#325/1336 短編
★タイトル (ZQG ) 94/10/21 4:20 (185)
夏の夜話 【惑星人奈宇】
★内容
今年に限って夏は暑い。毎日毎日雨が降らないばかりか曇りにさえ見舞われず、
ぎらぎらと輝き続ける太陽が恨めしい。
会社の昼休み、素麺を胃袋に流し込んだ私は、談話室でクーラーの近くに座り
熱いコーヒーをチビリチビリ飲んでいた。いつもの女子社員のヒソヒソ話、エア
コンの単調な音と共に聞こえてきた。最初は気にも留めなかったが、何やらリッ
チ・マンの噂をしているらしい。
リッチ・マンと言うのは、近くの広い屋敷に住む金持ちの夫婦のことである。
数年前までは、割合大きな会社の重役をしていたが、今は退職して、余裕一杯に
静かに暮らしている。妻に先立たれた後、リッチ・マンは御手伝いをしていたフ
イリピン女性を妻にした。子供が居ないので、数匹の犬と猫、それに小鳥も飼わ
れている。何でそのように詳しいことを知っているのかと言うと、リッチ・マン
が重役をしていた頃、うちの会社は今でも下請け企業だが、うちの社長と御歳暮
とか持って、彼の居る会社に挨拶に行ったことが有るからだ。
私が自転車で近くのスーパーに買い物に行く時に、大きな樹木の生い茂った屋
敷の威厳のある門から、ベンツがゆっくりと出てくるのには出会うことがある。
最近の女子社員の会話の状態から、どうも若奥さんと運転手とが影で恋愛ごっ
こをしているんではと、疑っているようだ。
「この前さ、見ちゃったのよ。若い美人の奥さんと運転手が一緒にタクシーで出
かけるのを、それでさ、あの厳つい運転手、サングラスかけてハワイアンのよう
な花柄のシャツ着て、うふふふ、何処に行ったのだろう」
「そういう、セラちゃん。アルバイトに健康食品の売り込みしてたでしょう。リ
ッチ・マンとこは、どうだったのよ」
「勿論。あの奥さん美人だから、沢山買ってくれたよ。旦那は、もう65歳越え
てるでしょう。だから、若くて男らしい運転手のこと好きに成ったとしても、あ
りうる話よねえ」
セラちゃんとデミルちゃんは、こちらには無頓着に話している。外は35度、
今年の暑さは特別で、エアコン無しでは10分も我慢できないような、とんでも
無い夏だ。
「デミルが想像するには、あの旦那は交際が広かったから色々と会合に引き出さ
れることが多いのよ。旦那出かけた後は、奥さんと運転手、二人だけが同じ家の
中だから、自然に男と女の関係に成るっちゅうわけね」
「デミルちゃん。それって、アタリ、当たりだよ。健康食品には健胃剤、整腸剤、
それに精力増進剤、高価で効き目有りそうなのは何でも買ってくれるから、なか
なか好いよ」
「あの奥さん、旦那が死ぬと遺産は全部、彼女のものに成っちまうの? 」
「デミルちゃんの鋭い矢、私の胸を通り抜けて窓から外に抜けたよ。旦那の胸の
内、あなただけが知っている! 遺言という手段もあるしな」
「アハハハ、見える、見える、セラの真っ赤に輝く、情熱のハート」
「うっそお。デミル。牛肉でも見るように見ないでよ」」
セラは、手を胸に当て、目の前に持っていき、ゆっくりと自分の手を見た。
私は、二人の話を聞いているのがばかばかしく成り、空の紙コップを屑入れに
ポイと捨てた。このまま直ぐに、ここを離れたら身体から汗が吹き出してくるの
は、解り切っている。隣のボックスからアイスクリームを取り出して、コイン挿
入口に百円硬貨を落とした。コインのチャリンという音に、二人の女性は初めて、
こちらの方を見て、「あらっ、敏也君じゃない。気がつかんかった」と惚けたよ
うに言って、二人は、にこっと笑った。
リッチ・マンんとこの庭は特別に広い。大人でも屋敷内でかくれんぼして遊べ
るくらいである。大きな池と小山が数個有り、そこには様々な木が沢山植えられ
ている。奥の方には茂みもある。
「運転手は庭師を兼ねているから、奥さんがお茶とか菓子を持って、運転手を労
いに行く。それでつい、話し込んでしまって、親切心のつもりが許されぬ恋へと
発展し、若い二人は、しては行けないことを物陰に隠れて行うのであった。チャ
チャチャ、チャンチャン」私は、アイスクリームを舐めながら彼女らに近づいた。
「あら。敏也君、言うわねえ。アイスクリーム頂戴」
