#347/1336 短編
★タイトル (AZA ) 94/12/31 22:13 (186)
メモ 永山
★内容
下宿に帰って来るなり、外国人から話しかけられるなんて、初めての経験だ。
「勉さん、お友達から電話、ありましたよ」
マレーシアから来たエイシャンは、研究生待遇の留学生。もちろん、僕と同
じ大学で、ゼミの室生教授を通じて、最近、親しくなった。
「え? 誰からです?」
「足利さん、です」
光江だと分かった。どうでもいいが、『アシカ、蛾』と聞こえる。
「待ち合わせしたいということで、メモしておきました。見てください。私、
そろそろ出かけますから」
「ありがとう。外、寒いし、気を付けてくださいよ」
「大丈夫」
にこにこしながら、エイシャンは出て行く。一時半から留学生ばかりのコン
パがあるというので、その会場に近い僕の下宿で時間潰しをしてもらっていた
訳だ。それにしても、資料コピーのため、僕が部屋を空けたときに電話があっ
たとは間が悪い。
僕はインスタントのコーヒーを作ってから、カップを左手に、エイシャンが
書いてくれたというメモを右手に取った。
「……何じゃ?」
思わず、妙な言葉が口をつく。
エイシャンが残したメモには、意味不明の数字とアルファベットが記されて
いた。
120人 ap 1>13 n>1nru145
・ ・ ・ ・
「120人? apってなんかの略語かな。1が13よりもでかいってどうい
うこっちゃ? n>1で、nru……てのは『んる』? それから145……
分からん。それに、下にある『・』も気になるなあ」
(なお、『4』という字は、てっぺんが交わっていなかった。また、下に伸び
る線が長めでもあった。拡大してなるべく忠実に記すと、
* *
* *
*****
*
*
*
となる。)
僕は理解しようと、声に出して読んでみた。が、それはすぐに徒労だと思い
知らされる。
エイシャンは日本語を聞いて話すことはかなり達者だが、書くのはまだ無理
なのである。自然、ローマ字で書くのを常としているのだが……。こんな、数
字や大なり記号を使っているのは、初めてお目にかかる。そもそも、『人』と
いう簡単な文字でも漢字を書くなんて、信じられない。
「あ!」
一声叫んで、僕は廊下に飛び出した。が、すでにエイシャンの姿は見えず、
手元には謎めいたメモが残ることになった。
僕は部屋に戻り、どうしようかと悩んだ。
解決策はすぐに見つかった。簡単じゃないか。僕が光江に電話をかければそ
れですむ。彼女に用件を聞けば、終わり。
いそいそと電話を持ち、短縮ダイヤルのボタン1を押す。何度かの呼出し音
の後、フックが上がる音がして……。
「はい、足利でございます」
彼女の母親が出た。光江と声がとてもよく似ており、初めてかけたとき、大
失敗した覚えがある。今では、母親の方は「足利でございます」、光江は「足
利です」というのが決まり文句だと分かったから、いいのだが。
「室生ゼミの高田です。光江さんはいらっしゃるでしょうか?」
「ああ、高田さん。ごめんなさいねえ。光江、さっき出かけちゃったの」
がっくり。
「何時頃、帰るとか……」
「六時ぐらいって聞いてるのよ。お話、聞いておこうかしら?」
「あ、いえ、いいです。どうも、失礼します」
電話を切り、ため息をつく。どうやら、光江は僕に電話してすぐ、出かけた
らしい。ひょっとしたら、どこかに迎えに来いなんていう約束を、エイシャン
に言付けたんじゃないだろうな、彼女。もしもそうなら、時間的にやばいかも
しれない。うー、気になる。
今までの経験から推すと……。僕は考えた。
エイシャンは、待ち合わせと言っていた。だが、つまるところ、僕に車で迎
えに来させるつもりなのだ、彼女は。彼女が呼び出すとき、たいていがショッ
ピングの後である。山手線でぐるぐる回って、最後の買い物をした駅に迎えに
来いと言うのだから、何度も困らされたもんだ。
とにかく、今日もその線だとすれば、ショッピングするような駅は当たりが
付けられる。しょうがない、片端から回ってみるか。
……待てよ。ショッピング後のお迎え要請のときは、いつも、買い物が終わ
ってからだった。今日の電話は、どうやら違うらしい。家にいる時点で、僕の
下宿に電話してきているんだから。てことは、どこに迎えに行けばいいのか、
さっぱり分からない。
「分からんなあ」
大声出しても、さっぱり事態はよい方向へ進まない。
僕は覚悟を決め、車のキーを握りしめた。
駅を一つ一つ回るのは、尋常でなかった。時間も場所も分からないんだから、
何度も同じ駅に来なければならない。とりあえず、一つの駅につき十分待ち、
彼女を見つけられなければ、次に移動すると決めた。悲観的に考えれば、待ち
合わせ場所が駅であるかどうかも確実とは言えないのだ。まあ、こちらの方は
これまでの経験から大丈夫とは思うのだが。
また一つ、駅を移動しようと、走っていたときだった。自分の車は道路を渡
ったところにパーキングメーターを利用して置いてある。横断歩道を渡る際、
停めてある他人の車を避けて……。
どん!
