AWC     狂歌からの連想     (竹木貝石)


        
#457/1336 短編
★タイトル (GSC     )  95/ 5/13   6:57  (198)
    狂歌からの連想     (竹木貝石)
★内容

   1

 NHKテレビで放映した『ライバル日本史:田沼意次と松平定信』の中で、「政治
は、濁り過ぎても綺麗過ぎてもいけない」と言う意味の、見事な狂歌を紹介していた。
  白川の水の清きに耐えかねて
   濁れる元の田沼恋しき
 説明するまでもないが、賄賂で名高い田沼意次が失脚した後、白川藩出身の松平定
信が老中に任じられ、寛政の改革を行なった。けれども、厳格な質素倹約を断行した
ために、やがて庶民の反発を生じ、彼は僅か6年で職を退いた。定信はその時「庶民
の心秤がたし」と言ったそうである。
 同じく定信の政策を批判した歌に、次の物もあるという。
  孫の手の 痒い所に届き過ぎ
   足の裏までかかれぬるかな
 定信が徳川吉宗の孫に当たるので、それをもじって歌われたものである。

 さて、テレビの内容から離れるが、古来、「水清ければ魚住まず」と言う諺もある
くらいだから、純水過ぎてはいけないと言う道理は、大政治家に限らず、個人的付き
合いについても言えるようだ。
 私のように不器用で単純な人間に取って、「清濁合わせ飲む」というような、変幻
自在の世渡りは難しい。先日も有志の同級会があり、その宴会の席上、友人が案に私
のことを指してこう言った。
 「人は誰でも裏表を持っているものだ。その裏の部分を見せることのできない人間
を気の毒に思う」
 私自身、自分に裏が無いとは言わないが、そうかといって、ことさら隠していると
か・繕っているとか・格好を付けているつもりは更々ないのである。
 私が長年書きつづってきた自分史に、どんなタイトルを付けようかと随分考えてい
るのに、なかなか名案が浮かばない。いっそ『世渡り知らず』とでもしてみようか。

 話題を狂歌に戻す。
 いわゆるHな物(春歌と言ってよいのかどうか?)は、世の中に溢れるほど存在す
るが、それらを含め、私が感服した幾つかを、下に掲載してみる。

 元禄の頃だったか?京の都から、近衛なにがしという公家が江戸に下ってきて、そ
の用件が捗らない事情もあり、長々と滞在していたことがあった。費用はかかるし、
接待役も気を使うこと一通りでない。そこで一首。
  近衛どの 逆さに読めばヘノコなり
   ブラブラせんと早く立たしゃれ

 幕末、一橋家から徳川慶喜が、15代将軍に選ばれた。しかしながら、世情は騒然
としていて、到底穏やかに治まりそうもない。そこで一首。
  二つ箸 使えど食えぬ世の中に
   一橋にて渡りかねけり

 狂歌ではなく、五 七 五文字の川柳で、私が感心したのは、将棋を読んだ次の一句
である。関ヶ原の合戦で、小早川金吾秀秋(文字不明)の裏切りにより、石田三成が
敗れた歴史的経緯を、将棋の石田構えに引っかけて読んでいる。
  石田組 尻から金で崩れさり


 余談の余談になるが、物忘れのひどい私は、『ライバル日本史』をいつも聞き逃し
てしまう。テレビ番組であるから、「見忘れる」と表現すべきかも知れないが、とに
かく、視覚障害者の私が音声だけで聞いていても十分理解できるので、大層面白い。
 その番組を、今夜こそ忘れずに聞くことができて、嬉しさのあまり、こんな駄文を
書いているうちに、23時半からのラジオ番組『三国志』の朗読の時間を、とっくに
過ぎてしまった。もう夜中である。明日の勤めもあることゆえ、この続きは改めて書
かせて頂くこととする。