私は、「丁度今小銭切らしているんだ」と言って、ポケットに手を出し入れし
て休憩室から出た。
土曜の夕方、涼みがてらに近くの河原に自転車で出かけた。九頭竜川での夏の
風物詩であるアイ釣り。釣糸に沢山の釣り針と鉛玉をつけて川底を転がしたり友
釣りする人達は帰った後だった。犬を連れて散歩している人やランニング練習し
ている人には、時々出会ったけど、静かな風景だった。ペダルを回転させている
と風が涼しくても汗が出てくる。喉が乾いて、ベンディング・マシンの所で自転
車をとめた。硬貨110円を財布から取り出して、コカ・コーラを落とした。冷
えたコーラを取り出し、顔をあげたら、大橋のガードのついた側道をこちらに歩
いて来るリッチ・マンの姿があった。
「敏也君ではないか。暑いなあ。今年の夏は特別に暑い。今日も35度を越して
いたよ。ちょっと1キロメートル歩いただけで、汗びっしょりだ」
リッチ・マンに出会って、昼間談話室での女子社員の話を思い出した。密かに
リッチ・マンの家に招待されないかなあと自分勝手な思いが頭にかすめた。
「こいいう時は、山本さん。そよ風が頬を撫でるように吹く涼しい庭で、バーベ
キュー料理とか捕れ立ての魚を焼いて、奥さんの優しいお酌で、肉を焼く煙に涙
をポロポロ、顔一杯に汗雫を浮かべて」ここまで言い終わって、少し厚かましい
かなと、反省の念が脳裏を過った。丁度この時、山本さんは大きな声で、「今度
招待するよ」と言って、舗装された堤防の上の道路を、すたすたと歩いて行って
仕舞った。
私は、言いすぎたかなと少し反省した。
二日後の朝、リッチ・マンである山本から《夕方から庭でのバーベキュに招待
するよ》との電話が有った。リッチ・マンとこの隣にある家には例の運転手も住
んでいるから、多分奥さんを含めて四人で、パーティをすることになるのだろう
か。
昼休みに、談話室のエアコンの前で涼んでいると、仲良しこよしのセラとデミ
ルが戸をカラカラ音をさせて引き開け入ってきた。
「うっひ。ひひひひひ。敏也君 また一緒だね。暑いかあ? 君だけや、ここで
涼んでいるのは」
デミルとセラ、二人は時々こちらを見ながら話し始めた。
「デミル、昨日さリッチ・マンとこで奥さんに泣きつかれて、びっくりしたのよ。
健康食品を買ってくれるのは有り難いんだけど、どうも主人のリッチ・マンは疑
い深くて嫉妬深い。運転手との逢い引きがバレて、昨日コッピドク叱られて、そ
の後背中に鞭打たれたんですって。それで奥さん、その赤く腫れ上がった痣を見
せてくれたのよ。同情してしもたわ」
「奥さんと運転手は、夜中に逢い引きをしてたのか? 怒られても仕方無いな」
デミルは、作り笑いをして相槌を打った。
「そしてさ、奥さんからバーベキュ大会に、どうしても参加してくれと懇願され
ちゃったの。奥さん、旦那と喧嘩した後だから不安なのね。あっそうそう、デミ
ルちゃんも良かったら一緒に来ね」
セラとデミルの会話を聞いていて、驚いてアイスクリームを落としそうになっ
た。私は、金持ちでカッコ好い老紳士とビールを飲みながら、多分リッチ・マン
の方から昔話という形で、若い頃の自慢話を聞かされるんではと覚悟している。
奥さんは元フイリピン人だし、料理の味付けとか好みが合わず旦那に冷たくされ
て、同じ年頃の運転手が思い浮かび上がったのだろう。無理もない。日本語も、
たどたどしいし、まだ友達も少ないのだろう。
私は、チョコレートで包まれたアイス・キャンデーをコリッと口に含み、歯触
りを楽しんだ。
僕は喫煙しないから、ジュースやアイス・キャンデーなどを食べているのだ。
気にする必要はない。セラとデミルは、時々こちらをみてニコッとしている。
会社から帰宅して直ぐシャワーを浴びた。汗でベトベトした肌がスベスベにな
った。下着は新しいのに着替えた。そして、何かリッチ・マンとこに家で採れた
野菜を少し持参して行こうかと思い着き、前の畑で茄子や胡瓜・ピーマンを収穫
した。
六時半になり自転車でリッチ・マンの屋敷に向かった。
リッチ・マンと当社のセラにデミルの二人組は、既に庭でバーベキューの準備
は完了し牛肉やアイを網に乗せて焼いていた。
女子社員のお酌で、リッチ・マンと私は二千年程時代を遡ったような気持ちで、
