AWC    南北道路を探して        椿 美枝子


        
#59/1336 短編
★タイトル (RMM     )  93/ 6/12   0:39  ( 75)
   南北道路を探して        椿 美枝子
★内容
「南北道路、って、いい名前だと思わない? 普遍的で、象徴的で」
「俺は、そう思わない」
 私はその後の言葉を知っている、吐き捨てる様に言うんだ。
「気が知れないね」

 予約をせずに会いに行くと躊躇わず迷惑を顔に出す。用がある、大学の図書館
に本を返しに行く。それなら車で乗せていくよ、喜ぶ顔が見たくて言うのに、い
つもそれは叶わない。今日だって、別にいいのに、と言いながら渋い顔で助手席
に乗るんだから。

「用が済んだら、ちょっと付き合って」
 またそうやって露骨に嫌な顔をするのね。
「この間、大学から立川駅までの近道を探していたら、ほら私、方向音痴だから
迷ってね」
 それで、と目前の冷たい表情。
「急に、真っ直ぐな道に出ていたの。南北道路、って書いてあった。いつの間に
か見知った道に出ていたけれど。私の持っている古い道路地図には幾ら探しても
なくて、その後、車で何度も探したのに、私は見付ける事が出来なくて。ねえ、
南北道路、って、いい名前だと思わない?」

 ため息をつくのね、やっぱり、そうやって。大嫌いな反応。これ程よく知って
いて私は何を、期待しているのだろう。これ程大嫌いなのに私達は何故、付き合っ
ているのだろう。決して幸せな時などない。信じた事はあった、きっと今が幸せ
なのだ、と、言いきかせ、そしてそれは嘘に思えた。幸せになろうとする事はな
かった。片方の幸せは必ずと言っていい程、片方の不幸せだった。刷り込みだよ、
imprinting、最初に好きになったから。それは笑えない冗談ではなく、二人のずっ
と前からの結論だった。あなたは決して私と一緒に道を探してくれない。いつも
そうよ。知っている。これ程よく知っている。

 迷っていた。道はどんどん、狭まっていった。おかしいな、こんな所に新青梅
街道かしら、こんなに細い道が。道路の名前を確かめる為に、車を路肩に寄せて
みる。新奥多摩街道。知らない、ここ、何処だろう。奥多摩まで来てしまったの
だろうか。道を曲がればそれだけ帰れなくなりそうで、心細さを隠せずにいた。
隣の表情はどんどん険悪になっていた。多分、更に奥へと、迷い込んでいた。カー
ブを曲がりきると、川。
 知っている。ここは、秋川渓谷。
 現在地が把握できると同時に、焦り始めた。Uターンする私に、乗らなきゃよ
かった、と鼻でわらう隣。口喧嘩が始まった。

 カーブを切り損ねた。

 ガードレールにぶつけただけだった。
「……わざとだろ」
 違う。けれど、声にならない。
「わざとだ。お前が運転を間違える筈がない」
 そんな事だけ信用しているのが奇妙に思えて、絶望的な微笑を浮かべたのは、
失敗だった。
「わざとだな。俺がこうして乗っているのが、どういう気分だかお前にわかるか。
手足の自由がないようなもんだぞ。俺は降りる事も止める事も出来ずに、お前に
束縛されているんだ」
 束縛。そうね、ずっとそうだった。
「だから、俺は、いい、って言ったんだ」
 たまらなかった。いつでも私はこの人の笑顔を見たくているのに。
「降りて」
 こんな言葉で笑顔が取り戻せる筈もない、笑顔、それはもう随分も前に私が奪っ
てしまったのだ、けれど信じた、赦しを請う姿を、私に媚びる姿を、一瞬でも。
「ヒッチハイクでもするさ。ここにいるよりはましだ」
 捨て台詞のお返しにアクセルを踏み込み追い抜いた。カーブを切り損ないたい
気分なのは、今よ、これがはじめてよ。

 無事たどり着いたあの日から、何度も恋をした。より少ない欠点。より少ない
眠れぬ夜。けれど新しい恋人にいつも、心の中で謝っている、私はあなたなしで
も生きていける、少なくとも昔の様に盲目的に信じる事は出来ない、二度と。打
算や駆け引きと一緒に、多く信じない事、多く期待しない事を覚えてしまった。

 あれから時折南北道路を見掛けた。相変わらず古い道路地図しか持たず方向音
痴の私は、その場所を覚える事が出来ず、優しい亡霊に会った様にその道路を見
つめるけれど、追い掛けて行くと団地の中に消えていた。そして私は、こういう
つましい暮らしの中に人の幸せはあるのかも知れない、そんな心持ちで団地を見
ながら、見知った大通りへ駆けて行くのだ。


                  了

                       1993.05.22.24:00




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