AWC 「時を停める中年」 〜クリスマスに〜 スパマン


        
#345/1336 短編
★タイトル (GVM     )  94/12/25  12: 3  (137)
「時を停める中年」 〜クリスマスに〜 スパマン
★内容
 「あ、」と昭子は突然、振り返った。
 京子も、つられて振り返った。
 そこにはサラリーマン然とした中年男がいた。真っ白なシャツに西陣織のネクタイ。
少しくたびれているグレーのスーツで、左腕に黒いコートを二つ折りにかけている。丸
顔の眉は濃く、ぎょろりとした目で、見方によってはふてぶてしい感じだが頭のてっぺ
んは少し薄くなっていて、男の哀愁を漂わせている。総じて「さえない」印象だった。
もしかするとルートセールスマンとか呼ぶ職業かも知れぬと京子は思った。
 さえない中年男は売場の通路をふたりの方に向かってきて、少し赤面しながら通り過
ぎた。そのとき、京子はラベンダーの香りに気付いた。
 「また、うろついてるわ。」
 「聞こえるわよ。」
 「聞こえたって、よいわよ。」
と昭子は頼もしい。
 「でも、お客様なんだから…」
 京子と昭子は、デパートの売場担当になったばかりの新入社員であった。
 「午前中から、何度も行ったり来たりなのよ。」
 「まさか、ランジェリーの!?」
 「そう、そこが中心みたいね。」
 「迷ってるのかしらん」
 明日はクリスマスイブだった。奥さんへのプレゼントかも知れないし、会社の女の子
へのものかも知れない。いえ、それはないかな。
 「ただの変態ってことも考えられる。いえ、変態なのよ。」
 京子は、昭子の説は違うと思った。なにか恥ずかしそうだったし、それにラベンダー
って…。
 「おいおい、早く替わってくれよ。」
 サンタクロースが二人を呼んだ。赤と白の衣装の中身は売場主任の安藤だ。昼食の間
レジを頼んだのだが、少しいらいらしているようだった。店内に流れるクリスマスソン
グのせいかも知れないと京子は思った。同じ曲をずっと聞いているせいだわ。あのシャ
ンシャンという音はどうしても神経にさわる。
 「そうだったわ。ごめんなさい。」と昭子。
 本来は、彼女らのどちらかが残るようになっていたのだが、たまには一緒にと思って
安藤主任に甘えたのだ。28歳の主任は、どうやら昭子の頼みには弱いらしい。
 「今度は、俺と食事するんだぞ。」
 京子の目を避けるようにして安藤は昭子に言った。
 「はあい。」
 昭子は、急ぎ足で行く安藤に明るく手を振った。こんな時、京子は羨ましく思う。
 (私は、あんなふうに出来ない…)
 京子はどちらかというと太めのぽっちゃりしたタイプで、昭子はボディコンがよく似
合うハキハキした女性で、しかも胸も京子より大きいようだ。だが、彼女は心の中で呟
いた。
 (顔は、私のほうが可愛いわ…)
 そのとき、またラベンダーの匂いがした。先程の中年の男が引き返してきたのだ。そ
んなに強い香りでは無いのだが、その香りを知っている者には意外に遠くから察知でき
るようだ。スーツと同じく、これも少しくたびれたような黒靴で、男はゆっくり歩いて
くる。
 「お客様、御用を承ります。」
 京子の前を過ぎたとき、昭子は、強い口調で中年男の進路を遮った。
 「あ、いや、いいんだ。」
 男は慌てて、きびすを返すと京子の前を通り過ぎ、去っていった。
 「だめよ、昭子。」
 「よいのよ、よいの。」
 「だって、お客様よ。」
 「ただの変態よ。」と昭子は決め付けた。
 「だって、赤面して…」
 「ちょっと、京子!」
 昭子は両手を腰に当てて、お得意のお説教ポーズになった。
 「中年には恥なんて言葉は無いの。あるのは、厚顔無恥。」
 「そんな」
 「そうなのよ。階段登れば、スカートの裾を覗き込むし、電車じゃ新聞越しに脂ぎっ
た視線を私たちの膝の間に向けているのよ。」
 確かに、そういう中年男性もいることは間違いない。でも、さっきの人はラベンダー
の香りを付けていた…。
 京子はラベンダーの香りが好きなのだ。部屋の窓際には鉢植えもある。枕元にはポプ
リも置いてあるくらいだ。ラベンダーの香水もあるのだけれど、これは昭子に「男の整
髪料みたい」と言われたために止めた。
 「あんたファザコンでしょ。」
 突然、昭子の言葉が大きくなった。京子は慌てて周りを見回す。良かった。誰もいな
い。
 「なんてことを…」
 大きい声で言うのか、と続けるつもりだったが言葉を呑み込んだ。
 「あなたみたいなタイプが中年男の餌食になるのよ。不倫に走ることになる。」
 相変わらず、お説教ポーズで右手の人差し指を立て、メトロノームのように振ってい
る。
 「男は、若いのにしなさい。」
 決め付けもここまで来ると京子は、もう、ぷくっと頬を脹らせるしかなかった。