赤々と燃える炭火に照らされて顔を更に赤くして、網の上のアイや牛肉・野菜を
箸で摘み上げて口に運んだ。リッチ・マンの外国製のワインに、セラとデミルは
少しずつ飲んで歓声を上げたりした。勿論、少し顔を赤くしている。
ビールと焼き肉に腹を膨らませた私は、ここから少し離れている暗いとこで星
空を見上げていた。太陽の沈んだ西の空には、金星と木星が並んで明るく輝いて
いた。好い星だと思ったら、奥さんと運転手との逢い引きのことを思い出した。
真夜中のデート、二人は事前に示し合わせていて、その時刻になったら寝床を抜
け出して、この庭の何処かで逢う。まあ、しかし、運転手の家は屋敷の外だから、
奥さんは、この屋敷を抜け出して彼の家までは、まさか行かないだろうけど、ネ
グリジェ姿で外に出たのだろうか、あるいは少し変装して・・・、などと想像し
ていたら、後ろから奥さんの声がした。
「敏也さん。胡瓜、おたべなさいな」
「運転手の山田さんは、見えませんね」と、私は反射的に言い返して仕舞って、
少し奥さんの顔色を気にして、柔らかく笑ってごまかしながら、大声で談笑して
いるバーベキュウ現場に戻った。
リッチ・マンにセラちゃん・デミルちゃん、まだ飽きませずパクパクと食べて
いた。セラちゃんは、僕を見て「君のために持参してきた好い物あげる。こっち
来ね」と、相変わらず姉さんぶって言われた。
漢方胃腸薬だった。
我が社の女性二人組、彼らは奥さんに同情しているから、アルコールの勢いも
有り、リッチ・マンに夫婦喧嘩の経緯を問いただしているようだった。
「私、奥さんの痣見たら、映画で見る残酷シーン、身体を縄で縛り天井からぷら
下げて、鞭打ち100回とかの息が留まりそうな、顔を背けたくなるようなスケ
ベな場面、思いだしちゃった。それって、旦那さん、快感なの」セラは、意地悪
く問いただした。
「女房の奴、そのようなことまで。ちよっと軽く叩いただけだよ。彼女には夜中
に寝床から出て何処かに消えてしまう変な癖が有ったんだ。それに気付いた時、
僕の身体には鳥肌が立ち、冷や水を浴びせられたように心臓が止まりそうだった。
それが続きそうだったから、問い詰めたんだ」
「それで、殴ったり鞭打ったり。それって女性虐待では有りませんの」デミルも
抗議した。
「私、旦那に言ったのだよ。あれは運転手の山田に脅迫されて、仕方なく彼の要
求に従ったのだと」奥さんは、あまり表情を変えずに口をはさんだ。
「奥さんに裏切られた旦那さんの気持ちは解るしなあ。その後、どうなさいまし
たの。旦那さんの外出が極端に減ったとか」
「セラちゃん。それは酷いよ。その次の日に妻は私に言ったのだ。夜中の十二時
に山本と逢うことに成っているの。それで私の代わりに、あなた行ってよと。私
驚いたよ。まさか女装して運転手の山本に逢いに行くことに成るとはね」
奥さんはニコニコして、皆にビールを注いだ。
「運転手の山本は、びっくりしたでしょうね。まさか旦那さんが奥さんの代わり
に来るとは思いもしなかっただろうし」私は真面目な顔で発言した。
「あら、奥さん。今日も眠れませんの? こういう暑い日は旦那の胸で眠ると好
いのですよ。なんて言われてしまって、気恥ずかしくなり私怒らずに戻ったよ」
私はリッチ・マンの答えを聞いて予想が外れたのに気づいた。普通だったら、
運転手の厚い胸に抱かれて熱い口づけ、夜風に涼みながら恋を語る筈だったの
に。奥さんだと思ってたのに旦那のリッチ・マンだった。これは只では済まされ
そうにない、一騒動持ち上がる筈だ。肉を頬張りながらビールを飲んだ。
「私、運転手なんかと浮気して無いよ。いくら何でもバレて仕舞うよ。アハハハ」
奥さんは、きっぱりと言った。
数日後、会社の談話室でコカコーラを飲んでいると、セラとデミルが入ってき
た。
「嫌だねえ、敏也君と気が合うのかしら。私たちも飲もうか。デミルちゃん何に
する」
「ちみてぇ、コーヒー。そう、敏也君。リッチ・マンとこの運転手は奥さんの知
人である女性に変わったのですって。知ってたっ」
「そうだよ。敏也君。あの事件は落着だよ」セラちゃんはニコニコとして私に漢
方胃腸薬を一袋くれた。
************ 終わり **************