   2

 色々な人との付き合いの中で、当座は差ほどとも感じなかったのに、別れて後に懐
かしい思い出を留める人がいる。

  言の葉は 澄むと濁るの違いにて
   ハケに毛があり ハゲに毛が無し

  世の中に 人と煙草の善し悪しは
   煙となりて のちにこそ知れ

 この狂歌を私に教えてくれた人は、文学とドイツ語に造形深い大先輩であった。当
時、札幌盲学校に赴任したばかりの私は25歳、その人は45歳くらいだっただろう
か。
 彼は中途失明の全盲者であるにも関わらず、とりわけ漢字の知識において学者級で、
国語科の教員ですら、しばしば彼に漢字を教わっていたほどである。
 「貴方は、眼が見えなくなって十何年も経つというのに、何故そんなに沢山漢字を
覚えておられるのですか?」
と言う質問に対し、彼は次のように答えた。
 「毎日、暇さえあれば、頭の中に漢字を浮かべ、指先で漢字を描いている。そうで
もしなければ、たちまち忘れてしまうよ。」

 私はその人から、ドイツ語の詩の点訳(点字に直すこと)した物を何編か借りて、
解釈や鑑賞の仕方を教わった。ヘルマン ヘッセの『ペーター カーメンチント(郷
愁)』より「雲」、ウィルヘルム ミュラーの『ヴィンターライゼ(冬の旅)』より
「春の夢」などは、今も心に残っている。
 ところが、生来粗野な性格の私は、その先輩に対し、随分失礼な暴言を吐いたよう
だ。例えば、ある日、ラジオのドイツ語講座の話になり、饒舌になっていた私は、つ
い次のように言ってしまった。
 「確かに貴方のドイツ語の知識は素晴らしい。けれど、今からでも一生懸命勉強す
れば、貴方の実力くらいなら追い越せますね。何しろ私にはまだ20年もあるんです
から…。」

 これではまるで、「45年もドイツ語をやっていて、その程度の実力しか無いのか」
と言わぬばかりの言いぐさであり、現にそのようなことを口走った記憶もある。
 「もしこれから20年間必死で勉強したら、私でも少しは力が付くものでしょう
か?」
 本当は、そのように聞きたかったのに、傲慢な言い方になってしまうのが、私の欠
点である。
 そんな気持ちを知ってか知らずか、先輩は暫く沈黙した後、以下のように諭してく
れた。
 「かつて、ラジオの講師がこう言っていたことがあるよ。『ドイツ語を学習してい
ることを、なるべく大勢に言い触らす方が良いと思います。吹聴した以上は、皆の手
前、否応なしに勉強しなければならなくなります。勉強しないと、彼奴は口先ばかり
の人間だ と蔑まれてしまいますから…』。どうかね、君も大いにドイツ語を宣伝す
るといいよ。」

 あの時から、20年どころか30数年を経た今、私のドイツ語の実力は、25歳の
頃の五分の一も無い。改めて、かの先輩の偉大さを知ったのである。



   3

  裾のより まくり上げたるお富士山
   甲斐でみるより 駿河一番
 これは又、私としたことが卑俗な歌を…。とは言え、名歌であるには相違ない。

 この狂歌を教えてくれたのは、私より4年先輩の弱視の教員だった。彼は大ぼら吹
きとして定評があり、本名をもじって、「ほら 吹くぞう」とあだ名されたほどの男
である。
 彼についても様々なエピソードがあり、例えば、私が独身の頃、彼が下宿へ泊まり
掛けで遊びに来て、将棋を1日中指したものだ。その時私はきちんと数えておいたが、
丸々24時間の内に、僅かの睡眠を挟んで、丁度24盤戦って、私の18勝・彼の6
勝だったのを覚えている。この程度の数では、ギネスブックには乗せてもらえないだ
ろうが…。