 京子は帰りの電車で、満員では無かったが座れず、しかも、においに辟易していた。
煙草は最も嫌いなものだったが、男性の整髪料や酒のにおい、中華料理なども不快なも
のであった。おまけに頭の中では、トナカイがシャンシャンとそりを引いている。クリ
スマスソングが耳について仕方がないのだ。
 (もー最低!)
 今年のクリスマスも一人で迎えることになる彼女はおもしろくなかった。ふん、私は
キリスト教徒じゃないんだからと心の中で呟いてみても、明日はとっておきのシルクの
下着を身につけるつもりではあった。勿論当てなど無い。当てなど無いのに昭子のパー
ティの誘いはことわった。若い男が好きではなかった。あつかましいし、軽すぎる。自
分でもファザコンかも知れぬと思った。父は癌で3年前、彼女が女子短大生のとき他界
していた。
 (父の顔はどんなんだっけ…)
 そう思ったとき、はっと気付いた。昼の中年男の雰囲気が、少し似ているような気が
したのだ。でも、ほんのちょっぴりだわ。父はランジェリー売場なんてうろつかない。
ラベンダーの匂いも付けないし。
 そう思ったときに、後ろの車両に例の中年男の姿が見えた。昼は着ていなかった黒い
コートを羽織っている。男は赤面しているようだった。
 (いつもあんな顔なのかしら)
 京子は吊革を持つ手を入れ替えるついでに、体を後部車両の方に持って行った。その
とき、電車の揺れが急に静かになった気がした。人混みのざわめきも止まった。天使が
ドアの前を通ったと言われるような沈黙に満ちていた。
 (何、これ? これじゃ、まるで…)
 まるで時間が停まったようだった。だが、まさか、そんなことは無い。向こうの車両
の中年男はちゃんと動いていた。京子は、ほっとしたが、次の瞬間、信じられないもの
を見た。中年男は、座っている若い女性の前にかがみ込むと、そのコートのすそを開き
ベージュのスカートに包まれた足を膝に手を掛けて大きく開いたのだ。当の女性は無表
情でされるがままになっている。
 「うそぉっ!」
 京子は叫んだ。近くの男性の腕をとって、不埒な行為に及んでいる中年男を指差した
が、反応が無いことに気付いた。側の男性を見て、京子は凍り付いた。停まっていた。
辺りを見回しても皆停まっているのだ。そう、動いているのは、京子と、あの中年男だ
けだった。かがみ込んだ中年男はスカートの中に顔を突っ込んでいる。京子には、それ
がまるで獲物に食らいついている狼のように見えた。恐怖の叫びを上げる。男が振り返
ると口からは赤い血がだらだらと垂れている…と思ったのは錯覚だった。
 中年男の顔には恐怖があった。それは京子のものよりも深いものだった。だらしなく
開いた口は唾液で溢れている。ぎょろっとした眼が小刻みに動き、焦点が定まらぬよう
だった。京子は叫び続けた。中年男は映画のモンスターのように、ゆらゆらと立ち上が
ると、こちらに向かってきた。京子は生きた人形の間を後ずさりした。変態や厚顔無恥
どころじゃない、けだもの!モンスター!化け物!
 「助けて!みんな動いて!」
 京子がそう叫んだ途端、音が戻った。ざわめきが広がる。
 「なんだ、どうした。」
 さっき彼女が腕をつかんだ男が咎めるように言った。その口調に京子はむかついた。
その怒りが彼女の恐怖を一瞬にして消し去り、何をしゃべっても無駄だと悟った。誰も
信じるはずがない。あの被害者の女性も何も言わないだろう。ただ股間に違和感がある
だろうけれど、そんなことは言うべきことではない。京子は、あのラベンダーの出てく
る物語「時をかける少女」を思い出し、手塚治虫の時間を止める少年の漫画を思い出し
た。信じられないことだけど、きっとラベンダーが能力を引き出したんだわ。ハーブの
いろんな効果は知られているし…。でも、本当かしら?
 「ごめんなさい。ちょっと目眩がしたもので…」
 そう言って、まわりを納得させてから、後部車両を覗いた。中年男は姿を消している
かと思ったが、ガラス越しの向こうに居た。京子に向かって両手を合わせてあやまって
いる。おどおどした、情けない姿だった。それを見て、京子は腹立たしくなった。
 (とっちめてやる。)
 彼女は決心した。


 …その年の重大ニュースには、複数の大手デパートの玩具売場から品物が忽然と消え
一夜にして多くの子供たちに配られた「奇跡」が加えられた。子供たちの何人かは「眉
毛の濃い、ぎょろ目のサンタさん」を見たと言っているらしい。




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