#419/1336 短編
★タイトル (ALN ) 95/ 3/18 21:38 (200)
嫉妬 聖 紫
★内容
急に睡魔が襲って来て、私はカウンターの椅子に腰掛けたまま眠りについた…
さて、時間はどのような形態で流れているのであろうか… まだ二人の若い客が
残っている店の一番奥の壁に背を預け、椅子に掛けたままでうつろう私を取り残
さない様に、むやみに朝へと運ばぬように… 典子の髪の様にさらさらで、加美
子の眼差しの様にまったりと… それは私に気遣うことなく流れているのか…
僅かに目覚めた意識の何処かで、『さあ、起きあがり… 私も帰ろう』と云う
ありふれた言葉と、『どちらが私を起こすのか… 或いは、このまま朝までこう
して置き去りにされるのか… 様子を見ていようか』等という、幼稚な言葉達が
頭の中を飛び交う… 朝目が覚めると加美子が眠そうな目をして側に座っている
と云うようなことは珍しいことでは無い… まるで、夜の海のうねりの様に、大
きな目眩の中で、意識が翻弄されるままに、また深く眠りの底へと沈んで行く。
「帰ろうよ」
加美子の声に目を開く… 私が眠りの淵から生還したとき、加美子は既に数歩
離れた所に立って居た。 目覚めの一瞬… 呼び起こした僅かに空きの出来る無
防備な時間… まさかと思わせる瞬間で加美子は私に唇を奪われた事がある…
無意識にか、それを思い出してか、加美子は私の手の伸びきらない空間を紙一重
に心得て居るかのように間合いを見ていた。
典子には、まだ、私と加美子を二人きりに出来る自信が残っていたらしい…
或いは、あきらめきって仕舞ったのか… 四六時中そばに居て私を独占する事と
あっさり先に帰れる事と… 相変わらず典子の中には二人の彼女が同居している
様だ… そう云えば、最近の典子は京子の事を持ち出さなくなった… 代わりに
加美子が、裕子の事を事あるごとに持ち出してくる…
「みんな帰って仕舞ったのか… 珈琲… 飲みに行かないか?」
私が珈琲を飲みに行こうと云う時は、決まって遠出のドライブを意味している
のだ… 珈琲くらいは何処でも飲めるのだから… あえて、それを口にする時は
どこかの街の名のある店を指している。だが、其処が何処になるかは気分次第…
時には片道3時間のドライブも珍しくは無い。
「今日は、止しましょう… 」
「あぁ、じゃあまた今度行こう… 」
「うん… 」
さて、私は… 実はこのまま素直に家に帰る気もない。
京子でも良かったのだが… それは典子にも同じ事が云える様に、加美子の側に
居る事が、聡美の側で眠る事以上に私に安らぎを約束してくれるからに他ならな
い。
「ねぇ、髪… 切ったの」
加美子が珈琲を入れてきて座りなおしながら髪をくるっと振って見せた… ド
ライブより此処で珈琲を飲みながら話をした方が落ちつけて良かったのだろう。
「だねぇ」
「分かって居たよね… 見れば分かるもの… 」
そう… 肩までのセミロングが好く似合っている。
もう二年が来るのか… 典子は元々、長くて綺麗な髪をしていたけれど… あの
頃の加美子は今日と同じ位の髪だったんだ…
「気づいて居たよ…」
典子の髪が好きだと云っていたのを加美子が側で聞いて居て、何時の頃からか
加美子も髪を伸ばし初めて… 私は典子の真っ黒くて美しい長い髪に憧れながら、
加美子の柔らかい少し栗毛色の伸びかけの髪を弄ぶのが好きだった…
「お姉ちゃんの事… どう思う?」
あ、此の話題…
きっと、このまま何時もの様に取り留めの無い話が朝まで続く… それは予感で
は無くて確実なひとつのパターンだと分かっているが… 何処かで、何時もが、
何時もでは無くなっても良いかも知れないと云う、ある種の予感が身構えていた。
「どうって… ?」
さて、しかし… 去年までの私で在れば、『何とも思っては居ないけど… 』
等と、確定的な答えを隠して仕舞うのだろうけれど… 今更聞かなくても分かり
切って居る筈の答えが、実は曖昧な変化をもたらしていることも事実の様な気が
してきた…
「お姉ちゃんって、好きな人には、はっきりと態度で現すでしょう… 私には、
それが出来ないから… 好きになると、その人の前では、一歩退いてしまう
所があるのよ… 何時だったかしら… 話をして居て、お姉ちゃんは、外を
つれて歩きたいタイプで、私は家の中においておきたい感じなんだって、誰
かが云ってた事がある… それって… お姉ちゃんは見た目が綺麗だからっ
て事で、私は… そうじゃないって事なのかな… なんて考えたら… 少し
ひどい話だと思わない?」
… 確かに、典子にはそんな所がある。
一方的に感情を表現できる典子は、好きだという気持ちが態度にもはっきりと現
れる… それを喜ぶ男もいれば… 鬱陶しいと思う男だって居る筈だ… そう、
私の様に…
「私は、タイプで云うと… 加美ちゃんの方が好きだけど…
多分それは、私が望んでいる二人と実際の二人が正反対だからでは無いだろ
うか… 典ちゃんは綺麗だけど… 抱く気に迄はなれないし… 加美ちゃん
も、綺麗だと思うけどな… 私は、何時でも加美ちゃんの方が抱きたいと思
って仕舞う… 」
あぁ、まだ酔いから覚めて居ない… でもないか、何時だったか昼間のドライ
ブの時にも同じ話をした記憶がある。
実際に、プライドの高い加美子は決して『好きです』と云うような態度はあか
らさまにしない… もっと、奥深いところで家族のそれに似た愛情を感じさせる
のだ、初めてデートをした日… まるで、自分の兄か或いは父親に対するような
接し方をされて、戸惑ったことを思い出す… 実際に、一回り以上の年の差が在
れば、自然とそうなって仕舞うのかも知れない… べたつかず、そこはかない。
そんな親近感に近い愛情の表現では、典子以上に加美子の方が男に好かれるので
は無いかと思うのは、私だけかも知れない。
加美子の瞳が薄暗い明かりの下でいちだんと大きく妖しく輝く。
悪魔の様に冷静で、天使の様に悪戯で、清らかな湧き水の様に透明な闇の中に、
朝の空気の様に新鮮なすがすがしさが覚醒する一瞬… 加美子は狂おしく、天女
よりも美しく艶やかに乱れて輝く… 大人びて見えるのは、髪型の所為かもしれ
ない… 今日の加美子は、典子の姉ぐらいに思えるほど落ちついた表情で、以前
まで感じさせて居たぎくしゃくとした刺々しさが無く、妙にまろやかに見える。
「多分、典ちゃんより、加美ちゃんとの方がいろんな所にも多く行っていると
思うよ… 私は、典ちゃんよりか加美ちゃんの方が、何時も側に居てくれる
方が落ちつくしね… 今夜だって、聡美の所に帰るより、こうして加美ちゃ
んと居る方が気持ちが安らいでいられる…」
信じ難い答弁?