駅に向かっていた人にぶつかってしまった。明らかに僕が悪い。見れば、比
較的背の高い恐そうな人と、中肉中背の二枚目だが穏和そうな人が並んでいる。
僕がぶつかったのは、恐そうな方。急いでることだし、ここは謝るに限る。
「あ、あのすみません。急いでいたもので……」
平身低頭、三度ばかり頭を下げた。万が一、喧嘩っ早い人だったら、と恐れ
たせいだ。
「いや、君は悪くない」
案に相違し、優しい声が降ってきた。念のために確かめてみると、話しか
けてきたのは恐そうに見えた人だった。
それはさておき、僕の方からぶつかっておいて、僕は悪くないとは……?
「は?」
「この駐車違反車、こいつがよろしくないね」
と、恐そうな人−−この表現はもうやめて、背の高い男性としよう。背の高
い男性は、僕のすぐ横にある白の乗用車のボンネットを、ぽんと叩いた。
「これのおかげで、横断歩道が三分の一近く遮られている。行く手を阻まれた
君が、多少、人にぶつかっても致し方がないかもしれない」
「で、でも」
急いでいるのも忘れて、つい、言ってしまった。
「この車、パーキングメーター、使ってますよ」
「いやいや、横断歩道にかぶさって駐車するのはいけない。だいいち、金を払
うなら違法駐車を認めようという規則自体、僕は気に入らない」
往来で、相手は演説まがいのことを始めた。
僕はげんなりしてしまう。ぶつかったのが恐い人じゃないのはよかったが、
これでは別の意味でコワイではないか。
「あの……」
「何故、駐車違反はなくならないのか。その原因の一つに、砂糖が甘いのと同
じぐらい明らかなことがある。車が増える一方なのに、駐車場が拡大されてい
ないからだ」
困ったことに、背の高い男性の弁舌は、ますますさえ渡る。
「不思議なことに、こうして歩道の上で立ち止まり、あれこれと物思いにふけ
るだけでも罪に問われる。自動車は金を払えば駐車違反ができるのに、人間に
許されていないのは、容易に納得しかねる」
「そろそろいいだろう」
僕の困っている顔が目に入ったのか、連れの人が止めに入ってくれた。いや、
この人も、最初から背の高い男性の袖を引っ張り、やめさせようとしていたの
だ。
「じゃ、じゃあ、これで」
変な挨拶を最後に、その二人から離れようとした。だけど、
「あ、待った」
と、その背の高い人からまた声をかけられた。
「な、何ですか?」
僕は警戒しながら振り返った。
「これ、落としたんじゃないかな?」
と、相手は例のメモ用紙を差し出す。
僕は慌てて、
「ああ、そうです。ど、どうも」
と受け取った。
背の高い男性は、急に笑顔になって、言った。
「気が付いてよかった。でも、どうして急ぐんだい? 新宿駅に四時なら、充
分に間に合うと思うけどね」
あん? 何を言っているんだ、この人は?
「それとも、まだ他に用事があるとか−−」
「ど、どういう意味でしょうか?」
「どういうって、そこにある通りだよ。僕はそのメモを見たんだから」
僕はメモに再度、目を通した。が、書いてある内容は変わっていない。
「あの、すみません。どこをどう読めば、これが新宿だの四時だのになるんで
しょうか?」
思い切って聞くと、背の高い男の人は、ちょっと怪訝そうな顔をしてから、
不意に吹き出した。
「ああ! そうか。君はメモの意味が分からず、そのために慌てていたんだ?
いや、笑ってごめん」
それでも、この人の笑いが収まるのには、もう少しだけ時間を要した。
「どういうことなのか、説明してあげなよ」
連れの人が、時計を気にしながら言った。どうやら、この二人組もある程度
は急いでいるらしい。
「分かってるって。いいかい、君は多分、メモを逆さに見ていたのだ。逆だと、
そのメモは理解しがたい、文章とも数式ともつかぬ代物だからね」
「逆?」
僕は急いでメモを逆さにした−−結局は正しい方向に戻したことになる。
「あ……」
途端に、メモ上の文字は姿を変えたように感じられた。5だと思っていたの
はS、3はEだ。nとuが入れ替わり、『ap』に見えたのは『de』。2は
zで、0はもちろんo。大なり記号に見えた『>1』は二つ合わせてkだった
んだ。1はiでrはj、『人』がYとは参った。
・ ・
Shinjuku Eki de Yozi
「本当だ……。『新宿 駅 で 四時』」
「外国の人が書いたのかな? 癖字で見間違えるのも無理ないよ」
「もう時間がなくなるぞ」
連れの人が、背の高い人を突っついた。
「せわしない時期だから、注意して、し過ぎることもないだろう。ゆっくりと
新宿駅に向かうのがいいさ。じゃあ」
突然早足で、行ってしまおうとする二人。
僕は思わず、声をかけた。
「どうもありがとうございます!」
するとどうした訳か、背の高い方だけが立ち止まり、手を大きく振ってくれ
た。
「何をしているんだ、チテンマ」
連れの人の声で、チテンマと呼ばれた背の高い男性は、分かってるよという
風にうなずきながら、駅に向かって歩き始めた。
チテンマ−−漢字でどう書くのかが、ちょっと気になった。
−−終