され
 る様に改札口を押し出されて、彼男の前に立ち止まった彼女は『一瞬、頭の中が
 空白になる』と云う言葉の意味を身を持って体験した様な気がした。

  彼男は彼女に、彼女は彼男に… 照れた様に微笑んで見せたつもりだったが…
 顔はやはりお互いに強張って居た。

  「宿まで送りますよ… 」

  そう切り出した彼男の言葉を、彼女は断れなかった。
 人混みの中を、唯黙ったまま彼男の後を着いて行く彼女の頭の中は完全に空白だ
 った。 彼男の車に乗っても未だ彼女の気持ちは動転した侭だった。 初めて見
 る街並は無声映画の様にフロントガラスを通り過ぎて行く…

  「明日の朝、また来ても良いですか」

  宿の前で彼男にそう問いかけらて初めて我に返った彼女には断る術など無かっ
 た。 彼男は「明日また来ます」と言い残して暮れ始めた街へと消えて行った。

  既に暮れた山道を彼男の車はひたすら走り続けて居た。 彼男は帰る場所を見
 つけたのだ。 ヘッドライトは降り始めた雨を糸の束の様に映し出し、車は糸の
 簾を断ち切る様に闇の中を疾風の如く走り続けた。 車が峠を越えた頃に雨は一
 段と激しくなった。

  『星座は観れないな… 』

  彼男はそう呟いた… しかし、彼男の心の中では満天の星空が無限に広がり、
 その瞳にはかつて観た事も無い程の美しい星座が映って居た。

  同じ頃地図を辿る様に彼男の瞳に映る星座に最も近い岸壁に立って居た彼女の
 姿が空を切る迄には僅かばかり程の躊躇いも必要無かった。

  「もう… 旅には出ないんでしょう… 」

  淋しさを隠す様に、そう彼女が問いかける。

  「さぁ、どうしましょうか… 」

  微笑みながら振り返って見せた彼男の瞳を見つめて彼女も微笑んで見せた。

  彼男は束の間の夢を求めて闇の流れに身を預け、広告灯の毒閃に導かれる様に
 彷徨墜ちて行く。 彼女はそんな彼男の為に偽りの衣を躯に纏い何物より優雅に
 闇を操る。 操られるものは闇では無く、閉ざされた光りなのだと云う事には全
 く気付く術もなく、彼女もまた偽りの薄暗がりに泥酔しているに過ぎないのだ。

  そう… 湿った風が未だ絡み付く様に生暖かい夜、明るい団欒の窓辺からこぼ
 れ来る光りに誘われて予感する事も無く与えられた生態系の真実のみを証明する
 為に彼達は集う。 冷たく澄み切った眼差しは慈悲深く、灼熱の砂漠に迷い込ん
 だ旅人の眼前に現れた泉の様に尊く快い清涼感を与えながら、躊躇う事も無く、
 美しい毒蛾の舞に突き刺さる。 視線の痛みはやがて永遠の眠りを約束する麻酔
 となり、理論に反した非線形の軌跡を捕らえ、一直線に復動する刃は柔らかく、
 優しい撓みの支点には永遠の闇の扉を持つ洞窟が時を意識する事無く続いて居る。


                                  聖 紫




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