平気でそんな風に話せるのも、結局は5人とも同じように、それぞれの立場に合
わせて、純粋に愛しているからなのだと… 云っても駄目なのだろうか…
「本当? いっそ、分かれて仕舞えば良いじゃない… その方が良いわ」
そう… 加美子は二年の間、ずっと此の話の結論を待ち続けて居たのかも知れ
ない。しかし… 焦ることなど無いのではないか… 否、むしろ、永遠に答え等
見つからない方が皆が仕合わせで居られる様な気がしてならないのだが…
「男と女って、簡単に分かれられるものなのか?」
加美子の面影が、少女のあどけなさから女の妖しさに代わりつつ在るのは、夜
の所為ばかりでは無いような気がする… 加美子は確かに女の顔つきになってい
る… それは何時から… 二人きりの夜が始まった瞬間から… 或いは、今の一
瞬からだったのか… 幾度もの夜を共に過ごして来た筈なのに… 今までは一度
も見せたことのない、むせぶほどに匂い立つ… 女の加美子。
「だって… 気持ちが安らいでいるときの方が幸せでしょう… ?」
「聡美と別れて仕舞えば、加美ちゃんと居るより、他の誰かと居るときの方が
気楽になれる時が来る様な気がするんだ… 聡美と一緒でなくては落ちつけ
ない時だって在るし… 」
「そうかも知れない… 私だって抱かれるとか… そんな関係の人は一人じゃ
なきゃ嫌だけど、男の人の友達はいっぱい欲しいと思うから… 」
「私は… 友達でなくて良いから、みんな抱ける関係が良いな… 」
「抱かないくせに… 」
男だったら… 誰でもそんなものでは無いか… と、思いこもうとする方が間
違って居るのだろうか… こうして同じ夜を過ごす加美子も、私と同じ理由から
単に、逃避の共有をしているに違いないと… そんな風に考えたいだけなのかも
知れない。
「裕子さんね… よっちゃんと居るときと、私たちと居るときではずいぶん違
うのよ… 」
あぁ、また裕子さんか… まだ一度も見たことがないのに… 接点の共有など
あり得ないと言い切れない空間の融合が、『私は、あの人の事は知らないんだ』
と云う言い訳を不真実なものにすり替えてしまう。
「女なんて… そんなものだよ」
よりによって、よっちゃんを引き合いに出さなくても… まさか、そうした方
向から話題を展開すれば、私が反応を示すと云う考えから来ているのか… だと
すれば、仮に私が裕子さんとなにかの関係が在ったとしても… 眉ひとつ動かす
事も無いと云うことを加美子は忘れているのだ… 京子の時がそうであった様に
典子に対してもそうで在るように… 加美子の事もそうなのだと云うことを…
「だって、あまり極端だから… 私たち、後で大笑いして仕舞ったくらい…」
「一度見てみるか… 」
「だめ… って、云わないけど… 」
加美子には私が一番好きな人間が誰であるのか分かっているから、平気では居
られないらしい… 目を見れば、加美子の中で揺れ動いて居るものの正体がゆら
ゆらと燃える炎の様に分かる事が出来る。聡美と出会う前に、京子と出会う前に
典子を愛する前に、私は加美子と出逢いたかったと云う事。それを知らないのは
聡美と典子だけだから、そして、加美子も知らないふりを続けなくてはならない
事なのだ。そう… その事実は、私が京子にだけ、そっと話した二人だけの秘密
だった筈なのだから、京子にその事実を聞かされた加美子も京子に口止めされた
瞬間から、私の口から聞く迄は、知って居ないふりを演じなくてはならないのだ
… そして、私が加美子にその事を私自身の口から告げる気持ち等のない事は、
誰も知らない… 否、或いは京子はそれを知っていたから、加美子に告げ口をし
たのかも知れない。
永遠に私は加美子が好きで… 加美子以外の総ての天使達を愛し続けると云う
事を…
素直に、『好きだと云って』と云えない加美子。優しく、『愛しているよ』と
云ってやれない私… 取り留めのない感情が朝の気配にまでとけ込んで、今日が
始まる明かりの中で、加美子と私の車は、右と左に分かれて小さくなったた…
そして初春の昼下がり… 何事もなかったかのように目覚める、私に残ったもの
は… 昨夜の加美子の柔らかさと檸檬の香り。
聖 紫