 ここで、真面目な話を一つ記しておく。但し、狂歌とは全く無関係である。
 ある日の雑談の中で、彼が私に次のような出来事を語って聞かせた。それを聞きな
がら、私はいつものように、ひたすら相槌を打つのみだった。
 「明日の日曜日は、山へ石上げに行かなきゃなんねえなあ。」
 「何故石上げをするの?」
 「一緒に登山した奴が死んだ日さ。」
 「友達かい?」
 「そうだ。弱視者二人と全盲者一人で山に登ったのさ。その全盲者が彼奴だった。」
 「どうして死んだの?」
 「その話を聞かせようかい。……。夕暮れになって下山したんで、辺りがだんだん
暗くなってきて、いつのまにか道を間違えたんだよな。適当に歩ってるうちに、コン
クリートで固めたみてえな綺麗な道に出た時にゃ、俺たちゃほっとしたもんさ。『こ
んないい道なら一人で歩ける』なんて言って、彼奴が勝手に先頭へ出ちまったんだな。
俺が後ろから『待て待て』と言ったんだが、彼奴はドンドン走って下りてったのさ。」
 「…それで?」
 「15分くれえ下った頃かなあ?…急に奴の陰が見えなくなったんだよ。当時は俺
も今よか大分視力があったからなあ。目の前から彼奴の姿が消えたんでびっくりした
さ。そして、『ブッスン ブチッ ビシッ ブシ』と言う気味の悪い音が下の方へ遠ざ
かって行くのが聞こえた。と思った途端、俺の体が空中に浮いたね。」
 「エッ!」
 「崖だったんだなあ。いい道だ いい道だなんて、後で聞いた所によると、そこは
山から切り出した材木を、滑らせて崖から落とすように、わざわざこしらえた滑走路
だったんだそうだ。」
 「なるほど。」
 「谷底へおっこちる寸前で、偶然俺の左手が松ノ木に引っかかったもんだ。俺は渾
身の力でその木にしがみついたね。」
 「間一髪という訳か。」
 「ほんの後1メーター、イヤ、何十センチの違いだった。…ところがさ。体が半分
崖からはみ出してるし、後ろから下りて来た奴が、俺の背中にぴったりくっ付いたま
ま、全然後ろに下がれねえって言うんだよ。そいつも片足は崖からぶら下がってるの
さ。」
 「ホオー」
 「俺は柔道やってたから助かったが、さもなきゃ今頃は墓石の下よ。」
 「それで、どうしたの?」
 「必死で松の幹につかまってると、崖の下からラジオの音が聞こえて来るじゃねえ
か!絶壁だから、直線にすると結構人家まで近かったんだなあ。俺は『オーイ、助け
てくれえー』と何回も呼んだよ。すると間もなく返事があって、それから大声で事情
を説明したもんだ。しかし、暗くてこちとらの場所が分からねえって言うのさ。仕方
ねえから、俺は右手を使って、ポケットからライターと紙切れを取り出し、火を付け
て下に落としたさ。」
 (このあたりの話は若干ほらのような気もするが)
 「そんでもって、どうやら俺立ちの居場所が判ったらしく、暫くそのまま待ってろ
って言ってくれた。」
 「どのくらい待ったの?」
 「たっぷり2時間よ。助けに来るったって、崖を登る訳にゃあいかねえからさあ、
山の反対側から迂回して来なきゃなんねえだろう。」
 「それはそうだ。」
 「何しろ俺は二人分の重量を左手1本で支えてたんだから、つれえの辛くねえの!」
 「大変だったろうなあ。」
 「あんたは知らねえだろうが、遭難者を救助する場合は、完全に支えができるまで、
決して言葉をかけちゃあいけねえんだ。すぐ近くへ来た時点で声をかけたりすると、
遭難者が安心して、せっかく頑張っていたのに気が緩み、思わず手を離しちまうこと
がよくあるんだよ。」
 「そういうものかねえ。」
 「だからさ、俺はもう駄目だと、何回諦めかけたか知れねえ。……そして突然後ろ
からグッと抱き留められたんだ。屈強な山男が3人がかりで、やっと助け上げてくれ
たのさ。」
 「そんなことがあったとはねえ。」
 「それから1週間というもの、左手が馬鹿になっちまって、つねろうが叩こうが、
痛くも痒くもなんとも感じねえさ。」
 「そうだろうなあ。」
 「生き残った俺立ち二人が葬式に行った時、そこの姉さんが言った言葉、今も忘れ
られねえよ。」
 「なんて言われたの?」
 「『幸彦さん、貴方のお友達がお参りに来てくれましたよ。全盲の貴方を一人だけ
先に歩かせた人たちですよ。』仏壇の前でそう言われた時にゃ、なんにも言葉が出な
かった。」


 (以上の文中、記憶違いや文字違いの多いことをお詫びいたします。)
         [1995年(平成7年)5月12〜13日   竹木貝石]




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